第17話 ムカデは常に対でいる
「君たちの荷物の置き場所については、顧問を交えて相談させてもらおう。今日は戻って練習を開始しなさい」
男子バレー部は、
「先輩方、ありがとうございました」
日村が深々と頭を下げると、その後ろで
「倉庫が、あるのか?」
南雲は日村に尋ねる。日村は頷いて指をさした。
「え? これ?」
南雲は驚く。ちょうど上座と向かい合わせになっている場所で、南雲はずっと木目調の壁だと思っていた。
惟はその壁に近づくと、板目と板目の間に指を入れる。何度か揺すると、壁自体が軋み音を立ててゆっくりと横にスライドしていった。
「この中が倉庫になっています」
近づいてきた南雲に惟は説明する。南雲は頷いて中を覗き込んだ。中にもう一枚扉が見える。倉庫とはこれのことか。
「前の部長から、普段は絶対に開けるなと言われています」
「中には太刀が一本入ってるんです」
日村と雨宮の声に南雲は振り返る。その隙に、惟はさっさと扉を閉めてしまった。
「太刀?」
南雲が眉をしかめて雨宮に尋ねた。雨宮は素直に頷いて言葉を続ける。
「運動会の時に出すねん」
「運動会って……」
何のために。南雲はそう尋ねたかったが、雨宮はもう南雲と話す気はないらしい。惟に顔を向ける。
「理事長先生、剣道部のOBやったんですか」
雨宮が人懐っこい笑みを浮かべて尋ねた。よく普通に話しかけられるな。その隣りで日村がそんな表情をしている。
「そうだよ」
惟はにっこりと微笑むが、南雲のような柔和な笑みではなく、どこか不器用さが滲む笑みだ。雨宮はおもしろがって目を細めるが、日村は怯えたように南雲ににじり寄る。
「昔から、卓球部とは仲が良かったんだ。今も良いんだね。喜ばしい事だ。当時は剣道部員が20名を越えていた。今は数名なのかな?」
「20名!」
日村が驚きの声を上げる。雨宮も素直に、「へぇ」と感嘆の声を漏らした。
「その時から、部員はあだ名をつけられてたんですか?」
雨宮が惟に尋ねる。これには南雲が首を傾げた。
「あだ名がついているのか?」
「そんな物はなかったな」
惟は首を傾げるが、「私だけなかったのかもしれん」、と小さく付け加える。なんとなく納得しそうな南雲に、雨宮は目を向ける。
「私らが入部したら、先輩皆にもついてた。私らにもついてるで」
雨宮は南雲に対しては遠慮がないらしい。その気安さに南雲は少し嬉しくなる。
「ひむひむは、面キラー」
日村を指差して雨宮は言う。『ひむひむ』があだ名じゃないのか。素朴な疑問が胸に湧いたが、南雲は日村に言う。
「かっこいいじゃないか。面が早いからか?」
南雲が尋ねると、雨宮が笑った。
「逆です」
日村は自分の顔の前で手をひらひら横に振る。
「僕、ものすごく面が遅いんです」
「そう……なのか?」
理解できず南雲は問い直す。日村は大真面目に頷いた。
「相手の面が僕の面に振り下ろされるぐらいに、僕が面を振ろうとするので、ちょうど遅れてる僕の小手が自分の目の前にあるんです。
だから、相手の竹刀と僕の小手や鍔が当たって、面が入らないんです」
「ひむひむが、合い面になったら、いっつも、がちゃーん、って音がしてるもん」
「合い面ではありえない音だって、先輩に言われた」
南雲にはいまいち実感として理解できないが、惟はわかるらしい。堪え切れず小さく噴出している。
「相手がお前から面を取れないから、面キラーか。お前が面を取るんじゃないのか」
南雲が確認すると、日村は自信を持ってうなずいた。
「僕は勝てませんが、負けません」
「君もあるのか?」
笑いを堪えているのか、口唇をわずかに震わせながら惟は雨宮に尋ねる。
「雨宮は、受身ちゃんです」
答えたのは日村だった。その隣りで雨宮が頷いている。
「新人戦の時、私のお相手は90キロ超えてて」
「せいぜい80キロだよ」
日村が胡散臭そうに雨宮を見て訂正をいれる。
「あ。体重別じゃないのか」
南雲は改めて驚く。それを見て惟は頷いた。
「重さは強さですからね。格闘技のほとんどは体重別ですが、剣道は違います」
「で、蹲踞してすぐの立合いで、どーんとぶつかって来られて、私、後ろ向きにひっくり返ったんや」
「大丈夫だったのか」
南雲が心配げに聞く。日村が頷いて雨宮の言葉を受けた。
「試合を見ていた皆が、『あ、後頭部強打する。大丈夫かッ』って思った途端、こいつ、左手を竹刀から離して、倒れ際にばーんって、床を叩いたんです」
「ちょうど、体育で柔道してたから」
雨宮が続け、日村がふんふんと頭を縦に振る。
「きれいな受身でした」
それで受身ちゃんか。呆れたように言う南雲の側で、惟が大笑いしている。
「
