シェアワールド ~死神の初恋~

遊び心

シェアワールド ~死神の初恋~ 133,739文字

死神の初恋

第1話 死神の初恋①

 二度と人は愛さない。

 死神とおそれられるようになったハクロは心の中でそう誓った――。


  ※


 そもそも。

 ハクロは人の愛し方を知らない。生まれて間もなく捨てられ、両親のぬくもりさえ知らずに育ったからだ。

 記憶は生まれた瞬間までさかのぼることができる。その、取り上げられた時の産婆さんばの表情が印象的だった。他の人間たちもだ。みんなハクロを見て慌てふためいていた。仔細わけはわからなかったが、しきりにだと口にしていたのをよく憶えている。

 その望まれなかった子はすぐに別の場所へ移され、独りになった。

 女の泣き声を残して、独りになった。

 くらい、くらい闇の中で独りになった。

 独り置き去りにされた場所は、誰にもいたまれずとむらわれることのない、墓標ぼひょう戒名かいみょうも必要としない名も無き戦士たちの墓場だった。

 うとまれ、さげすまれ、かろんじられ。

 忌避きひされてきた命がおのずと集まる、そんな場所だった。

 れ物を隔離かくりするにはうってつけなのだろう。生まれたその日からハクロは、墓穴をねぐらとし、魍魎もうりょうき声を子守唄こもりうた代わりにせざるを得なくなった。常人ならその場でえるか、われるか、さもなくば気が触れるだろう。しかし、そんな劣悪れつあくな環境に置かれてもハクロは死ななかったし、狂うこともなかった。

 忌み子としてもって生まれた素質そしつのせいか、生命力が異常に強かったのである。捕食ほしょくされないよう泣きもせず、じっと息をひそめ、それから雨水をすすり、むしあさって命をつないだ。まるで餓鬼がき羅刹らせつのごとき有様だが、しかしハクロは聡明そうめいでもあった。

 ――俺はけものとは違う。そのくらいの分別はつく。

 言葉は知らずとも、そう自覚していた。

 だが、無条件にまもってくれる母も、生きるすべを教えてくれる父も此処ここにはいない。

 獲物えものを捕えるつめきばもなければ寒さをしのぐ毛皮もないのだ。このままではいずれ死に至るのは必然だろう。

 幼いながらもハクロは必死に知恵をめぐらせた。人間の武器は頭脳ずのうだと本能的に理解していたのである。

 与えられないのであれば奪わなくては。

 生きるためには殺さなくては。

 時折現れる墓荒らしはみんなそうしている。見つからないようにハクロは、襤褸ぼろや落ち葉で身を隠し、盗賊とうぞくや落ち武者むしゃの行動をつぶさに盗み見て生きる術を身につけた。わずかだが言葉や文字もおぼえ、それと同時に――人間のごうった。

 傲慢ごうまん嫉妬しっと暴食ぼうしょく色欲しきよく憤怒ふんど怠惰たいだ、そして強欲ごうよく

 ひたいの奥で痛みが走る。

 るべきではないものが眼窩がんかの底でぞうを結んだ。夜目よめが利くハクロにとって、破落戸ごろつきたちの所業しょぎょう醜悪しゅうあくに映る。

 ――これでは獣と変わらない。理性ある人間のすることか。

 そう思った。

 思ったが、しかし――綺麗事きれいごとで腹は満たされない。

 渇いたのどえない。

 背反はいはんする想いを抱えながらもハクロは、生きることを優先させた。


  ※


 やがて。

 つかまらなくとも歩けるようになると、空いた両手で道具をこしらえた。獲物を狩るための武器だ。幸い、墓場には持ち主不在の武器や防具のたぐいには事欠かない。なかには真作しんさくおぼしき業物わざものも転がっていたが、まだ非力なハクロにはとても扱えそうになかった。

