(16)便利屋
貴子から受け取った資料を基に、作成した上申書を上司に提出して数日後、隆也は会議室に捜査時に班長を務める数人のベテラン達を集め、簡単に報告した。
「部長から、指示を受けた内容は以上だ。特捜を正式に立ち上げるまで、各部署で他の業務の傍ら情報収集と証拠固めを行う。各自、そのつもりでいてくれ」
そして隆也が目の前の机に、手にしていた資料をバサリと置くと、それを合図に、他の者達から声が上がった。
「了解しました。しかしとんだ大事になりましたな」
「脱税だけではなく、マネーロンダリングに組織的な入札妨害で得た金での選挙活動や、代議士も絡んだ許認可に絡む贈収賄とは」
「他にも波及している容疑がありますし、近年稀にみる疑獄事件ですね」
「大事過ぎて、末端の捜査員には全貌が掴めないだろうな」
「全体の把握は我々で、且つ国税局も含めた各関連組織との連携もしていくから、各捜査員には本部を立ち上げるまで知らせる必要は無い」
端的に纏めた隆也に、部下達は納得しつつも不思議そうな顔を向けた。
「分かりました。……しかし、どんな情報提供者なんですか? 確かにこれらでは証拠にはなりませんが、的を絞って捜査する事が可能ですし」
「交友関係や贔屓店のリスト。取引銀行や電話や携帯の番号までとは」
「その情報提供者が、警察に漏らしたと関係者から疑われたり、報復を受ける可能性はありませんか?」
一人がそんな懸念を口にしたが、隆也は大して気にも留めなかった。
「それは大丈夫だろう。あそこのマンションはセキュリティーはそれなりだし、出入り口の死角とかも殆ど無い。それにもともと用心深い女みたいで、始終盗聴器の発見器で、部屋を捜索しているからな」
そんな事をサラッと言われてしまった為、彼の部下達は内心で頭を抱えた。
「まさか課長、捜査対象者の情婦にまで、手を出したわけじゃ有りませんよね?」
中の一人が皮肉っぽくそう尋ねてきたが、隆也は堂々と言い返す。
「安心しろ。あれはとても普通とは言い難いが、れっきとした一般人の女だ。俺は、男とニューハーフと捜査対象者とその女には手を出した事は無いし、今後も出す予定は無い」
「……失礼しました。課長の守備範囲が広いのは、一般女性に関してだけでしたね」
質問した竹原が、周囲から(通じない皮肉を口にするなよ)と生温かい視線を向けられていると、純粋な好奇心から他の者が問いを発した。
「ところで課長は今現在、その女性とお付き合いされているんですか?」
「付き合い?」
「ええ」
そんな質問は想定外だったと言わんばかりの表情を見せた隆也は、少しだけ真面目に考え込んでから、真顔で問い返した。
「お互いの都合の良い時に押し掛けて、美味い飯を食って寝てくるだけだが、付き合ってる範疇に入ると思うか?」
そんな事を言われてしまった室田は、思わず項垂れる。
「……すみません、俺に聞かないで下さい」
「課長……、それは下手すると、単なるヒモですよ」
しみじみと竹原がそんな感想を述べた瞬間、会議室内には何とも言えない微妙な空気が漂った。
「そういう話で、捜査会議は終わった」
その日、貴子のマンションに推し掛けた隆也は食事を済ませ、ソファーに貴子と並んで座りながら資料に目を通していたが、ふと思い出して「そう言えば、貰った資料で上申書を提出した」という話から、そこに至る経緯を語って聞かせた。それを聞き終えた貴子は、クスクス笑い出しながら感想を述べる。
「ヒモ疑惑は傑作ね。それに一応、普通の女扱いされているみたいで良かったわ」
「安心しろ。男には見えん」
「だけど皮肉が通じないなんて、あんたの部下って、本当に気苦労が多そうね」
「見えない所で、上司が気苦労しているんだ。見える所で部下が苦労しないとフェアじゃない」
「フェアとか、そういう問題じゃ無いわよ」
心底呆れて零した貴子だったが、会話している間も手元の書類を凝視している隆也に、些か腹を立てて文句を言った。
