(7)悪友
四月に入ってから三週間近く、色々な方面で世間を騒がせている事件の捜査で人手不足という事も相まって、捜査二課は慌ただしい毎日を過ごしていた。当然夜になっても隆也の仕事が終わらない事が多く、連日家に帰る時間を惜しんで、近場のホテルで寝るだけの生活を繰り返していたが、この日も外が暗くなっても残っている部下と共に、仕事に勤しんでいた。
「川原、例のガサ入れ時の、証拠品のリストは?」
「こちらです。何かご不審な点でも?」
部下が書類の束から該当する物を差し出したが、それを一瞥して隆也は突き返す。
「帳簿や当座預金の記録が少な過ぎる。通帳は別に保管してあるとしても、関係無いと思われる書類の中の洗い出しと、押収したPCの削除データの修復作業を急がせろ。後になって、国税局からクレームを受けるのは避けたい」
「分かりました」
その他にも残っている面子を時折呼びつけ、テキパキと指示を出していた隆也に、また一人お伺いを立てるべく部下が近寄って行った。
「課長、こちらが永沢地所の社長と会長の調書になります」
「ご苦労だった、長谷部。今日はもう帰って良いぞ。それにここの所、面倒をかけてすまないな」
本心から謝罪の言葉を述べた隆也に、長谷部が却って恐縮しながら言葉を返してくる。
「いえ、以前の様に女性の部屋に泊まり込んでいるならともかく、課長はこの二週間程は仕事が押して、近くのホテルに連日の様に宿泊されているんですから。毎日帰宅させて貰っている俺が、ご自宅に寄って着替えの受け渡しをする位、当然です。お気になさらず」
「そう言って貰えると、気が楽だが」
思わず以前の自分の行いを振り返って、苦笑いしてしまった隆也だったが、ここで長谷部が真顔で問いを発した。
「でもこの半年近く、課長のご自宅から服を持って来る様に、頼まれた事はありませんでしたね。色々噂は聞いていましたが、課長は最近フリーなんですか?」
長谷部としては純粋な好奇心から発した質問だったのだが、それを耳にした途端隆也は瞬時に笑みを消し、片眉を僅かに上げながら静かに恫喝する。
「どんな噂を耳にしたかは知らんが、軽々しく上司のプライベートに、首を突っ込まない方が賢明だと思うぞ?」
豹変した上司の態度に、長谷部は一気に背筋が凍り、勢い良く頭を下げた。
「しっ、失礼しましたっ!! それではお先に失礼します!」
「ああ、お疲れ」
そして逃げる様に自分の前から立ち去った、部下の背中を見送ってから、隆也は何気なく机の片隅にあるカレンダーに目をむけた。
(そうか……。このニ週間忙しすぎて、ホテルに泊まるか家に帰るかのどちらかだったな。いつも連絡を取るのは俺からだったし、この間、完全に音信不通だな。うっかりしていた)
そして背広の内ポケットからスマホを取り出した隆也だったが、まだ室内には残業中の部下がチラホラと見られた為、無言で席を立った。そして廊下に出て人気のない所を探しつつ、奥まった場所にある休憩スペースに辿り着く。
(別に、あいつの方から連絡をよこせば良いとか、そういう問題じゃなくてだな)
再びスマホを取り出して、それを見下ろしながら独りで色々葛藤していると、それが着信を知らせてきた。そしてディスプレイに浮かび上がった名前を見て、意外そうな顔付きになる。
「……芳文?」
一年近く直接顔を合わせていなかった、中高一貫校に入学して以来の腐れ縁である悪友の名前に、隆也は不思議に思いながらも、機嫌良く電話に応じる事にした。
「どうした? お前から電話がかかってくるとは珍しいな、芳文。何かあったか?」
同い年ながら、既に何年も前から都内でクリニックを経営している葛西芳文に気安く声をかけると、相手も笑いを堪える口調で応じる。
「特に用事は無いが、最近華々しく新聞の一面を飾っている内容を見て、お前の事を思い出してな。どうしているかと思って電話してみたんだ。暇か?」
「例の記事を見たのなら、忙しいのは分かってるだろうに、お前も相変わらずだな」
「干されてなくて結構だな。どうだ、気分転換に飲みにでも行かないか? 奢ってやるぞ?」
自分も仕事と女で、それなりに忙しいだろうにと苦笑した隆也だったが、ふと思いついて誘いに乗る事にした。
「お前に奢られたら後が怖い。割り勘だ。だがちょうど良かった。ちょっとつまらない話を聞いてくれないか?」
