第5話 学校の裏には山がある
◇◇◇◇◇
ジャージに着替えた
トンボでグランドを均している野球部や、すでにアップを始めた陸上部が短いダッシュを繰り返している。グランドの山側で集団で走っているのはテニス部だろう。
どの部も統一した練習着を身に着けてるが、何人か真新しい体操服を着ている生徒が混じっている。新入部員だろう。幼さの残る顔に緊張を滲ませて、先輩の様子を目で追っている。
南雲はそんな様子を眺めながら、のんびりと歩道を歩く。
グランドの北側には、
剣道部は稽古の前にその山を登ってアップしているという。南雲はその彼らに合流し、見学だけではなく一緒に稽古に参加しようと考えていた。
久しぶりに履くアップシューズは、やはり革靴よりも足になじむ。ジャージも肩繰りが動かしやすく、自然に頬がほころんだ。赴任して1週間。スーツを着て緊張しっぱなしだったが、服装だけで気分も変わる様だ。
「南雲先生は、藤家の者なん?」
ふと、声をかけられ南雲は振り返った。
真後ろに居たのは、学園の制服を着た少女たちだった。
双子なのだろうか。顔がそっくりだ。
肩の辺りでぱつん、と髪を切りそろえているせいか、真っ黒い瞳のせいなのか。制服を着ていてもその二人は日本人形のように見えた。
「ふじけのもんなん?」
南雲は眉を顰めて鸚鵡返しに二人にそう問い直す。こちらの方言にまだなじまないせいで時折、生徒や同僚が何を言っているのか良くわからない時がある。
双子は顔を見比べてくすり、と笑い合うと、もう一度南雲の顔を見て尋ねた。
「南雲先生は、藤先生と親戚なんですか?」
そう言われ、南雲は納得がいった。「藤家の者なのか」。彼女たちは最初、南雲にそう聞いたのだろう。
「違うよ。下宿させてもらってるんだ」
南雲が答えると、双子たちはくすぐったそうに身を縮めて笑いあった。「違うよ、やて」。「もらってるんだ、やって」。
南雲の言葉使いを笑う双子を、南雲は困ったように見つめた。この辺りでは南雲の言葉は珍しいらしい。双子は互いに顔を見合わせてくつくつと笑っている。その様子を眺めながら、南雲は尋ねた。
「藤先生になにかご用かな?」
南雲の言葉に、双子は笑いを止めた。双子は一瞬互いの視線を交錯させる。それだけで、言葉を使わずに互いに意思を通じ合わせたようだ。
「用はあるんだけど」
「つながりがなかったねん」
少女たちはそう言うと、手を伸ばして南雲の腕に少し触れた。右の少女は南雲の右腕を。左の少女は南雲の左腕を。
「ほな、先生」
「さようなら」
少女たちはそう言うと、来た時と同じ唐突さでくるりと南雲に背を向けると、校門のほうへ走り去っていった。
かすかに淡く揺れるスカートの裾を南雲は眺めていたが、野球部が大声で掛け声をかけながらランニングを始めるのを聞いて、再び山の方へ歩いていく。
なんだったんだろう。
小首を傾げながら、南雲はフェンス沿いに北へと歩いていく。
ほどなくフェンスが切れていびつな十字路が見えた。
北に向かう道は幅が広くなり、遠くに信号を備えた交差点が見える。西に向かう道は生活道路となっており、住宅街に通じていた。
そして、東に向かう道は、山へと通じていた。
山へと通じているといっても、道はちゃんとアスファルトで舗装されている。車が行きかう事は出来ないが、幅の広い工事用車両でも余裕で通れる広さを持っていた。
その、山への上り口のところに。
十人近くの中学生が集っていた。
運動部が集っているせいか、皆体格が良い。変声期後の大人と変わらない低音で大声でじゃれあっている。言っている内容はたわいもないことなのだろうが、関西弁に慣れていない南雲は若干腰が引ける。語気が荒く聞こえるのだ。だが、中学生たちの顔や動きを見れば、ただはしゃいでいるだけなのはわかった。
その中でも剣道着を着ている剣道部は一目瞭然だ。
「あれ? 先生や。……なんやったっけ。新しい、お前んとこの顧問やんなぁ?」
黒いTシャツを来た男子が目敏く南雲を見かけ、
「南雲先生。稽古内容の変更ですか?」
日村の問い掛けに、南雲は首を横に振る。
「練習に一緒に混ぜてもらおうと思って」
その南雲の言葉に、その場に居た生徒たちが一瞬全員黙った。妙な沈黙の後、最初に笑い出したのは、
「先生、体力あるん?」
彼女の黒曜石のような瞳が勝気に輝くのを見て、南雲は「しめた」と思った。乗ってきた。
南雲はわずかに胸をそらすと、長身を活かして生徒たちを睥睨する。
