(19)傍若無人な呼び出し

 ある朝、携帯電話に着信したメールの内容を確認しようとした貴子は、最新メールの件名を見て、無意識に眉根を寄せた。


「……何よこれ?」

 そこには端的に《六本木 周防 20:00》とだけ書かれており、本文をチェックしてもそれを補足説明する記載など無い、これまでと同様の小説の一部でしかなかった為、不機嫌そうにひとりごちる。


「まさか『今日、この時間にここに来い』とか? こっちの都合丸無視の上、幾らなんでも省略し過ぎよ」

 そうして忌々しげにディスプレイを見下ろしてから、貴子は携帯電話を閉じ、自分自身に言い聞かせる様に呟いた。


「別に、本当に呼び出しかどうかなんて分からないし、行かないわよ。行かなければいけない理由も無いしね」

 そんな事を口にした貴子だったが、一日中もやもやしたものを抱えつつ仕事を済ませ、結局指定時間から一時間近く遅れて、ネットで検索した店の前に到着した。


(全く、いい加減過ぎるでしょう。本当にこの店で良いのか、そもそもあいつが居るかどうかも分からないし)

 貴子はそんな事を考えたが舌打ちを堪えつつ、入口付近に佇んでいた黒服の、接客担当であろう男性に声をかけてみる。


「すみません。榊の名前で予約しているか、先に入店している筈なんですが……」

(もし違ってて赤っ恥かいたら、あいつを呪ってやるわ)

 内心の憤りを押し隠しつつ貴子が尋ねてみると、予想に反して相手はあっさりと頷き、店の奥へと彼女を促した。


「お待ちしておりました。榊様の席にご案内致します」

 その一分の隙も無い営業スマイルに、貴子は「はあ」と曖昧に頷く事しかできず、取り敢えずその後に付いて歩き出した。


 間接照明のみの通路の先に広がる店内も、テーブル毎に柔らかい仄かな明かりが点いているだけの、薄暗い空間だった。初めての店でもあり、貴子が好奇心から周囲を観察しながら歩いていると、がラス張りの壁面から一望できる、高層階ならではの見事な夜景を認め、これを堪能するには邪魔になる照明を、極力省いている事が分かる。すると窓際を歩いていた店員が、鉄板が設えてあるカウンターの向こうに夜景が広がるスカイカウンター席の隆也に近付き、僅かに身体を屈めて声をかけた。


「榊様、お連れ様がいらっしゃいました」

 するとチーズの盛り合わせとワインで、先に一人で飲んでいたらしい隆也は顔を上げ、全く酔いを感じさせない風情で応じた。


「遅れて申し訳ありません。それでは始めて下さい」

「畏まりました。お客様、どうぞお座り下さい」

 夜景を堪能する為か、そこは窓に向かって横並びのソファー席になっており、貴子は素直に隆也の隣の席に座った。するとそれが合図の様に、音も無く歩み寄ってきた別の店員が貴子の前に素早くワイングラスとオードブルの皿を並べ、一礼して去って行く。


「あのふざけた、短過ぎるメールは何なの?」

 その場に二人だけになってから、貴子が押し殺した声で問い質したが、隆也は自分用に出されたオードブルに手を付けながら、その合間に短く答えた。


「無駄な長文は嫌いだ。それに伝わったから、お前がここに来たんだろうが」

「来なかったら、どうするつもりだったの? 閉店まで粘ったらお店に迷惑だし、いい恥さらしよ」

「お前が恥をかくわけでは無いから、別に良いだろう? 俺の勝手だ」

「ええ、そっちの勝手でしょうね」

 淡々と言い返され、貴子は内心で腹を立てながら(せっかくだから、味わって帰ってやる)とナイフとフォークに手を伸ばした。それからは目の前に広がる夜景を眺めつつ、時折隣の隆也の様子を窺いながら、無言で食べ続けた貴子だったが、隆也も変わらず無言の為、オードブルと次の帆立とフォアグラのソテーまで食べ終えた所で、多少苛つきながら問いを発した。


「……それで? どうしてこの店なわけ?」

 その問いに、隆也は窓の外に視線を向けたまま、微かに笑った。


「ここなら無理に俺の顔を見なくても、食事ができるだろうが。せっかくの料理を仏頂面で食べたら、美味さが半減だ」

「お気遣いどうも。当然支払いはそっち持ちよね?」

「呼びつけておいて金を出させる程、甲斐性無しでは無いつもりだ」

「それは良かったわ」

 それから再び無言で食べ進め、サラダとコンソメスープを食べ終えると、目の前のカウンターに食材を乗せたワゴンを押して、白いコックコートを身に着けた男性がやって来た。そして二人に焼き加減を尋ねた後、火加減を調整して、慣れた手つきで和牛フィレ肉を焼き始める。

