(10)弟達との顔合わせ
約束の日、孝司は隆也から指定された時間直前に、祐司と二人で店内に入った。そして店員に案内されて奥に進むと、靴を脱いで上がり込んだ座敷に、既に隆也が連れと一緒に座っているのが目に入り、軽く頭を下げる。
「お待たせしました、榊さん」
「いや、時間通りだ。まず座ってくれ」
「失礼します」
当然の様に隆也の隣に座っていた芳文に、二人は一瞬興味深そうな視線を向けたが、隆也とは初対面の祐司は彼への挨拶を最優先にした。
「初めまして、高木祐司です。榊さんのお話は、家族から聞いていました。お会いできて嬉しいです」
自分の正面に座って手を差し出してきた祐司に、隆也は笑顔で握手しながら、隣の芳文を紹介しようとする。
「榊隆也だ。こちらこそ宜しく。それでまず紹介しておくが、これは俺の中学時代からの友人で」
「葛西芳文です。宜しく。今日ここに来たのは、隆也のアドバイザーとしてなんだ。必要無ければ黙っているから、造りの良い人形が置いてあると思ってくれ」
「はぁ……」
「どうも……」
堂々と自分の事を容姿端麗だと言い切った芳文に、二人は曖昧に頷いた。隆也が(お前は、もっとマシな自己紹介をする気はないのか!?)と頭痛を覚えている間に、本人はどこ吹く風で祐司達に簡単な挨拶と共に、自分の名刺を手渡す。その名刺に《葛西クリニック 院長 葛西芳文》と記載があるのを見て、二人は感心した様に声を上げた。
「葛西さんは、その若さで開業医ですか?」
「しがない、小さなクリニックだよ」
「凄いな、一国一城の主じゃないですか」
「よく言えばそうだが、なかなか運営が大変でね」
「何を言ってる。その無駄に整った顔で、信奉者って名前のご婦人の患者を、日々着実に増やしている癖に」
「お陰様で、最近は医師を美男美女三人体制にできてね。皆さんをあまりお待たせできずに、済む様になった」
「言ってろ」
思わず全員で笑ってから一気に場が和み、仲居が次々並べて行った料理や酒を楽しみつつ雑談を始めたが、五分程してグラスを座卓に置いた祐司が、真顔で隆也に切り出した。
「それで榊さん。俺達に何を聞きたいんでしょうか? 姉の事だとは思いますが」
その問いかけに、隆也も顔付きを改めて、座卓の向かい側に座っている二人に問い返す。
「君達は、貴子から俺について、何も聞いていないのか?」
「いえ、別に何も……」
「聞いていませんが」
明らかに当惑を隠せない二人に向かって、隆也は小さく息を吐き出してから、淡々と言ってのけた。
「実は最近あいつから、部屋に置いていた着替え全部、何の前触れも無く家に送りつけられた。挙げ句、俺の電話番号やメルアドが着信拒否された。加えて『金輪際不愉快な面を見せるな』と一方的に宣告されて以来、完全に音信不通になっている状態なんだ」
隆也がそう告げた瞬間、二人が揃って眉間に皺を寄せて、問い質してくる。
「姉貴が、今度は何をやらかしたんですか?」
「榊さん、姉貴に何をしたんですか?」
しかし訝しんだ内容に明らかな差が有った二人は、互いに顔を見合わせて、文句を言い合った。
「孝司。どうして榊さんが何かしでかしたのが前提なんだ?」
「祐司こそ、どうして姉貴が何かやったのが前提なんだよ?」
互いに不満そうな兄弟を見て、隆也は補足説明する事にした。
「誤解の無い様に言っておくが、俺は何もしてない筈だ。ただ宇田川本部長が勝手に俺と彼女の仲人を、警察庁の幹部に頼んだのが関係していると思う」
隆也がそう述べると、今度は兄弟の反応は同一だった。
「はぁ? 仲人を頼んだ? 何世迷い言言ってんだ、あの腐れ親父!」
「勝手にって……、第一あの腐れ親父、姉貴と榊さんの事知りませんよね?」
