(14)魔が差した時

 実に何年かぶりに、大晦日に家族四人揃って年越し蕎麦を食べていた榊家では、全員箸の動きも口の動きも滑らかだった。


「今年も色々あったな」

「本当にね。でも隆也の方はなんとかなったし、来年は眞紀子がなんとかなれば良いわね」

「ちょっと! こっちに話を強引に持って来ないで欲しいんだけど?」

「そうだな。以前話に聞いた、遠藤さんの息子とやらの尻を叩いてみるか」

 からかい混じりに隆也が口にした台詞に、眞紀子がムキになって言い返す。


「五月蠅いわよ、この振られ男!」

「振られてはいない。人聞きが悪い事をほざくな」

「どうだか。貴子さん本当は、兄さんが纏わりついたり嫉妬深いのにうんざりして、家族旅行を口実に羽根を伸ばしてるんじゃないのかしら~?」

「…………」

 そこで面白くなさそうな顔で黙り込んだ隆也を見て、眞紀子は含み笑いで追及してみた。


「あら、思い当たる節があるわけ? まさか入籍前に破局?」

「眞紀子、それ位にしておけ」

「そうよ。万が一上手くいかなかったら、あなたが八つ当たりされるわよ?」

 そこで両親が苦笑しながら窘めてきた為、眞紀子はあっさり話を終わらせる。


「本気でそれは勘弁したいわね。兄さん、自分に非があるのが分かってるなら、早めに謝りなさいよ?」

「余計なお世話だ」

 眞紀子の台詞も半分ふざけての事だと分かっていた隆也は、それほど気分を害する事も無く、平然と蕎麦をすすった。そこで香苗がしみじみと言い出す。


「でも今年は何年かぶりに、大晦日と元旦に眞紀子が家に居てくれて良かったわ」

「そうだな。隆也が結婚したら、四人だけで顔を合わせるという事も少なくなる筈だし」

「そうか。そう考えると貴重な機会なのよね」

 亮輔が相槌を打つと、両親の台詞を聞いて思い至ったらしい眞紀子が、隆也に向き直りながら申し出た。


「それじゃあ、これを食べ終わったら、少しお酌してあげるわよ。どうせ飲みながら年越しするんでしょ?」

 それを聞いた隆也が、思わず苦笑を深める。


「お前が酌をすると、悪酔いしそうだな。第一、俺以上に飲むんじゃないのか?」

「当然。飲み比べでも男連中に負けた事は無いわ。連勝記録更新中よ」

「お前の場合、偶には負けろ」

 呆れて思わず溜め息を吐いた隆也を見て他の三人は楽しげに笑い、それに釣られて隆也も再びその顔に笑みを浮かべ、榊家の面々は久し振りの家族の団欒を満喫していた。


 同日、高木家は一家総出でとある温泉街のホテルに宿泊していたが、貴子はそろそろ日付が変わろうとする時間帯に静かに部屋を抜け出し、エレベーターの横の、休憩用にソファーセットが並べてあるスペースにやって来た。そして手の中の携帯を見下ろして、少し迷う素振りを見せる。


(ひょっとして、もう寝ているかしら?)

 そう思ったものの思い切って電話をしてみると、それほどコール音が繰り返されないうちに応答して貰えた為、安堵した。


「どうした? もう寝ているかと思ったが。俺は妹と飲んでいたから遠慮するな」

「そっちも飲んでたの? 飲みながら年越しって、どうかと思うんだけど」

 思わず苦言を呈した貴子に、隆也が笑いながら言い返す。


「『そっちも』って事は、お前も飲んでいたのか?」

「私とお母さんはそれ程飲んでないけど、男連中がご機嫌で。部屋で飲んで大騒ぎしてから、孝司が『年越し蕎麦を食いに行こう』って言い出して、さっき三人連れ立ってホテル内のラーメン屋に食べに出かけたの。付き合い切れずにお母さんは寝ちゃったわ。大体、どうして年越し蕎麦でラーメンなのよ。意味不明」

 そう言って疲れた様に溜め息を吐くと、隆也が小さく笑いながら感想を述べた。


「その光景が、目に見える様だな。お前は寝ないのか?」

「ちょっと目が冴えちゃって。部屋で話してるとお母さんを起こすかもしれないから、同じフロアの談話スペースに来てるのよ」

 すると隆也が職業意識を刺激されたのか、瞬時に口調を改めて確認を入れてくる。


「ちゃんと明るい場所か? それに薄着で出ていないだろうな?」

「十分明るいし、暖房は効いているから大丈夫よ。ちゃんと羽織っているしね」

「それなら良いがな。それで? 話があるんじゃないのか?」

 わざわざ電話してくる位だから、暇潰しなどでは無くちゃんとした用件があるのだろうと判断した隆也が促してきたが、それを聞いた貴子は言葉に詰まった。


「ええと……、うん、確かにそうなんだけど……」

 そこで不自然に言葉が途切れた為、隆也は怪訝に思いながら話題を変えてみた。

「ところで旅行はどうだ? 楽しくやってるか?」

 それを聞いた貴子が、救われた様に嬉々として喋り出す。


「ええ。もう、電車に乗っている間から大騒ぎよ。孝司はともかく、祐司までテンションが高いのには閉口したわ」

「まるで、お前が抑え役だったとでも言いそうな口振りだな」

「実際そうだったわよ。信じないかもしれないけど」

「信じられないな。後から二人に聞いてみよう」

「失礼しちゃうわね、本当の事なのに」

 楽しげに報告して小さく笑っている貴子に、隆也は(相当楽しんでいるらしいな)と安堵した。そんな上機嫌の彼女の報告が、更に続く。


「そんな事もあって昨日は移動だけで少し疲れたから、ゆっくりホテルのお風呂に入ってのんびりするだけにしたんだけど、今日は日中温泉街を回って幾つかの温泉に入浴しつつ、買い食いしたりお土産を買ったり。あ、隆也にもお土産を買ったから」

