(13)男達の密談
「もしもし~、姉貴~? 愛しの弟、孝司君どぇ~っす!」
すると予想に違わず、呆れた口調で貴子が返してきた。
「ちょっと孝司、酔っ払ってるわけ? 随分ご機嫌じゃない」
「そうなんだよ~。気持ち良く酔ってるってのにさ~、祐司の奴、泊めてくれないんだぜ? 酷いよな~、泣いてやるぅぅぅっ!」
そうして孝司は泣き真似をしたが、間近で見れば嘘くさいそれも、電話越しではそれ程違和感を感じなかったらしく、貴子はちょっと驚いた様に尋ねてきた。
「え? 今、都心で祐司と飲んでるの?」
「そうなんだ~。ここからだと、祐司のより姉貴のマンションの方が近いから泊めて~。『お前の世話なんかするか!』って、祐司が冷たいんだよ~」
その哀れっぽい訴えに、電話の向こうで溜め息を吐いた貴子が、苦笑しながら了承の返事をしてくる。
「どれだけ飲んだのよ……。分かったわ。遠慮なくいらっしゃい。朝食は和食で良いわね?」
「うん、やっぱり朝は米の飯だよな! サンキュー、姉貴。お礼に今日は、背中を流してやるから」
ヘラヘラと笑いながら孝司がそう口にした瞬間、隆也と芳文は無言で驚いた様に目を見張ったが、祐司は容赦なく弟の頭を拳で殴りつけた。
「いきなり何を言い出すんだお前はっ!」
「いって! 何すんだよ! 姉貴へのささやかな感謝の気持ちを、表現してみただけだろ!」
「横から怒鳴らないでよ、祐司。せっかく孝司が申し出てくれたのに」
「笑い事じゃ無いだろ、姉貴!」
ハンズフリー設定のせいで弟達のやり取りが丸聞こえだった貴子は、くすくす笑って祐司を宥めた。そして口調を改めて、孝司に向かってゆっくりと話しかけてくる。
「じゃあ孝司、今夜は一緒にお風呂に入りましょうか? お返しに、お姉ちゃんを気持ち良くさせてくれるんでしょう?」
貴子も悪乗りして、妙に艶っぽい声でそんな事を言ってきたが、それを聞いた途端、何故か孝司は真顔になって押し黙った。そこで急に無言になった為、訝しんだ貴子が「孝司? どうかしたの?」と呼びかけてくると、孝司は真剣な表情のまま声を絞り出す。
「…………姉貴」
「何?」
「姉貴の欲求不満を、解消してあげたいのは山々なんだけどさ……、今、裸の姉貴に迫られた場面を想像してみても、姉貴相手だと勃ちそうにないんだ。お役に立て無くてホントごめん……って、痛いぞ! 何で二回も殴るんだよ!?」
「お前が、阿呆な事ばかり言ってるからだろうがっ!!」
「何だよ!! 俺はこれ以上は無い位、真面目に悩んだのに!!」
「そもそもそんな事で悩むな!!」
あまりの馬鹿さ加減に祐司が問答無用で孝司の頭を再び殴りつけ、抗議した孝司と激怒した祐司の間で口論が勃発した。そして電話越しに「あははははっ!!」と貴子が爆笑している声が伝わり、一気に室内が騒々しくなる。その間芳文は必死に笑いを堪え、隆也は一人壁を眺めながら現実逃避していたが、何とか笑いを抑えたらしい貴子が、電話越しに弟達を窘めてきた。
「こら、孝司。あまり馬鹿な事言ってるんじゃないわよ? 危ない近親相姦の気があるなんて思われたら、以前聞いた香月さんとやらに愛想を尽かされるから」
「……気を付けます」
「祐司もそんなに怒らないで。孝司はもう少し、酔いを覚ましてからこっちに来た方が良いわね。階段から転げ落ちたら大変だし。そこら辺までは面倒を見てよ?」
「ああ、分かった」
「じゃあ、孝司にはお風呂とお布団の準備はしておくからって伝えて。それじゃあね」
二人揃って貴子の言葉に神妙に頷いてから、祐司は通話を終わらせようとした貴子に慌てて呼びかけた。
「あ、ちょっと待った、姉貴!」
「何? 祐司、どうかしたの?」
「ちょっとした確認なんだけど、榊さんと仲良くしてるのか?」
ちらっと隆也に視線を向けつつ、しらばっくれて問いかけた祐司に、貴子は途端に不機嫌な口調になって言い返してくる。
「……何であいつと『仲良く』なのよ?」
「だって付き合ってるんだろ?」
「最初からしてないわよ、そんな事! お母さんと高木さんにも、ちゃんとそう言っておきなさいよ!?」