「一緒に食事に出かけた時、偶然に父方の弟と遭遇して揉めたんだ。その時俺が、警察手帳を出して名乗ったから、それで俺の身元を知られた筈だ」
そこで盛大な舌打ちの音と共に、二人が口々に言い出す。
「それで姉貴が、将来有望なキャリアを姉貴が捕まえたって有頂天になって、先走って仲人を頼んだクチか?」
「読めた。絶対姉貴に『俺に感謝しろ』とか何とか、恩着せがましく言ってきたんだぜ? それで姉貴が、ブチ切れたってとこじゃないのか?」
「だろうな。今まで親らしい事をまともに何一つしてこなかったくせに、何をほざいてんだか」
「最近は大人しくしてたってのに、さっさとくたばりやがれ、ゴミ野郎がっ!」
息の合ったやり取りをして、如何にも苦々しげな表情で酒を煽った二人を、芳文は無言のまま興味深そうに眺め、隆也は取り敢えず二人とも切子グラスの中身を空けたのを見計らって、声をかけた。
「俺も大体そんな風に想像はしていたが……。そもそもどうしてあの二人は、あそこまで嫌い合ってるんだ?」
その問いかけに祐司が手の動きを止め、低い声で問い返す。
「……姉貴から、何も聞いていませんか?」
「親らしい事をしてこなかった事は本人から聞いたがそれだけで、後は警察庁勤務の親戚から、大学中退で激怒されて以降、何度も親の面子を潰す事をしているのは聞いたが」
「そうですか」
そこで疲れた様に溜め息を吐いた祐司の横で、孝司が全くやる気無さそうに片手を振りながら、如何にも嫌そうに兄に説明するのを押し付ける。
「口に出すのも胸くそ悪いから、俺パス。祐司、説明してやって」
「お前な……」
孝司の言い分にはっきりと顔を顰めた祐司だったが、完全に孝司がそっぽを向いて手酌で飲み始めた為、祐司は隆也に視線を合わせながら確認を入れた。
「分かりました。一通りご説明しますが……、聞いて気持ちの良い話ではありませんよ?」
「それは承知の上だ」
そして相手が頷いたのを見てから、祐司は順序立てて話し始めた。
「あの男、母と離婚してから暫くの間、自分の姉夫婦に一歳前後の姉貴を預けていたんです。再婚してからも養育費だけ渡してほったらかしで、小学校入学を機に体裁が悪いからと引き取ったそうです」
その最初の話だけで、隆也は早々と渋面になった。
「六歳まで預けっ放しで、今更体裁が悪いも何も無いと思うがな」
「それから後妻が『連れ子の世話なんか真っ平』と言ったとかで、敷地内に姉貴用の小さな離れを建てて、そっちで一人で生活させて、姉貴の世話は万事、家政婦に任せきりだったとか」
「おい、ちょっと待て」
「それは立派な育児放棄と精神的虐待だろうが」
さすがに隆也と芳文が顔付きを険しくして口を挟もうとしたが、ここで一抜け宣言をした筈の孝司が、勢い良く座卓を拳で叩きながら怒鳴った。
「ふざけんじゃねぇぞ!! 入学式や卒業式を初めとした学校行事その他諸々、一度も顔を出してやらなかったくせに! 姉貴が東成大に現役合格した時だけ、入学式にのこのこ家族全員付いてって記念写真撮って来るって、どこまで厚顔無恥一家だ、クソ野郎どもがっ!!」
いきなり激昂した孝司に隆也と芳文は驚いたが、祐司も慌てて弟の腕を押さえつつ宥めた。
「おい、ちょっと落ち着け。もう酔いが回ったのか? すみません、弟が失礼を」
「これ位で酔うかよっ!! 授業参観だって運動会だって三者面談とかだって、弟達の方はちゃんと顔を出してたくせに、姉貴の方はまるっきり無視してたから、全部美弥子さんが休みを取って、出てくれてたんじゃないか!! それなのにあの馬鹿どものせいで、辞めさせられたんだぞ!?」
「五月蠅いからちょっと黙れ。話が進まないだろ!」
そこで少し考えていた芳文は、冷静に確認を入れてきた。
