(12)冷酷な微笑み

「待って下さい。勝手に移動されては困ります! こちらの指示に従って下さい!」

 慌てて指示してきた刑事に、貴子は居丈高に言い放った。


「はぁ? あなた達の不手際と怠慢のせいで、私達が今まで何時間拘束されたと思ってるの!? これ以上待たされるのは御免よ。帰らせて貰うわ。それから何か刃物はない? これを切りたいのよ」

「勿論、紐はすぐ切りますが、そういった勝手な事は!」

「どうした。何を揉めている」

「そちらは人質だった方達だろう? 早く保護しなさい」

 偶々警官が所持していた小型のハサミで、素早く貴子の手首を縛っている紐を切っていると、対策本部の方から年配の二人組が近付いて来た。目の前の人間の上役だと容易に想像できた貴子は、すぐに攻略対象をそちらに変更する。


「あなた達がここの責任者? さっさと私達を帰して! どれだけ不自由な思いをさせられたと思ってるの!?」

 怒りの形相で貴子が要求を繰り出したが、当然相手は困った顔になりながらも冷静に言い聞かせてきた。


「ですが、一応事情聴取をさせて頂かないと」

「これから!? 冗談じゃないわ! そんなの明日でも良いでしょう?」

「いえ、そういう訳には」

「だって支店内に、荷物を起きっぱなしなのよ? お財布も通帳もカードも! 嫌でも取りに出向かなきゃいけないんだから、その時に幾らでも話すわよ!!」

「そうは言われましても」

「お怒りはごもっともですが」

 微塵も妥協するつもりは無い相手に、貴子はわざとらしく溜め息を吐いてから、思わせぶりに言い出した。


「埒が明かないわね。あなた達、新野署の人間?」

「はい、副署長の有吉と捜査課長の譲原です」

「それなら当然、新野署が所属する第十三方面本部長の、宇田川啓介は知ってるわよね?」

「……はい。先月も署に出向かれまして、署員一同色々ご指導頂きました」

 貴子が父親の名前を口にした途端、目の前の二人が微妙に顔を歪めたのを見て貴子は笑い出したくなったが、対外的には素っ気なく話を続けた。


「あら、そう。実は宇田川啓介は、私の父親なの」

「……そうでしたか」

「あなた達の対応について、父の意見を聞いてみる事にするわ」

(相当嫌われてるし持て余されて、顔や叱責口調なんて熟知されてる訳ね。益々好都合)

 そして貴子はポケットからスマホを取り出し、電話をかけ始めたと思わせながら、とあるデータを呼び出した。そしてアイコンに触れれば再生開始の状態にして、電話しているふりを始める。


「もしもし、お父さん? 貴子よ。……ええ、今やっと解放されたところ。酷い目に遭ったわ。それでね? 頭ガッチガチの責任者とやらが……」

 そのまま合間に沈黙を挟みつつ、幾つかの文句を口にしてから貴子はスマホを耳から離し、この間仏頂面で彼女を観察していた二人に告げた。


「父からあなた達に、一言意見したいそうよ」

 そしてスピーカー機能を起動させるふりで、あるデータを再生させるアイコンに触れながら、貴子は、わざとらしく電話越しに呼びかけるふりをした。


「お父さん、良いわよ?」

 すると二人に向けられたスマホの黒い画面から、啓介の怒声が放たれる。


「何をつまらん事をグダグダ言ってるんだ! お前が言われた通りだろうが! 黙って言う事を聞け!」

「いえ、しかし宇田川本部長」

「規則上そんな事は」

 さすがに顔色を変えて抗弁しようとした二人だったが、相手はそれを容赦なく切り捨てた。


「五月蝿いぞ! 私に同じ事を何度も言わせるな! お前と違って私は忙しいんだ!」

「……了解しました」

「最初からそう言え。このグズが!」

 怒りで顔を赤くした有吉の横で、譲原も盛大に歯軋りしたいのを堪える表情になったが、貴子はそんな事には気付かないふりで、スマホに向かって一人芝居を続ける。


「ありがとう、助かったわ。それじゃあね」

 そして上機嫌にスマホの電源を落とした貴子は、視線を二人に向けて横柄に言い放った。


「さあ、そちらが困るだろうから、一応名前と連絡先は書いてあげるわ。さっさと何か書く物を頂戴。それとお財布も無いから、帰りの交通費として千円位貸して貰いたいんだけど。警察署に荷物を引き取りに行った時にお返しするわ」

