(13)悪化する事態
「それでは、夜分申し訳ありませんでした。失礼します」
人気の無くなった職場で電話をかけていた隆也は、丁重に礼を述べて通話を終わらせた。そしてスマホを耳から話しながら、忌々しげに呟く。
「全く、手間をかけさせてくれる。詳しい話は明日になるだろうが、やはりこの際きちんと説教をするべきか……」
そんな事を考え込んでいると、間を置かずにかかってきた電話の発信者名を見て、隆也は意外そうな顔になった。
「芳文?」
そして一瞬不思議に思いながらも、応答することにして軽口で応じる。
「どうした。あいつなら少し前に解放されたぞ?」
「ああ、知ってる。今テレビを見てるからな」
「テレビ?」
「中継で解放されたのは知ってたが、電話が繋がらなくてな。今日はレギュラー番組の生放送って聞いてたから、一応見てみたらしっかり出演中だ」
淡々とした口調で芳文が報告してきた為、隆也は疲れた様に溜め息を吐いた。
「馬鹿か、あいつは。こんな時位大人しく帰れ。周りに散々、心配させやがって」
「俺も同感だ。あんな事を公共の電波で喋りまくるならな」
その一言で、隆也は瞬時に顔付きを険しくした。
「何を言った?」
「現在進行形だ。今すぐ関東テレビを見ろ」
「後から電話する」
互いに余計な事は言わずに通話を終わらせ、隆也は再びテレビを見始めた。そして芳文が指示したチャンネルに設定した途端、喧騒が伝わってくる。
「いやぁぁっ! 私、そんな怖い思いをしたら、心臓止まりますぅぅっ!!」
「ホント、宇田川さんって度胸ありますよね~」
どうやらトークコーナーは貴子の話で進んでいるらしく、彼女が困惑気味に周囲を宥めている所だった。
「ほら、皆に怖い思いをさせちゃったし、私の間違ったイメージが世間に広がりそうだから、もう事件の話は止めましょうよ。私、今日は梶山さんから、芸能界の暴露話を聞けるのを楽しみにしてきたのに」
すると彼女の隣に座っているベテラン女優の梶山景子が、苦笑いしながら貴子の肩を叩く。
「宇田川さん、諦めましょうね? 私の話なんてカビの生えた話ばっかりだから、全然面白くないわよ。ほらADさんだって『もっと事件の話で引っ張って』ってフリップに書いてるわよ?」
にこやかに笑いつつ、前方にしゃがんでいるらしいADを指差す仕草をした梶山に、司会者も力強く同意した。
「そうそう、ここは諦めが肝心。事件当事者の話なんて、滅多に聞く機会無いんだから」
そう言われた貴子は、諦めた様に小さく肩を竦めた。
「はぁい。じゃあ全体的な経過はこれまでに大体言いましたけど、他にどんな事が聞きたいですか?」
「ズバリ、犯人像とか? これまでも警察当局の行動に、色々鋭い突っ込みや批評を加えつつ状況説明をしてくれた宇田川さんの事だから、案外見当ついてるんじゃない?」
番組を面白くしようと司会者が茶化す様に言ってきたが、その台詞に貴子は真顔で考え込んだ。
「う~ん、そう言われても……、本当に目出し帽と野球帽で、目元も良く見えなかった位だし。男五人に、女一人って事位しか見当がついてないけど……」
「え? 何で女が混じってたって分かるの?」
予想外の事を言われて司会者が戸惑った声を上げると、貴子は慌てて弁解してきた。
「あ、今のは一応、私が個人的にそう感じただけですよ?」
「因みに、その理由は?」
「犯人の中で一番小柄な人だけ、一言も喋らなかったんです。だから、声で性別が分かるから警戒してるのかな、と。それにトイレに付いて来られた時、女性用トイレに私に続いて微塵も躊躇いなく入って来たんです。男性だったら、やっぱり一瞬戸惑いません?」
「成程……。確かにそうかもな」
男性の共演者が感心したように相槌を打ったが、ここで貴子は真顔で付け加えた。
「でも男性でも女装癖があるとか盗撮常習犯で、女子トイレに入り慣れてるって可能性もあるんですけどね?」
貴子がそう真顔で口にした途端、スタジオは一瞬静まり返り、次いで爆笑に包まれた。そして自らも笑いを堪えながら、司会者が貴子に声をかける。
「ちょっと待って貴ちゃん、勘弁して。俺今、凄く感心した所だったのに、笑いを取らないで」
「ごめんなさい」
笑顔で一応謝罪してから貴子は真剣な顔に戻って、考え深げに話を続けた。
「だけどその犯人、リーダーの犯人と頻繁に小声で話し合ってたし、リーダーの恋人とかって考えると、しっくりくるんですよね」
そんな風に思わせぶりに述べると、特に女性陣が色めき立つ。
「じゃあカップルで銀行強盗って事ですか!?」
「何か一気に、ロマンスの感じがするんですけど!」
「現代版、ボニー&クライドって事!?」