「ねえ、さっきから言おうと思ってたんだけど、人の家に来て、仏頂面で書類を睨み付けるのを止めてくれない?」
しかしそんな非難にも、隆也は相変わらず手元に視線を落としたまま応じる。
「仕方ないだろう。静かで考え事をし易いんだ。美味い飯をたらふく食った後で、あまり動きたく無いしな。第一、横に座ってるから、お前がわざわざ俺の顔を見ない限り、笑顔だろうが仏頂面だろうが見えないだろうが」
「わざわざ私の横に座ったのはあんたでしょ? すぐ傍でしかめっ面されるのも、嫌なのよ。普通は向かい側に座るものじゃない」
「我儘な奴だな。ダイニングテーブルからは、こっちの方が近いんだ」
「どっちが我儘なのよ。……中年太りになって、転がって移動しやがれ」
「何か言ったか?」
ボソッと声を潜めて悪態を吐くと、そこで漸く隆也が反応して顔を上げ、貴子に顔を向けた。貴子はそれに半ば呆れつつ、笑って誤魔化す。
「いいえ、何も? ところでさっきからずっと何を見てるの?」
「ちょっとした捜査資料だ」
「暇潰しに見せて」
遠慮なく片手を出してきた貴子に、隆也は少しだけ考える素振りをしてから、一部の書類を手渡した。
「……まあ、良いか。ほら、調書のコピーの一部だ」
「で? これのどこが、どう引っかかっているの?」
その問い掛けに、隆也は資料を指し示しながら説明する。
「ナンバリングしてある、51番。事件の詳細は説明出来ないが、とある人物達が密会した筈の時間、別な場所でのアリバイを主張している」
「そのアリバイが崩せない? 利害関係がある相手じゃないの?」
「調べてみたが、そういうのは全く出て来ないし、証言者は犯罪歴の無い一般人だ。だが、どうもすっきりしない」
「ふぅん? まあ、表面だけ読んでみても、分からないかもしれないけど……」
軽く首を傾げつつ、黙って読み進めた貴子だったが、すぐに眉を寄せて隆也に声をかけた。
「……ねぇ?」
「何だ?」
「ここの証言、気味が悪いわ」
「気味が悪いって……、変な言い方をするな。どこだ」
そこで隆也が貴子の手元に目をやり、指差された箇所を確認すると、貴子はその思うところを述べた。
「だって自動車同士の、接触事故を起こしたんでしょう? それなのに『前方不注意で交差点での確認を怠って、ブレーキを踏みながらハンドルを切ったけど間に合わなかった』って、やって来た方向とハンドルを切った方向が左右逆なだけで一字一句同じ。不自然極まりないわ。それに相手の過失を咎める様な言動も、一切無し」
「それは……、単に凄く反省しているだけでは?」
控え目に反論してみた隆也だったが、貴子は尚も主張を続けた。
「それにしても、どうしても多少は自己弁護の言葉が入るのが、人情ってものでしょう。それにお互いに非があるからって、警察も保険屋も呼ばないでその場は別れたって、何よこれ」
的確にポイントを突いてくる貴子に、隆也はそれを斜め読みした時に感じた違和感が、自分の中で形になってきたのを感じた。
「要は……、二人が示し合わせて用意した同じ文章を丸暗記した、とでも言いたいのか?」
「起こしていない事故を、でっち上げるんじゃね。不自然な所が無いようにって細かい所まで詰めて、却って不自然になるなんて本末転倒だけど」
「そうなると……、やはりアリバイ相手には、それを証言する事で、何らかのメリットがあると?」
慎重に問いを重ねた隆也に対し、貴子は冷静に問い返す。
「繋がりが出ないなら、おそらく本当にその時までは見ず知らずの他人。偶々その密会現場の付近で、密会していたと思われる時間帯に、事故を起こして逃走した車とか、犯人が未判明の事件とか無いの?」
「双方のアリバイの成立か……。初対面の見ず知らずの相手で、それが可能か?」
「人生かかってれば、何でもありじゃない? それを調べるのはそっちの仕事よね?」
「分かった。部下に再度調べさせてみる」