「そうなんだ。じゃあ今フリーなら、ちょっと男を紹介しようと思って」
「はぁ? いきなり何を言い出すのよ?」
唐突過ぎる話題の転換に、流石に戸惑った声を出した貴子だったが、祐司は今度は芳文に視線を向けながら、話を続けた。
「いや、結構面白い人と最近知り合いになって。道を歩いててぶつかって、因縁付けられたんだけど」
「祐司……、それで面白い人呼ばわりって、人が良すぎると思うわ」
「いや、話してみたら話題豊富だし頭切れるし。だけど手先が物凄く不器用で、医者のくせに注射や点滴がド下手で、針が血管突き抜けて内出血するわ筋肉に刺さるわ、切開すればきちんと縫合できなくて傷口が化膿するわで、実習の時に『お前は外科にだけは行くな』って周囲の全員から言われて、内科と心療内科のクリニック立ち上げちゃった人」
「そんな人に、診て貰いたくないわね」
そんなとんでもない事を祐司が口にした途端、今度は隆也が笑いを堪える表情になり、芳文が無言のまま表情を消した。しかし通話に気を取られていた祐司は、二人のそんな変化には気付かず、平然と会話を続ける。
「でも人の心の中をざっくざっく切り刻むのは超得意だから、姉貴がその人をいたぶろうとしても、全く平気だからちょうど良いかなと。間違っても繊細な人間を、姉貴に紹介できないし」
「祐司? 自分の姉に対する認識を、少し改めた方が良いわよ?」
「そこら辺はまた改めて。それでどうかな? 今言った様な人に、興味ある?」
さり気なく尋ねてみると、貴子は少し考えてから事もなげに答えた。
「確かにちょっと面白そうね。会ってみても良いわよ?」
「そうか? じゃあ相手の都合を聞いてみて、また連絡する。それじゃあ」
そして通話を終わらせた祐司が、携帯を孝司に返しながら半眼になり、呆れた様に言い出す。
「孝司、お前、さっきのあれは何だ?」
「いや~、言いたい事は分かるけどさ。ほら、風呂場でなら、手っ取り早く全身のチェックができるだろ?」
「少しは躊躇しろよ……。それから葛西さん、すみません。葛西さんの事、見た目通りの美形のエリート医師なんて言っても絶対姉貴は食いつかないので、適当にキャラ設定をしてしまいましたが、これで紹介する前振りはできましたので」
そう言って真顔で祐司が謝罪したが、何故かここで隆也が堪えきれずに噴き出し、「あははははっ」腹を抱えて爆笑し始めた。常にクールなイメージを湛えている隆也のその姿に、祐司達は本気で驚いてしまう。
「榊さん、どうかしたんですか?」
その問いかけに、何とか笑いを抑えた隆也は、隣で溜め息を吐いた芳文を指差しながら、楽しげに解説した。
「祐司君が言った事、実はその通りなんだ。こいつ超絶に頭良くて運動神経も人並み外れてるのに、何故か手先が信じられない程不器用でね。医学部の友人がさっき君が言った事と、まさに同じ事を言っていた」
それを聞いた祐司は、信じられない物を見る様な目つきで芳文を眺めてから、恐縮しきって頭を下げた。
「失礼しました……」
「いや、本当の事だから。どうやら彼女の興味は引けたみたいだし、構わないよ」
もはや苦笑するしかできない芳文が宥める様に言って頷くと、孝司が話題を逸らそうと話しかけてくる。
「さて、それじゃあ姉貴のマンション室内に異常が無いかチェックして、気になった所を葛西さんに伝えれば良いんですよね。連絡先を教えて貰えますか?」
「ああ、そうだね。名刺のアドレスは仕事用だし、できればお互いに個人的な連絡先を交換しておこう」
そうして互いに連絡先を交換した後は、すっかり疎かになっていた酒と料理を、四人でそれなりに楽しく雑談しながら堪能したのだった。
一通り飲んで食べた後、店の出入り口で高木兄弟と別れた隆也と芳文はどちらからともなく誘い合い、以前行った事のある、そこから程近くのアイリッシュパブに足を運んだ。
ビルの地下にあるその店に続く階段を下り、柔らかな色合いの照明に照らされているカウンターに腰を落ち着けると、芳文がさくさくと注文を済ませてしまう。それを黙って眺めてから、隆也は多少意地悪く尋ねてみた。
「勝手に注文するなら、当然お前の奢りなんだろうな?」