目の色を変えて食いついて来た女性達に、貴子は苦笑して軽く首を傾げた。
「さあ、どうでしょう……。それにリーダーの男は普通に喋ってましたけど、他の犯人は喋る時は皆片言だし、何となくアクセントに違和感を感じたんです」
「それじゃあ純粋な日本人じゃないとか、出稼ぎの外国人労働者とか?」
「彼女の借金を返す為に、強盗に走ったかも?」
「銃も人数分揃ってた事を考えると、東南アジア系の犯罪組織が最近国内で勢力を伸ばしてるって噂も、無視できないですよね」
「やっぱり、裏には組織が付いてるのかな?」
「そりゃあ、こんな大胆な事やってのけるんだし、バックが無いと駄目だろ?」
「そうだなあ、最近物騒だよね」
「本当に、普通に街を歩いているだけで、犯罪に巻き込まれる時代だもの。気を付けないと」
「それじゃあさ、貴子ちゃん。支店の中では両手を縛られてたって言ってたけど……」
貴子が要所要所で、出演者達が想像を膨らませる様な情報を提供したりコメントを繰り返している為、議論はどんどん白熱していった。しかしそれ以上見る気になれなかった隆也は、苦々しい顔つきになって視聴を終わらせた。
「完全に見境なしだな。やって良い事とそうでない事の、見極めが付かなくなってるとは。普段はそこまで、馬鹿じゃない筈だが……」
絶望的な表情になってそう呟いた隆也は、それ以上時間を無駄にはせず、芳文に電話をかけた。
「見たか?」
繋がるなり短く問いかけた相手に、隆也は苦々しく応じる。
「ああ、拙過ぎる。明らかにやり過ぎだし、察するに俺が見始める前に警察の対応とか批判してたのか?」
「あからさまには非難していなかったが、チクチクと皮肉っぽい事を。それにあの言動、情報操作と取られても文句言えんだろ。どう考えても捜査を混乱させる為に、言っているとしか思えない。さっきから犯人逮捕の一報も無いしな。それで、どうする気だ?」
暗に「取り逃がしたよな?」と含ませたその問いかけに、隆也は珍しく迷う素振りを見せてから、言葉少なに依頼した。
「……悪いが、回収を頼む」
「お前の立場からすると、そうだろうな。だが、困ったな。そろそろ貴子が番組に出演してるのが分かって、捜査員が大挙してテレビ局に押し掛けてくるんじゃないのか?」
苦笑しながら応じた芳文だったが、考えられる懸念を口にすると、隆也はすぐに記憶の中から使えそうな情報を引き出して告げた。
「確か……、あそこの編成局長が、あいつの母方の叔父だ。面識は無いが、あいつの母方は警察上層部が揃ってるから、俺の身元辺りは調べが付いてて名前位は知ってるだろう。事情を話して協力を仰ぐ」
「それなら俺は今から関東テレビに向かう。段取りを付けたら、連絡を入れてくれ」
「分かった。切るぞ」
長い付き合いであり、余計な説明は抜きで動いてくれる芳文に感謝しつつ、隆也は自身のスマホの中に入れておいたデータを呼び出した。
「一応、調べておいて助かったな」
まさかこんな事態で使う事になるとはと、隆也は心底うんざりしながら、これまで全く面識の無い人物に電話をかける事となった。
貴子が知らない所で色々事態が動いている間に無事番組の収録が終了し、出演者は互いに挨拶をしながら、スタジオの奥に引っ込んだ。貴子はすぐに帰るつもりでいたが、やはり共演者に捕まってしまう。
「お疲れ様でした」
「お疲れ~。ねえ、貴ちゃん。これからちょっと付き合わない?」
「そうですよ! 事件の話、もう少し聞きたいです!」
「結構色々、喋ったと思うんですけど」
複数人に囲まれてしまい、苦笑いで(どうしようかしら?)と考え込んだ貴子だったが、ここで予想外の救いの神が現れた。
「宇田川さん! ちょっと来てくれるかな?」
「はい」
番組担当ディレクターの立浪が、隅の方から手招きしてきた為、貴子はこれ幸いと逃げ出す事にする。
「何か呼ばれているみたいだから、失礼しますね」
「うう、残念!」
「宇田川さん、今度レギュラー降板しちゃうんですよね? その関連の話ですか」
「さあ……。でも次回の収録までは出るから、皆が飽きていなかったら、空き時間にじっくり話をするわ」
「約束ですよ?」
「じゃあ仕方ないですね」
「お疲れ様でした」
そして周りを振り切った貴子は、出入り口近くに佇む人物に駆け寄った。
「立浪さん、お待たせしました。どうかしましたか?」
「実は加納編成局長から、ちょっと案内を頼まれてね。付いて来てくれるかな?」
「はあ……」
そう説明して廊下を歩き出した立浪の後ろに付きながら、貴子は密かに首を捻った。
(加納のおじさまが? 普段はお互いに無関係を装ってるのに、どうしたのかしら?)
