(19)やってきたヨッシー

 事件勃発の翌週。隆也の離任を二日後に控えて何となく落ち着かないながらも、捜査二課では滞りなく引継ぎ等を進め、通常業務に勤しんでいた。


「課長、こちらのログレス・コーポレーション横領事件の捜査報告書を、確認して頂きたいのですが」

「分かった。今目を通すから、このまま待っていてくれ」

 西脇から受け取った書類に素早く目を通し、不備や訂正箇所が無い事を確認した隆也は、課長印を押して返しながら世間話の様に話し出した。


「丸五日経っても、落ち着かないらしいな。捜査の進展内容が全く伝わって来ないと、さすがにマスコミも騒ぎ出しているだろう?」

 対する西脇も「何の話ですか?」などと間抜けな事は言わず、報告書を受け取りながら、さり気無く仕入れた情報を口にする。


「新野署の捜査本部は、大変らしいです。誰のせいとは言いませんが、情報が錯綜しているそうで。ところで課長、先程捜査一課の管理官がこちらに出向いて来ていましたね。先生絡みでですか?」

「あいつが今現在付き合ってる事になっている男が、俺の長年の友人だからな。そいつの交友関係などを聞きに来た」

「そうでしたか」

「と言うのは建前で、少し前に庁舎前であいつと小芝居を演じたから、俺にどこか付け込む隙は無いかと、嬉々として探りに来たんだろう。その割には筋立てがお粗末過ぎて、やんわりと蹴散らしてやったが」

 そこで少々意地の悪い笑みを浮かべた隆也に、西脇が思わず失笑する。


「それはそれは。後任の課長も、榊課長程度に切れる方なのを願っています」

「切れ過ぎるのも善し悪しだがな」

「それを本人が言いますか」

 今度ははっきりとした笑い声を上げた西脇に、隆也も含み笑いで応じた。そしてその笑い声で室内にいる人間の視線を集めてしまった事を自覚した隆也は、相手の笑いが治まるのを待って、徐に申し出る。


「それはそうと、西脇警部補。実は個人的に、頼みたい事がある」

「何でしょう?」

「これだ」

「失礼します」

 隆也は予め準備しておいた物を机の引き出しから取り出し、目の前の彼に向かって差し出した。その何も表記されていない白いA4版の封筒を受け取った西脇は、内容が分からない為早速その場で中身を確認してみる。

 その中に入っていたのはとある用紙が一枚で、封筒から半分ほど取り出してその内容を確認した彼は、無言でそれを凝視した。


「…………」

「解雇されたんだよな?」

 主語が抜けていたその問いかけに、西脇は眺めていた用紙を元通り封筒にしまいつつ、淡々と答える。


「はい。クッキングスクールで、物凄い噂になっていました。先生は良くも悪くも目立つ方ですから、普段から隔意を持っていた講師達は、それ見た事かと言わんばかりでしたね」

「こういう活動は控えたいか?」

「いえ……。そういう事ではなく、さすがに時期尚早かと」

 途端に難しい顔付きになった西脇に、隆也が安心させるように言い聞かせる。


「勿論、今すぐにとは言わない。少なくとも一ヶ月は期間を空けてから、活動して欲しい」

 その台詞で、西脇は隆也の推測を察した。


「と言う事は、課長は一ヶ月もしくは二ヶ月で、この騒動は収束すると読んでいるんですね?」

「捜査自体は継続するだろうが、あいつ方面から辿る事は無くなる筈だ。それまで徒労に終わる捜査をさせられる、現場は気の毒だが」

「本当に……、無能だけならまだしも、有害な上役など持ちたくないものです」

 何やら思うところがあるらしく、しみじみとした声で感想を述べてから、西脇は隆也からの要請を力強く請け負った。


「この件、確かに承りました。私が個人的、かつ自主的に業務外で行う事ですので、明後日ここを離れて警察庁刑事局の理事官に就任される課長には、一切関わり合いの無い事です。お構いなく」

