(11)阿吽の呼吸
行きがかり上、犯人を警備員に引き渡してすぐにその場を立ち去るわけにもいかず、飛んで来た所轄署の捜査員に協力して状況報告をした上で警備員の詰所を出た時には、既に二時を過ぎていた。一応先程のブースまで戻ってみたが殆ど人影は無く、小さく舌打ちする。
(やっぱりデモの時間は、終了していたな。あいつに連絡する手段も無いし、会場のアナウンスで呼び出して貰うか、係員に尋ねてみるか?)
そうは思ったものの、(どうして俺がそこまでしなきゃいけないんだ)と憮然とし、先程の一件に関して主催者側に八つ当たりした。
「全く……、これだけ大掛かりなイベントなら、もっと警備員を確保するなり、私服で各ブースを巡回させておけ」
「激しく同感だわ~。珍しく意見が一致したわね」
いきなり至近距離から声が聞こえて来た為、隆也は勢い良く背後を振り返った。するとそこに先程のデモンストレーション時の姿のまま、プラスチックグローブだけ外した出で立ちの貴子が、にこやかに声をかけてくる。
「一仕事、ご苦労様。まあ、公僕なんだから休日でも働くのは当然よね?」
「……どこから湧いて出た」
本気で驚いた隆也が唸る様に口にすると、貴子は不機嫌そうに応じる。
「失礼ね、人をゴキブリみたいに言わないでよ。せっかく声をかけてあげたって言うのに」
「気配と足音を消して俺に近付けるなんて、ろくでもない女だな」
本心からそう述べると、貴子が茶化してきた。
「そんな事を口にすると、自分自身もろくでもない男って認めているみたいよ?」
「それは自他共に認めている」
「自覚があるみたいで結構ね。世の中、自分だけは善人で有能って勘違いしてる馬鹿が多過ぎるもの」
「なかなか辛辣だな。だが真理だ」
そこで互いの顔を見合わせてひとしきり笑ってから、貴子が思い出した様に提案してきた。
「それはそうと、あと一時間半は空いてるの。時間も時間だし、遅いお昼を食べながら話をしない? 奢るし、詳しく聞きたい事があるんじゃない?」
「そうだな。この間お前から多大なる迷惑を被った覚えがあるから、奢られても差し支えは無いな」
「偉そうに。じゃあこっちよ。……そう言えばさっきのスリはどうなったの?」
並んで歩き出しながら貴子が尋ねると、隆也が淡々と経過を説明した。
「警備員の詰め所に連れて行って、所轄署から警官を呼ぶ間に手荷物を確認したら、カメラバッグから財布がゴロゴロ出て来たぞ。中身を全部確認して到着した警官達に犯人共々引き渡したから、そろそろ場内アナウンスがあるだろう」
そう言った折りも折り、女性の声で全会場向けにアナウンスがなされた。
「ご来場の皆様にご連絡致します。只今場内にて窃盗事件が発生致しました。各自手荷物を確認の上、紛失している物品がありましたら、警備員詰め所までおいで下さい。繰り返します……」
「どうしてこんなに時間をかけたの? 捕まえてからすぐに、アナウンスすれば良いじゃない。もう帰ってしまった被害者もいるかもしれないわよ?」
不満げに貴子が疑問を口にしたが、隆也は苦笑いしながらその理由を告げた。
「財布を盗られていない人間が『これは自分の財布だ』と名乗り出て、我先に持っていかれたら困るだろう? まず中身を確認して、被害者を名乗る人物にその中身を申告して貰って、合致してから返却する。被害届も書いて貰わんといけないからな」
「言われてみればそうね。大挙して押し掛けたら混乱するし」
「性悪説で語らないといけない所が悲しいがな。今時誰でもクレジットカードやポイントカードの類を財布に一枚か二枚は入れているだろうから、退場してからも本人に連絡を取ろうとすれば取れる」
「なる程ね。良く分かったわ。……ところで何にする?」
貴子が納得した所で、ちょうどカフェテリア形式の飲食スペースに到着した為好みを尋ねてきたが、隆也は素っ気なく答える。
「内容が良く分からんから、お前に任せる」
「了解。じゃあこっちよ」
そうして大人しく彼女の後に付いて移動した隆也は、とあるカウンターで貴子がスタッフ証らしき物で購入した料理を乗せたトレーを受け取って、僅かに顔を引き攣らせた。
「おい、これは……」
「《貴子スペシャルカレー》だけど?」
コールスローとオニオンスープ付きのカレーライスを見下ろした隆也は、先日の騒動を嫌でも思い出してしまい、深々と溜め息を吐いた。
「……やっぱりあの時に色々ほざいてた奴だよな? 中に何を入れてる?」
「捜査はお手の物でしょう? 頑張ってね?」
「やれやれ、闇鍋ならぬ闇カレーか? 刺激的な体験になりそうだな」
「じゃあ二人分お水を貰って来るから。先に食べていて」
「ああ」
近くのテーブルにトレーを置いた貴子が、笑って飲料水が置いてある所に向かって歩き出し、隆也は早速興味津々で食べてみる。
「意外に、美味いじゃないか……」
どうも普通の根菜とは食感が違うものの、それなりに歯ごたえがある物を食べながら(これは何だ?)と真面目に考え込んだ隆也が何気なく貴子がいる方に顔を向けると、一人の男が彼女に近付いていく所だった。
