(16)対峙
「それではお伺いしますが、青葉銀行新野支店は宇田川さんの取引銀行ですね?」
「はい、住居の最寄りですので、何年も利用しています」
「内部構造も良くご存知で?」
「窓口がある一階と、投資セミナーに出席した時に足を踏み入れた二階とかは存じ上げていますが、それ以外は分かりません」
「銀行内で宇田川さんが犯人に食ってかかってトイレに行かせたそうですね。そしてなかなかお戻りにならなかったとか」
「生理痛が酷かったもので。こういう事を男性に向かって、あまり口にしたくは無いのですが」
「それから、妊婦を連れて店外に出て来た時、率先して犯人の外見とかを報告されてましたが、その意図は?」
「意図? どうせ聞かれるかと思って、聞かれる前に言っただけですが。間違った事は言っていませんよ? 他の方が私と違う事を言っているとでも?」
若干わざとらしく首を傾げて見せた貴子に、譲原が苦々しげに応じた。
「いえ、後から確認した他の皆さんの証言も、あなたが告げた内容と同じです」
「ですよね? それのどこが問題なんでしょうか?」
そこで、譲原の隣に座っていた、三十代に見える刑事らしき男が、机を叩きながら声を荒げた。
「だから! あんたが犯人の出で立ちが『目出し帽に野球帽で、顔は不明。黒のジャンパーにジーンズ、白のスニーカーを着用』って予め言ってたから先入観があって、それ以外の服装で客や行員に紛れて出て来た犯人に、咄嗟に気が付かなかったんだよ!」
その訴えを聞いた貴子は心底呆れた口調で反論し、それに途切れなくノートに何かを書きつけながらの、大門の呟きが続く。
「凄いこじつけですよね、それって。自分達の目が節穴だったのを棚に上げて、他人のせいにしないで貰えます?」
「何だと!? ふざけんなこの」
「根拠に乏しい推論。威圧的な口調と態度。取り調べ状況下における、証言捏造誘導の典型」
「加藤」
「……っ!」
暗に大門に非難され、譲原は部下を小声で窘めた。そして悔しげに顔を歪めた彼が黙り込むと、譲原が冷静に質問を続ける。
「次に、宇田川さんが昨晩出演された、テレビ番組について伺いたいのですが」
「私の仕事が何か関係があるんですか?」
「あれでこちらは、大層な迷惑を被っておりましてね。番組内で事件の詳細とか経過とか、事細かに喋っておられましたが」
そう問われた貴子は、内心(やっぱり突っ込んできたか)と笑い出しそうになりながら、困惑した表情を取り繕いつつ尋ね返した。
「それが何か拙いんですか? 遅かれ早かれ、明らかになる事かと思いますが」
「それはともかく、犯人像について色々自由に語っておられましたよね? 一味の中にカップルがいるとか、外国人だとか、犯罪組織が係わっているとか」
「あら、あの時の録画を見て頂ければ、お分かりになるかと思いますが、私は一度も『絶対そうだ』なんて断定はしていませんよ? あくまで『そうかもしれない』という、仮定の話をしただけで。後は出演者の皆さんのトークが盛り上がって、随分話が膨らんだとは思いますが。それが何か問題でも?」
白々しく貴子がそう述べた瞬間、斜め前の席で加藤が再び怒鳴り声を上げた。
「問題大ありだろ!! あの生放送やその内容を取り上げた朝の情報番組とかの類を、今回居合わせた客や行員達の殆どが目にしていて、皆『宇田川さんの言う通りだろう』って先入観を持っちまって、『犯人は不自然なイントネーションのある外国組織の構成員で、男五人女一人』って証言しか取れないんだよ!」
「今更そんな事を仰られても……。それならそうと現場から離れる前に、『みだりに犯人達に関して口外しないで下さい』と一言言って下されば、自重しましたが。テレビでの発言は、司会者に促されてのものですから。一応仕事なもので」
「普通、あんな事が有った後に、テレビ番組にのこのこ出演しに行くなんて考えるか!?」
「仕事に真摯に向き合っている姿勢を、見ず知らずの方に咎められる筋合いはありません。それに現場で簡単に事情聴取すれば良かっただけの話では?」