 だが真っ向勝負を挑む必要はない。一戦ごとが生死に直結するのだ。身の安全を最優先に、なるべく獲物からはなれて戦える状況が望ましい。しかし弓を引く技術はない。矢が尽きることにも不安を感じる。

 熟考じゅっこうした末に選んだ武器はかまだった。

 つかの折れた剣を拾って木の枝に括りつけただけだが、リーチが長く、獲物との間合いもはかれる。刃渡りもあるため命中させやすそうだ。闇にまぎれて急所きゅうしょを狙えば一撃で仕留めることも可能だろう。幾度か振り回して感触をたしかめてみた。粗末そまつなつくりだが、手にはよく馴染なじむ。

 得物が決まるとハクロは、墓穴から出て攻勢にうってでた。

 隠れて逃げ回るのはおしまいだ。初めにハクロは死肉をむさぼりにくるおおかみを倒した。毎夜周囲を徘徊はいかいされて難儀なんぎしていたのだ。次に森へ分け入り、へびった。さらには沼へも踏み込み、なまずを捕らえた。いずれも臭みはあったが、百足むかでねずみに比べればはるかに美味かった。

 成功と失敗を繰り返しながら次第に火の扱いにも慣れたし、人知れず衛生的えいせいてきな泉も見つけた。鎌も使いつぶすたびにより強靭きょうじんなものへと持ち替えていく。強い獣たちのテリトリーを把握した頃には、ハクロはすっかりたくましくなっていた。

 だが、まだとおにも満たないこどもである。

 時には返り討ちにもあったが、それは己の力量を見誤ったからに他ならない。必要以上に欲しなければ自然はハクロを生かしてくれる。怪我をして動けなくなった時も、薬草が手の届くところに生えていた。奇跡の意味も知らぬまま思わず合掌がっしょうしたくらいだ。

 ハクロは独りであっても孤独ではなかった。

 不思議な安堵感あんどかんが芽生えると興味は外へ向かった。山をけ、谷をえ、すこしずつだが己の世界が広がっていく。それが楽しくて仕方がない。

 だが野に下ることだけは未だけていた。

 獣は、こちらから危害きがいを加えようとしないかぎり襲ってくることは滅多にない。互いの縄張なわばりさえおかさなければ友好的ですらある。

 だが人間は違う。

 真に警戒するべきは人間だ。

 彼らは禁忌タブーを平気でおかす。踏み入ってはならない領域はたしかにるというのに……。

 墓場もそのひとつである。

 決して物見遊山ものみゆさんで立ち入っていい場所ではない。まつられることがなくとも、敬われることがなくとも、此処は彼岸ひがんとの境目なのだ。神聖しんせいではなくとも、畏怖いふされるべき対象がんでいるのだ。それが解らないはずはないのだが。

 それなのに。

 幾度も此処で人間同士が討ち合うのを見てきた。いがみ合い、無駄な殺生せっしょうが行われるたびにむくろが積み上げられ、さらに闇は深度しんどを増していく。だが、それでもなお不躾ぶしつけな光は這入はいってくる。松明たいまつあかりだ。月の光も拒むような底の見えない穴倉まで照らされては安眠のさまたげになってしまう。

 成長し、さらに力をつけたハクロは次第に人間を追い払うようになった。

 何度も、何度でも追い払った。

 繰り返すうちにハクロは対人戦たいじんせんにおいても無敵をほこるようになっていく。彼にとって墓場は目隠しをしても戦える自陣じじんなのだ。いくら集団で襲ってこようが恐れるに足りない。どんな歴戦れきせん猛者もさだろうと一刀両断いっとうりょうだんにねじ伏せた。

 それでも、いくら強くなろうともハクロは、むやみな殺生せっしょうを好んだりはしない。

 食べもしないのに命を奪うことは摂理せつりに反する。それは獣だってしない。ましてやハクロは人間である。

 ――俺ならもっと理性ある対応ができる。

 本来ならば元服げんぷくする年頃を迎え、精神的にも成長する頃合いになったハクロはそんなふうに考え、鎌で威嚇いかくしつつも、つたない言葉を使って説得を試みるようになったのだが……

