第14話 南雲と怜は共に眠る

 寝かしつけて、台所片付けて、仕事の続きをして朝まで起きていればいい。どうせ部活も見守りだけだ。徹夜したところで問題ない。

 南雲なぐもはノートパソコンを閉じると、立ち上がって布団に近づいた。掛け布団を手に取った。れいがおずおずと敷布団の上に座るのを確認し、掛け布団を横にしてその端っこを怜に渡す。南雲は布団の脇に腰を降ろすと、手を伸ばして座卓の側の座布団を引き寄せた。二つに折って枕代わりにすると、ふと怜に尋ねる。


「電気、どうしますか? 点けておきますか?」

 怜は布団に潜り込み、顔だけ出して南雲を見上げていた。掛け布団を横に使っているが、小柄な彼女は寝転がっても足が出ないらしい。

「……さっきみたいに、いきなり消えたら気味悪いですよね……」

「消しときますか」

 南雲は苦笑して出入り口付近まで歩み寄って片切りスイッチを押した。ぱちり。硬質な音がして照明が消える。


 薄暗がりの中、しばらく目を凝らすと次第に室内の様子が見えてくる。怜は掛け布団の中で小さくうずくまるようにしていた。

 仔犬のようだ、と南雲は思う。

 笙子しょうこは猫のようだと思っていた。気まぐれで、なつかなくて、だからこそ気を引きたかった。

 だが、怜は手のかかる仔犬のように思う。元気で、溌剌としてはいるが、こちらがなんとも思わないことに怯えて困らせる。

 ただ、そこがなんとも愛らしい。


 南雲は怜の隣りの畳に横になると、枕代わりの座布団に頭を埋める。ぐいぐいと頭を押し付けて寝心地の良い形に整えていると、怜に声をかけられた。

「先生、寒くないですか? 掛け布団、大丈夫ですか?」

 割とすぐ近くで声が聞こえる。南雲は頭をめぐらせて彼女を見た。数十センチ先に彼女の顔がある。薄闇の中、彼女のオニキスのような瞳だけがわずかな光を帯びてつるり、と輝いていた。

「寒くないです」

 南雲は答え、しばらく迷ったものの怜に言う。

「先生はカレシはいないんですか」

「いないです」

 これもすぐに返事が来る。なんとなく予想はついていたが、脊髄反射のような答えだ。

「俺が言うのもなんですけど」

 南雲は咳払いをしながら怜の目を見ながら言葉を続けた。

「その辺の男をあんまり過信してはいけませんよ。不埒な男だっているんですから。『何もしないから、ちょっと休んでいこう』とか言われて襲い掛かられても知りませんよ」

「私かて、人を見て言ってます」

 心外だとばかりに怜は目を見開いた。「それならいいんですが」。南雲はそう答えながら、なんだか複雑な気持ちだ。やっぱり、人畜無害な男に見られているらしい。

「先生は、カノジョいない歴何年なんですか?」

 ふと、そんなことを尋ねられる。

「2年……。かな」

「大学卒業と同時ってことは、同級生やったんですか?」

 怜の言葉に南雲は苦笑する。

「6つ年上でした。就職に失敗して逃げられました」

 南雲の予想外の答えに、怜はなんと返していいかわからなかったらしい。はぁ。とため息ともなんともつかない返事の後、話題を変えるように咳払いした。

「先生は、運動会が終わったら実家に戻られるんですか?」

 怜が尋ねてくる。掛け布団に顔の半分を埋めているせいか、目だけが南雲を見つめていた。

「いえ。中間テストのこともありますし、ここにいます」

 半分は本当のことで、半分は嘘だ。ゴールデンウィーク中は実家に帰りたくない。兄たちの結婚式があるからだ。兄の結婚式を欠席したい、と告げたとき、両親には頭から湯気を立てながら叱られたが、運動会が近い事、赴任してすぐで休みにくい事を説明すると、不承不承許してはくれた。だが、納得はしていないらしい。また、電話がかかってくるだろう。そう思うと気が重い。

「藤先生は運動会が終わったら、どっかに遊びに行くんですか?」

 南雲は頭に浮かぶ思いを逸らすように、怜に話しかけた。

「私は部活の付き添いです」

 怜は真面目に答える。なんとなくこれも予想通りの答えだった。

 こんなに可愛いのになぁ。

 南雲はまじまじと怜を見る。男っ気がないことが不思議だった。


「先生は、パソコンを使って授業をすすめておられるって、聞きました」

「俺ですか?」

 南雲は目をしばたかせたが、素直に答える。

「各教室にスクリーンと映写機が設置されているので、パソコンのパワポを使って授業しています」

 南雲が授業をするにあたり、教頭からくれぐれも言われたのは、「授業の速さ」だった。

 簡潔に、スピーディーに、どのクラスも平等に、と言われた結果、南雲が思いついたのはパソコンを使っての授業だった。

 黒板は使わず、授業の半分はパワーポイントを使って説明を行う。残りの時間は手作りのプリントを解かせる事で習熟度を測っている。パワーポイントを使うことで、『板書』の時間が短縮できるし、どのクラスも平等に同じ速さで授業を進めることができる。また、写真や資料も多用する事ができ、少しでも興味を持ってもらえるよう工夫をしているつもりではいた。

「授業が楽しい、って女バレの一年生が言ってました。他の先生も、南雲先生の授業の仕方を噂されてます」

 怜の言葉に、南雲は少しくすぐったい。


「私も、先生みたいに頑張ります」

 そう言う怜の目はどこか眠たげだ。もともと寝ているところを悪夢で起きたのだ。眠気は常に頭の奥にあったのだろう。

「私らしい授業で、生徒に日本語の美しさを伝えたいです」

 怜はあくびをかみ殺してそう言った。「頑張ってください」。南雲がそう言うと、掛け布団が少し動く。頷いたのかもしれない。

「……先生」

「はい?」

「……あの」

「はい」

「手を、つないで寝てもいいですか?」

 南雲は目を何度かしばたかせて怜を見る。怜はゆっくりとした瞬きを繰り返している。相当眠たいらしい。

 手間のかかる子どもだな。

 南雲は口の端に笑みを浮かべて、彼女に向かって手を伸ばす。

 掛け布団の中にそっと手を忍ばせると、彼女の手に触れた。

 ひやり、と。

 相変わらずの冷たさに南雲は少し驚く。

「先生の手」

 ふにゃり、と語尾が不明瞭になる怜の声が聞こえた。

「すごく、あったかいですね」

 怜はそう言うと、すぐに眠りに落ちた。

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