「察するに、その『美弥子さん』って人は、彼女の世話をしてた家政婦さんの事かな?」
「ええ、そうです。それで実は偶然にも俺達の親父の、年の離れた従姉だったんです。女手一つで息子さんを育てて、息子さんが就職して独り立ちしたから仕事を辞めようと思っていた頃、宇田川邸での仕事を紹介所から打診されて、姉貴に同情して八年近く通ってくれたんです。でも派遣先で見聞きした事は口外しないって倫理規定があって、当時は姉貴の家で仕事をしてる事も皆知りませんでしたが」
「それなら、どうしてそれを知ったんだ? あいつから聞いたのか?」
不思議に思いつつ隆也が問いかけると、祐司は苛立たしげに答えた。
「姉が中二の時、父方の弟二人が、離れの窓ガラスに向かって、立て続けにサッカーボールを蹴り込んだんですよ。最初のボールで、割れたガラスで姉が額を切って、咄嗟に姉を庇った美弥子さんが次に飛び込んできたボールで、腕を怪我したんです」
「何だそれは。どう考えてもわざとだし、悪質過ぎるだろ」
「それでどうなったんだ?」
芳文が呆れて物も言えないと言った表情になったが、隆也は冷静に続きを促した。すると祐司が吐き捨てる様に告げる。
「美弥子さんはガキ二人を捕まえて尻を叩いてお仕置きした後、母屋に連れて行って後妻に猛抗議したそうですが、姉貴達に謝るどころか派遣先の子供に暴力を振るう様な人間は御免だと、その場でクビにしたそうです」
「その時姉貴があの腐れ親父に『美弥子さんに非はない。辞めさせるのは筋違いだから、あの人に意見して』って頼んだら、『そんなくだらん事で電話などかけてくるな』と一蹴されたそうですよ」
「なるほど……。それで父親に、完全に愛想尽かしたって訳だ」
後を受けた孝司の台詞を聞いた芳文は、一人納得した様に頷いた。それを横目で見た隆也は、一瞬何か言いたそうな顔になったが、口に出しては何も言わなかった。
「母の再婚先がうちだと知っていた美弥子さんは、クビになったその足で家に駆け込んできて、姉貴がどんな風に暮らしてるか洗いざらい暴露したんです。俺達はまだ小学生で、どうやら姉が居るらしい程度の認識しか無かったし、内容を聞いて驚きましたね」
「美弥子さんは最初から大泣きだし、お袋は家族旅行なんかも姉貴だけは置いてけぼりだって話を聞いてからは号泣してるし、親父は怒りまくって早速母方の親戚に電話して、加納のじいちゃんの所で親族会議を開く事になったし」
「『加納のじいちゃん』と言うのは、君達の母方の祖父の加納貴史氏の事だな?」
「ええ、ご存知でしたか?」
「名前だけは」
兄弟で当時を思い出しながら話していた孝司に、隆也が確認を入れると、肯定の返事が帰ってきた為、隆也は頭の中で貴子の母方の家系図と、叔父の家で聞いた一連の話を思い返した。すると祐司達が痛恨の表情になりながら述べる。
「それで裁判を起こしてでも、姉貴を引き取ろうって話で纏まりかけたんですが……。加納の祖父が一度本人ときちんと話をして考えを聞いてみたいと言い出して、宇田川家には内緒で会いに行ったんです」
「二人の間でどんな話し合いになったのか詳細は聞いてないけど、何故かそのまま放置する事になって……。その代わりに加納の祖父が五百万を姉貴に生前贈与した上で、信託財産として弁護士に二十歳になるまで管理して貰う事になったんだよな?」
「今思うと……、あの時に無理をしてでも、うちで引き取るべきだったんだ。恐らく、あのろくでなしに嫌がらせする為だけに、今でも宇田川姓を名乗ってるんだから」
「そうだよな……」
そこで二人とも黙り込んでしまった為、隆也と芳文は周囲の重い空気を払拭するべく、なるべく明るい口調で微妙に話を逸らしてみた。