「分かった。……さっさと記録用紙を持って来い!」

「は、はいっ!」

(グズグズしてると建物内部を隅々まで確認して、報告が上がってくるから急ぎたいんだけど……)

 譲原が周囲の捜査員を怒鳴りつけている間、貴子は注意深く支店の方を観察した。



「お待たせしました。こちらに氏名と住所、連絡先の記入をお願いします」

「ありがとう。父には現場の皆さんに大変親切にして頂いたと、伝えておきますわ」

 お愛想笑いをしつつ、用紙とボールペンを備えたクリップボードを受け取った貴子は、サラサラと必要事項を記入し、自然と自分の背後で一列に並んでいた人質に手渡した。そして渋面になった譲原から、ポケットマネーで千円を受け取る。

 それに「どうもありがとう。助かります」と笑顔で礼を述べてから、貴子は警察の包囲網を抜け出して、その外側の野次馬の中に割り込んだ。しかしそれを見逃す筈がない取材陣に早速捕まり、十重二十重に取り囲まれる。


「宇田川さん!」

「今の心境を、一言お願いします!」

「解放された、今のお気持ちはどうですか?」

 しかし予め予測していた事態であり、貴子は至近距離から連続してフラッシュを受けながらも、嫌がりもせず取材に応じた。


「最高です。現場の警察官の皆様のお陰で、無事解放して頂いて感謝しております」

「今回の事件では、宇田川さんは重要な役割を果たされた様ですが、緊張されませんでしたか?」

「勿論緊張しましたし、好き好んで巻き込まれた訳では無いのですが……」

 殊勝な顔をしながらも、次々とマスコミが望む受け答えを続ける貴子に、顔が知れている事や見栄えがする事もあって、取材陣の殆どは他の解放された人質には向かわず、貴子に群がって来た。

 そんな中横目で人質達の列を確認し、かなり人数が減っている事を確認した貴子は、小さく満足そうに笑う。


(他の人は、順調に抜け出しているみたいね。見かけ無い顔のあの人達も居なくなったし、順調に進んだらしいわ。……あら、そろそろ潮時?)

 そして遠目に支店ビルから捜査員や突入部隊が大勢引き上げてくるのを見て取った貴子は、落ち着き払って周りの人間に頭を下げた。


「それでは皆さん、申し訳ありませんが、これから仕事がありますので失礼します」

 それを聞いた取材陣が、揃って驚愕や困惑の表情になる。


「仕事?」

「まさか宇田川さん、これから収録ですか?」

「はい、レギュラー番組が、今日二時間拡大版で生放送なんです。今からだと大幅な遅刻ですが、取り敢えず仕事ができる状態になったわけですから」

 それを聞いた面々は、揃って感心した顔付きになった。


「本当にこれから向かうつもりですか」

「さすがですね」

「頑張って下さい」

「はい、それでは失礼します」

「じゃあ次は、あっちの人にインタビューだ!」

「行員の話も聞かないと。役付きは居ないか?」

 これ以上引き留めるのは悪いと判断した取材陣は、あっと言う間に四方に散り、貴子は難なく人混みに紛れてその場から離れる事に成功した。 そして(何とかセーフ)と貴子が胸を撫で下ろしている頃、現場では重大な問題が発覚していた。


