(23)初詣

 お互いに、相手が時間に正確だと言うのは分かっていた為、隆也は約束の時間五分前に貴子のマンション前に到着したが、その時既に貴子は、支度を終えて歩道に佇んでいた。その目の前に停車してみせると、迷わず歩み寄って来た貴子に苦笑しつつ、ドアロックを解除する。そして彼女がドアを開けて体を滑り込ませてくると、半ばからかいながら声をかけた。


「早いな。まだ室内でゴロゴロしているかと思ったが」

「まだそんな年寄りじゃないのよ。それよりちょっとこれ、後ろに置かせて」

「ああ」

(何だ? 初詣に行こうってのに、手荷物なんて)

 持っていた白い無地の紙袋を、体を捻りながら後部座席に置いた彼女に、隆也は疑念を覚えた。


「おい、本当に初詣に行くんだろうな?」

「行くわよ? ほら、場所をさっさとナビに入力して」

「もう済ませている」

 催促されて、憮然としながら車を発進させた隆也だったが、ここで貴子が幾分心配そうに尋ねてきた。


「ところで、新年早々呼び出しを受けるとかは無いでしょうね?」

「ちょっと問題が発生して、実は二日に急遽出る羽目になったからな。今日は余程の事がない限り、大丈夫だろう」

「三が日にも引っ張り出されるなんて、人気者だし幸先良いわね」

「言ってろ」

 茶化す様に言ってきた彼女に、隆也も憎まれ口を叩きつつ、いつもの様に軽快なやり取りをしながら、ドライブを続けて行った。


 国道から首都高に乗った後は、ナビの指示に従って幾つかのジャンクションを迷う事無くすり抜け、車は順調に首都高7号線から直通の京葉道路へと入った。渋滞などに全く遭遇しなかった事で気分良く走らせていた隆也が、思ったより時間を要しないで到着できそうだと考えながらウインカーを出して左車線に車線変更しようとした時、何故か貴子が、慌ててそれを止めさせた。


「あ、ちょっと、ここで下りないでよ?」

「どうしてだ? ここで下りるのが一番近いだろうが」

 思わずナビの表示を確認しながらも、取り敢えず車線変更を止めて問い返した隆也に、貴子が強い口調で言い聞かせる。


「いいから。とにかく、私が良いと言うまで、もう少し走らせて頂戴」

「何なんだいったい」

 ブチブチ文句を言いながらも、取り敢えずそのまま車を走らせていった隆也だったが、京葉道路と連結している館山自動車道にまで入ってしまい、更にいきなり「ここで下りて!」と叫ばれたICで下に下りて国道に入った瞬間(なるほど、そう言う事か……)と、ほぼ正確に貴子の意図を悟った。

 しかしそ知らぬふりで運転を続け、貴子の指示通りに右に、左にと何回か曲がっていると、先程同様彼女が唐突に言い出した。


「あ、ちょっとこの辺りで、寄せて止めてくれる?」

「どうした?」

「いいから止めて」

 そして大人しく車を止めた隆也に、貴子がしれっとして礼を述べる。


「ここまでで良いわ。送ってくれて、ありがとう」

「やっぱりお前、最初から俺と一緒に初詣に行く気は無かったな? ここはお前の母親の、再婚相手の家に近いんだろう?」

 とっくに予測は付いていた為、怒るのを通り越して呆れながら確認を入れた隆也だったが、貴子は一向に悪びれなかった。


「あら、誰が一緒に初詣に行くと言ったのよ? 私は『こういう所があるけど、初詣に行ってみない?』と紹介しただけよ。そこに行くなら、ついでに送って貰う事にしただけだし。それのどこが悪いの? 初詣には、ちゃんと後から一人で行くしね。嘘は言ってないわ」

「お前って奴は……、どこまでいけしゃあしゃあと」

「何? 五月蠅いわね……、って孝司!?」

 堂々と言い返してくる貴子に(この女、どうしてやろうか?)と隆也が忌々しく思っていた時、唐突に助手席側の窓ガラスが軽く叩かれた。反射的に二人でそちらに顔を向けると、窓の外に見覚えのある顔を発見して驚き、隆也は咄嗟にボタンを操作してそちらの窓を開ける。


