(9)豹変
「本日は急に押しかけた上、夕飯までご馳走になってしまいまして、恐縮です」
それに竜司と蓉子は、年長者らしく笑顔で応じた。
「いやいや、明日も平日でお仕事がある榊さんが、わざわざここまで来て下さったのに、そのまま帰って頂くのは失礼ですから」
「できればご馳走を作りたかったのですが、急な事でなんの変哲もないお惣菜で、こちらの方が申し訳ないわ。来週はもう少しマシな物を準備しておきますね?」
そんな事を言われた隆也は、満面の笑顔で料理を褒め出した。
「とんでもない。取れたての地元の食材をふんだんに使って、質・量共に十分な料理です。それに意外性もあって楽しいですし。これは一見酢豚ですが、使ってある肉は鳥のもも肉ですよね? ですが、大量生産されたブロイラーの様な、変な臭いや歯ごたえの無さなどが微塵も感じられず、美味しく頂いています」
「榊さん位鋭い方だと、うちの《なんちゃって酢鶏》は一目瞭然なんですね」
「でもやっぱり美味しいですよ、その鶏。ここから車で十五分程の養鶏場から、出荷した物なんです。しっかり品質管理して、運動もさせてる奴ですから」
蓉子が苦笑いしたところで孝司も自信ありげに口を挟むと、隆也が感心した様にそれに応じた。
「そうか。それなら美味しいのは道理だな。最初は一応酢豚らしき料理に、里芋やカボチャや大根まで入っていて驚いたが、どれもきちんと火が通っているし、崩れたりもしないでしっかり味が付いていて、二度驚いたよ」
「あはは、すいません。うちって料理に関してはチャレンジャーで豪快なんで」
「それはその時々の旬の食材を、いかに美味しく食べるかという事を、常に考えているからだろう? 自分達で作っているなら尚更だ」
「そうなんですよね。やっぱり自分で収穫した物は、できるだけ美味しく食べたいですし」
うんうんと頷いた孝司に続き、隆也は尚も料理を褒め続けた。
「だが、肉と同様、里芋やカボチャまで軽く下味を付けて、素揚げしているのは凄いな。手が込んでる。だが、このおかげで本来の素材の旨味が、効率的に味わえるんだな」
「まあ、榊さんがお分かりになるとは、思わなかったわ」
思わず口を挟んできた蓉子に、隆也は愛想よく笑いかけた。
「このサラダも、メインのサツマイモの仄かな甘みを、タマネギのスライスがピリリと引き締めて絶妙な組み合わせです。タマネギを浸したドレッシングには、酢ではなくレモン……、いやスダチとかですか? 上手く酸味を和らげて、味をまろやかにしていますね」
「あら、分かりました? レモンだとすっぱ過ぎると、孝司がいつまでも子供の様な事をいうもので」
「お袋……、そんな事、ここで言うなよ」
孝司がうんざりした表情で口を挟むと、隆也は苦笑いして小鉢を取り上げた。
「このサンマの胡麻焼きも、ゴマの香ばしさが魚の生臭さを消し去って大変美味です。タレとゴマの相性が素晴らしいですね。欲を言えばもう少し頂きたい位です」
「あら、そんなに気に入ってくれたなら、私の分をどうぞ召し上がれ?」
「ありがとうございます」
にこやかに微笑みつつ蓉子が差し出してきた小鉢を受け取り、尚も滑らかに料理に対する褒め言葉を垂れ流す隆也に、竜司は面白い物を見るような視線を送り、貴子は無意識に目をすがめた。
(何よ、さっきからお母さんの料理を、聞いた事が無い位のベタ褒めで。私が作って食べさせた時は、大抵『美味い』の一言だったでしょうが! 何なのよ、この差はっ!?)
怒りに任せてそんな事を心の中でぶちまけてから、貴子は自分自身に言い聞かせる様に考えを巡らせた。
(確かにお母さんの料理は美味しいし、ここに強引に押し掛けた上に、図々しく晩御飯まで食べさせて貰っているわけだから、お世辞の一つや二つ口にするのは当然だと思うけど)
そしてチラリと横目で隆也の様子を窺った貴子は、相変わらず和気あいあいと蓉子と料理談義をしているのを見て、分からない程度に口元を引き攣らせた。
(……何か、無性にムカつく)
そして隆也が出された料理を全て綺麗に平らげ、辞去する旨を告げた為、一家揃って見送りの為に外に出た。そして挨拶をして愛車に乗り込んだ隆也は、エンジンをかけてから窓を開けて貴子を見上げてくる。
「じゃあもう少しだけ、おとなしくしてろよ?」
「余計なお世話よ」
ツンと横を向いた貴子に小さく笑った隆也は、竜司と蓉子に軽く会釈してから車で走り去って行った。それを見送った孝司が、佇んでいる貴子の肩を叩きつつ呆れ気味に声をかける。
「姉貴ったら、全く素直じゃ無いよな~。まあ、俺達の前でイチャイチャしろとは言わないけどさ」
「……孝司」
「何?」
「ノート」
「はぁ?」
ぼそりと端的に言われた内容に孝司が本気で首を傾げると、貴子は据わった目で話を続けた。
「使ってないノート……、ううん、使用済みでも良いわ。とにかく書き込みができる物を頂戴」
「ええと……、探せば机にあると思う。ちょっと待っててくれ」
姉の眼光の鋭さに若干酔いが醒めつつ、孝司は急いで彼女が欲しがっている物を、自分の机から引っ張り出した。するとそれを受け取った貴子が、すぐに自室代わりになっている客間に引っ込んでしまう。
夕食も食べかけのまま放置という、普段の彼女らしくない行動に、少ししてから蓉子が様子を見る為に、食べかけの皿とお茶を持って客間に入って行った。
「どうだった?」
「貴子はいきなり、何を始めたんだ?」
廊下に出てきた自分を捕まえ、怪訝な顔で尋ねてきた夫と息子に、蓉子は笑いを堪えながら説明した。
「ちょっと見てみたら、文机にノートを広げて、レシピを書いているみたいなの」
「レシピ?」
「いきなりどうしたんだ? ここに来てから調理はしても、一度もそういう物は書いていなかったよな?」
「それが……、書きながらブツブツ言ってるのを聞いたら、『絶対『美味い』だけで済ませないんだから』とか、『愛想振りまき過ぎよ。あの馬鹿』とか言ってて」
そう言って蓉子が小さくクスクスと笑うと、男二人は半信半疑の表情になった。
「え? まさか姉貴、さっきの榊さんと俺達のやり取りで、お袋に対抗意識燃やしたり嫉妬してるとか?」
「それで、今度は今日の蓉子の料理に対するコメント位、言わせてみせるレシピを考えてるとか?」
「……多分、そうじゃないかしら」
困った様に笑いながら、蓉子が今出て来た襖に視線を向けると、孝司が手で口を押さえ、腹を抱える様にしながら軽く悶えた。
「ぶふっ……、あ、姉貴っ……。随分、可愛くなってっ……」
「笑うな、孝司。中に聞こえるぞ?」
「あなただって、噴き出す寸前じゃないですか」
そうして高木家の面々は互いの顔を見合わせながら笑いを堪え、改めて貴子に対する隆也の影響力は、想像以上に凄まじいとの認識を新たにした。
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