(17)ヤメ検は隠れスイーツ狂

 ロビーに到達し、先程譲原に述べた様にスマホの紛失届を書いているうちに、大門が椅子に座って待っていた芳文に歩み寄り、話しかけているのが目に入った。

(そうか。あいつが依頼人って、言ってたものね……)

 何となく気落ちしつつ、更にそんな自分に気が付いて自分自身を叱咤しながら書類を書き終え、貴子は二人の元に歩み寄った。


「お待たせ、芳文」

「ああ、お疲れ」

「すみませんでした、大門さん」

「いえ、依頼人の葛西さんと今後の事について、幾つか話しておく事がありましたので。葛西さんに水道橋まで送って頂く間に、あなたにも少し確認しておく事がありますので、宜しいですか?」

「はい、分かりました」

 それから三人は駐車場に移動し、話があると言われた貴子は、自然に後部座席に大門と並んで座った。そして車を発車させて早々に、芳文が面白がっている口調で告げる。


「そういえば貴子。お前が刑事に引っ張り込まれている間、俺も色々聞かれたぞ?」

「ごめんなさい。迷惑をかけたわね」

「想定内だったしな。熱く語って聞かせたぜ? ついでにお前から聞いてた、俺と付き合っている間に、つまみ食いしてた形になってる野郎共の事も」

 芳文に関しては予測できた事ではあったが、他の者達にとっては迷惑以外の何物でもないだろうと思い、貴子は思わず溜め息を吐いた。


「……皆にも、迷惑かけるわね」

「ちょっと警官が話を聞きに来た位で、愛想尽かす様な男達じゃないだろ? 今でも良い友達だって言ってたし」

「私はそう思っているけど……」

 内心で(本気で愛想尽かされそう)と軽く落ち込んでいた貴子の耳に、ここでいきなり核心に触れる台詞が飛び込んで来た。


「ところで、宇田川さんは犯人の一味ですか?」

ゆっくり大門の方に顔を向けながら、(直球。だけど変に誤魔化したら信頼関係を築けないし、誤魔化されてくれる様な人でもないわね)と腹を括った貴子は、落ち着き払って言葉を返した。


「偶然、あの場に居合わせただけです」

「しかし普段から仲が悪いお父上への意趣返しの一環として、突発的に見ず知らずの犯人の行為に関して、物理的精神的幇助をされましたか?」

「……はい」

 神妙に貴子が頷くと、大門は別段記録を取る風でもないまま、顎に片手を当てて少し考え込んだ。そして少ししてから質問を続ける。


「私見では、周囲の証言誘導と偽証、その他にもありますよね? できれば具体的にお願いします」

「犯人の一人に、人質の行員が服用する定期薬等を取りに行くのに同行しながら、さり気なくロッカーの場所や流しの場所を確認をして必要な物資の確保する旨の説明と、その後の段取りを指示しました」

「察するに、それはスプレー缶やマニキュアの類ですか?」

「そこまでお分かりですか」

 すっかり観念した貴子が諦めの溜め息を吐くと、大門はここで苦笑いの表情になった。


「成程……。そんな事をあなたに指示されてからするとは、犯人はど素人。しかも組織などの後ろ盾も皆無ですね」

「だと思います」

「悪い、貴子。スプレー缶なんて何に使うんだ?」

 ここで話の内容が掴めなかったらしい芳文が、運転しながら声を割り込ませてきた為、貴子は簡単に説明した。


「犯人が持参していたのが、あまり質の良くないモデルガンだけだったから、他に大量の爆発物を所持していると思わせる為のカモフラージュよ。給湯室に備え付けの弁当を温める為の小型レンジでも、そんな物を突っ込んで加熱したらどうなると思う? 書類の束や、来ていた衣類を燃やした中に放置しても、物騒な事になるけど」

「火にくべてもレンジで加熱しても、実際に爆発炎上するまで若干時間を稼げるか。あちこち時間差で爆発させるようにして人質のパニックを煽って、皆がいる部屋のすぐ近くに潜んでいて、我先にと逃げ出す時に一般人の格好で紛れたってわけだ」

「ロッカーの扉を壊して中を漁れば、私服や靴の替えを常備している人間は何人かはいるでしょう。警察に既に認識されていた犯人の服装とは、変えられますからね。恐らくタイミング良く、停電も起こさせたでしょう」

 大門も説明を付け加えたが、芳文はまだ少々納得できかねる声を出した。


「しかし報道では爆発は複数あった筈だが。都合良くそんなにスプレー缶なんて、銀行に有るものなのか?」

「探せば色々あるわよ。掃除道具の他にも、靴の艶出しとか、静電気防止のやつとか」

「あぁ……、確かに探せば色々あるかもな。で、マニキュアは?」

 その問いに、貴子は車窓から外を眺めながら、疲れた様に声を発した。


「信じられないけど、押し入った時犯人達、手袋の類をしていなかったの」

「はあ?」

 言外に(その犯人達、底抜けの馬鹿か?)という思いを含んだ芳文の声に、貴子は些かやけっぱちに話を続けた。


「だから、指紋が綺麗に付かない状態にしてから、触った覚えのある所を、徹底的に拭いておきなさいと言ったの。だから犯人達は人質達を二階に上げた後、ロビーで触った覚えのある箇所を拭き掃除した筈よ」

