(18)貴子のこだわり

 その後、関係のない話題で盛り上がった三人であったが、夕食の時間になる前に、隆也は叔父の家を辞去した。そして愛車を走らせて真っ直ぐ家に戻ると、広い家で母親だけが出迎えてくる。


「お帰りなさい、隆也。大輔さんの所でお夕飯は食べてきたかしら?」

「いや、お茶だけ飲んできた」

「良かった。夕飯は準備してあるのよ。亮輔さんは弁護士会の集まりに呼ばれているし、一緒に食べましょう」

「ああ、じゃ部屋に荷物を置いてくる」

「じゃあ、準備しておくわ」

 予め父親から「今夜は俺は居ないし、偶には香苗と一緒に飯を食べろ。この親不孝息子」と念を押されていた為、嬉しそうな様子の母親に苦笑しながら隆也は自分の部屋に戻った。そして机の上に持ち帰った封筒を投げ捨てながらスマホを取り出し、ベッドに座り込みながら電話をかける。そして繋がったと思った瞬間、相手の反応を待たずに呼びかけた。


「おい、俺だ」

「あら、《折田》さんが何のご用?」

「お前……、父親が嫌いだよな?」

 軽い嫌味をスルーして断言してきた隆也に、貴子は些か気分を害した様に言い返してきた。


「それがどうかした? 喧嘩はいけませんって、説教でもする気?」

「そんな無駄な事をするか。だから嫌がらせの為だけに、国家公務員試験を受けて、警察大学校に入ったのか?」

「あら、今頃知ったの? 情報が遅いわね。まあ、十年以上前の話だし、無理もないか」

「ちゃんと質問に答えろ」

 鋭く言い放った隆也に対し、貴子は完全に腹を立てた口調で文句を口にする。


「だったら何なの? あんたに微塵も関係の無い話よね?」

「確かに俺には関係が無いが、少なくても受かったお前の代わりに一人、優秀な人物が試験に落ちた筈だ。お前は自覚していないかもしれないから、一言だけ言っておこうと思ってな」

「……だから何よ」

 予想外の切り返しをされて幾分気まず気に黙り込んだ貴子に、隆也が淡々と質問を続けた。


「別に。それはそうと、どうして料理人になったんだ?」

「初対面の時から、料理研究家だと言っているでしょう?」

「どっちも似たようなものだろう」

「全く、これだから頭ガチガチのキャリアって……」

 ブチブチと文句を言う貴子に、隆也がある可能性を口にした。


「要は、食い意地が張っているだけか?」

「そう思いたければ思ってれば?」

「違うよな? お前はそんな馬鹿な人間じゃない」

 素っ気なく言って話を終わらせようとした貴子だったが、隆也が有無を言わせぬ口調で問いを重ねてきた為、誤魔化すのを諦めたのか、どこかふて腐れた様に言い出す。


「昔……、通いの家政婦さんに言われたのよ」

「何を」

「『人間温かい布団でぐっすり眠れて、美味しい物をきちんと食べられるなら、そうそう不幸だなんて思わないものです。だからここに居る間に、しっかりお料理を教えてあげますからね』って。だからどうせなら、それをとことん極めてみようかと思ったのよ」

 神妙にそんな事を言われた隆也は、心底意外に思って問いを発した。


「……ほう? なかなか物の道理を分かっている、家政婦さんだったんだな。今でも付き合いがあるのか?」

「風の便りで、亡くなったって聞いたわ」

 そこで若干気まずい空気が電話越しに漂ったが、隆也は半ばそれを無視して質問を続けた。


「そうか。……それならさっきの話に戻るが、お前、父親が大嫌いだから、警察官全般が嫌いだよな?」

「特に偉ぶってるキャリアは、大大大嫌いだけどね」

「それならどうして、俺を家に出入りさせている?」

「頭の回転が良い人間と、挨拶をして料理を綺麗に残さず食べられる人間は結構好きなだけよ。それプラスマイナス0。他に役に立ってくれているから、若干マシって所だけど、それが何か?」

 結構な真剣な疑問にあっさり答えられ、隆也は頭を抱えたくなった。


「お前……、男を選ぶ基準が低すぎないか?」

 呆れた口調のそれに、自嘲気味な声が返ってくる。

「これまで私の周囲には、ろくでもない男しか居なくてね。まあ、本人がろくでもないから、しょうがないとは思うけど」

「ろくでもない事はないだろう」

「え?」

「邪魔したな」

 戸惑った声を出した貴子を無視し、隆也は一方的に通話を終わらせた。そしてかけ直してくるかと、何分かそのまま待っていたが、スマホが無反応な為、食事にしようと自室を出て階下に下りる。そうして母親と二人で夕食を食べ始めたが、隆也がらしくなく無口な為、香苗は怪訝な顔で問いかけた。


「隆也、どうかしたの? さっきから考え込んでいるみたいだけど、大輔さんのお宅で、何か難しい事でも言われたの?」

 そう言われて、自分が無言になっていた事に気が付いた隆也は、幾分自信無さげに、ある事を口にした。


「いや、叔父さんの家でではないんだが、その……、『挨拶をして、料理を綺麗に残さず食べられる人間は、結構好きだ』と言われた。そんなのは、ごく普通の事だと思うんだが……」

 それを聞いた香苗はちょっと首を傾げてから、嬉しそうに笑う。


「確かに近頃は、そういう人は少ないかもしれないわね。でも嬉しいわ」

「どうして母さんが嬉しいんだ?」

「だって、隆也をそういう風に育てたのは私だもの。私を褒めて貰った様なものでしょう?」

「そう言えば、そうかもな……」

 にこにこと同意を求めてきた母に、隆也は意表を衝かれながらも素直に頷いた。すると香苗がテーブル越しに僅かに身を乗り出しながら、嬉々として尋ねてくる。


「ねえ、その人、どんな女の人? 料理が上手なの?」

「どうして女だと思うんだ?」

「だってそんな事、料理をまともに作らない人や、男の人に言われるわけないじゃないの」

 自信満々で断言してきた母に、隆也は思わず遠い目をしながら正直に答えた。


「確かに作る料理は美味いし美人だが、性格が著しく歪んでいる女」

 その表現に、香苗が目を丸くする。

「どうして、そんな酷い事を言うの? 最近はそちらでご馳走になっているんでしょう?」

「事実だから」

「あらあら」

 素っ気なく言って食事を再開させた隆也に、香苗は苦笑いしながら(亮輔さんに何て報告しようかしら?)と密かに考え始めていた。

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