(18)彼女のターニング・ポイント
「よう、今日も汗水垂らして国民の為に働いてるか? 公僕殿」
「似非医師以上に、勤勉に働いていると思うが?」
「失敬な。俺はれっきとした医師免許保持者だぞ?」
「どこの国の発行の医師免許だ? 夢の国か?」
待ち合わせた店の前で丁度出くわした二人は、顔を合わせるなりお約束の様に軽い皮肉の応酬をしてから、苦笑いして居酒屋の店内へと入った。そしてテーブル席に落ち着き注文を済ませてから、隆也が徐に口を開く。
「それで……、あいつはどんな感じなんだ?」
「うん? ツンデレ妹としてはストライクど真ん中だな。可愛がり甲斐がある」
「……何を言ってる」
「この間で、随分可愛くなったぞ? お前、ああいうのまだ見た事ないだろ?」
グラス片手に笑いを堪える表情でそんな事を言ってきた芳文に、隆也は冷ややかな視線を向けた。
「芳文……、ふざけてるのか?」
「真面目な話なんだがな……。じゃあ、ちょっと見せてやるか」
「だから何を」
何やら楽しそうに芳文がスマホを取り出し、手早く操作したと思ったら隆也の方に画面を向けた。それに目を向けた隆也が、瞬時に固まる。
「……なっ、何で私が、メイド服なんか着なくちゃいけないのよ!?」
「『お兄ちゃん』って呼ばれるのも楽しいが、偶には『ご主人様』って呼ばれてみたいからに決まってる」
どうやら芳文は撮影しながら喋っているらしく、ディスプレイの中には顔を真っ赤にしてスカートを押さえながら、悲鳴じみた声を上げている貴子だけが映し出されていた。
「だからって、どうしてこんなミニ丈なの!?」
「なんだ、無駄毛処理の手を抜いてるのか? じゃあ勘弁してやるか」
「そんな事あるわけないわよっ!! 完璧にしてるわっ!!」
「じゃあ別に良いだろ。さあ、このまま外に行くぞ」
「ちょっと待って、冗談でしょ!?」
伸びてきた芳文の手らしいものに手首を掴まれて、貴子は明らかに狼狽した。しかしそれに芳文の、すこぶる冷静な声が続く。
「本気に決まってる。俺の可愛い妹を、世間の皆様に見せびらかす絶好の機だ」
「絶対に出ないわよっ!!」
力任せに芳文の手を振り払った貴子だったが、ここで芳文が間合いを詰めたらしく彼女の姿が若干大きく映し出された。
「へえ? 貴子、お前今『絶対に出ない』とか言ったか?」
「いっ、言ったわよ! それが何!?」
「もっと違う言い方があるだろう? 言ってみろ」
じりじりと後退しながら抵抗した貴子だったが、何歩か下がった所で顔を引き攣らせながらくぐもった声を出した。
「……っ、お、お兄ちゃん?」
「何だ? 貴子」
機嫌の良さそうな芳文の声が響く中、目を閉じて息を整えていた貴子が、俯き加減のまま小声で訴えてくる。
「あの……、この格好で外を歩くのは恥ずかしいから、着替えさせて欲しいの」
「困った恥ずかしがり屋さんだな。とっても可愛いのに」
「お願い、お兄ちゃん」
そう言って顔を上げ、涙目で訴えてきた貴子に、芳文は溜め息を吐いて苦笑気味に許可を出した。
「しょうがないな。じゃあ着替えて良いぞ」
「……じっ、地獄に堕ちなさい! このドS野郎ぉぉっ!!」
目の前の人物から許しが出た途端、貴子は怒りで顔を紅潮させたまま喚き立て、背後のドアを開け放って駆け出して行った。そこで動画が終わった為、隆也は額を押さえながら芳文に問いかける。
「芳文……、お前これを一体どこで、どういうシチュエーションで撮った?」
「いや~、顔なんか真っ赤になって、可愛いだろう? もう下手な男に渡す気が無くなった。俺以上の男じゃないと駄目だな、これは。だからお前も諦めろ」
唐突な話の流れに、流石に隆也は顔を顰めた。
「……どうしていきなり、そんな結論に達する」