 貴子が見るともなくアルコールで燃え上がる火を眺めているうちに、フィレステーキが出来上がり、食べやすくカットされたそれが手早く皿に乗せられて、ガーリックライスと共に二人に供された。それを無言のまま食べ始めた貴子は、思わず緩みそうになる口元を引き締める。


(う……、やっぱり美味しい……)

 そこで隣の席から、「くっ……」と押し殺した微かな笑い声が聞こえた為、貴子は僅かに顔を引き攣らせながら凄んだ。

「……何を笑っているのよ?」

 その問いに対し、隆也は如何にも楽しそうに笑いながら答えた。


「やっぱりお前、食い物に関しては正直だな」

「悪かったわね」

(一々、ムカつく男ね!)

 憤然としながらも、貴子は一緒に出された味噌汁まで残さず平らげ、最後のデザートの盛り合わせとコーヒーが運ばれてきた所で、再度隆也に尋ねた。


「ところで、今日私を呼び出したのはどうして? 誰かと食事したいだけなら、金輪際あんな意味不明のメールを送ってこないで、他の誰かを誘って欲しいんだけど?」

「食事はついでだ。これを持って帰れ」

 そう言って隆也が身体を屈め、足元に置いてあった荷物を入れておく籠の中から、見慣れないロゴが入っている紙袋を取り出し、それを貴子に押し付けた。否応なしに渡されたそれを、貴子は顔を顰めて覗き込みながら、相手に問いかける。


「何よ、これ?」

「ぬいぐるみだ」

「……はあ?」

 すこぶる真顔で言われた内容に、貴子は一瞬聞き間違いかと思って、間抜けな声を出した。しかし隆也が重ねて言ってくる。


「取り敢えず、出して見ろ」

「何でこんな所で……」

 ぶつぶつと言いながらも、いつも以上に押しの強い隆也の表情に負けて、貴子は袋に入れたまま包装されていない箱の蓋を開け、中身を取り出してみた。そして両手で持ち上げたフットボールよりも若干大きい位の物体をしげしげと眺め、微妙な顔付きになる。


 その丸まっている背中には、一面にびっしりと数センチの長さの毛が植毛されており、それとは逆に腹側には、つるつるとした手触りの良い布が使われていて、短い四本の足がちょこんと縫い込まれていた。

 頭は鼻先がちょっと出た感じで、両側に楕円形の小さな黒い目が縫い付けてあり、小さな耳の片方にチャームポイントなのか、布製の小さな花も付けられている。それをじっくり眺めた貴子が、無意識に声を出した。


「これって……、背中がトゲトゲしく無いけど……」

「怒っていない時のハリネズミだ」

「そんな事、見れば分かるわよ!」

 憎まれ口を叩いても、それを目にした時、貴子の口元が一瞬緩んだのを見て取っていた隆也は、笑い出したいのを堪えながら、苦労して真面目な顔を取り繕った。


「お前の所に、既にぬいぐるみは犬、猫、熊、子豚、羊、イルカ、狐、パンダ、うさぎ、ペンギンが揃っているからな。違う物にしてみた」

 それを聞いた途端、貴子は目つきを険しくして問い質した。

「ちょっと! あの納戸の中を漁ったわけ!?」

 しかし隆也が、しれっと答える。


「断っておくが、家捜しなんかはしていない。人使いの荒い家主に言われて、脚立や備品を出し入れする時に、偶々目に付いただけだ」

「全部箱に入れてあるのに、何が偶々……。これはあんたが持って帰りなさいよね。私はごめんだわ」

 貴子がやや乱暴にぬいぐるみを箱に詰め直し、紙袋ごと相手に押しやったが、隆也は驚いた様に言い返した。


「これが気に入らないのか?」

「当たり前でしょう! 誰があんたなんかから貰いますか!」

 吐き捨てる様に貴子が断言したが、ここで隆也がわざとらしく溜め息を吐いた。


「そうか。綾乃ちゃんに悪い事をしたな……」

「え? ちょっと待って。今、何て言ったの?」

 隆也の呟きを耳にした貴子が怪訝な顔で問いかけると、隆也は神妙な顔付きで事情を説明し始めた。

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