 それを聞いた大門は呆れ顔で溜め息を吐き、芳文はまだ不思議そうに質問を続けた。


「どうして二階に上げた後? お前に指示を受けてから、さっさと適当な手袋とかを探してそこら辺の拭き掃除をすれば良いだけの話じゃないのか?」

「私と犯人がトイレに引っ込んだ後に早速そんな事を始めたら、後から私が指示したのかもと、他の人質達に勘ぐられる可能性もあるでしょう?」

「ああ、なるほど」

「だから人質を外部と接触できない一部屋に押し込めてから、女性行員の私物を漁って貰って、指の腹に透明か色調の薄いマニキュアを塗る様に指示したの。一階ロビーにいる間は、犯人が素手であちこちベタベタ触っている所を見せたから、他の人質は犯人の指紋が行内にしっかり残っていると思ってるわ。その証言を受けて鑑識の人達、躍起になって建物中の指紋を取ってるでしょうね。銀行の待合スペースなんて、不特定多数の人間が行き来する場所なのに」

 本気で鑑識の人間に同情しながら貴子が話を締めくくると、大門が落ち着き払って後を引き取った。


「お話は分かりました。ではあなたは襲撃事件の犯人グループの一員では無い事が確認できましたので、そのつもりで対処しましょう。あなたが『こうしたら逃げられるかも』という呟きを、偶々犯人達が偶然耳にして、幸運にも成功してしまっただけです。勿論、依頼人に不利な情報は漏らしませんので、ご安心下さい」

「あの……、私が言うのも何なんですが、良いんですか? それで」

 思わず確認を入れてしまった貴子だったが、大門の視線は揺るぎ無かった。


「今日のやり取りを聞いた限りでは、捜査陣はあなたを『犯人グループの一員である共犯者』との位置付けで、捜査していると思われます。それが事実無根である以上、全力で否定するまでです。『単なる捜査妨害者』としての位置付けなら、情状酌量を狙って根回しをしますが。私は不正な事が何が何でも許せないとかいう、青臭い正義の味方などではありません」

「はぁ……、宜しくお願いします」

 気圧されてそれ以上言えなくなり、貴子は小さく頭を下げたが、そこで芳文が小さく噴き出した。


「ははっ、『正義の味方じゃない』ですか。俺の友人に、同じ様な事を口癖にしてる奴がいますよ」

「ほう? ご友人はどんな事を?」

「大学卒業前に警察官希望だと聞いて『お前が正義の味方? 似合わないから止めておけ』とからかったら、『何世迷言を言ってる、警察官全員が正義の味方なわけないだろう。第一、俺がなりたいのは正義の味方じゃなくて悪の敵だ』とさらっと言い返してきまして」

「なるほど。その方は学生時代から警察組織と言うものを、良く分かっておられた様だ」

 楽しげな男二人のやり取りを聞いて、貴子は胸の内がざわついた。


(今の話って、絶対あいつの事よね。確かに正義の味方よりは、悪の敵っていう方がイメージに近いかも)

 しみじみと考えて、貴子は無意識に頬を緩めた。そんな彼女を大門が無言で観察していると、芳文が運転席から声をかけてくる。


「大門さん、期待しています。是非ともこいつを勝たせて下さい」

「葛西さん」

「何でしょう?」

「今『勝たせる』云々と仰いましたが、まさかこんな事例でこの私が裁判まで持ち込むヘマをすると、本気でお考えですか?」

 静かな落ち着き払った声ではあったが、それ故に静かな怒りを感じ取れた芳文は、即座に謝罪の言葉を口にした。


「先生の力量を過小評価していたわけではありませんが、失礼致しました」

「分かって頂ければ結構です。送検もさせませんので、ご安心下さい。暫くはお二人とも、茶番にお付き合い願う事になるかとは思いますが」

「了解しました」

 そこで大門は貴子に向き直り、あっさりと話題を変えた。


「ところで宇田川さん。話は変わりますが、今年のバレンタインデーにうちの事務所の所長に、チョコを送りつけていらっしゃいましたね?」

 いきなりそんな事を言われて戸惑ったものの、取り敢えず貴子は言葉を返した。


「ええと……、確かにそんな事もしましたね」

「正確に言えば、所長の息子さん宛だったかと思いましたが」

「……はい」

「貴子。お前、何愉快な事をやってる」

 運転席から芳文が笑いを堪える口調で口を挟んできたが、大門は淡々と話を続ける。


「そのチョコは結局全部、所長夫妻が召し上がったそうで」

「そう聞きました」

「本当に何やってんだ、お前ら」

 今度は呆れかえった口調で芳文が感想を述べたが、それには構わずに大門の話は続いた。


「所長が大変美味だったと、あの後事務所内で言いふ……、いえ、声高に感想を述べておりまして」

「光栄です」

「どれだけ美味しかったのだろうと、事務所内で暫く話題に上っておりまして」

「……いえ、そんな大層な物では」

「いや、実に所長が羨ましい。まさしく仁徳のなせる業です」

 ここまで言われて空気の読めない貴子ではなく、慎重に口を開いた。


「あの、大門先生」

「何でしょうか、宇田川さん」

「もし宜しければ……、成功報酬の色付けの先渡しみたいな感じで、お菓子の類を作ってお渡ししますので、ご迷惑でなかったら事務所の皆さんで召し上がって頂ければと、思うのですが……」

 そんな事を控え目に申し出てみた貴子だったが、どうやら推測は間違ってはいなかったらしく、大門は間違っても満面の笑みとは言えないまでも、この日一番の緩んだ表情になって礼を述べた。


「おや、そんな気を遣って頂かなくても宜しいのですが、頂けるのならありがたく頂戴いたします。皆も喜びます」

「はぁ……、それでは腕によりをかけて、作らせて頂きます」

「それは楽しみです」

 そして満足げな大門に貴子が若干引き攣った笑顔を見せる中、その一部始終を運転席で聞いていた芳文は(おいおい、超絶敏腕ヤメ検はスイーツ狂かよ。まさか今回の依頼料は全部それで、なんて言わないだろうな?)などと見当違いの心配をしていた。

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