「姉貴! 今日家に来るとは聞いていたけど、彼氏連れだなんて聞いてないぞ!?」

 窓を開けるなり、車内に身を乗り出す様にして咎めてきた弟に、貴子は閉口しながら応じた。


「こいつは単なる運転手だから。一々断りを入れたり、連れて行く謂われは無いわよ」

「姉貴……。年甲斐も無く照れるなよ。彼氏とのツーショットを見られて恥ずかしいって言うのは、分からないでも無いけどさ……」

「あのね! だからこの前も今も、こいつとはそんなんじゃないって言ってるでしょ!?」

「またまた、そんな憎まれ口を叩いて……。いい加減しないと、本気で捨てられるぞ?」

「誰が誰に、捨てられるって言うのよっ!!」

 わざとらしく頭を抱える素振りをしながら、呆れ気味に声をかけてくる孝司に、何故か貴子はペースを狂わされているらしく、妙にムキになって言い返していた。それを眺めた隆也が、素早く考えを巡らせる。


(なんだ? そんなに俺との関係を、否定したいのか? そっちがその気なら、俺を運転手扱いした事に対する、それ相応の報いを受けて貰おうじゃないか)

 そして一人ほくそ笑んだ隆也は、自分達の方を覗き込んでいる孝司に、親しげに声をかけた。


「高木さん、お久しぶりです。新年、明けましておめでとうございます。本音を言えば、是非とも貴子のご家族の皆さんに年始のご挨拶をしたかったのですが、家族水入らずの所に割り込むのは無粋かと思いまして……。彼女を送り届けた後、迎えに行くまで時間潰しをしようと思っていたんです。貴子もそうしてくれと言いましたし」

 殊勝な口ぶりでそんな事を言った途端、姉と弟はそれぞれ違う意味合いで、盛大に反応した。


「なっ!? 何をそんな、口からでまかせ」

「榊さん、そんな遠慮なさらないで下さい! もう家は全員大歓迎ですし! 姉貴! こんな謙虚な人をアッシー代わりって何だよ? 罰当たるぞ? 普通は『そんな事言わないで寄って行って』と、説得しなきゃいけないだろうが!?」

「こいつが謙虚!? あんた、人を見る目が無さ過ぎよ? ちょっと、人の話を聞きなさいよ!」

 貴子が叱り付けているのもなんのその、孝司は素早く携帯をジーンズのポケットから取り出してどこかに電話をかけ始めた。そして勢い込んで相手に向かって叫ぶ。


「ああ、親父? お袋も居るよな? 今、コンビニの帰りなんだけど、姉貴が彼氏連れで近くまで来てるんだよ! ……そう! 先月話した、警視庁のキャリアさん! なんか変に遠慮してて、姉貴送ったら自分は時間潰ししてるって言うんだけど……。ああ、分かった。今から帰るから」

 そうして通話を終えた孝司は、携帯を元通りポケットにしまいながら、隆也に慌ただしく告げた。


「榊さん、親父も是非いらして下さいと言ってるので、このまま姉貴と一緒に来て下さい。じゃあ俺、先に行って、お出迎えの準備してますので!」

「ありがとうございます。お邪魔させてもらいます」

「ちょっと、本人を無視して話を進めないで!」

 貴子の叫びなど耳に入っていないらしく、孝司はコンビニの袋を振り回しながら走りかけ、それでは盛大に揺れて走りにくいと思ったのか、袋からペットボトルを出して左手に握り、他の細々した物は袋に入れたまま右手で握り締め、自宅に向かって猛然とダッシュしていった。そして瞬く間に角を曲がった孝司の姿が見えなくなってから、半ば呆然としながら、隆也が問いかける。