「だってお前、中学の時から俺に勝てた事無いだろ? 毎年学年五位以内に入ってたが、俺は万年一位だったし。女の数も年収も、お前より多いぞ?」
「喧嘩を売る気なら、定価の五割増しで買ってやる」
本気で怒りのオーラを醸し出し始めた隆也だったが、再び芳文がはぐらかす様に話を変えた。
「冗談はさておき、随分打ち解けてきたとは思うんだが、ちょっと気になる事があってな」
「打ち解けてじゃなくて、あいつを弄んでるの間違いだろう」
本気で貴子に同情した隆也だったが、芳文は真面目に話を続ける。
「昔はともかく、それなりに仕事で成果を出して社会的地位もそれなりにあるし、人間関係でも父方以外とは円満に交際してるし、親父との確執なんてとっくに割り切って消滅しててもおかしくないと思うんだが……」
「それは……、当時の記憶がよっぽど不快で腹立たしかったから、忘れられないんだろう?」
戸惑いながらも隆也は順当に言葉を返したが、芳文は軽く指でテーブルを叩きながら、納得しかねる顔つきで独り言の様に告げた。
「まあ、それはそうだろうが……。幾ら鮮明でも、記憶ってのは徐々に薄れていくものだろ。それに付随する感情も同様とは言い切れないが。時々会話の合間に探りを入れてるんだが、どうやらあいつ、何か持ってる感じがする」
「持ってるって、何を?」
全く意味が分からなかった隆也が不思議そうに尋ねると、芳文はその顔に視線を合わせて淡々と口にした。
「何か、未だに彼女の怒りを増幅させる物。弟君達の話を聞く限りでは、例の家政婦さんが辞めさせられた一件辺りが臭いと思う。あの二人に確認してみたが、貴子があの二人に聞かれてポツポツ昔の事を話した時も、その前後の事は話しても、その時の事だけは一言も喋ってないらしい。だからその時の事は家政婦さんから聞いた内容しか知らないそうだ」
それを聞いた隆也は、顎に手を当てて考え込んだ。
「家政婦からの伝聞は有っても、あいつの主観を聞いた事が無い、という事か?」
「ああ、だからこそ、そこがターニングポイントだと思う」
「さっき、怒りを増幅させる物と言ったが、具体的には?」
「そうだな……。何か家政婦さんに貰った物とか、写真とか、事件の時の割れたガラスの破片とか、手当に使った布類とか。そんな普通あまりしまい込んだりしない物が、変な所に隠してあったりしなかったか?」
何気なくそう問いかけられた隆也は、表情を消して短く答えた。
「悪いな。むやみやたらに他人の部屋を家探しする趣味は無い」
「言ってみただけだ。気を悪くするなよ?」
「分かってる。それで?」
苦笑いした相手を隆也が促すと、芳文はここで真顔になって溜め息を吐いた。
「そういう毒にしかならん物は、妹思いの兄としては、即刻捨てさせたいんだがな。聞いても素直に吐かんだろう」
「そうだろうな」
「まあ、もうちょっと鋭意努力するさ。それこそ俺の腕の見せ所だろ」
そんな事を口にして不敵に笑った芳文を見て、隆也は心底うんざりした表情になった。
「例え世界に医者がお前だけになっても、俺は一生お前にだけは診て貰わない事を、今決心した」
「つれないな。中学の頃から、お前の身体の事を一番良く知ってるのは俺だってのに」
茶化す様なその台詞に、隆也が嫌そうに言い返す。
「他人が聞いている所で、今の様な事を言うなよ? 確実に誤解される」
「俺のやり方にケチを付ける前に、自分の方を何とかしろよ? 取り敢えず、男避けだけはしておいてやるから」
「ああ、今ちょっと考えている」
そう言ってグラスを傾けた隆也に芳文は余計な事は言わず、それからは他愛のない会話を続け、最後は笑顔で別れた。
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