第2話 死神の初恋②
それはひとりの女性だった。
墓場には男に混ざって、女の騎士もやってくる。刃も交えたことがあるし、別に珍しいわけではないのだが……
どう見てもこの場にはそぐわない。
歳は十八くらいだろうか。ハクロよりは上だが、およそ血なまぐさい戦場とは無縁の、
か弱そうな女が単独で、どうやってこんな
何者かは分からないが無防備すぎる。武器はおろか防具さえろくに身に着けていない。薄手のローブだけでは
鬼か悪魔かにでも
普段なら臭気や足音だけでも察知できるはずなのだが……あろうことかハクロは、間合いに入られるまで気づくことができなかった。睡眠不足のせいもあるが、それよりも、女から殺気を感じることができなかったのだ。
互いの息がかかる距離まで接近され、ようやく異変を察知することができた。
同時に鎌を
純粋に驚いただけである。
誰に
そして。
ハクロは無防備な背中を
その胸に大鎌が刺さったまま、動かなくなっている。
指先に残る感触はいまだに生々しい。鎌を通して
殺してしまった。
同族を。
ハクロが人間を殺めたのはこれが初めてだった。
――おかしい。なにか変だ。
――なんだろう、この女。
常に死と隣り合わせにいるハクロだが、女の死に様は異様というか、不自然に映った。
人間だろうと動物であり、自然の一部なのだ。闇に包まれたこの墓場ではうしろ暗い本性を発露させる者が後を絶たない。ハクロはこれまで幾度となく
ある者は
ある者は
ただ死ぬことでさえ避けたいだろうに、他人に殺されるとなればさらなる恐怖が重なる。誰もが苦痛に顔を歪め、泣き、狂い、乱れて死んだ。
多くは男だったが、女だからといって例外にはならないだろう。
深く心臓を貫いたとはいえ、即死ではなかったのだ。相当苦しかったはずなのに――痛かったはずなのに、辛かっただろうに悲しかっただろうに恨めしかっただろうにそれなのに。
鎌を振った瞬間からずっと視界に捉え続けていたのだがこの女、
――笑っていたのか?
いまもわずかに口許が緩んでいる。
なにかを伝えようとしていたのだろうか。しかしそのメッセージを聞くことは叶わなかった。女は死に際でさえ、まるで声を発しなかったのである。
意図的な沈黙だったようにも思える。
ハクロはこれまで数多くの獣を
――
ハクロは
死は根源的に遠ざけられて
嫌われるものは捨てられ、隠され、無かったことにされるのだ。
忌み子として生まれ、死神と呼ばれるようになったハクロのように。
ならば。
彼女の笑顔はなにを表していたのか……。
幼いハクロには
怖い。
怖い。怖い。
怖い。怖い。怖い。
解らないものが在ることにハクロは
ぬらり――
と、黒い影が現れる。
視えざるものが視界に這入った。
乾いて血走る瞳を固く閉じる。
視えるからいけないのだ。
在るからいけないのだ。
理解を超えた存在にハクロは
女だったものの前で
食べてしまおうと考えたのだ。
――殺したからには食べなければ。
殺しておいて食べないのは命に対する
女の得体は知れなくとも、残った躰は
一種の錯覚であり、呪いのようなものである。
引き金となったのは女の笑顔だ。
言葉を交わすことさえ叶わなかったが、ハクロはその
在るべきではないものがそこに在るから。
己の中で矛盾が生じないよう、食べて無くしてしまおうと無意識に選んだ結果である。
鎌から手を離すとハクロは、立って歩けるようになってから初めて大地に両手をついた。震える躰を必死に
乱れた髪から流れる
近くで見ても肌の質は細かい。
品の良さについ
ハクロのなかで迷いが生じた。
――ほんとうに食べるのか?
――同じ人間を?
他に方法はないかと自問自答を繰り返す。だが
遠くで物音が聞こえた。
また人間が近づいているようだ。
狙いは死神だろう。
だが今は戦えない。戦いたくない。眼の前に横たわる問題を無視することはできない。見つかる前になんとかしないと。
喉を鳴らし、意を決して口を開く。
女の柔らかな
両者の体液が混ざり合ったその瞬間――
とつぜん黒い
ハクロは思わず牙を離し、身を
女は、長い
否――躰は
だが女だったものとはあきらかに異なる。女らしきものの躰は
ハクロにとってそれは、初めて眼にする人間ならざるものだった。名状しがたい現象を説明する言葉を探すことは、死神の自覚がない彼には困難である。しかし、それでもこの世の法則は理解しているつもりでいた。
形あるものは必ず変化するのだと。
死ねば朽ち果て、やがて土に還る。蟲が喰い、魚が喰い、そして人が喰う。そうやって万物は
人間といえども例外ではない。
視えているならば生きているのか?
しかし、足許にはたしかに女だったものの躰が残っている。この事実をどう捉えればいいのだろう。混乱しつつもハクロは思考を巡らせる。
たじろぐ間にも女の実体は、女らしきもののほうへ移っていく。わずかだがそちらから生命力を感じられるようになった。
女は
華奢な指先を己の口許にすべらせる。
――やはり人間ではない。
ハクロは鎌を引き抜いて持ち直す。だが、かまえる必要はなかった。
視線が交差する。
女に敵意は感じられない。むしろ好意的な表情をしている。
屈託のない表情を前にハクロはまたしても硬直してしまった。
女はハクロに近づき、その動けなくなった躰をやさしく包みこむ。実体はないがぬくもりは伝わる。
「ハクロ、やっと逢えた」
死神の苦悩が始まった。
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