番外編 予想外の結婚祝い

 隆也から仁の連絡先を教えて貰った貴子は、どの時間帯に電話するか迷った挙げ句、閉店して少し経過してからの時間を狙って電話してみた。

「もしもし、仁? 貴子だけど、今大丈夫?」

 すると電話越しに、上機嫌な声が返ってくる。


「おう、片付けも終わったし、後は休むだけだからな」

「良かった。朝だと夜が遅くなる分寝ているとか、午後だと仕込みに忙しいとか色々考えちゃって。教えて貰ったのがメルアドじゃなくて、電話番号だったし」

「ああ、そうか。メルアドを書けば良かったな。だけど貴子は、随分しおらしくなったんじゃないか? 昔はこちらの都合に構わず、昼夜問わず電話してきて、散々愚痴を聞かされていた気がするが?」

「そんな傍若無人な人間じゃないわよ!」

 従来通りの気安い口調とやり取りに苦笑してから、貴子は用意していた文句を口にした。


「全くもう! 隆也から話を聞いて、本当に驚いたわよ! 帰国したなら、……じゃなくて、出店の話が来た段階で、こっちに連絡位寄越しなさいよね! 分かっていたら、色々力になったのに!」

 それに関しては本心から責めると、さすがに仁も幾らか申し訳無さそうに謝ってくる。


「あはは……。悪い悪い。邪険にしていたり、頼りにならないと思っていたわけじゃ無いんだがな?」

「そんな事位、分かってるわ。ただ単に、すっかり綺麗さっぱり、私の事を忘れていただけよね?」

「手厳しいな」

 苦笑気味に仁が言葉を返してきた為、取り敢えず貴子は、それ以上の文句は飲み込んだ。


(本当に、昔から変わらないんだから。一緒に出かけようとした時も、『急に新作レシピのアイデアが思い付いた』とか『美味そうなケーキ屋を見付けて眺めていたら、すっかり約束を忘れてた』とかで、何回すっぽかされたり待ちぼうけを食らわせられた事か……。まあ、仁だから仕方がないんだけど)

 そんな風に自分自身を納得させながら、貴子は話を続けた。


「隆也はそもそも仁がフランスに行っていた事は知らなかったから、当然帰国云々も知らないし。写真で見覚えがあると思って、店で仁に声をかけてくれて良かったわ。そうでなかったら、まだ暫く仁の帰国と開店の事を知らないままだったわよ」

「本当だな。しかし旦那さん、随分記憶力が良いんだな。直接会った事の無い、過去に何回か写真で目にしただけの俺の事を、一目見ただけで思い出すなんて」

(本当はタイムリーに、仁の事で揉めていたせいなんだけどね……。正直に言ったら仁が気にするから、言わないでおこう)

 心底感心した風情で告げてきた仁に、貴子は事実を誤魔化す為、茶化すように言い返した。


「そりゃあね。だって隆也は東成大卒の、警察庁のキャリアだし。さっさと中退した私より頭が良いし、記憶力も良いんじゃないかしら」

 貴子が何気なく口にしたその台詞に、仁が驚いたように問い返してきた。


「え? 警察庁のキャリア官僚?」

「ええ。それがどうかした?」

「ひょっとして……、親父さん方面からの紹介で、結婚したとか?」

 慎重に尋ね返してきた仁の声音を聞いて、貴子は相手が自分と父親の間のいざこざを知っている人間だった事を思い出した。その為、変な見当違いな心配をさせないように、盛大に否定する。


「ちょっと仁、冗談止してよ。あいつと隆也は、全くの無関係だから。それに隆也が『あのゲス野郎に引導を渡してやった』とか言ってたもの。詳しい事は知らないけど、隆也がやったのなら相当えげつない事をやった筈よ」