不思議に思いつつおとなしく付いて行くと、幾つかドアを抜けた所で、予想もしていなかった人物が貴子を待ち受けていた。
「やあ、貴子」
壁にもたれながら、軽く片手を上げて笑顔を向けてきた相手に、貴子は本気で呆気に取られた。
「芳文? どうしてこんな所に居るわけ?」
その問いに芳文は苦笑いして壁から背中を離し、彼女に向かって歩いてくる。
「テレビで事件の中継を見たんだが、お前、身一つで解放されてただろ。当然銀行に放置してきたバッグの中に、財布も家の鍵も入れっぱなし。違うか?」
「……違わないわ」
「だから迎えに来てやったんだ。ありがたく思え」
「どうもありがとう」
(すっかり忘れてたわ。あの刑事からせしめたお金で帰れても、立ち往生しちゃうじゃないの)
笑みを深くして指摘してきた芳文に、貴子は全く反論できずにがっくりと肩を落とした。そんな二人の様子を見た立浪が、安心した様に話しかけてくる。
「宇田川さんの迎えが来ていると、加納局長から案内を頼まれてね。ちょっと不安だったけど、知人か恋人なんだね?」
それに貴子が何か口にする前に、芳文が愛想を振り撒きつつ答えた。
「そうなんです。加納さんとはちょっとした知り合いで。こういう所は普段縁がないもので、口を利いて貰いました。お手数おかけしました」
「これ位何でもありません。宇田川さんは今日は大変でしたし、ゆっくり休ませてあげて下さい。それでは失礼します」
「ありがとうございました」
立浪が何の疑念も持たない様子でその場を去ると、芳文は真顔になって貴子の手首を掴んで歩き出した。
「とっとと行くぞ」
「ちょっと待って。そっちはスタッフ用の通路で」
「大丈夫だ。一応パスを借りてる。急いで駐車場まで抜けるぞ」
「……何やってるのよ。大体おじさまとどういう知り合いなの?」
「詳しい話は後だ」
空いている方の手で、ジャケットのポケットからテレビ局のスタッフ用パスを取り出した芳文は、器用に片手だけでそれを首から下げた。そして呆れる貴子には構わず時折すれ違うスタッフや社員に愛想を振り撒きつつ進み、社員用通路や階段を駆使して殆ど人目に触れる事無く地下駐車場まで到達する。
目の前に見覚えのある白のマセラティ・クアトロポルテが現れた事で、貴子は幾分ホッとしたが、促されて急いでそれに乗り込んだ。そしてゆっくりと駐車場を出て公道にでた所で、進行方向からパトカーが数台向かって来るのが目に入る。
「ほら、頭を低くして隠れてろ」
そう含み笑いで言われた事で、貴子は自分に後ろ暗い事がある事を、芳文が察している事が分かった。しかし相手がそれ以上何も言って来ない為、自分からは何も言わずに取り敢えず頭を低くしてやり過ごす。幸いパトカーは何事も無くすれ違って行き、上半身を起こした貴子に芳文が皮肉気な声をかけてきた。
「もう良いぞ? 怖い顔をしたおっさん達に、追われる気分はどうだ?」
「イケメンに追われるなら、嬉しいんだけど」
「ストーカーにしかならんから、止めておけ」
芳文は小さく笑ってから、何を考えているのかそれきり喋らなくなり、少しして無言になった車内の空気に耐えられなくなった貴子が、徐に口を開いた。
「ねえ」
「何だ?」
「……お説教、しないの?」
恐る恐る口にしてみた貴子に、芳文はハンドルを握りながら噴き出しそうな表情になる。
「そう言うって事は、自分がやった事の意味は正確に理解してるんだろうし、今更俺が小言を言っても意味ないだろ。それより腹は減ってないか? ここに来る途中のコンビニで、軽く買っておいた物が後部座席にある。食べたかったら好きにしろ」
「……いただきます」
どうやら空腹は覚えていたらしい貴子が、後部座席の白いビニール袋を見て、神妙に頭を下げた。そして座席の間から身を乗り出して袋を取り上げ、早速おにぎりを食べ始める。
ペット茶も飲みながら、時折ガサガサと音を立てている貴子の様子を、運転しながら横目で伺った芳文は、偶然彼女がどこからともなく取り出したスマホを、ビニール袋の中に突っ込む所を目撃した。しかし何食わぬ顔で視線を前方に戻し、気付かなかったふりをする。
(小道具の始末を考えてるのか? そうなるともう一軒寄るか?)
その芳文の読み通り、少ししてから貴子が声をかけてきた。
「悪いけど、もう一度コンビニに寄って貰えない? ちょっと温かい物が飲みたくなったわ」
「そうだな。じゃあ寄るか」
そして駐車場が無いコンビニの前の道路に停車し、芳文は彼女に千円札を渡した。
「俺はホットコーヒーな」
「分かったわ。ちょっと待ってて」
そしてさり気なくビニール袋を手に、車から降り立った貴子は、それを入口付近に設置されていたゴミ箱に突っ込み、そ知らぬ顔で店内へと入って行った。
(めでたく証拠隠滅か? 勿体ない事をする。勿論、使い物にならなくなってるだろうが)
そして小さく苦笑いした芳文は、珈琲を二つ持って帰って来た貴子を笑顔で出迎え、片方を受け取って再度自宅に向かって車を走らせた。
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