「自分で調べ直すって言わない所が、やっぱりキャリア様よね。正直なのは、美点だと思ってあげるわ」
そこで互いに苦笑した顔を見合わせてから、気分が乗って来た隆也が手元の書類を一枚抜き出し、貴子に差し出した。
「ついでにこれも見てみるか? お前の感想が聞きたいんだが」
「え? 何? 何かの押収品の写真のカラープリント?」
「ああ。とある事件の容疑者の愛人宅で、押収したネックレスを撮影した物だ」
「正直に言って良い? 趣味悪いわね~」
迷う事無く一言で切って捨てた貴子に、隆也は自分も同様に思っていたものの、思わず失笑してしまった。
「真っ先に食いつく所はそこか」
「だって、こんな風にプラチナの台座に嵌めこんだ石をバラバラに繋げてネックレスにするなんて、まともなデザイナーのする仕事じゃないわよ?」
「確かにな。使っている石は十ニ種類。それをランダムに並べて左右対称に繋げているなんて怪し過ぎる。てっきり隠し口座の口座番号か、誰かの電話番号と対応しているのかと思ったんだが……」
そこで言葉を濁した隆也に、貴子は不思議そうな顔をした。
「違うの?」
「毎月の誕生石でもカラット数でも、石の名前の頭文字を並べてみても、それらしい組み合わせにはならなくてな」
「惜しいわね~、数字と対応するかとまで考えてるのに……。あと一歩踏み込みなさいよ」
「分かるのか?」
思わず、といった感じで舌打ちした貴子に隆也が視線を向けると、その先で貴子が真顔で自論を述べた。
「石の数は中央の大きいオニキスから、左右対称に十四個ずつ。国内の各金融機関に割り振られている金融機関コードは四桁、各金融機関の本支店に割り振られている支店コードは三桁、口座番号は六桁か七桁。六桁の口座番号でも頭に0を付ければ、組合せて十四桁になるわよね?」
それは既に一度考えてみた内容でもあり、隆也は難しい顔で問題点を挙げる。
「それは俺も考えてはみたが、どの石をどの数字に対応させる?」
しかしその疑問に、貴子はあっさり答えを出した。
「十段階のモース硬度での対応表を出しなさいよ」
「しかし……、その硬度の尺度で0は有り得ないし、1に該当するのはせいぜいチョーク並みに脆い物だろうが」
「何の為に硬度10のダイヤモンドが、通常のクリアなものとピンクダイヤの二種類使ってあると思ってるのよ。どちらかが0で、どちらかが1に対応してるに決まってるじゃない。2は確か琥珀だし、このリストだと3から9に該当する物も揃ってるわ」
ネックレスに使用している石のリストを指差しながら貴子が指摘すると、隆也は瞬時に真顔になった。
「……なるほど。そうなると、逆にルビーとサファイアは両方9か」
「組成が同じだけど不純物が違うから色彩が異なるだけで、硬度は同じだしね。0から9の数字に一つずつ対応して十種類の石を使ったら気付かれやすいと考えて、わざとそれ以上の種類の石を使ったみたいね。取り敢えずその方向で、色々組み合わせを考えてみたら?」
「もうやってる。話しかけるな」
「はいはい。教えてあげたのに、どこまで横柄なんだか」
スマホで硬度表を検索した隆也が、早速白紙部分に該当する数字の組み合わせを猛然と書き始めたのを見て、貴子は苦笑しながら立ち上がった。
「頑張ってお仕事してる公僕様に、飲み物を恵んであげるわよ。何がいい?」
「珈琲。ブラックで」
「了解」
そして(一応真面目に仕事をしてるみたいだし、一段落してからやって貰う事にしますか)と一人で段取りを考えつつ、貴子はキッチンへと向かった。
そして珈琲を淹れた貴子がそれを隆也に渡してから再びその場を離れ、大き目の紙袋を手にリビングに戻り、それを座っていたソファーの後ろに置いた。しかし手元に集中していた隆也はそれに全く気付かず、書込みを続ける。
「取り敢えずこんなものか?」
内容を見直して満足そうに口にした隆也に、横に座って同じ様に珈琲を飲んでいた貴子は苦笑いで応じた。
