(6)障壁を越える時

「着いたぞ」

「姉貴!」

 敷地内に車を入れ、エンジンを止めると同時に、車の音を聞きつけたのか、玄関の戸を開け放って孝司が外に飛び出してきた。それを見た隆也は、思わず小さく笑いながら貴子を促す。


「早速、出迎えらしいな。ほら、シートベルトを外せ」

 そう言いながらドアロックを外すと、ぐずぐずしていた貴子より先に、孝司が外から勢い良く助手席のドアを開けて、中に向かって呼びかけた。


「ほら、姉貴。さっさと降りる! 榊さん、すみません。お世話様でした」

「いや、大した事はしていない。礼なら芳文の方に言ってくれ」

「分かりました。葛西さんには改めて、両親共々お礼に伺います。姉貴、時間も時間だし、今日はさっさと寝るぞ。布団も準備してあるから」

「まだ十時過ぎよ? それに別に眠くないし」

 半ば腕を掴まれて引きずられる様に玄関に向かって歩き出した貴子の背中を追って、車から降りた隆也も足を進めた。すると貴子を出迎えるべく、玄関先に竜司と蓉子が立っている事に気付く。


「やあ、貴子ちゃん。久しぶりだね」

「ちょっと痩せた? 大丈夫?」

 若干心配そうに声をかけてきた夫婦の前に進んだ貴子は、神妙に声をかけた。


「大丈夫だから。あの……、高木さん」

 そして深々と頭を下げながら、謝罪の言葉を口にする。


「今回も、色々とこちらにご迷惑おかけしたと思います。本当に申し訳ありませんでし」

「この馬鹿もんがっ!!」

「痛ぁぁっ!!」

「あなた!?」

「親父! いきなりなにするんだ!?」

 貴子の謝罪の言葉の途中で、いきなり竜司が拳骨で力一杯貴子の登頂部を殴った為、貴子は悲鳴を上げて涙目で頭を押さえ、さすがに隆也も度肝を抜かれて絶句した。

 至近距離にいた蓉子は真っ青になって竜司の右手を捕らえ、孝司は姉を庇う様に二人の間に割って入ったが、竜司はそのままの勢いで貴子を叱りつける。


「子供の躾は親の役目だろうが! 何度言っても分からん馬鹿娘に、鉄拳制裁して何が悪い!」

「いや、ちょっと待て! 確かに俺らも小さい頃散々されたけど、今、姉貴に対してする事ないだろ! しかも目一杯本気で! 絶対コブができたぞ!?」

 さすがに看過できなかった孝司が怒鳴り返したが、竜司は口調を抑えながらも叱責を続けた。


「俺はこれまで何度も『いい加減に向こうといがみ合うのは止めろ』と、穏やかに言って聞かせたよな? 聞いていないとでも言うか?」

「……言われてました」

「それを完全に無視してきた挙げ句、大勢の人間を振り回して迷惑かけやがって。何様のつもりだ! 上から目線でふんぞり返ってる輩と、どこが違う!?」

「う……」

 語気強く迫られて、既に頭から手を下ろして項垂れていた貴子は、痛みとは別の理由で、両眼から涙を零し始めた。


「俺達に迷惑をかけたと謝る前に、他に詫びなきゃいけない人が大勢いるだろうが! 全然分かってないなお前!」

「ご、ごめんなさ……」

「もう金輪際、あっちとは関わらない。ちょっかいをかけられても無視する。分かったか!」

「分かり、ました……」

 俯いたまま目を擦り始めた貴子を見て、竜司は今度は優しく言い聞かせる。


「それから、この機会に俺達夫婦と養子縁組して、今後は俺の事は『高木さん』じゃなくて、『お父さん』と呼ぶ事」

「でもっ」

「分かったな!!」

「……はい」

 先程の優しい口調とは一転して叱りつける様に念を押され、貴子は勢いに押されて思わず頷いた。するとここで竜司がいつもの穏やかな笑顔になり、貴子の頭に手を伸ばして、先程自分が殴った辺りを軽く撫でながら言い聞かせる。


「よし。もう馬鹿な事はするなよ?」

 それに対して、貴子は小さな、くぐもった声で返した。

「……うん、しないからっ。ごめんなさいっ……、お、おとうさ……、ふ、うぇぇぇっ……」

 ここで堪えきれずに貴子が両手で顔を覆って泣き出した為、竜司を押しのける様にして、蓉子と孝司が貴子の前に出た。


「ああ、ほら、貴子、泣かないの。早く家の中に入りましょう」

「親父はやりすぎ! 明日の朝飯、いつもの半分だからな!」

 そして蓉子と共に貴子を挟んで宥めながら移動し始めた孝司の台詞に、竜司が憮然とした顔つきになる。


「……それが、親に向かって言う台詞か」

 しかし竜司はすぐに気を取り直し、その場に残っていた隆也に向き直った。

「どうもお騒がせしました」

 そう言って軽く頭を下げてきた相手に、隆也は苦笑いで応じる。


「いえ、友人曰く『あいつは怖い親父にがっつり叱られて、根性を叩き直して貰うのが一番だ』との事でしたが、正直、高木さんには難しいかと思っていました」

 それを聞いた竜司も、苦笑の表情を浮かべた。


「息子達に対しては、小さい頃はいつもあんな感じでしたよ? ですが彼女に関しては、やはり義理の娘という事で、彼女に対して色々遠慮していた面もありましたし。反省している所は多々ありますね」

 しみじみとした口調で竜司が述べると、隆也があっさり話題を変えた。

「ところで、先程『他に詫びないといけない人がいる』云々と仰られましたが」

 その問いに、竜司が真顔になって答える。


「確かにそうは言いましたが、警察が適正な捜査をしていれば良かっただけの話です。自分達の過ちを自力で正せなかった者達の尻拭いを、あの子がする必要は無いと思いますが、そこの所はどうお考えでしょうか?」

「全く同意見です」

 振り回された現場は気の毒だが、わざわざこちらから謝罪させる気は無いと竜司が断言した事で、意見の一致をみた二人は軽く笑い合った。そして隆也が軽く頭を下げながら、立ち去る旨を告げる。


「それでは、夜分に電話一本で急に押し掛けまして、申し訳ありませんでした。失礼します」

「こちらこそお世話になりました。それから……、今後とも宜しくお付き合い下さい」

 そう言って差し出された手を一瞬凝視してから、隆也は笑顔でその手を握り返した。


「こちらこそ、宜しくお願いします」

 そうして高木家を辞去した隆也は再び愛車を運転しながら、芳文に事の次第を報告するべく、電話をかけた。


「芳文、今送り届けて来た」

「と言う事は……、お前今、運転中だよな? 運転中の通話は道交法違反だっつってんだろ。この不良キャリアが」

 溜め息混じりの芳文の声に、隆也は笑いながら報告する。


「それよりあいつ、予想以上にがっつり親父に怒られてたぞ? 鉄拳制裁付きで」

「それはそれは……。俺は優しいお兄ちゃんだから、やっぱりそんな真似は無理だったな」

 苦笑で返してきた芳文に、隆也も笑みを深くしながら依頼する。


「躾は無理でも、診察はできるだろ。一・二週間したら、暇な時にでも様子を見に行ってくれないか?」

「やっぱりお前、忙しそうだな。分かった。行ってやるさ」

「すまん」

 そこで安全上の問題からも隆也はそこで会話を切り上げ、この間の事情を聞き出そうと手ぐすね引いて両親が待っている自宅へと、愛車を走らせた。

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