その申し出に、芳文は訝しむ口調になって返した。
「愚痴か? お前にしては珍しいな。勿論構わないが」
「それなら明日はどうだ?」
「俺は別に良いが……、そんなに急ぎの用件なのか?」
「そういう訳でもないが……」
芳文は益々疑念を深めた様だったが、隆也は歯切れ悪い口調で応じた。それで相手も電話では話しにくいのかと察し、二人にとって馴染みの店の名前を挙げる。
「それなら八時に《吉祥》でどうだ? 俺の名前で奥を押さえておくが」
「そうしてくれると助かる」
「じゃあ明日な」
そうして小さく笑ってあっさり話を切り上げた芳文に苦笑しつつ、隆也はスマホを、耳から離して見下ろした。そして貴子に電話をかけるのは止める事にして、(さて、明日あいつにどう話そうか)と頭の中で考えを巡らせつつ、隆也は自分の席へと戻って行った。
翌日、八時を十分程過ぎて店に到着した隆也は、店員に案内されて奥の壁で仕切られたスペースに入ったが、既に芳文はつまみになる料理を揃え、手酌で酒を飲んでいた。
「よう、お疲れ。先に始めていたぞ?」
「十分位、待ってろよ。相変わらずだな」
隆也が呆れながら席に着き、好みの物をあれこれ注文している間に、芳文は先に持って来させておいた盃に酒を注ぎ、店員が消えると同時にそれを向かい側に押しやった。それを受け取った隆也は、芳文の手にしたそれと軽く打ち合わせて一気に飲み干したが、そこで芳文がさり気なく問いかける。
「それで? お前、何か俺に聞いて欲しい話が有るんだろ?」
改めてそう聞かれた隆也は、困惑気味の顔で少しの間考え込んでから、視線を合わせないままボソッと呟く。
「それが……、結婚を考えている」
「そりゃあ、めでたいな」
対する芳文が如何にも棒読み口調で応じた為、隆也は不機嫌になりながら相手を軽く睨んだ。
「めでたいと言う顔じゃないぞ」
「だってお前仏頂面だし、少なくても頭に花咲かせてる雰囲気じゃ無いからな。何か問題でも有るのか?」
再び手酌で飲み始めた芳文に、隆也は真顔で告げた。
「その相手と、これまでまともに付き合って無い」
「はあ?」
「おまけに、大の警官嫌い、特にキャリア嫌いときてる」
うっかりガラス製の徳利を起こすタイミングを逃し、表面張力の限界を越えて盃から溢れだした酒を見て、芳文は我に返った。そして小さく舌打ちし、おしぼりでテーブルに零れた酒を拭き取りながら、確認を入れた。
「ちょっと待て。何の冗談だ? じゃあお前、相手とは初対面に近いプラトニックな関係なのに、一人で先走って、結婚を考えているって事か?」
「いや、出会ってから七ヶ月で、関係を持ってからも半年近くは過ぎてるが、相手の認識では俺は単なるセフレらしい」
「因みに、『好きだから付き合ってくれ』とか『愛してる』とかの類は言って無いのか?」
「これまで何となく、なし崩し的にきてるからな」
どう見ても開き直っているとしか思えない隆也の態度と口調に、芳文は軽い眩暈を覚えた。
「すまん。お前のプライベートに口を挟むつもりは無いんだが、一通り事情を話してくれないか?」
「ああ、そのつもりで呼んだ」
それから隆也は貴子との出会いからこれまでの事を、順序立てつつ無駄な事は省きながら、端的に語って聞かせた。
「……と言うわけなんだが。そこで一つ、お前の意見を聞きたい」
そんな事を真顔で告げられた芳文は、苦々しい顔付きになりながら問い返した。
「あのな、隆也……。今の突っ込みどころ満載の話の、どこについての意見が欲しいんだ?」
「どういう風にプロポーズすれば良いと思う? そこに持ち込むまでが一苦労だとは思うが、お前なら百回はともかく十回位はしてそうだし、参考として」
「アホか! 確かに俺はこまめに『愛してる』云々とは言ってるが、結婚詐欺みたいな行為はしてないぞ。第一、そんな面倒臭すぎるガキの類に、食指なんか動くかよ!!」
あくまで真面目に意見を求めた隆也に対し、芳文は盛大に叱りつけた。しかしそれを聞いた隆也が、まるで変な事を聞いたかの様に目を丸くする。
「ガキって……、それはあいつの事を言ってるのか?」
「ああ、無駄に年だけ食ったガキだろうが。人より頭が良くて外面を保つのが相当上手いが、本性は内向的で人見知りも相当激しい、自己否定の塊の女だな」
「確かに頭は良いし、外面を取り繕うのも上手いが……」