「全く……。父娘揃って、いけ好かない」

 ブチブチと有吉と譲原が宇田川父娘の悪態を吐いている所に、新野署の捜査員が真っ青になって駆け戻って来た。


「課長、大変です! ビル内部をくまなく捜索しましたが、犯人の姿がありません! もぬけの殻です!!」

「何だと!? そんな馬鹿な!」

 思わず声を荒げた二人だったが、続けてやって来た本庁から派遣されている突入部隊の班長が、硬い表情で補足説明する。


「犯人達が所持していたという、拳銃も発見できません。更に数ヶ所炎上した場所からは、各種スプレー缶が発見されていまして、爆発物が持ち込まれた形跡も見受けられませんでした。その燃え跡から、犯人が着用していたと思われるジャンパーやジーンズ、スニーカーの燃え残りが、複数発見されています」

「まさか……」

 そこで唖然とした顔を見合わせた二人は、瞬時に険しい顔になって背後の部下達に叫んだ。


「おい、人質の連絡先を控えさせるのは中止だ!」

「帰っていく奴も引き止めろ!」

「課長? どうしたんですか?」

「良いから黙って言うとおりにしろ!!」

「課長! 怪我人全員の搬送、終了しました!」

 この間支店長の指示で帰宅指示が出た行員が列に並び始め、連絡先を記入していたが、ここで強引に譲原がクリップボードを取り上げた為、周囲から抗議の声が沸き起こった。しかし譲原はそんな事には構わず、報告してきた部下に噛み付く。


「何人だ?」

「搬送された人質は、何人だと聞いてるんだ!」

「はい! 重傷者二名、軽傷者十三名です!」

「今ここには何人並んでる? そして支店長から電話で飲食物の要求が有ったのは、何人分だった?」

「ええと、先程手配したのは人質が七十九名分、犯人六名分です」

「それで今、列に並んでいるのは……、ちょっと待って下さい。……三十七人ですね」

 周囲の幾人かの警官が、真顔に真顔で答えたが、それを聞いた譲原は、手元記入された内容を見下ろして、蒼白になった。


「名簿は……、既に三十三人分書かれてる。やられた、六人多い」

「課長!?」

 譲原の呟きを耳にした周囲の捜査員が、正確に現状を理解して顔色を無くす中、有吉の怒声が響き渡った。


「大至急、緊急配備! それと何とか理由を付けて、マスコミから映像を提出させろ! 出てきた人間を撮影してる筈だ!」

「はい!」

 そして捜査陣は事態の深刻さに動揺しつつも、その失態をあっさりと外部に漏らす訳にもいかず、現場は益々混乱を極める事になった。


「もしもし? 西脇どうした?」

「課長、先生から連絡はありましたか?」

 自主的に残業続行中だった隆也が、西脇から再度電話を受けて開口一番言われた内容で、素早くその用件を察知して確認を入れる。


「特には無いが。人質が解放されたか?」

「はい」

「まさか現場に出向いているのか?」

「気になりまして」

「ご苦労だったな」

 思わず苦笑して部下を労った隆也だったが、何故か西脇は声を低めて報告した。


「それが……、新野署の連中が妙な感じです。一旦落ち着いたと思ったら、急にバタバタし始めまして」

「どういう事だ?」

 怪訝な顔になって確認を入れた隆也に、西脇が更に声を潜めて推測を述べる。


「一向にビルから犯人が連行されて来ませんし、怪我をして搬送された様子もありません。マスコミも騒ぎ出していますし……。犯人が逃走したのではないでしょうか?」

「まさか! あれだけ包囲していたのにどうやって?」

 信じられない思いで問いを発した隆也だったが、ここで西脇が困惑した声で、ある事を口にした。


「実は……、知り合いの捜査員を捕まえて聞いてみましたら、宇田川先生が父親の第十三方面本部長に電話をかけて、早々に人質を帰宅させる様に圧力をかけたとの話が……」

 話題になった二人の確執の根深さを知っている隆也は、それを聞いて完全に呆れ返った。


「はぁ? 何だそれは。有り得ないだろう?」

「私も本庁内での先生親子の噂は耳にした事がありましたから、何かの間違いだと思ったのですが。一体どうして、そんな話が出てきたのやら」

(あいつ……、絶対何か、やらかしやがったな?)

