(11)知られざる確執

「それでその時、父が姉貴の連帯保証人になったんですが、それを聞きつけたあの野郎が、うちに嫌がらせをしてきたんです」

「『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』って奴? 自慢の東成大入学の娘が退学したのは、お前らが唆したせいだって事らしいですね。チャンチャラおかしいですが」

「嫌がらせって……、何をしたんだ?」

 そう言ってせせら笑った孝司に、それに関しては全く聞いていなかった隆也が、不思議に思いながら尋ねた。するとその問いに祐司が答える。


「手始めは、うちの畑への大量のゴミの不法投棄、それから農協に圧力をかけて、うちの収穫物を引き取らない様にしたりとか、あと農薬塗れの野菜を作ってるとかの誹謗中傷のビラが、地域に配られたりとかですね」

「うわ……、レベル低すぎ」

「何だそれは? 警察に被害届は出したのか?」

 隆也達が本気で呆れて口を挟んだが、祐司達は淡々と話を続けた。


「一応出しましたが、捕まらなかったですね。でもうちは、日頃から周囲との付き合いは良好だったので、表だって非難されたりしなかったし皆同情してくれました。……あの事件が有ってからは特にな」

「ホントに、あれはアホだったよな~」

「……あれって何かな?」

 何やら遠い目をしてしみじみ語り合っている兄弟に隆也が問いかけると、二人は一瞬顔を見合わせてから口々に話し出した。


「当時、孝司は中二で野球部に所属してたんですけど、警察OBの人がボランティアでコーチに入ってくれてたんです。その人甲子園出場の経験もあって、勤務時代から休みは指導してたし結構地域では有名で」

「それで俺の中学の野球部、なかなか強かったんですよ。それで俺が二年でレギュラーに選ばれてたんですが、そのコーチを警視庁のOBが『高木ってガキはレギュラーから外せ』って脅したんです」

「は?」

「どうしてそうなる?」

 全く意味が分からなかった二人は軽く目を見張って座卓の向かい側を見詰めたが、祐司達は淡々と説明を続けた。


「その警視庁OBは元々地元出身で、警視庁のキャリアだったんですが、このまま居ても上には登り詰められないと見切りを付けて、市長選に立候補する為に、その告示一か月前に五十そこそこで早期退職した人だったんです」

「後から伯母さんに聞いたら、あの腐れ親父に繋がってる久住派に所属してたみたいで、あの野郎に嫌がらせする様に頼まれたんじゃないですか? 選挙資金や組織票を纏めるからとか何とか言われて。ちょっと脅すだけで口をきいて貰えるならお安い御用って、軽~く引き受けたんだろうぜ」

 そんな事を呆れた口調で孝司が述べると、祐司は小さく肩を竦めて後を引き取った。


「だけどコーチが曲がった事が大嫌いな偏屈な人で、あっさり撥ねつけたんです。それでも再三再四電話してきて『貴様、警察の禄を散々貰ってたくせに、上の人間の言う事が聞けんのか!』とか『千葉県警に勤めてるお前の息子の出世に響くぞ』とか『息子を辺鄙な場所に定年まで押し込めてやる!』とか、回を追うごとに悪口雑言がエスカレートして」

「でもそのコーチ、抜け目なく二回目からは全部会話を録音してたんですよね。それで選挙戦に入ってから『俺はこんな品性下劣な人間に投票するつもりはない』って知り合いに暴露しまくって。会話の中に固有名詞がばっちり入ってて言い逃れできないし、瞬く間にそのデータが拡散して、それまでうちが受けていた嫌がらせも、全部その人の指図でやったんだろうって事になりまして」

「他の嫌がらせに関しては完全にとばっちりだろうけど、もうその時の市長選、憶測や怪文書が無茶苦茶乱れ飛んで凄かったよな。対抗馬が教育事務所出身の地味なおっちゃんだったから、経歴が派手なその官僚OBが当選確実って言われてたのに、呆気なく落選して。今はどこにいるのやら」

「どうせ久住派の方で、どこぞの会社の顧問職とか用意したんだろ? 良いポストが準備できないから、選挙をバックアップする事を条件に早期退職させたのに、当てが外れてがっかりだよな」

「伯母さん達が、その一件で益々久住派の求心力が低下したって言ってたっけ」

 そう言って二人でせせら笑っているのを見た隆也は、正直馬鹿馬鹿し過ぎて何も言えなかったが、隣の芳文も同様らしく、うんざりとした顔を向けてきた。しかし祐司の話は容赦なく続いた。


「しかも同時期、姉貴の方も嫌がらせされてたんです。付き合ってた男をあの男が買収して、姉貴の個人情報をネットに流させていた上、同じ調理師学校に入学した女を愛人にして、その女を姉貴に近付けさせて友達付き合いさせていて」