「悪いな」

「いえ。この間の柳井クッキングスクールの対応については、私も多少腹に据えかねておりましたので。それでは失礼します」

 そして軽く一礼して自分の机に戻って行く西脇を見送ってから、当初目を通していた書類を再び手に取った隆也は、「さて、次は『暇つぶし』か……」と誰に言うともなく呟いた。



 ある日、芳文が帰宅すると、貴子が挨拶に続けて怪訝な顔で付け足してきた。

「あ、そうそう、芳文に荷物が届いてたわ。部屋に置いておいたから」

「ああ、サンキュ」

(荷物? 最近は通販でも頼んでないよな?)

 芳文は素直に頷きながらも、密かに考え込んだ。しかし、すぐにある可能性に思い至る。


(ひょっとして隆也がこいつの暇つぶし用に、何かを送りつけてきたのか?)

 そんな事を考えていると、貴子が不思議そうに問いを発した。


「でも一体何? 結構かさばっているけど、見た目より重く無いし」

「さあ?」

 自分でも分からない為すっ呆けた芳文だったが、それを聞いた彼女は呆れ顔になった。


「自分で頼んだのに、分からないわけ?」

「最近頼むだけ頼んで、忘れてる事が多くてな」

「あら、若年性健忘症?」

 茶化す様な物言いにも、芳文は苦笑いしただけで寝室に向かって足を進めた。


「ちょっと着替えながら中身を確認してくる」

「分かったわ。その間に食事を温め直しておくから」

「悪いな」

 断りを入れて寝室に向かった芳文は、まず部屋着に着替えてから床に置いてあったダンボール箱に手を伸ばした。そしてガムテープを剥がして蓋を開け、固定用のダンボールと緩衝材に囲まれて入っていた、一見大き目のタテゴトアザラシの赤ちゃんのぬいぐるみを確認した彼は、仕事柄その商品名と用途を知っていた為、思わず渋面になる。


「……何だこれは?」

 疑念に満ちた表情から一転、芳文は数秒後には疲労感満載の表情で溜め息を吐いた。


「隆也……。お前って奴は、どうしてこう斜め上のチョイスを……。おっと、噂をすれば影」

 そこで携帯電話がメールの着信を知らせた為、送信者が隆也なのを確認して慌てて内容を確認した芳文は、がっくりと肩を落とした。


「『俺の名前は出すな』って、お前な……。まあ良い、取り敢えず充電しておくか」

 そして何とか気を取り直した芳文は、素早く取扱説明書に目を通した。それで初期起動操作が分かった彼は、箱からそのぬいぐるみもどきを取り出し、ビジュアルまでを考えてあるのかおしゃぶりに見える充電器の端末をアザラシの口に差し込み、もう一方をコンセントに接続してから、夕食を食べる為に部屋を部屋を出た。