「それができなかったのは誰の!」
「職務怠慢。現場の指揮系統の混乱。臨機応変な対応への未熟さ、思慮の無さが散見される……、と」
淡々と呟きながら何かを書いてボールペンの動きを止めた大門が、無言で顔を上げて向かい側の譲原達に目を向けた為、譲原は彼から目を逸らしつつ再度小声で部下を窘めた。
「加藤」
「……分かりました」
憤懣やるかたない表情を隠しきれず、歯軋りまでした加藤を眺めてから、貴子は横目で隣に座る大門を観察した。
(やっぱり相当やり手っぽい。それに下手すると、私がやった事も見透かされてるかも。でも余計な事は考えずに、開き直るしかないわね)
そんな事を考えて貴子が決意を新たにしていると、更に予想に違わぬ展開になった。
「それでは次に、あなたのお父上の事ですが」
「父が何か?」
「お二方は、随分疎遠でいらっしゃるそうで」
机の上で両手を組んだ譲原が些か皮肉気に尋ねてきたが、貴子は余裕で微笑む。
「もう三十過ぎて独立している子供と親が、べったり仲良しなんて逆に気持ち悪いと思いますが、俗に『血は水よりも濃し』と言いますから。親ですから子供が難儀してる時は、手を差し伸べてくれます」
「そうでしょうな。何しろ犯罪に巻き込まれて現場で立ち往生した娘を心配して、一刻も早く帰宅させる様に便宜を図る位ですから」
「ええ、本当にありがたいです」
「実に微笑ましい、親子の情愛溢れる光景ですね」
意味深に微笑み合う二人を見て加藤は憤怒の形相になり、大門は呆れ果てた顔付きになっていたが、譲原は周囲には構わず勿体ぶって話を続けた。
「しかし……、それは一体、どこの親子のお話でしょうな? 実は宇田川本部長から、大変面白い物をお預かりしているのですが」
「面白い物? 何でしょう?」
「お分かりにならない様なので、聞いて頂きましょうか。加藤」
「はい」
そこで促された上司から促された加藤は、嬉々としてどこからか掌サイズのメモリーカードレコーダーを取り出し、机の上に置いた。そして予め準備しておいたらしく再生ボタンを押すと、聞き覚えのある会話が再生される。
「分籍届の事だ! もう金輪際、お前の事なんぞ知らん!」
しかしそれを耳にしても、貴子は少々拍子抜けしただけだった。
(あら、やっぱり録音してたのね。わざわざ電話をかけてくるからひょっとしたらと思ったけど、底が浅過ぎるわ。残念ながらこれまでも毎回下手な言質は取られない様にしてたから、全然問題無いけど)
そう思いながら、取り敢えず黙って過去の自分と啓介の会話に耳を傾けた。
「……何が必要だと言うんだ」
「そうですねぇ。社会常識的に、三つ指位して頂いても宜しいのでは?」
「強欲だな」
「その件に関しては、こちらから改めてご連絡しますわ。失礼します」
そうして一通り再生が終わってから、譲原が余裕の薄笑いを浮かべながらレコーダーに手を伸ばして停止ボタンを押し、徐に貴子に声をかけた。
「どうです? これはあなたと宇田川方面本部長との会話だと認めますか?」
「間違いありません。それが?」
「分籍する事を条件に、実の親に金銭を要求するなんて、常識外れも良いところだと思いますが? 一体どうやって本部長の声を合成したのか、聞かせて頂きたいですな」
譲原の隣で加藤も「反論できるならしてみろ!」的な得意顔を浮かべているのを横目で見てから、貴子は呆れ気味の口調で反論した。
「合成? 意味が分かりませんが。それに、まだ何か誤解があるみたいですね。私は金銭の要求などしていません」
「まだしらを切る気ですか。現に『三つ指位しろ』と発言しているでしょうが」
「ええ、でもそれは『これまで散々迷惑をかけた母の再婚先に、土下座して三つ指を付いて謝罪して下さい』の意味で言いました。千葉県警に問い合わせれば、当時の事をご存じの方がまだ大勢在籍していらっしゃる筈ですし、面白い話が聞ける筈ですが」
「は?」
