(20)ぬいぐるみの秘密

「お前の弟と付き合っている、綾乃ちゃんの事は知ってるよな? あの二人のデートを尾行して、俺達は顔を合わせたわけだし」

「勿論よ。この前『姉貴以外の家族はもう顔を合わせてるし』って、改めて顔を合わせて、祐司から紹介されたもの。それで?」

 素直に頷きつつも話の先を促した貴子に、隆也が淡々と続けた。


「この前、彼女に『祐司君のお姉さんへのプレゼント用にぬいぐるみを選びたいんだが、既に色々持っていて困ってるんだ。かぶらない奴を渡したいがなかなか可愛いのが無くてね』と相談したら、『貴子さんへのプレゼントなら、私が選びます!』と言って、喜んで手伝ってくれた」

 それを聞いた貴子は、思わず目の前の相手を叱りつけた。


「あんたね! どうして話を綾乃ちゃんに持って行くのよ! 妹が一人居るって言ってたでしょうが!?」

「眞紀子はお前以上に可愛い物が似合わない、残念過ぎる女もどきだ」

 実の妹についてきっぱり断言した隆也を、貴子は半眼で見やった。


「それ……、本人に聞かれたら刺されるわよ?」

「そうかもな。しかしそうか、そんなに気に入らないか……。綾乃ちゃん、がっかりするだろうな……。『ネットだと実際の色合いと違う事がありますし、手触りとかも分かりませんから』と言って、せっかくの休日に祐司君とのデート返上で、あちこち回って探してくれて『この背中のもふもふ感とお腹のツルツル感、加えてつぶらな瞳でキュートな表情のこれが一押しです! 貴子さんを間違い無く癒やしてくれますから!』って、満面の笑顔で薦めてくれたのに……」

 そして如何にも残念そうな表情で、再度溜め息を吐いた隆也に、辛うじて怒りを爆発させるのを押さえ込んだ貴子が、地を這う様な声で応じた。


「あんたって奴は……、どこまで悪辣なのよ。分かったわよ。持って帰れば良いんでしょう? 持って行くわよ!」

「そうかそれは良かった。納戸の棚の肥やしにでもしてくれ」

「どこまで嫌味なの……」

 プルプルと拳を震わせながら呻いた貴子だったが、何とか気を取り直してテーブルに向き直り、デザートを食べ始めた。そしてそれを味わい始めながら、ついつい悪態を吐く。


「それで? まさか私にぬいぐるみを押し付ける為だけに、ここに呼び出したわけ?」

「ここからが本題だ」

 そう言って、隆也が上着の内ポケットから封筒を取り出し、更にガサガサと音を立てながら何かを広げ始めたのを見て、貴子は本気で腹を立てた。


(散々勿体ぶって、偉そうに。何様のつもりよ!)

 しかし貴子のそんな憤りも、カウンターの空いてある場所に広げられた用紙を見た瞬間、どこかに消え去る。


「これとこれにサインをしろ」

「…………」

 殆どの欄が既に記入されている二枚の用紙を凝視した貴子は、手を止めて黙り込んだ。それを見た隆也が、冷静に声をかける。


「薄暗くて、文字が読めないか?」

 その台詞に、貴子は舌打ちして返した。

「老人扱いしないでくれる? ちゃんと読めるわよ。何なの? この婚姻届と養子縁組届の用紙は?」

 苛立たしげに説明を求めてきた貴子に、隆也が事も無げに告げた。


「見ての通りだ。高木さんにちゃんと話を通してある」

「何を勝手な事を! 第一私、こんな話聞いてないわよ!? 当事者抜きで、何を勝手に決めてるのよ!」

「俺から話をするから、黙っていてくれと頼んだ。一応言っておくが、養子縁組に関しては、俺が無理強いした訳じゃない。これまでにも何度か高木さんの方から養子縁組の話を持ちかけても、お前が拒絶してたそうだな。俺が説得してくれるならと、快く応じてくれた」

「……何を考えているのよ?」

 見に覚えのある事を持ち出され、低く呻いた貴子を落ち着き払って眺めながら、隆也が事も無げに告げた。


「お前、宇田川姓のまま結婚するのは嫌だろう? さっさと宇田川の戸籍から抜けて、高木姓で嫁に来い。ぬいぐるみやその他、しまい込んでる人形や小物が纏めて全部入る、デカいコレクションケースを買ってやる」