「その宇田川って親父、頭がおかしいのか?」

「常識があるとは、思っていなかったがな」

 思わず芳文が遠慮の無い感想を漏らしたが、隆也は弁護する気は皆無のまま応じた。そんな会話を半ば無視して、祐司が説明を続ける。


「何だか自分のプライベートの事が漏れていると勘付いた姉貴が、興信所に依頼して、その事実に気が付いて。その直後に報告書を持って、家を訪ねて来たんです」

「でも黙ったままで何も言わないし、おかしいな~って思ってたら」

「姉貴が黙っちまったのは、お前が『腐れ親父の同類のクソ野郎が家に嫌がらせしてたけど、選挙にボロ負けして故郷に錦飾るどころか逃げ帰ったんだぜ!?』って、顔を合わせるなり得意げに喋っちまったからだろ!? 連帯保証人を引き受けて貰ったせいで迷惑をかけたと思ったら、愚痴も零せなくなっちまったんだろうが!!」

「それは認める。だから責任持って姉貴を河原に連れ出して、ちゃんと一部始終聞き出したじゃないか」

 再び激昂した祐司が孝司の両肩を掴んでガクガク揺さぶりつつ叱り付けると、流石に孝司は神妙な顔付きで弁解した。そこで芳文が何気なく問いかける。


「どうして河原に連れ出したのかな?」

「え? 内緒話って、河原って相場が決まってませんか?」

「……うん、まあ、人それぞれだな。邪魔して悪い、続けてくれ」

 きょとんとしながら言い返した孝司に、芳文は完全に毒気を抜かれて先を促した。その為孝司が何気ない口調で話を続ける。


「あの時、多分あのろくでなし絡みの、ろくでもない話なんだろうな~って想像がついたから、途中のコンビニでスポーツ飲料を二本買って、河原に行ったんです。それでレジャーシートを敷いた所に姉貴を座らせて、『さあ、姉貴。俺の胸を貸すから、遠慮なく泣いていいぞ? 泣いた後の水分補給もバッチリだからな!!』胸を叩いて言ったら、案の定姉貴がボロボロ泣き出して」

 そう孝司が誇らしげに言った瞬間、室内が静まり返った。そして顔を僅かに引き攣らせた祐司が、片手でポンを孝司の肩を掴みながら、静かに確認を入れてくる。


「……今の今まで知らなかったが、お前、本当にそんな事したのか?」

「ああ。そしたら姉貴が『私、孝司の馬鹿っぽいけど、馬鹿じゃない所好きよ』って言うから、『俺も姉貴の頭良さそうなのに結構頭悪いところ、可愛いと思うぞ?』って言ったら抱き付いて来て、そのまま押し倒されたんだ。そして俺の胸に顔を埋めたまま、暫くわんわん泣いてたんだけど、傍目に見れば成人女性が男子中学生を押し倒している図だろ? 変な誤解されて姉貴が捕まったら拙いと思って、通りかかったジョギングの人とかペットの散歩に来た人達には、寝たまま『何でも無いのでお構いなく』って笑顔で断りを入れておいたから、大丈夫だったけど」

「どこが大丈夫だ……」

 漸く知らされた真実を知って祐司はがっくりと項垂れたが、芳文と隆也はその時の情景を頭に思い浮かべて、何とも言い難い表情になった。


「何とか泣き止んでから、一部始終を聞き出したんだけど、もう無茶苦茶腹立って。姉貴に『絶対泣き寝入りなんかしちゃ駄目だぞ? 目に物見せてやれ!』って言ったら、俄然やる気になってさ」

「お前、何唆してるんだよ!?」

「取り敢えず元気になったんだから、いいじゃんか。それで手始めに、その彼氏を親友面した女に紹介するように、姉貴に勧めたんだ」

「何でそうなる?」

 祐司は本気で当惑し、隆也達も密かに首を捻ったが、孝司は事もなげにその理由を説明した。


「だってどっちもあの腐れ親父の息がかかってる人間なら、姉貴の周りに他にもこういう人間がいるって、話を聞いている筈だと思ったんだ。でもどっちもあの男に繋がってると姉貴に勘付かれたくない筈だし、注意して話題にも出さない様にしてたと思うけど、姉貴経由で知り合いになったら遠慮なく顔見知りになれるだろ? それで纏めてボロを出さないかな~と狙ってたんだけどさ。……あれ? 急に頭抱えて、どうしたんだよ、祐司」

 話を聞いていた祐司が無言で額を押さえながら俯いた為、孝司が不思議そうに声をかけた。すると祐司が疲れた様な声を出す。


「今……、お前と姉貴は、血の繋がった姉弟だと確信した。何だよ、何も考えて無さそうで、その狡猾さ」

「おう、サンキュ」

「褒めてないから」

 苦々しげに否定した祐司だったが、それには構わず孝司が話を続けた。


「それで姉貴が二人の部屋の合鍵を作って、部屋に録音機能付き隠しカメラ設置したら、出るわ出るわ暴言のオンパレード。『実の娘の彼氏買収して嫌がらせって馬鹿だろ』とか『あれで自分がイケてるって本気で思ってる、痛すぎる親父~。親子揃ってアホよね。金が無かったら誰が相手するかっての』とか、ベッドでのかっなりえげつない映像付きで撮れて、カメラを撤去してから、自分宛にわざと画像データと写真を『あなたの友人はこんな女性です。付き合う相手は選んだ方が良いですよ?』のメモ付きで送って、後日届いたそれを学校の教室で相手の前でぶちまけて、『ふざけんじゃないわよ!! このしょぼくれた中年親父の愛人風情の泥棒猫が!!』って泣き喚きながら取っ組み合って、学校中の噂にしたんです。当然姉貴は被害者扱いで、その人は退学。何か姉貴、その人の実家にも同じ物送ったって言ったから、どの道強制送還だったと思うけど」