身も蓋も無い意見に若干納得しかねる顔付きになっている隆也に、芳文が再度言い聞かせた。
「要は《自分が誰にも構って貰えない可哀想な子》と拗ねていじけて、父親に対して未だに反抗期真っ只中な、困ったガキだっつう事だ。普通だったら別な生き甲斐見付けるとか、さっさと見切りつけて切り捨てて、大人になるもんだけどな。きっかけ逃してズルズルってパターンだろうな」
「そうか……」
そうして静かに何やら考え込み始めた隆也に、芳文が怪訝な視線を向ける。
「何変な顔で納得してんだよ?」
「それならやはり、俺がストレートに求婚しても、頷いてくれる筈もないか」
「だろうな。お前はその女が大嫌いだって宣言してるキャリアだし。『何の冗談だ』ってぶった切られるのが関の山じゃないのか? 顔も稼ぎも頭もお前より良い、職業も医者の俺がプロポーズした方が、あっさり頷く可能性は高いだろうさ」
「……そうだろうな」
「おい、デカい図体して拗ねるなよ」
多少茶化す様に言ってみたものの、隆也が小さく呟いて視線を逸らしてしまった為、芳文は正直目の前の友人を持て余してしまった。
「おい、まさかその女の為に、警察を辞めるとか言わないだろうな?」
その可能性に思い至った芳文は、若干目つきを険しくして問い質したが、隆也はすこぶる冷静に言い返す。
「言うわけが無い。それとこれとは別問題だ」
「そうか。一瞬焦ったぞ。らしくなく真剣に考え込んでるから」
そこで安心した様に息を吐き出した芳文に、隆也が慎重に問いかけた。
「どうだろう? お前から見て、あいつは精神的にバランスが取れていると思うか?」
「第三者から話を聞くだけでは何とも言えんが、色々問題がありそうなのは確かだな。正直、仕事でも無ければ、関わり合いになりたくないタイプだが……」
渋面になりながら考え込んだ芳文だったが、少しして薄笑いを浮かべた。
「どうした?」
さり気なく問いかけた隆也に視線を合わせながら、芳文が笑いを堪える様な表情になって言い出す。
「お前の女って事で、ちょっと興味が湧いてきた。お前の友人って事は伏せて、そいつに接触してみても良いか?」
その提案に、隆也は安堵した様に頷いた。
「構わない。と言うか、実はそれを頼もうと思っていた」
「お前が見てもその女、俺の専門分野に引っかかると思うわけか?」
「はっきりとした治療が、必要かどうかは分からないが……」
「それを判断するのが、専門家の仕事だろう? それで相手の名前とか住所は?」
自信なさげに応じた隆也に、芳文は尤もな事を言って情報提供を促した。そして予め準備しておいた物を隆也が差し出すと、その用紙の中身を確認する。
「宇田川貴子? ……ああ、アレか。お前、趣味変わったのか?」
「どうしてだ?」
「ああいう見た目派手で生意気そうなのは、毛嫌いしてただろ」
そんな事を当然のごとく言われた隆也だったが、平然と答えた。
「外見と中身が違うと、お前もさっき言っただろう? 一見派手に見えるが仕事は真面目にするし、意外に神経質で周囲に気を遣うタイプだ」
「やっぱり相当面倒なタイプだな。まあ、良いか。お前公認でちょっかい出せるんだからな。スケジュールも分かってる範囲で流せよ?」
「ああ、分かった」
そんな風に話が纏まった二人だったが、再び飲み始めた芳文がしみじみと言い出した。
「しかし、お前が結婚ねぇ……。しかも一筋縄ではいかない女と。俺と違って、お前は真っ当で平凡な結婚をするかと、思っていたんだが」
「期待に応えられなくて悪いな」
「よし。それじゃあ、他の期待に応えて貰おうじゃないか。今からここで、彼女と次に会う約束を取り付けろ」
「え?」
唐突に脈絡の無い事を言い出した相手に隆也は戸惑ったが、芳文は力強く主張してきた。
「さっき、例の気まずい誕生日以降、何となく彼女と音信不通だって言ってただろうが」
「それはそうだが……」
「『思い立ったが吉日』って言うだろ。ほら、電話電話」
「芳文……、お前、完全に面白がってるよな?」
「当然」
ニヤニヤ笑いになっている芳文に、これ以上からかいのネタを提供するのは御免だったが、かと言って誤魔化されてくれる相手でもなく、隆也は渋々スマホを取り出して、登録してある貴子の番号を選択した。
「俺だが、今暇か?」