「これでも、ちょっと前まで小学生たちと一緒に毎日グランドを走り回ってたんだぞ。クラブ活動は陸上クラブだったしな」
南雲の言葉に、男子バスケ部から「うぉお」と低い声が漏れる。
「先生は小学校の先生やったんですか?」
一週間ほとんど声をかけてこなかった
「公立の小学校で、スクールアシスタントというのをやってたんだ。俺は中学高校の社会科と地理歴史の教員免許しか持ってないんだけど、スクールアシスタントは小学校の教免は必要ないから、って教育委員会から言われて、大学を卒業してから2年間、小学校にいたんだ」
実際、南雲が行っていたのはクラス担任でもクラス運営でもなかった。特別支援学級の児童が普通学級で授業を受ける時の見守りや、いわゆる『ボーダー』と呼ばれる障がいの認定はないが、団体で行動する上ではなんからの困難を抱えている児童の勉学フォローや指導だった。
多動の児童を任された時は、トイレ休憩もないぐらいいつも走り回り、パニックを起こした児童の見守りをしていた時は、「壁に頭をぶつける」という自傷行動が悪化しないようひたすら壁と児童の間にクッションを入れ続けたときもあった。もちろん、そんな困難場面だけではなく、他の児童たちと一緒にドッチボールをしたり、打楽器で交流したりもしたのだが、基本は「立ち仕事」で、「三歩以上は走る」ような毎日だった。
今朝、ふと怜と生徒の関係を見て以来、「このままじゃ生徒との溝が深まるばかりだ」と思った。
小学生はなんだかんだといいながら、「先生」に対しての指示が入りやすいし、「大人」というものに対しての「畏怖」があるせいか、こちらから垣根を低くしてやればすんなりと意思が疎通していた。
この一週間中学校で生活して南雲が体験したのは、「中学生はそうはいかない」ということだった。
特に南雲の場合、言葉の壁が大きいのもあるのだろう。南雲を遠巻きにひそひそと話題にする生徒はいるが、話しかけてくる生徒は皆無だった。顧問をしている剣道部でさえ、話しかけてくるのは部長の日村だけだ。
教員として、こんなに寂しい事はない。
そこで、生徒と距離を縮める第一歩として「剣道部に参加してみる」ことにした。
もちろん、南雲は剣道未経験だ。
だが、未経験のことにチャレンジする大人、というのを子供たちが案外喜ぶ事は経験上知っている。「自分と同じように失敗する大人」を見たいし、「自分と違って上手くこなす大人」を期待している部分もあるのだろう。
「大学卒業してからってことは、24歳?」
男子バスケ部の別の生徒が尋ねてきた。黒いTシャツを着ている生徒のどの子も顔は見たことがない。南雲が担当している1年生は体操服を着ている子達のようだ。
「そう。24歳」
見えねぇ、もっと若いと思てた。そう言って笑いあう。
「ここにいるのは、男バスと剣道部だけ?」
南雲が尋ねると、皆がちらりと日村を見た。代表して答えろ、ということろか。日村は視線に気付き、頷く。
「黒Tが男バスです。陸上部はすでに山登りしていて、ここにいるのは部長の桜井先輩だけです」
「桜井です」
坊主刈りの長身の男子が勢い良く手を挙げた。
「部長だけがここにいるのか?」
南雲が訝しげに尋ねると、桜井はうひひ、と笑った。その笑い顔を気味悪げに日村は横目で眺めながら説明する。
「先に部員を走らせて、桜井先輩が追い上げるんです」
ああ。南雲は納得する。坂道がきつくなったところを追っていくのだろう。ということは、彼はそれなりの脚力の持ち主でもあるようだ。
同時に。
この集まりの中で、「部長が2年」という特殊状況にあるのは剣道部だけなのだ、と気付いた。顧問の引継ぎ時に埼玉からは「3年はいない」ということだけは聞いている。だから、2年生で一番真面目な日村を部長にしている、と。この時期まだ1年生は仮入部期間で、体験入部は随時募集しているが、今のところ問い合わせはない。
日村が周りの空気を読んで行動しているのは、周囲が先輩ばかりのせいもあるようだが、この年下だけの剣道部自体、他の部からは気にかけられる存在らしい。現に、突然南雲が現れているこの状況でも、剣道部は浮いては見えなかった。
「たくさんの部活が山道を走るんだな」
南雲が日村に声をかける。いくつかの男子たちがくすり、と笑った。
「運動会が近いからやで」
「普段はうちの部もこんなに走らんわ」
3年生らしい男子たちが笑いながら言い合っている。
運動会。南雲は呟いて思いだす。
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