「おい、孝司。俺達は姉貴が騙された話は聞いたけど、その報復については初耳なんだが?」

「言わなかったっけ? じゃあ今聞いたって事で」

「あのな……」

 半分非難しながらの問いかけにもさらっと返され、祐司はヒクッと顔を引き攣らせた。しかし孝司は全く気にせずに話を続ける。


「それで、確か男の方は、彼女の暴露と同じ日に奴の会社に乗り込んで、同僚の目の前で『人を馬鹿にするのもいい加減にして。荷物は絢の部屋に全部送ったから、二度と顔を見せないでね』と宣言しつつ、盛大に写真をばら撒いて来たとか。その前日に男の荷物を出して、その部屋引き払って引越しして、連絡先を彼女の携帯の番号にしてたから、開いてない部屋で引っ越し業者が右往左往したっておまけつき。その後そいつの会社で、どこぞのお偉いさんの愛人に手を出して女性問題を起こしたって噂になって、風の噂では退職したみたいですね」

「他には?」

 はっきりと頭痛を堪える表情になった祐司が話の先を促すと、孝司が考えながら言葉を継いだ。


「ええと……、警察関係、特に久住派の方に幅広く送り付けたって言ってたな。『見た目だけで無能な女らしいわよ』とか『でもあの貧相な親父には、見た目だけの頭空っぽの女が似合いじゃない?』とかの、愛人だった彼女が宇田川とその後妻を悪しざまに罵ってる所を編集した物を送ったから、奥さんの実家に知れて騒ぎになった他、ばら撒かれたそれについて箝口令が敷かれて、久住派の若手が何人も愛想を尽かして抜ける人が出たと小耳に挟んだって、伯母さんが言ってたっけ」

「伯母さん達……、姉貴との関係を知られない様に、表向き無関係を貫いてるけど、姉貴とこっそりやり取りして、久住派とか友好関係にある人間のリストとか、流してるみたいだからな。お袋が何度も双方にそんな事は止めなさいって注意してるみたいだけど。……ところで、後は無いだろうな?」

「色々やってたかもしれないけど、姉貴ははっきり言ってないし知らない」

「知らない、じゃないだろうが……。それに住居への不法侵入とか、盗撮とか、明かな犯罪行為だろう? 現職警官の榊さんの前で、ペラペラしゃべる事かよ」

 がっくりと項垂れて愚痴っぽく祐司が口にした内容を聞いて、孝司は漸く思い出した様に隆也に顔を向けた。


「おっと、うっかりしてた。榊さん、今のは聞かなかった事にして下さい」

 ニコニコと満面の笑みで促された隆也は、孝司から視線を逸らしてから深々と溜め息を吐き、ぼそっと呟いた。

「……俺は何も聞いていない」

 それを聞いた孝司が、嬉々として反応する。


「うわ~、祐司より格段に話分かるな~。榊さん! ちょっとフライングかもしれないけど、榊さんの事、お義兄さんって呼んでも良いですか? 祐司はどうしても祐司としか呼べないけど、俺、榊さんだったらお義兄さんって呼べると思う!」

「…………ああ、うん、好きなように呼んでくれて構わないから」

 何やら急に疲労感を覚えた隆也が、一応孝司に目を向けながら小さく頷くと、孝司は指を鳴らして歓喜の叫びを上げた。


「やった! 姉ちゃんに続いて兄ちゃんもゲット! 次は香月を嫁さんにして、祐司が綾乃ちゃんと結婚したら完璧だ! バレーボールができるぞ!」

「お前、普段バレーなんかしないだろうが! もうお前は一言も喋るな!! 何が完璧だっつうんだ!!」

「祐司……、自分が兄扱いされてないからって、僻むなよ……」

「本当にお前って奴はぁぁぁっ!!」

 とうとう堪忍袋の緒が切れたらしい祐司と、マイペースの孝司が本格的な口喧嘩を始めたのをぼんやりと眺めながら、芳文と隆也は感想を述べ合った。


「本当にこの兄弟、面白いな」

「……そうだな。だが一向に話が進まないんだが」

 取り敢えず喧嘩をさせたままだと朝まで平気で言い合っていそうな二人を、芳文と隆也は二人がかりで宥めて取り敢えず黙らせるのに成功した。

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