第22話 神社の紋は下がり藤ではない

 扉の前で立ったまま、南雲なぐもゆいを見る。眼鏡の惟は普段見なれていないせいか、いつもに増して冷え冷えとした雰囲気をかもし出していた。


「多分、先生がこの家に招きいれたんでしょう」

 惟が南雲を一瞥する。眼鏡のレンズ面が室内のわずかな光を滑らせ、鏡面化して彼の表情を消していた。

「俺が、ですか」

 南雲は目をしばたかせる。想定外の言葉だ。惟は南雲の表情を見て肩を竦めた。


「先生の責任ではありませんよ。そのことは誤解しないでください」

 惟はそう前置きをして壁にもたれた。

立見山たつみやまのムカデの話は知っている、とおっしゃってましたね」

「看板を読みました。山の鉱物資源採掘民同士の争いの話のように読めましたが」

 南雲の返事に頷くと、惟は話し始めた。


「我々の祖先は応神天皇とともにこの土地に来た臣下の一人だといわれています。川で採った砂鉄や砂金で精錬をしていた職人の一人ではないか、と」

「立見山には鉱物資源が?」

「銅と金が多少出るようですね。それを採掘するために、露天掘りをしていたようです」


 ああ。南雲は頷く。坑道を掘る採掘とは違い、「露天掘り」は、木をなぎ倒して土の上から鉱物を掘っていく。結果山が荒らされ、保水作用を失った山は大雨のたびに土砂崩れを起こすようになっていく。『この地の民はムカデに苦しめられている』とは、そのことを指しているのか。


「我々の先祖は、当地でムカデと呼ばれる民を虐殺し、この地を奪ったようです。その時、ムカデの民から大いに呪いを受けた。その呪いを払うため、応神天皇より太刀を拝受しました。

 その太刀が今、剣道場の倉庫にあります」

 ああ。南雲は声を上げる。使えない倉庫。代々部長が語り継いでいる『開けてはならない倉庫』。


「何故、剣道部に?」

「普段、踏み清める場所だからですよ」

「反閇ですか」

 答える南雲に、惟は壁から体を起こしてまじまじと見つめた。

「先生のご専門は西洋史だと伺っていました。民俗学の分野にも興味をお持ちなのですか?」

 まぁ。南雲は苦笑する。大学時代、いびきのうるさかった彼は、日本史専攻でやけにそう言ったことに詳しかった。そのせいで雑学が増えたことは否めない。

「相撲部なんて作れませんが、剣道部はどの中学にもありますからね。作っても目立たないし、部員獲得も相撲部よりは、当時は容易かった。場所を踏み清める事によって、地面を浄化して悪霊を払う役目を剣道部は担っているのです。

 我々の先祖は学園を作り、そこで職を勤め上げる事で外との接触を絶って閉じこもって生活する事にした。呪いからの影響を最小限にするためにね」

 惟は溜息をつく。


「昔は部員も多く、効果はそれなりに続いていたんですが、最近は部員数も少なくて……。逆にムカデにつけこまれる有様です。現に、昔は下宿している教員なんて山ほどいたんです。その方々が我が家に呪いを持ち込むことはなかった」

 惟は布団で眠りこけている妹に視線を走らせ、話を続けた。


「この家も学園も、守りは固いのです。先祖が作った結界がありますからね。ただ、いろんな緩みが出てきているのでしょう」

「あの、双子の中学生がそうだったんでしょうか」

 多分ね。惟はそう言って肩を竦めた。


「双子の少女の形をとって現れることが、南雲先生の警戒を和らげる、とでも思ったのでしょう。

もちろん、信じる信じないは先生にお任せしますが、我々は今でもそのムカデと呼ばれた民たちの呪いから身を守っています」

「藤先生の喉の痣は消えるんですか?」

「消えるでしょう」

 惟はあっさりと答えた。


「剣道場奥にしまってある太刀の力で消えると思いますよ。どうせ、運動会の時の部活動リレーで剣道部が使いますから、その時にでも試してみますよ」

「部活動リレーで使うんですか?」

 南雲は驚いて尋ねる。惟は真面目に頷いた。

「部活動リレーは、各部のシンボルを持ってリレーしますからね。剣道部に、太刀以上のシンボルがありますか?」

「それは……。そうですが」

「それに、運動会は神社に向けての門を開きますからね。念のために毎年太刀を出しているんです」

「神社?」

 首を傾げる南雲を惟は正面から見る。


「立見山の中腹にあるでしょう。あの、ムカデの模様の提灯が下げられた神社が」

 ムカデ。南雲は言い、ああ、と声を上げた。


「下がり藤の紋だとおもってたら」 

 ムカデだったのか。南雲は驚いたように呟いた。どうりで、藤にしては形が変だと思った。


「あの神社でムカデの民を奉っているんですが、普段はそちらに向いた門はすべて閉じています。しかし、運動会の時だけ、保護者来場の目的で門をすべて開放するため、太刀を出して備えています。まぁ。運動会の暇な時にでも妹を呼んで太刀を持たせてみますよ」