「そうか。何を買ったのか、今夜は想像しながら寝るか」

「それから民芸品の手彫り体験とか、射的とかやってみたんだけど、ぶっちぎりで祐司が一番下手だったの。矢が的に刺さる以前にかすりもしないのよ? 孝司と大笑いしちゃったわ」

「それは意外だったな」

「そうでしょう? ボールを投げるなら、的に当てるのは確実に一番上手い筈なのに。台に両手を付いて打ちひしがれてるところを、思わず写真に撮っちゃったわ」

「それは気の毒に。可哀想だからその写真、綾乃ちゃんに送ったりするなよ?」

「ちょっと迷っているのよ。どうしようかしら?」

「酷い姉だな」

 そうして二人で電話越しに笑い合ってから、ほぼ同時に笑い声が途切れ、電話越しに沈黙が漂った。しかし隆也は今度は自分から話しかけたりはせず、貴子が口を開くのを待つ。


「……それでね?」

「ああ、どうした?」

 少ししてから、貴子が控え目に言い出した為、それに隆也が穏やかな口調で応じると、貴子は思い切って話し出した。


「私、これまでずっと、一生一人でも構わないと思ってたのよ。父方とは係わり合いになる事自体拒絶してたし、母方とも上手くやっていける自信があまり無かったから、赤の他人と家族になるとか全然考えた事も無くて。だから隆也と一緒に暮らすのは構わないけど、結婚するのは正直どうかなと思っていたし……」

「お前からすれば、そうだろうな」

 隆也が取り敢えず肯定してみると、貴子は思ったよりは明るい口調で言ってのけた。


「だけど今回の旅行で、結婚すれば新しい家族が増えるわけで、これまでよりもっと楽しく暮らせるかもしれないなって思ったの。そう考えたら、結婚しても良いかなって」

 そんな殊勝な発言を聞いた隆也は、正直、安堵するよりも呆れてしまった。


「気苦労も、増えるかもしれないだろうが。何だ、そのお前にしては珍しく、超前向きな発言は。はっきり言って気色悪いぞ?」

 思わず本音を零した隆也に、気分を害した貴子は盛大に文句を口にした。


「ちょっと! 今、自分でも信じられない位ポジティブになってるって言うのに、その言い方はあんまりじゃない!? こんな風に考えられたのも隆也のおかげかと思って、年が変わる前に一言言っておこうと思って、わざわざ電話してみたのに!」

 憤然と訴えた貴子に、隆也は笑いながら素直に謝った。


「それは悪かった。確かに言い過ぎた。酒と高木家の皆さんに感謝だな」

「……やっぱり、言うんじゃ無かった」

 恨みがましくそう貴子が口にすると、隆也が笑いを堪える口調で宥めてくる。


「拗ねるな。言いたい事は分かったから。そろそろ新年だぞ? 今年中に言えて良かったな」

「はいはい。来年も宜しくお願いします」

「そうだな。……ああ、年が変わった。今年も宜しく、だな。じゃあ話は終わったな。身体が冷えるからさっさと部屋に戻って、暖かくして寝ろよ?」

「分かってるわよ。おやすみなさい」

 早く部屋に戻れと念を押された貴子は、通話を終わらせてからその指示に素直に従い、笑顔で部屋に戻って行った。

 一方で、貴子から電話がかかってきた段階で、スマホを持って廊下に出ていた隆也は、再びリビングに戻って来た。


「兄さん、話は終わったの? やっぱり貴子さんだった?」

「ああ。それじゃあ、俺は風呂に入って寝る」

 そう言ってさっさと飲んでいたグラスやつまみの皿を片付け始めた隆也に、眞紀子が不思議そうに問いかける。


「え? もう飲まないの? ザルなんだから、いつもならまだまだ飲むじゃない」

「朝までにできるだけ酒を抜いて、出向かないといけない所ができた」

 その説明に、眞紀子は益々要領を得ない顔付きになった。


「はあ? まさか初詣にでも行く気? 珍しいわね。じゃあ私今日は夕方から勤務だから、朝はゆっくり起きて、昼頃マンションに戻るから。もしかしたらすれ違いで、また暫く顔を合わせないかもね。おやすみなさい」

 そう言ってヒラヒラと片手を振った眞紀子に、思わず隆也が渋面になる。


「お前は、その不規則な生活をどうにかしろ」

「無理ね。文句はうちの外科部長に言って」

 これまでに妹と何回繰り返したか分からない類の会話を交わしてから、隆也はリビングを後にした。

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