「土下座?」
予想外の切り返しに、譲原と加藤が揃って呆気に取られた表情になったが、貴子はそれに構わず畳み掛けた。
「第一、金銭を要求するなら、言い回し的には『三つ指位して欲しい』ではなく、『指三本分位は欲しい』とか言いません?」
「確かに、世間一般的にはそうですね。どうやらこちらの署には日本語の読解能力に些か問題のある人間が多く、会話を曲解して自分に都合の良い様に解釈する傾向が見受けられる、と」
「…………」
生真面目に論評しつつノートに書き込んでいる大門を、貴子は笑いを堪えながらチラリと見やった。そして反論の言葉を続ける。
「調べて頂ければ分かりますが、そもそも私名義の口座には父からの振り込みなど有りません。そもそも分籍などしなくても、母の再婚先から養子縁組の話は何回もあったんです。でもその場合、父が更にそちらにご迷惑をかけかねないので、丁重にお断りしていただけです」
そんな事を平然と口にした為、とうとう体面を取り繕っていた譲原が怒りの声を上げた。
「ふざけるな! それなら尚の事、どうして本部長があんたに便宜を図るんだ! しかも本部長からの通話記録は無いのに、あの電話はお前が仕組んだとしか言えないだろうが!?」
しかし乱暴に机を殴りながらの恫喝にも、貴子は一歩も引かない気迫で言い返す。
「それはいままでの自分の傍若無人な態度を反省して、一回位は便宜を図ってやろうと、気まぐれを起こしたんでしょう。駄目元で頼んでみて、こっちはとても助かりました。通話記録に関しては、謎としか言いようがありませんわね。調べるのはそちらの仕事でしょう。さっさと本来の仕事をして下さい」
「言うに事欠いて、良くもそこまで……。仮にも方面本部長が、そうそう現場の指揮系統を乱す行為を率先してやる筈が無いだろうが!」
「それならどうしてあの時の私と父の言動に関して、あの場ですぐに父に真偽を確かめなかったんですか?」
「それは……」
何気なく口にした台詞を聞いた途端、譲原と加藤が困惑した表情で黙り込んだ為、貴子はピンときた。そしてすかさず反撃に出る。
「管轄内での人質を取っての立てこもり事件。そんな重大事件の筈なのに、まさかその最中に管轄する方面本部長の所在がすぐに確認できなかったなんて、仰いませんよね? その間、父はどちらに居たんですか?」
「話を逸らすな!」
「逸らしてなんかいません。警視庁の初動捜査態勢に係わる、重大問題だと思います」
そこで予想外に、大門がのんびりとした口調で会話に割り込む。
「そこら辺は、嗅覚の鋭いゴシップ記者達が、今現在も新野署を初め関係各所に張り付いているみたいですからな。自ずと明らかになるでしょう。再来週発売辺りの週刊誌を読めば、分かると思いますよ? そうですね、例えば記事の見出しは……、『重大事件発生の裏で何が? 警察官僚の闇と怠慢を暴く』とかですか」
「あら、そうですか。面白そうですね。楽しみです」
「……っ!」
(本当に、あそこで確認を入れられたら一発でばれるから、結構冷や汗ものだったのよね……。自分には関係無いって勝手に庁舎を離れた挙句こっそり女の所に行ってたか、断りきれない配下を連れて憂さ晴らしに飲みに繰り出して携帯も切ってたとか。どっちにしろ、こちらにとっては好都合だったわ)
どうでも良い的な口調で交わされた会話を耳にしても、何も口を挟まず黙り込んでいる向かい側の二人を見て、貴子は密かに胸を撫で下ろした。すると静かにノートを閉じた大門が、穏やかに聞こえる口調で譲原達を問い質す。
「先程から伺っていれば、話を逸らしているのはそちらでは? 件の立て籠もり事件と宇田川さん親子の確執との間に、関係性が認められませんが。分かる様にご説明願います」
「それは……」
「仮に宇田川さんが『不仲の父親の経歴に傷を付けようと、仲間と一緒に銀行強盗を計画した』と主張するなら話は別ですが」
大門がそう述べた途端、二人が微妙な顔付きになった為、貴子は確信した。