「なるほど。未成年の彼女に財産を渡したら、保護者にかすめ取られる可能性があると考えたわけだ。大した保護者だな」
「だから大学二年になった早々に、自由にできる様になった金を抱えてあっさり家出したわけだ。最初からぬか喜びさせて油断させる為に一年間だけ東成大で大人しくして、それから調理師学校に入ったんだよな?」
するとそこで溜め息を吐いた祐司が、淡々と告げてきた。
「それでその時、姉貴が初めて家に出向いて来たんです」
「どうしてだ?」
「幾らお金が有っても、調理師学校に入学したり部屋を借りたりするのに、連帯保証人は必要ですから。俺達の親に頼みに来たんです」
「……ああ、なるほど。それは気まずかっただろうな。高校生の時に亡くなった加納氏の初七日の時、父親と一緒に出向いて暴言吐いた後だしな」
それを聞いた隆也は、納得しつつも気の毒そうな表情になった。それを見て、祐司が苦笑交じりに説明する。
「その話を聞いていましたか。一応それには裏が有って、姉貴から喪主の叔父の所に『宇田川に赤っ恥かかせる為に、敢えて失礼な言動をしますのでご容赦下さい』と予め連絡が有ったんです。それで当日伯母達や叔父達は、素知らぬふりで憤慨する演技をしてたんですよ」
「だからそれについては、それほど気にしなく済んだんですが、やっぱり殆ど初対面って意識の二人だし。実の母娘の対面なのに、襖の隙間から見ても、室内に緊迫感が満ち溢れてて二人とも気の毒で。ちょっと緊張を解そうと、『うわ~い、美人の姉ちゃんができた~! ヤッホー!』って襖を開けて叫びながら、姉貴に抱き付いたら」
「あれは、抱き付いたとは言わねえっ!! 飛びかかって押し倒したって言うんだ!! 座ったまま振り返って咄嗟にお前を抱き止めた姉貴が、そのまま後ろに倒れて座卓の縁で後頭部を強打して、痛みで物も言えずに畳に転がったのを忘れたのかっ!?」
「ちょっと加減を間違っただけだろ?」
「あれのどこがちょっとだっ!!」
そこで真顔で述べていた孝司の台詞を遮り、その胸倉を勢いよく掴んだ祐司が、盛大に弟を叱り付けた。その剣幕に隆也と芳文は唖然となったが、傍観を決め込んでいた隆也に、孝司が意見を求めてくる。
「あ、思い出した。榊さん。祐司の奴酷いんですよ? その時、姉貴が後頭部を両手で抑えて呻いてたのに、淡々と『意識が朦朧としたり、吐き気や目眩とか無いですよね? 気休めだと思うけど、これで冷やして。今隣の部屋に布団を敷いてくるから』って保冷剤を差し出しただけで、さっさと部屋を出てったんです」
「阿呆!! お前は姉貴が頭打ってるのに『うわ、ごめん姉ちゃん。しっかりしろ、傷は浅いぞ!』とか言いながら、ガクガク身体を揺さぶってるし、お袋は『貴子、死んじゃいやぁぁっ!』って泣き叫んでいるし、親父は『救急車! 早く119番を!!』って絶叫しながら110番を続けて三回かけて、オペレーターに怒られるわで、あの場面で俺まで取り乱したら、門の前に救急車が五台は連なる事態になっていたぞ!!」
「いや~、でもあれで、姉貴が休んだ後は、だいぶ緊張が取れた感じて話せてただろ?」
「……もうこれについては、何も言わん」
叱り付けられても懲りる事無く、へらっと笑いながら同意を求めてきた弟に、祐司はがっくりと項垂れて手を離した。そして孝司はささっと服を直し、何事も無かったかの様に遠慮なく酒を飲みながら料理を口にする。祐司も遅れてグラスに手を付けたが、その二人を眺めながら芳文が囁いた。
「何か姉以上に面白いな、この兄弟」
「……そうだな」
しみじみと隆也が同意したが、ここでふたりの視線に気が付いた祐司が、気を取り直して話を続けた。
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