南雲が日村に尋ねると、即答で言葉が返ってきた。
「あいつは膝ブレイカー」
「なんだそれ」
目を丸くする南雲に、雨宮と日村は向かい合った。
「鍔競りっていうのがあるんです」
「相手とこう、向かい合って竹刀同士を合わせるんや」
二人は竹刀を持っていないが、その素振りを南雲の前で見せる。
「で、ここから、ゆっくりと別れるか、技をしかけるんです。引き面とか、引き胴とか」
日村がいい、雨宮がその技をしてみせた。相手の面や胴を打って、素早く後ろに下がる技らしい。
「その技を仕掛ける時、あいつ絶対膝を曲げて下がるから、相手の膝にぶつかるねん」
「あれ、腹立つよな。心底いらつくわ」
「でも、あいつ、自分も痛いらしいから、そこで折り合いつけとる、私」
「そうだな」
頷きあう二人を見て、「ああ、膝を攻撃するから、膝ブレイカー」と南雲は呟く。惟はすでに腹を抱えて大笑いしていた。
「今日はその、膝ブレイカーは休みか?」
南雲は苦笑しながら日村に尋ねる。日村は頷き、顔をしかめた。
「カノジョと映画に行くんだそうです」
「あいつ、ほんま腹立つわ」
雨宮がふんっ、と鼻から息を抜いた。
「二人で稽古できるか?」
「いつものことですから」
自分に出来る事があれば協力しようと思ったが、日村はそう言い、雨宮が頷く。
「じゃあ、いつもどおりの稽古で11時までしようか」
南雲が腕時計に視線を走らせて指示すると、二人は大きな声で返事をして防具の方まで走って行った。
「南雲先生」
呼びかけられて視線を向けると、惟が目尻に浮かんだ涙を拭っている。
「今日はこの後、午後に何かご予定が?」
「午後は……。私用ですが、買い物に出ようと思っています」
「では、今少しだけお時間を頂きたいのですが」
南雲は緊張して頷いた。
昨晩の事だろうか。惟は、「廊下にでましょうか」と、南雲を振り返りもせずに歩き始める。南雲は惟について道場を出ると、すでに部活の始まった卓球場を抜けて体育館の廊下に出た。
「昨晩は妹がご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
人気がないせいか、廊下はやはりひんやりとしていた。無駄な照明を落としているせいか、全体にぼんやりと薄暗い。そんな中、惟は深々と南雲に頭を下げた。
「とんでもない。俺……、私のほうこそ軽率な行動でした。良く考えれば、理事長にお電話して来て頂ければよかったんですよね」
南雲は手を横に振りながら、惟に向かって言う。腰を折って頭を下げても随分大きい。180センチをゆうに超えているのかもしれない。
「いえ、あの時私は結構酒を飲んでいたので、対応できかねたと思います。南雲先生のご判断は正しかったと思いますよ。今日からはできるだけ私が在宅して対応したいと思います」
頭を起こし、精悍な顔を南雲に向けた。ところで。そう言い接ぐ。
「その時のことをお聞きしたいんですが」
南雲は躊躇いながら頷く。やましい事はないとはいえ、そう前置きされたら緊張する。多分怜に恋人ができないのはこの強面の兄のせいではなかろうか。
「妹は、ムカデの夢を見た、と」
南雲は拍子抜けしたように惟を見上げた後、返事をした。怜が南雲の部屋にいた状況を聞きたいわけではないのだろうか。
「私が寝ようと思った時に藤先生の部屋から悲鳴が聞こえたんです。ドアの外から呼びかけてみたら、先生が泣きながら出てこられて……。
ムカデが首を絞める夢を見た、と。
不思議な事に、首にその通りの痣が出来ていて、本人の不安感が強かったので台所で紅茶を一緒に飲んだんです。
そしたら雨が降り始めて……。
藤先生が窓を閉めようとされたんですが、急に体勢を崩して。
先生がおっしゃるには、腕をひっぱられた、と。双子の」
そこまで話して、南雲は口を止めた。
双子の少女がいた。
怜がそう言った時、何も思わなかったが、自分は出会ったではないか。
昨日。
双子の少女に。
「どうされました?」
覗きこむような惟の顔が目の前にある。南雲はわずかに背をのけぞらせて、「いえ」と小さく呟いた。
「藤先生が、夜中に双子の少女が庭にいる、っておっしゃったんですが……。昨日、俺も見たな、と思って。双子の女の子」
「ムカデは対でいますからね」
惟はふぅ、と息を吐きながら答える。おや、と思った。怜の話や南雲の話を惟は信じるのだろうか。
「
そう尋ねた南雲を、惟は意外そうに見やる。
「先生もご存知とは。ええ。私は知っていますし」
信じてもいますよ。惟はそう付け加えた。
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