「驚いた……。榊さん……、そんな風には見えなかったが……」

「あいつ、私以上に猫を被るのが上手いのよ! 何あっさり騙されてるの!」

 些か呆然とした口調で呟いた仁を貴子が叱りつけると、彼は心から安堵したように告げてきた。


「でも、そうか……。でもあれだけ目の敵にしていた警察官僚と結婚したなら、貴子は本当に幸せなんだな。良かった。安心したよ」

 そのしみじみとした口調に、貴子は微妙に申し訳なさを覚える。

「……なんか、結構心配かけていたみたいで、悪かったわね」

「まあ、昔、色々あったからな」

「そうね。色々あったわね」

 そんな風に苦笑し合ってから、貴子は電話をかけた当初の目的を思い出した。


「ところで今日電話したのは、近々隆也とお店に行きたいから、予約を取ろうと思ったからなの」

「ああ、そうか。悪い、ちょっと待ってくれ」

 そこで電話の向こうで何か準備する気配を聞きながら、貴子は申し訳無く思った。

(隆也の話だと、先月オープンしたばかりなのに、テーブルが満席だったみたいだし、無理かしら?)

 しかしすぐに、仁が呼びかけてくる。


「待たせて悪い。因みにいつだ?」

「それが……、二人とも近くの日程で空いてあるのは、来週の月曜だけで。こんな近くだと無理かしら?」

「平日だし、そんな事は無いぞ? 時間帯も、いつでも大丈夫だし」

「そう? それなら良かった。十九時に二人で予約をお願い」

「分かった。腕を振るって、この間の成果をみせてやるからな」

「うん、期待してるわ! それじゃあね!」

 そして通話を終わらせた貴子は、歓声を上げた。


「良かった! それじゃあ当日は色々写真を撮って、詳細な料理のレポートもして、ブログに載せてお店を宣伝しようっと! 直に顔を合わせるのって、何年ぶりかな? 仁が最後に、一時帰国したのって」

「貴子、戻ったぞ」

 そこで唐突に背後から声をかけられた為、全く気配を感じていなかった貴子は、本気で驚きながら振り返った。


「あ、お帰りなさい。来週の月曜日に、仁の店に予約を入れたけど、大丈夫よね?」

「大丈夫だ。特に予定は変わっていない」

「良かった。じゃあ飲んできたんだから、食事は大丈夫よね。お風呂を沸かしてあるから、先に入って良いわよ?」

「ああ」

 そして短く答えた隆也が、素直に頷いてリビングを出て行くのを見送りながら、貴子はちょっと不安になった。


(全然玄関から入って来た気配がしなかったんだけど、隆也に電話を聞かれていたかしら? でも別に怒らせるような事は言ってないし、怒ってもいないわよね?)

 そんな事を少し悩んだものの、夜も遅い為、貴子はそれほど悩まずに翌日の支度を始めた。

 その頃隆也は、寝室で景気良くスーツを脱ぎ捨ててから、パジャマを持って風呂に向かったが、いかにも面白く無さそうに悪態を呟いていた。


「全く、貴子の奴……。何なんだ、あの如何にも楽しげな様子は……。確かに恋愛感情とかは欠片も無いだろうが、気に食わん」

 実は貴子に声をかける少し前から、リビングのドア越しに楽しげな彼女の声を聞いていた隆也だったが、これ位で怒るのは狭量以外の何物でも無いと分かっていた為、本人に直接文句は言わずに、自分の胸の内に留めた。


「店に出向く時は、いつもの一割増しの平常心が必要になりそうだな。芳文にも『嫉妬深過ぎる夫なんて、洒落にならん』と釘を刺されたし」

 そして風呂場に入った隆也は深い溜め息を吐いてから、頭から盛大にシャワーを浴びて、気持ちを切り替えたのだった。


 ※※※


「ここね。外観も、雰囲気良いじゃない。写真を撮って、ブログで宣伝しようっと!」

「そうだな……」

 予約した日に貴子と連れ立って再び店を訪れた隆也は、来店当初から微妙に忍耐力を試される事となった。


「ねえ、隆也。なかなか素敵なインテリアだと思わない?」

「ああ、そうだな」

「やっぱり専門のスタッフに、選んで貰ったのかしらね。仁は料理の腕前は抜群だったけど、他の事は結構抜けてるタイプだし」

「……そうなのか?」

「ええ。それで結構、私が世話を焼いた事があったのよ? あ、このテリーヌ美味しい! さすが仁。オードブルから一切の手抜き無しね!」

「…………」

 二人でコースを注文してから、貴子は店内のあらゆる物や料理についての話題を振りながら、満面の笑顔で褒め称えていた。加えて時折語られる昔の話で、隆也は否応無しに二人の付き合いの長さと深さをそこはかとなく実感させられて、徐々に不機嫌になっていく。