 しかし成果は一向にあがらなかった。

 人の群れは減るどころか日を追うごとに増していく。いったいこんな日陰の地にどれほどの魅力みりょくがあるというのか……いぶかしむハクロが答えを得るのにさほど時間は要しなかった。何故なら――ハクロ自身が彼らの標的ひょうてきとなっていたからである。

 ――墓場にはが棲んでいる。

 と。

 過去に追い払った者たちの誰かがそんな噂を流したようだ。

 顔も棲家すみかも割れている。

 気づけば名をあげたい戦士がこぞって集まるようになっていた。いずれもハクロの敵ではなかったが、しかし連戦の疲労は否めない。ある日、一瞬の油断を突かれて塒を埋められてしまった。兵糧ひょうろう攻めなど想像もしなかった戦術である。さすがに焦ったハクロは語気ごきを荒げた。

「俺は死神なんかじゃない!」

「黙って去れば追いかけたりしない!」

 何度もそう云ってさとしたが、それでも。

 死神とののしられ、人殺しとなじられるばかり。

 まるで言葉が通じない。

 同じ人間なのに――言葉が通じない。

 たしかにハクロは異端いたんであり、破綻はたんしているのかもしれない。それでも彼はかしこかった。おろかな相手にも忍耐にんたい強く、必死に理解を示そうと努めている。だから貴様たちも理解してくれと訴える。此処は人間が来るべき場所ではないのだと。

 聴く者が誰一人いなくとも、そう叫び続けた。


  ※


 それから。

 ハクロは、敵襲を迎撃げいげきしながら墓場を彷徨さまよい続けた。いくら追い払っても人間は次々にやってくる。数に押し切られ、次第に手心を加えるのも難しくなってきた。

 塒を追われてから数日が経ち、ついに水も食料も尽きてしまった。あせりと苛立いらだちがつのり、疲労と空腹で意識が朦朧もうろうとする。眩暈めまいがするし耳鳴りもまない。昼夜を問わず明るいし、やかましい。何故、

 ――どうして俺がこんな目にわなければいけないんだ? 

 ――俺が忌み子だからか? 

 否、彼らにしてみれば死神なのか。

 まったくの云いがかりである。

 ハクロは、墓に棲んではいても人をあやめたことはない。それなのに、勝手に想像され、畏れられ、仇名あだなまでつけられてしまった。ハクロはまだ己の出生の秘密を知らないが、死神などでは決してない。

 人間だ。

 いくら声高こわだかに主張しても誰も聞いてくれない。認めてくれない。人間ならば名乗れと云う。親からさずかった名が在るだろうと詰め寄られる。だがハクロは己の名前を知らない。つけられてさえいないのではないかと思っている。無いものは名乗りようがない。口籠くちごもると人間は、やはり死神なのだとはやし立てる。誰も彼もがそうからかう。嗚呼ああ――

 うるさい。

 明るい。

 無数に揺れる松明の灯りが暴力的なほどに眼にみる。闇は安らぎをもたらしてくれるというのに、なにをそんなに恐れているのか。

 目障めざわりならば視なければいいのに。這入ってこなければいいのに。

 理解を超えた存在を放っておけないのだろう。死神などこの世には存在しないのだ。無いはずのものが在ってはいけないのだ。だがハクロはたしかに存在している。ならば名前を――

 在るならば名前を名乗れと云う。

 無いならば死神だと決めつける。

 無いものが在ると不安なのだろう。だから闇を照らし、正体を暴こうというのか。それでも解らないから勝手に名付けて安心しようというのか。

 無いものは無い。

 知らないものは知らない。ならばハクロは、

 ――在ってはいけない存在なのか? 

 そう思った瞬間、

 どろり――

 と黒い影が脳裏のうりめた。

 視えてはいけないものが視え、そして――忌避きひすべきことが起きた。

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