 あっさりと言われたその内容に、貴子は思わず声を荒げた。


「ふざけんじゃないわよ! それはこの前きっぱり断ったでしょう!? 第一、あんたの身内が認めるわけ無いじゃない!!」

 叫ぶと同時に派手にテーブルも叩いてしまい、付近の席の客や店員から視線を集めてしまったのは自覚していたが、貴子の動揺は収まらなかった。しかし対する隆也の方は、悠然と構えたまま話を続ける。


「生憎俺は大真面目だし、両親は大乗り気だし、妹は我関せずだし、一番ブチブチ言いそうな叔父は、この間にしっかり説得して納得して貰ったから、こちらは全く問題は無い」

「…………っ!」

 ギリギリと歯軋りせんばかりの表情で隆也を睨み付けてから、貴子は勢い良く顔を背け、食べかけのデザートを放置して立ち上がった。


「……話にならないから帰るわ」

 短く告げて足元の籠からバッグを取り上げた貴子に、隆也がソファーに置いたままの紙袋を軽く指差しながら、注意を促す。


「帰るのは構わんが、それは返品不可だぞ?」

「言われなくても分かってるわよ!!」

 まるで引ったくる様な勢いで紙袋の持ち手を掴むと、貴子は振り返らずにまっすぐ出入り口へと向かった。その後ろ姿と、彼女を呆然と見送る店員達を目にして、隆也はとうとう堪え切れなくなって笑いを漏らす。


「本当に、相変わらずだな」

 そして隆也は店内から好奇の視線を受けながらも全く意に介する事無く、悠然と最後の珈琲まで飲み終えてから、悠然とその店を後にした。


「全く! 人の事を馬鹿にして! どこまで傍若無人なのよ、あいつはっ!!」

 満足して帰宅の途に付いた隆也とは対照的に、貴子は自宅マンションに帰り着くなり、持ち帰った紙袋を力一杯ソファーに投げつけた。しかし当然の事ながら、どちらにも全くダメージは無く、ガサガサッと多少耳障りな音を立てただけで、角張った紙袋が呆気なく床に転がる。

 何秒か黙ってそれを見下ろした貴子は、忌々しげに溜め息を吐いてから、それを取り上げてソファーに座った。


「ぬいぐるみが悪いわけじゃないしね。それ以上に、綾乃ちゃんに悪気があったわけじゃないし」

 少し前に弟からきちんと紹介された、自分とは真逆のタイプの十歳年下の女性の顔を思い浮かべた貴子は、(祐司の奴……、私を反面教師にしたって事かしら?)などと埒も無い事を考えた。そして思わず苦笑いして、幾らか気分が浮上した貴子は、もう一度きちんと見てみようと、箱を開けて中身を取り出してみる。


(きっと一生懸命、選んでくれたのよね……。私には似合わないけど)

 取り出したぬいぐるみの背中を撫でながら貴子がそんな事を考え、箱はテーブルに置いておこうと、何気なく片手でそれを持ち上げた瞬間、その重心が変化したのを感じた。


「え? 他に何か入ってるの? ぬいぐるみに備品?」

 不思議に思った貴子が両手で箱を掴んで中を覗き込むと、底に掌に乗る位のサイズの、正方形の白い紙箱が転がっているのが目に入った。


 何となく嫌な予感を覚えながら彼女がそれを取り出し、更にその蓋を開けると、中から紺のビロード張りのリングケースとしか思えない、上部がなだらかな形状の物体が現れる。それを見て綺麗に表情を消した貴子が蓋を開けると、その中には4月の誕生石でもあるダイヤモンドの指輪が入っていた。

 大きな石の左右に、一回り小さい石が一つずつ付いたそれは、照明を受けて煌めいていたが、暫く無言でそれを凝視していた貴子は、無表情のままそれをつまみ上げ、左手の薬指に嵌めてみた。すると当然の如く、それはぴったりとその指に収まり、貴子は忌々しげな表情を隠そうともせずに悪態を吐く。


「普段指輪は付けて無いし、教えた覚えも無いのに、どうして丁度良いサイズなのよ……」

(そう言えば、最後に『返品不可』とか言ってたのは、まさかこれの事?)

 そこで別れ際の隆也の苦笑した顔を思い出した貴子は、勢い良く指輪を抜き、やや乱暴な動作で元通り箱にしまい込んだ。更にぬいぐるみが入っていた箱に放り込み、スカスカのそれを持ってまっすぐ納戸へと向かう。


「私は、ぬいぐるみしか見ていないわ」

 自分自身に言い聞かせる様にそう呟いた貴子は、その箱を棚の一角に押し込むと、足音荒く納戸を出て勢い良くそのドアを閉めた。

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