「しかし、由来を信じるなら、西暦200年代の太刀でしょう? 形を保てているんですか?」

 南雲のもっともな質問に、惟は小さく肩を竦めた。


「鞘や紐などは、定期的に誂えなおしています。が、太刀本体はそのままの状態ですよ」

「ボロボロなのでは?」

「いいえ」

 惟は意味ありげに笑う。


「刀身は昔のままの輝きを放っていますよ」

 昔のまま。南雲は惟の言葉を鸚鵡返ししたものの、

「効力があるといいですね」

 そう言って口をつぐむ。そんなことがあるわけがない。青銅であれば緑が浮くだろうし、鋼であれば曇りもすれば錆も浮くだろう。


 ただ、そんなことをここで告げても仕方のないことだ。呪いを信し、その呪いに対抗するためのすべを知る人には、自分にはわからない何かがあるのかもしれない。

南雲は再び怜に視線を戻した。薄暗がりの中でも、彼女が静かに寝息を繰り返しているのが見える。その姿がなんとも安穏としていて、南雲は思わず口の端に笑みを浮かべた。


「先生、恋人はいらっしゃるんですか?」

 不意にそんなことを尋ねられ、南雲は惟を不思議そうに見た。鏡面化した眼鏡越しには、惟の思考が推し量れない。南雲は彼の意図が判らないまま首を横に振った。


「いません」

「じゃあ、妹はどうですか?」

 まるで朝ごはんの献立を問うような気軽さでそう言われ、南雲は目をしばたかせる。


「なにが、どうなんですか?」

「結婚相手ですよ」

 惟に真面目にそう言われ、南雲はあんぐりと口を開く。そんな南雲に構わず、惟は話を続ける。

「まぁ、まだ花嫁修業もさせていませんから、実際に結婚となると3年後ぐらいになるでしょうが、今からでも婚約してしまって……」

「いやいやいやいやいや」

 滔々と語る惟を遮り、南雲は呆れたように彼を見た。


「いきなりなんですか」

「元々、ムカデは藤家の男子にしか関係のない話なんですよ」

 惟は怜の方を見ながらそう言った。

「だからこそ、藤家の男子は幼い頃から武道を叩き込まれます」

 惟の話に、南雲は怜の言葉を想い出した。「私は女やからって、剣道はさせてもらってません」。あれは、実質必要がないから、ということだったのか。


「呪いを血筋に受けたり、実際的な効力を受けてきたのは男子でした。ですが、今回怜もその被害を受けてしまっている。喉の痣は消えたとしても、あの妹は呪いから逃げられないでしょう。彼女は今後、ことあるごとにムカデにつきまとわれる」

 惟は視線を怜から南雲に戻した。


「突然、『ムカデに首を絞められる』。そんなことを言う女が、普通に恋愛結婚できると思いますか? 

『ムカデに襲われる』そう言って大暴れする、そんな得体の知れない女を嫁に迎える理解のある夫はそうそういないでしょう?

結婚相手を探すために金を積むことは可能ですが、愛のない結婚は不幸ですよ。まぁ、それとも結婚を諦めて、一生独身かのどちらかでしょう。

 南雲先生なら理解もあるし、実際2度も妹の危機を救ってくださっているし」

 願ったりかなったりですよ。そう言って笑う惟を、南雲は呆れたように見つめた。

「それは極論でしょう。今から理解のある男性に出会うかもしれない」

「私には、今出会っているように見えるんですけどね」

 惟はそう言って笑うと、怜の側まで歩み寄った。「酒臭いな」。顔をしかめて妹を横抱きに持ち上げると、もう一度南雲に向き直る。


「妹には私から説明をしておきますよ。両親にもね。是非、前向きに検討をお願いします」

 惟はそう言って、怜を抱きかかえたまま自室へと戻っていった。

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