(やっぱりね。あの男、私が犯人の共犯で、自分は嵌められただけって主張してるわけだ。お生憎様。私の周囲を探れば探るほど真犯人から遠ざかって、現場責任者とあんたの責任問題になる事確実よ)
そして大門が淡々と、問題点の指摘と矛盾点の追及を続ける。
「実際にそんな事が起こったのなら、随分スケールの大きい親子喧嘩ですが、そんな荒唐無稽な話を誰が信じると? 第一、物証は? 犯人達と宇田川さんとの繋がりは? そもそも先程宇田川さんが主張した様に、宇田川本部長が所在を明らかにしていて、便宜を図ったのを即座に否定していれば、あっさり犯人を取り逃がす事も無かったのでは? 通話が実際にあったかどうかなどと、水掛け論に過ぎない。便宜を図ったものの、組織内で問題視されて焦った本部長が、通話自体無かった事にしようとした可能性もありますし、そもそもその幻の通話の指示に従った、あなた方現場の人間の責任の方が重大でしょう。事の本質を見誤らないで頂きたい」
「それは……」
立て板に水の如く大門に指摘され、更にそれに反論できなかった譲原は、悔しそうに口を噤んだ。しかし大門は容赦なく私見を述べ続ける。
「これはどう考えても自分達の不手際を無かった事にする為に、一民間人をスケープゴートにして体面を保とうとする、悪意に満ちた誘導です。……マスコミ連中が喜びそうだ」
「どこが誘導だと!?」
思わず声を荒げて身を乗り出した加藤に向かって、大門は眼鏡のフレームのズレを軽く直しながら、眼光鋭く睨みつけつつ強い口調で断言した。
「現に、事件発生から二十時間以上経過しても、容疑者の名前すら浮上していないのは問題だと言っている。こんな所で見当違いの事情聴取をしている暇があったら、もっと実のある捜査をしたまえ。まさか状況証拠と憶測だけで、公判を維持できるなどと本気で思っていないだろうな? 思っているなら私の検察庁現役時代よりも、警視庁の捜査能力が格段に落ちていると判断せざるを得ない」
「……っ!」
(うわ、横から見ても視線が怖いわこの人。真正面から見たら、相当な迫力よね。それに検察庁って事は、ヤメ検弁護士なんだ。警察の手の内は知り尽くしてるってわけか、流石だわ)
思わず心の中で拍手をし、蒼白になっている加藤に貴子がちょっとだけ同情していると、大門は元通りの淡々とした口調に戻って譲原に問いかけた。
「黙っておられる様だが、彼女に他に質問は?」
その問いかけに、譲原が苦々しい口調で述べる。
「今日のところは結構です。また後日、色々お話を伺う事になるかと思いますが」
「その時には毎回私が同席させて貰うので、私と彼女のスケジュールに合わせて貰う。それでは失礼。行きましょうか」
「はい」
最後は自分に話しかけてきた大門の後に続いて、背中に譲原達の視線を感じつつ、貴子はその会議室を後にした。
そのまま無言で廊下を進み、二人で下りのエレベーターに乗り込んでから、他に乗っている者がいないのを幸い、大門が忌々しげな呟きを漏らす。
「やれやれ。恐らく本人達も、見当違いの事をやらされているとは理解しているらしいが……」
「上からの命令で仕方無く、ではないですか?」
反射的に応じた貴子に、大門が小さく頷く。
「恐らくは。君の父親が、自分は無関係で娘に嵌められたと主張して、君との絶縁ぶりと君と犯人の繋がりを声高に主張しているんだろう。それで現場は、犯人があなたと何らかの繋がりがある人物と仮定して捜査せざるを得ない、と言ったところか」
「振り回される現場の人間は、気の毒ですね」
正直な感想を漏らした貴子だったが、大門はその表情を眺め、些か不機嫌そうに押し黙った。その反応に(私、怒らせる様な事を言ったかしら?)と不安になったが、エレベーターを降りても相手が無言を貫いている為、下手に喋らない方が良いと判断して大人しく後に付いて行った。
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