 しかしその場をぶち壊したくは無かった隆也が、何とかそれを面に出さずに平静を装っているうちに、順調に料理は進み、最後のデザートを残すのみとなった。


「後はデザートだけね。何が出てくるかしら?」

「何だろうな……。はぁあ?」

 貴子の話に相槌を打ちながら、何気なく彼女の背後に視線を向けた隆也は、普段お目にかかる事の無い代物を目にして、驚きのあまり声を裏返らせた。それを見た貴子が、驚いて問い返す。


「隆也? いきなり変な声を出して、どうしたの?」

「あれ……、まさか俺達のデザートじゃないよな?」

「え? 何が私達のデザート……。はいぃ?」

 隆也が凝視している方向を振り返った貴子は、彼と同様に動揺の声を上げた。そしてそれを目にした店内の客も何事かとざわめく中、ガラス製の結構大きいケーキスタンドを両手で支えながら、仁が迷わず貴子達のテーブルにやって来る。


「お待たせしました。本日のデザートになります」

 にこやかに告げながら、脚付きのスタンドを静かにテーブルに置いた仁に、貴子は呆気に取られてから慌てて問いかけた。


「ちょっと待って、仁! どうしてデザートがクロカンブッシュなの!?」

 高さが1メートル近くはありそうな、円錐形に積み重なったプチシューの頂上には天使型の砂糖菓子を配置し、流れる雲をイメージした白い綿飴のような物でぐるりと帯状に包んだ他、飴細工の蝶や色とりどりの花で飾ってある、存在感があり過ぎるそれを指差しながら尋ねたが、仁は全く悪びれずに答えた。


「せっかくだから結婚祝いに、何か一品出そうと思ったんだ。そうなると、やはりこれかと思って。どうだ?」

「凄い綺麗! 飴細工も秀逸だし、シューもどれも同じ大きさと形。ここまでの物を作るのは、大変だったんじゃない?」

「確かにちょっと時間がかかったがな。大した事は無かったから」

 感想を尋ねられた貴子は興奮気味に笑顔で答えたが、ここで唖然としていた隆也が控え目に尋ねた。


「貴子、これは何だ? 何か特別な物なのか?」

 すると貴子が、即座に説明する。

「これはクロカンブッシュと言って、祝い事で良くふるまわれるフランス菓子なの。簡単に言うと、小さなシュークリームを飴で接着しながら積み重ねて、タワーの形にした物だけど」

「本式の物ですと、全体をかなり硬く飴で固めた物を、披露宴などで新郎新婦が木槌で砕きながら列席者に振る舞うのですが、さすがにここでそこまでの物は。それに崩れると大変なので、これは私がサーブしますから」

「そうでしたか。わざわざありがとうございます」

 口ではそう礼を言いながら、隆也は内心で呆れていた。


(純粋に祝ってくれている気持ちは分かるが、限度と言う物があるだろうが。それともひょっとしたら、ひねくれて歪んだ嫌がらせなのか?)

 そんな事を隆也が密かに疑っていると、興奮が冷めて我に返った貴子が、幾分困ったように声をかける。


「ところで……、仁?」

「うん? どうした?」

「凄い出来映えだし、可愛いし素敵だし、とても感動したんだけど……。これ全部、私と隆也で食べるの?」

「あ……」

 目の前のクロカンブッシュを指差しながら、大真面目に貴子が尋ねると、仁は漸くそれに気が付いたという表情になり、微妙に彼女から視線を逸らしながら謝ってきた。


「悪い……。積み重ねれば重ねただけ縁起が良い物だし、つい夢中になって……」

「うん……、そうじゃないかなとは思ったの。ありがとう。分かってるから……」

「…………」

(なんか如何にも仁らしくて、怒る気がしない……。相変わらず、安定のボケだわ……)

(やっぱり嫌がらせとかでは無くて、単なる底無しの料理馬鹿だったか……。こいつ、本当に大丈夫なんだろうか?)

 項垂れた仁の前で貴子が頭を抱え、隆也が生温かい目でそんな二人を眺めていると、すぐ近くから恐縮気味に声がかけられた。

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