「すまん、待たせたな」

「構わないけど、結局あの荷物、何だったの?」

 自分の目の前に料理を並べながら貴子が尋ねてきた為、芳文は一瞬口を開きかけたが、すぐに苦笑いして誤魔化す。

「うん? ……ああ、後から教える」

「そう?」

 貴子は疑問には思ったものの、それ以上は話題には出さずに話を終わらせた。しかしその疑問は、翌朝には解消される事になった。


「貴子、昨日届いた荷物の中身はこれだ」

 そう言いながら例の白いアザラシを抱えてリビングにやってきた芳文に、貴子は意外そうに目を見張った。


「アザラシのぬいぐるみ? でも箱の大きさはともかく、ぬいぐるみにしては重かったと思うけど」

「機械が内臓されているからな。じゃあちょっと起動させてみる」

「動くの?」

 疑わしげに芳文の腕の中に視線を向けた貴子だったが、芳文がごそごそと手を動かすと、アザラシがピクリと前脚を動かしながら小さな声を発した。


「……きゅい?」

「鳴き声まで出るの!?」

 本気で驚いた声を出した貴子に、芳文は楽しそうに説明を加える。


「ああ。触ったり撫でたり、軽く握ったりすると反応するぞ? 明暗とかも判断するし、好き嫌いとかも表現するしな」

「本当? ええと、それじゃあ」

 そう言って頭を撫でてみようと手を伸ばした貴子だったが、顔から突き出ている何本かの髭を軽く押してしまった途端、芳文の腕の中でアザラシが軽く身を捩って貴子から顔を背けた。


「きゅぅ~ぅん……」

「え? あ、ひょっとして、ヒゲって触られるの苦手なの? ごめんごめん!」

 貴子が慌てて髭には触らない様にして頭を撫でてあげると、アザラシは機嫌を直した様に向き直って貴子を見上げ、軽く後ろ脚を動かしながら嬉しそうな声を上げた。


「ふきゅ! きゅうぅっ!」

「うわ、何これ可愛い! 瞬きしたわ!」

「おう、喜んでるな。名前を呼んで可愛がってやれば、リアクションも段々増えるぞ? 内部のシステムに学習機能も付いているからな」

 忽ち笑顔になった貴子を見て、芳文も笑いながら説明すると、貴子は心底感心した声を出した。


「へえ~、凄いわね。今はこんな玩具も有るの?」

「玩具じゃなくて、正確にはセラピーロボットだ。ちゃんと効果も実証されてて、病棟や老人介護施設等で導入されてるぞ?」

「そうなんだ」

 素直に頷いてから、貴子は素朴な疑問を覚える。

「……何でセラピーロボットが、こんな所にあるの?」

 その質問は当然予想されていた内容であり、芳文は落ち着き払って答えた。


「俺の専門は精神科で、クリニックは内科の他に精神科と心療内科併設なんだ。今度これを導入しようかと考えているんだが、その前に自分で実際に試してみようと思ってな」

「ああ、なるほど」

 一応筋が通った話であり、貴子は素直に頷いた。しかし続く話に少し戸惑う。


「だがこの年で、じっくりぬいぐるみを撫で回すってのもな。お前日中暇だろうし、これをかまって感想を聞かせてくれないか?」

「感想? それは構わないけど……」

「ちなみにパロって言う商品名はあるんだが、導入先ではそれぞれ個別に名前を付けて可愛がってるらしい。お前も好きな名前を付ければいい」

「名前ねぇ……」

 差し出されたそれを受け取り、抱きかかえて背中を軽く撫でながら考え込んだ貴子は、すぐに晴れやかな笑顔になって両手でアザラシの両脇を持ち、その顔を見下ろしつつ優しく呼びかけた。


「そうね、じゃあ君の名前はヨッシーにするわ。これからよろしくね? ヨッシー」

「きゅう!」

 笑顔の貴子に、嬉しいと言わんばかりに再度瞬きしながらヨッシーが一声鳴いたが、その横で芳文が軽く顔を引き攣らせた。


「おい貴子。なんでヨッシーなんだ?」

「だってなんとなく男の子っぽいし、芳文が本来の飼い主だし?」

 事も無げに理由を述べた貴子だったが、芳文は額を押さえて呻いた。


「確かに買ったのは俺だがな……。他の名前にしないか?」

「どうしてよ? ねぇ、ヨッシー? 名前はヨッシーで良いわよね?」

「きゅう、きゅい!」

「ほらヨッシーで良いって!」

「好きにしろ……」

「いやぁぁっ! ヨッシー可愛い!」

 色々言いたい事はあったものの、ウキウキとヨッシーを構っている貴子を眺めた芳文は(まあ良いか。少しは元気になったみたいだし。だけど隆也の奴がこれを知ったら、絶対嫌味の一つや二つ言ってくるな)と、若干遠い目をしてしまった。

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