「やあ、宇田川ちゃん! 奇遇だねぇ、こんな所で」
背後から結構強く肩を叩きつつ、愛想良く声をかけてきた顔見知りのディレクターに、貴子は両手に持っていたグラスの水が零れていないのを確認してから、愛想笑いを顔に張り付けて振り返った。
「あら、塚田さん、こんにちは。今日は取材ですか?」
「いやいや、君が出るって聞いたから、予定を開けてその艶姿を拝みに来たわけだ」
「艶姿って……、エプロンは仕事着なんですけど?」
「そういう家庭的な姿も、なかなかどうしてそそる物があるからねぇ」
どことなく嫌らしく笑っている相手に苦笑しつつ、(グラスを二つ持ってるから、誰か一緒だとか推察できないわけ? このエロオヤジが!)と内心で罵っていると、貴子の両手が塞がっている事を良い事に、腰に手を回して撫で下ろしてきた。
「どうだい? 仕事が終わったら、送って行くからどこかで食事でも……、いてててっ!!」
「この手は何だ。痴漢行為で捕まりたいのか? 貴様」
貴子がキレて水をぶちまける前に、いつの間にか隆也がやって来て塚田の右手を捻り上げていた。軽く驚いた貴子が黙り込んでいると、塚田が腹立ち紛れに叫ぶ。
「なっ! 無関係な人間に乱暴しているのは、貴様だろうが! 警察を呼ぶぞ!?」
「呼ぶ必要は無いな。ここに一名居る」
「……あんた警官か? こんな所で何を。あ、いや、これはその、ちょっとしたスキンシップで」
余裕で示された警察手帳に、塚田が忽ち勢いを無くし、しどろもどろになって弁解を始めると、貴子が焦った様子で会話に割り込んだ。
「ちょっと隆也、乱暴は止めて! ちょっと私に触ってた位で、毎回毎回肩を外したり指を折ったり、殴り倒して歯を折るのは勘弁して頂戴!」
「…………」
真顔で貴子が訴えてきた内容を聞いて、塚田の顔色が忽ち蒼白になる。
(なるほど……、今度は嫉妬深くて、暴力的な彼氏の役どころか。この女、相変わらずだな)
塚田の顔を横目で見て笑い出したいのを堪えながら、隆也は掴んでいた手を離して貴子に向き直り、真面目くさって応じた。
「分かった、貴子。今回は主催者から場内整理用のロープを借りて、二階の窓から吊すだけにしよう」
「ちょっ……、そんな事認めて貰えるわけ無いでしょう! 無茶苦茶言わないでよ!?」
「大丈夫だ。社会風紀を乱す輩への処罰だから、主催者側は適当に丸め込むし、署内でどうとでも誤魔化して処理できる。現に今までだって全くお咎め無しだったぞ?」
「そっちはそれで構わないでしょうけどね! 私の人間関係に修復不可能なひびが入るのよ!」
「俺以外の男との関係なんて、全部崩壊させてやる。本人を再起不能にする訳じゃ無し、俺としては寛大な処置をしてるつもりだが?」
「またそんな事を言って! すみません塚田さん、本気にしないで下さ……、あら?」
そこで何気なく塚田の方に顔を向けた貴子だったが、そこに誰の姿も無かった。周囲を見回しても影も形も見えない為、隆也が呆れながら感想を述べる。
「素早い事だな。しかし俺を虫除けならぬ男除けに使おうとは、いい度胸だ」
「あんたがここまでノリが良いのと、あの男がここまで腰抜けだったのは予想外だったわ。もう少し、からかいたかったのに」
心底残念そうな表情で言われて、隆也は思わず失笑した。そして目下の最重要事項について述べる。
「酷い女だな。ほら、さっさと席に戻って、冷める前に食うぞ」
「そうね」
そこで隆也がグラスを片方受け取って席に戻り、カレーを無言で食べ始めて二分後。唐突に貴子が問いを発した。
「それで?」
「何が?」
「これの感想」
「悪くないんじゃないか?」
にやりと意地悪く笑って告げた隆也に、貴子は苦笑いで返す。
「素直に美味しいって言いなさいよ。それはそうと、ここには車で来たのよね?」
「どうして断定口調?」
「あんたがチンタラ電車に揺られて来る所なんて想像できないわ」
そこで隆也は手の動きを止め、若干不愉快そうに眉を寄せて貴子を睨んだ。
「貶しているのか?」
「あら、セレブな香りがするから、電車が似合わないって言ってるだけなのに」
「嘘をつけ。それで? 要は何が言いたいんだ?」
「仕事に私物を結構持って来てるのよね。家まで運んで?」
悪びれない笑顔で堂々と依頼してきた貴子に、隆也は本気で呆れた表情になった。
「……俺をアッシー扱いした女は初めてだな」
「貴重な体験ね。でもそれなりの見返りはあげるから。あと三時間付き合ってよ」
誰が聞いてもずうずうしいと一刀両断する事請け合いの言い分だったが、何故か隆也はおかしそうに笑っただけで、スプーンで軽く皿を叩きつつ注文を付けた。
「これだけじゃ足らんな。それなりの夕食も付けろよ?」
それに貴子は綺麗な敬礼で応じる。
「了解しました、警視正殿」
「嘘くさい」
「うっわ、身も蓋も無いわね~」
それから食べ終わるまで毒舌の応酬となった二人だったが、打てば響く様なやり取りに、隆也は久しぶりの爽快感すら覚えていた。
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