「もし違ってても、文句言わないでよ?」
「そんな情け無い真似をするか。さて、こうなったら中央のオニキスも引っ剥がしてみないとな」
「どうして?」
何故唐突に乱暴な事を言い出したのかと訝しんだ貴子に、隆也はニヤリと笑いながら問題の石の部分を示しつつ説明した。
「他の石の大きさと比較して、これだけ不自然に厚みがあって余計にバランスが悪い。口座の登録印鑑の先端部五ミリを切り取って、くり抜いた中に入れてるかもしれん」
「……そこまでは、考え付かなかったわね」
「最近では俺も頭脳労働の方が多くてな」
「でしょうね」
両者が揃って皮肉っぽい笑みを浮かべると、テーブルに書類を放り出した隆也は、空いた手を貴子の腰に回し、その身体を引き寄せた。
「さて、これで時間外の頭脳労働は無事終了だな。次の肉体労働に移るか」
「あら、期待して待ってた甲斐があったわ。ちょっと待って」
「それは構わないが……」
笑顔で自分の身体を押しのけつつ立ち上がった貴子に、(何をする気だ?)と隆也は訝しんだが、直後に目の前に出された物を見て益々怪訝な顔になった。
「はい」
「……何だこれは」
それは先程ソファーの裏側に、貴子が持って来ていた紙袋だったが、中には様々な形と大きさの電球や蛍光管の箱が入っていた。それを隆也に押し付けつつ、貴子が悪びれなく答える。
「何って、見れば分かるでしょ? LED電球と蛍光灯よ。時代はエコだし、切れてからだと慌てるし、この際全部纏めて取り替えようと思って。宜しくね。全部の箱に交換する照明の場所が書いてあるから。ついでにキッチンの、換気扇のフィルター交換も宜しく」
「おい! ちょっと待て!」
さすがに隆也が声を荒げたが、貴子は非難の叫びもなんのその、婉然たる笑みを浮かべながら、平然と言ってのける。
「タダでご飯を食べて女とやるだけだったら、ヒモそのものでしょ? 部下に示しが付かないから、ちょっとした他の肉体労働位しなさいよね。じゃあ私、先にお風呂に入ってるから。脚立が廊下の収納スペースに有るから宜しく。頑張ってね~」
そして言いたい事だけ言った貴子は、ヒラヒラと手を振って一人浴室に向かった。
「俺はそれから玄関、寝室、トイレ、廊下、キッチン、リビング、洗面所、浴室の照明器具と、換気扇のフィルターを交換させられる羽目になったんだ」
「ご苦労様です……」
不機嫌そのものの上司を前にして下手な事は言えず、竹原は神妙に相槌を打った。しかし隆也の愚痴めいた呟きは、更に続く。
「その挙げ句、風呂から上がったらさっさと一人、ベッドで熟睡してやがった。その間抜け面を見たら完全にやる気が失せて、叩き起こしたりせずにそのまま一緒に寝たぞ。全く、何て礼儀を弁えない女だ。まあ、翌朝の飯も美味かったから、許してやったが」
「何をもって礼儀とするかは、各人の考え方次第だとは思いますが……。ところで課長、どうしてお付き合いされている女性とのやり取りを、私に説明するんですか?」
このまま延々と愚痴を聞かされるよりはマシかと恐る恐るお伺いを立ててみた竹原に、隆也は僅かに顔を歪めてその理由を告げた。
「以前『それでは一歩間違えるとヒモだ』と言っただろうが。これだけ理不尽な扱いを受けてるのに、誰がヒモだ」
「……前言撤回します。申し訳ありませんでした」
「分かったのなら行っていい」
「失礼します」
深々と頭を下げてから竹原が目の前から姿を消すと、隆也は不機嫌そうに仕事に再開した。その様子を遠目に窺いながら、部下達が囁き合う。
「うちの課長を、顎で使う女……」
「猛獣使い……。猛獣使いが居る」
「世の中、広いよなぁ」
そして隆也の職場では『最近うちのボスが妙な猛獣使いに飼い慣らされているらしい』と言う、本人が聞いたら激怒する事間違い無しの噂が、まことしやかに囁かれる事になった。
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