「……あれはコーラの、500mlペットボトルに見えたが、あんなに振って構わないのか?」

「構わないんじゃないの!」

「それに座布団や茶碗を、何百セット揃えておく必要があるわけでも無いだろうに、どうしてあんなに必死になって帰るんだ?」

「気が急いて仕方ないのよ! 昔から熱血少年だったしね!」

 自分から顔を背ける様に外を見ながら吐き捨てた貴子に、隆也は意趣返しができたと、含み笑いをしながら問いを重ねた。


「怒ったか?」

「当たり前でしょう! 色々面倒な事になったわよ!」

「そうか。それは何よりだ。普段、傍若無人なお前の、仏頂面が見られるとはな。それじゃあ行くぞ」

「どっちが傍若無人よ!」

 腹立たしく思いながらも、ここまで来て連れて行かないと後で五月蠅いと諦めた貴子は道案内をし、さほど時間を要さずに高木家の門前に到着した。


「へぇ、結構敷地が有るんだな」

「今時珍しい、専業農家ですからね。作業する場とか、機器を保管しておくスペースは、ある程度必要なの」

「なるほどな」

 そして門を通って慎重に空いているスペースに停車させると、それと同時に玄関が開いて、中から孝司が小走りに近寄って来た。


「お待ちしてました榊さん、どうぞ中に! 姉貴、荷物は俺が持つから!」

 手にした紙袋を引ったくる勢いで孝司が受け取った為、貴子は本気で頭痛を覚えた。


「孝司……、あんた、ちょっとはしゃぎすぎよ」

「だって、姉貴が彼氏を家に連れて来るなんて、初めてだし! しかも警察官、しかもキャリア! これを快挙と言わず、なんと言うべきか!」

「だから、そもそもこいつを連れて来る気なんか皆無だったのに、横からあんたが」

「またまた~、そんな照れちゃって。だけどそういうのも世間的には年齢的に、後何年かしか認めて貰えないと思うから、気をつけような?」

「……孝司、あんた相変わらず人の話、全っ然聞いてないわね?」

(うん、文句なしに面白いな、この姉弟)

 マイペースな孝司と、顔をひくつかせている貴子を交互に見ながら、隆也は半ば感心していた。そして二人を先導した孝司が玄関に到着すると、廊下の奥に向かって声を張り上げる。


「親父~、お袋~! 姉貴と彼氏さんのご到着~」

 するとすぐ近くの襖が開き、五十代半ばと思われる夫婦が現れて隆也に軽く頭を下げつつ、挨拶してきた。


「初めまして、高木竜司です。榊さんのお話は息子から聞いておりました。先月は愚息が大変失礼な事を往来で叫んでしまったそうで、申し訳ありません。私からもお詫びします」

(ああ、俺をヤクザ呼ばわりした、あれの事か)

 すっかり忘れ去っていた事を思い出した隆也は、苦笑いしながら鷹揚に頷いた。


「いえ、あれは些細な勘違いから生じた事ですし、そんな事で一々目くじらを立てる程狭量では無いつもりです。こちらこそ家族団欒の場にお邪魔してしまいまして、恐縮しております」

 そう如才無く答えると、隣の女性が笑顔で声をかけてきた。


「孝司と貴子の母の、高木蓉子です。孝司から話を聞いて、できるなら直にお会いしたいと思っていましたが、思いがけずすぐお会いする事ができて嬉しいです。さあ、お上がりになって下さい」

「失礼します」

「ほら、貴子ちゃんも遠慮しないで」

「……はい、お邪魔します」

 竜司もいそいそと貴子を促したが、何故か貴子は一瞬躊躇う素振りを見せてから、軽く会釈して靴を脱ぎ始めた。


(ああ、そうか……、この人は、こいつの血の繋がらない義父に当たるんだったな)

 一瞬貴子の態度を不思議に思ったものの、隆也はすぐに納得して密かに竜司を観察した。その竜司は何も気負う事無く笑顔を振りまいており、(変に気にしているのはこいつだけか)と、再び貴子に視線を向けて断定する。

 全員揃って居間に入った後、座卓を囲んで改めて挨拶をし、貴子が持って来た紅白の花結び熨斗に《御年賀》と書かれた箱を相手に手渡したのを見て、隆也が(やっぱりな)と納得した。そしてお茶を飲みつつ会話が交わされたが、やはり中心は隆也に関する話になった。

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