向かい側の啓文から微妙に視線を逸らしながら声をかけると、貴子は少し不思議そうに言葉を返してきた。
「あら、珍しい。忙しいとは思ってたけど、一段落ついたの?」
「どうして忙しいと思うんだ?」
「何言ってるのよ。この二週間以上、選挙違反に関わる贈収賄や、不動産競売妨害に関する詐欺行為や、脱税と資金隠しの為のマネーロンダリングや、非合法組織への迂回融資とかが一気に明るみに出て、世間は大騒ぎじゃない。平成に入って最大の疑獄事件かってマスコミは騒いでるのに。特捜が動いてるけど、あんたの所も随分関わってるんでしょう?」
あっさりと現状を分析してみせた貴子に、隆也も冷静に応じる。
「まあな、一部の初期捜査は携わったし、今でも捜査員を派遣してる事は確かだ。だがいわゆる疑獄事件にはならんさ。首謀者ははっきりしてるし、立件するのに十分な証拠は押さえてる。全てに決着が付くまで、多少長引くかもしれんがな」
「あらあら、随分自信有り気ね。足元を掬われない様にしなさいよ?」
「余計なお世話だ」
クスクス笑った貴子に釣られる様に、隆也も苦笑いの表情になった。ここで芳文が(さっさと話を進めろ)と言わんばかりに、テーブルの下で軽く脛を蹴ってきた為、隆也は若干顔を顰めてから用件を切り出す。
「ところで、来週そっちに行って良いか?」
「いつが良いの? こっちにも都合があるし」
「そうだな……、27日はどうだ?」
「それなら問題ないわ。じゃあ何か食べたい物はある? 馬車馬の様に働いている可哀想なキャリア様に、ご馳走してあげるわ」
「食べたい物か……」
どうやら貴子の機嫌は悪く無いらしく、いつになく気前の良い事を言われて、隆也は真顔で考え込んだ。しかしなかなか返事が返ってこないため、貴子が多少苛つきながら言ってくる。
「特に希望が無いなら、いつも通りこちらで適当に準備するわよ?」
「そうだな、おでんにしてくれ」
「は? もう春なんだけど?」
唐突に言われた内容に、さすがに貴子は面食らった。しかし隆也が平然と言い返す。
「おでんを一年中提供している飲食店は有るぞ? 冬期限定の料理って訳でもないだろう」
「それは確かに、そうでしょうけど……。どうしておでんなの?」
「前に俺が食った種は、全部自家製だろ?」
そう言われた貴子は、一瞬電話の向こうで黙り込んだ。
「……分かっていたの? 何も言わずに食べていたから、気が付いて無いと思っていたわ」
「別に、一々言う必要も無いだろう。それで、駄目か?」
再度問いかけた隆也に、貴子は小さく笑ってから了承した。
「手間がかかるから、明日って言われたら却下するけど、27日なら構わないわよ? また唸らせてあげようじゃない」
「誰も唸って無いが?」
「じゃあ、そういう事にしておきましょ。それじゃあね」
「ああ」
そうして何となく穏やかな表情になりながら通話を終わらせた隆也だったが、横から聞き慣れた電子音が聞こえてきた為、そちらに顔を向けた。
「……何をやってるんだ、芳文?」
「超レアな、隆也のデレ顔ゲット」
どうやら自分にスマホを向けて、写真を撮っていたらしいと分かって、隆也は心底呆れた顔になった。
「あのな……、何だデレ顔って。普通だろうが」
「いつもクールを装ってるお前の、この無意識に表情筋が緩んだ顔が、デレてる以外の何だって言うんだよ。駄目だ。電話の最中笑うのを堪えてたら、腹がいてえ」
そう言って片手で手にしたスマホの画像を隆也に見せつつ、もう片方の手でお腹を押さえながら「あははははっ!」と芳文が爆笑し始めた。それを見た隆也が「言ってろ」と呆れた口調で応じながらスマホをしまい込むと、芳文が嬉々として宣言する。
「じゃあ、暇潰しにちょっとその女を調べてみるか。俺が本腰入れて、担当する必要も無さそうだがな」
「ああ、宜しく頼む」
ここで安堵した表情を見せた旧友に、芳文は苦言めいた事を口にした。
「お前もな……、これまで言い寄られてばかりで、わざわざ自分からアプローチした事もする必要性が無かったのは分かるし、一筋縄ではいかない相手だって事も分かるが、もうちょっと何とかしろ」
「分かってるさ」
そう言いつつ、微妙に視線を逸らしながら酒を飲んでいる隆也を見て、芳文は無言で肩を竦めたのみだった。
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