 西脇が本気で困惑しているらしい気配を察しながら、隆也は盛大に舌打ちしたい気持ちを懸命に堪えた。そして表向き平静を装いつつ、彼に声をかける。


「取り敢えずあいつが大丈夫なのは分かったから、お前も安心して帰れ。家族が心配するぞ?」

「はい、失礼します」

 そして通話を終わらせた隆也は、スマホを見下ろしながら忌々しげに呟く。


「一体、何をやった? 下手をすれば共犯だぞ。あの馬鹿」

 そして事態の悪化を回避するべくある所に電話をかけ始めたが、同じ頃隆也が予想していた以上に、状況は悪化の一途を辿っていた。


「何とか収録時間内には、スタジオ入りできそうね」

 かなりの遅刻で収録予定のテレビ局に到着した貴子は、まっすぐスタジオには行かず、同じフロアのトイレに直行した。そして洗面台に水を溜め始めると同時に、スマホに収めてある音声データを呼び出す。

「じゃあ、名残惜しいけど……」

 そう言いながらそのデータを再生させると、かつて貴子と啓介の間で交わされた会話の内容が聞こえてきた。


「……だから、あの人にちゃんと言って頂戴! 悪いのはわざとボールを蹴り込んだ康介達なのよ!? それなのにあの人ったら、注意した美弥子さんをクビするって言うのよ?」

「何をつまらん事をグダグダ言ってるんだ! お前が言われた通りだろうが! 黙って言う事を聞け!」

「どうしてよ!? 美弥子さんまで怪我したのに辞めさせられるなんて、どう考えても間違ってるわ!?」

「五月蝿いぞ! 私に同じ事を何度も言わせるな! お前と違って私は忙しいんだ!」

「……分かりました」

「最初からそう言え。このグズが!」

 当初録音した物から、保存媒体を変更しつつ保存して二十年近く。その間に自分の声だけを消したパターンも作り、当時の怒りを忘れないためだけにずっと消去せずに保持していた貴子は、満足そうに小さく笑った。


「あの女に聞かせる為に録ったこれが、二十年近く経ってから役に立つなんてね。良く取っておいたものだわ」

 そして十分溜まった水を見て、水流を止めた貴子は、その中にスマホを躊躇う事無く沈め、底に押し付ける。


「今度こそ、さようなら。“お父さん”」

 冷たく見下ろしながら、そう呟いた貴子の手の下では、生活防水程度の機能しか保持していないスマホが、抵抗などできず少しの時間で呆気なく沈黙した。それを確認した貴子は満足そうにそれを水から引き上げ、使い捨てのペーパータオルを何枚も使って水分を拭き取ってから、これまで通りパンツのポケットにそれを突っ込んでスタジオへと向かった。


「……ここで驚きの登場! つい一時間前まで、立てこもり事件の人質になっていた、宇田川貴子さんです!」

 コソコソとスタジオ入りし、顔見知りのスタッフに声をかけると、既に騒ぎを知っていた皆は貴子の登場に仰天したが、すぐさま段取りを整えて調整に走り回り、司会者に指示を出してトークの合間に彼女を登場させた。途端に共演者と観覧席の両方から、どよめきと驚きの声が上がる。


「え? 嘘!?」

「貴子さん!? 大丈夫ですか!」

「うわ、まさか現場から直行?」

「そうしたけど、大遅刻ですよね? こんなにスタジオ入りが遅れたのは、初めてです。すみませんでした」

 貴子が笑顔を振り撒きつつ登場し、司会者に頭を下げると、相手は半ば呆れた様に言葉を返した。


「いやいや、貴ちゃん。あんな事があったのに、普通に仕事に来るって思わないから」

 そんなやり取りをしながら勧められた椅子に座った貴子に、周囲から好奇心に満ち溢れた視線が突き刺さる。


(さあ、これであんたのキャリアにとどめを刺してあげる。ついでにあんたとの縁も、今度こそ綺麗さっぱりぶち切れるわよね?)

 そんな中、これまでで一番好戦的な気分で父親への復讐について策を巡らせていた貴子は、傍目には分からないながらも完全に平常心と理性を失っていた。

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