「ああ、振られて可哀相な親友に奢ってやらない程、心は狭くないつもりだぞ?」
「お前にそんな殊勝な考えができたとは、驚きだな」
互いに辛口の応酬をしてから、二人は目の前に出されたグラスを静かに合わせ、ゆっくりと中身を飲み始めた。そして無言のまま何口か飲んでから、芳文が口元を緩めてしみじみと言い出す。
「しかしあの兄弟、本当に面白かったな」
「確かにな」
否定できなかった隆也も、思わず苦笑いで応じた。
「それで二人とも、“お姉ちゃん”が大好きときてる。……お前に対して一見友好的ではあるが、正直『姉貴に近付く男は排除対象』なんじゃないのか? お前はまともな奴だから、我慢しているだけで」
「そうなのか?」
僅かに顔を顰めた隆也を見て、芳文が呆れた様に笑った。
「そんな地味に、ショックを受けた様な顔をするなよ。彼女に関しては勘が狂いっぱなしらしいな、お前」
冷やかす様にそんな事を言ってから、グラスを口に付けた芳文は、一口中身を含んで飲み干してから冷静に告げた。
「自覚していても兄の方は意識的に、弟の方は無意識に相手にそれと悟らせないあたり、八つ当たりして衝動的に着替え一式を送りつけてくる姉より、はるかに大人だって事だ。だから言っただろう? 頭だけ良くて、中身はガキな女だって」
「……確かに、そうかもしれんな」
素直に頷いた隆也と、それから暫く近況など話し合って小一時間飲んでいた芳文が、マナーモードにしておいたスマホがジャケットの内ポケットで振動を伝えてきた為、それを取り出しつつ席を立った。
「おっと、噂をすれば影だ。ちょっと話してくる」
そう断りを入れてドアを開けて店内から出て行った芳文は、周囲に話を聞かれない様に階段を上がり、外まで出て行った。そして五分程で、何事も無かった様な顔で戻って来る。
「待たせたな」
「どうだった?」
「どうやって調べたかは分からんし、彼も言わなかったが、全身傷一つ無かったそうだ。深く考えるのは止めておけ」
「そうだな」
小さく肩を竦めつつ端的に報告した芳文に、隆也は思わず笑いを誘われた。そんな友人を見ながら、隆也が淡々と続ける。
「それから、ゴミを確認したらマグカップが一つ割れてたのと、カレンダーが五月になっていたらしい」
「カレンダー?」
言外に、それが何か問題でもあるのかと訝しんだ隆也だったが、そんな彼に芳文が付け加えた。
「今日は何日だ?」
「四月二十七日だろう?」
まだ何となく理解できずにいた隆也に、芳文は再び飲み始めながら説明を続けた。
「弟に確認したら、月が変わる前に早々とカレンダーを処分するタイプでは無いそうで、気になったそうだ。結構乱暴に破った跡があったそうだし。そのカレンダーは壁掛けで、日付毎に書き込めるスペースがある奴みたいだな」
そう言われて、隆也は記憶にあるリビングの光景を思い浮かべた。
「ああ、確かにそんなのが有ったな、電話の横の壁に。それが?」
「四月のカレンダーに、どこに何が、どんな風に書いて有ったんだろうな。知りたくないか?」
含み笑いで思わせぶりにそんな事を言われた事で、隆也は恐らくそこに自分に関する何かが書いてあったと、芳文が推察しているのが分かった。しかし隆也としてはその内容に見当も付かない為、相手から視線を外しながら、素っ気なく感想を述べる。
「……四月に入ってから、そこには行ってないから知らないし、別に知ろうとも思わないが」
「そうか」
すると芳文は、今度はその顔にはっきりとした笑みを浮かべつつ、隆也の不安を煽る様な事を口にする。
「さて、せっかく顔合わせも済ませた事だし、弟君達にもう一肌脱いで貰おうか。なんだか段々楽しくなってきたぞ」
「頼むから、あまり大事にはしないでくれ」
「それはあの外見オトナ、中身はガキの彼女次第だなぁ」
そう言ってクスクスと笑い出した芳文を見て、(こいつに相談したのは早計だったかもしれない)と、隆也はほんの少しだけ自分の判断を後悔した。
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