第3話 死神の初恋③
「嗚呼――ハクロ。ずいぶん探したわ」
女は死神の名を呼び、手をのばすとその胸に飛び込んだ。
だが触れられている実感はない。やはり実体ではないのだ。
無いはずなのに、在る。
在るはずなのに、無い。
錯覚か、あるいは幻か……。
影が過ぎると恐怖も一緒に消えていた。
ハクロはかまえを解いて鎌をおろす。
「貴女は俺を知っているのか?」
「ええ。貴方はハクロよ」女が答えた。「間違いないわ」
「ハクロ?」
「それが貴方の名前」
「俺に名前が在るのか? 俺は――死神ではないのか?」
「
「貴女も死神を倒しに来たのか?」
「この世に死神など――否、
ふたたび名前を呼ばれ、ハクロは息をつまらせた。
ついに人間と認めてくれる者が現れたのだ。とつぜんの
――人間なのか?
それが判断できない。一見すると人間の女性の姿をしている。ぼやけてはいるが、そうみえる。だが、亜人かもしれないし、人間だとしてもハクロの知らない能力によって
――これは魔法の一種なのか?
言葉を発しただけで火炎や
言葉が通じるし、
「どうして俺がハクロだと判るんだ? なにか証拠でもあるのか?」
「貴方にはいまの私が視えている。そして私には――貴方の闇が視えている。互いの視えざる闇が視えている。それが証拠よ」
女は真っ直ぐハクロを見つめた。その言葉に嘘や偽りはなさそうだ。ならばやはり視えているのか……。
黒くてどろどろとした闇のなかで、女にはなにかが視えているのか。
ハクロには見えていないなにかが、女には視えているのか。
ハクロは視線を
「どうかした?」女は首を傾げ、ハクロの顔を覗き込む。
「いや、なんでもない」ハクロは片手を広げ、視線を
「つまり貴方との関係性を知りたいのね?」
「深い縁を結ぶには時間を要する。だが俺は生まれたときから独りだった。出自を、過去を持っていない。知っているならどうか教えてくれ。俺は――忌み子なのか?」
どす黒い闇が頭のなかを這いずり回っている。
視るなと叫んで触れまわっている。
ハクロは頭を抱えて
「何故、どうして俺は捨てられなければいけなかったんだ……」
「過去に
「いけないか?」
「たしかに貴方は忌み子という
「どれほど
「では、こうして話している私と、足許に倒れている私だったものは同一かしら?」
「分からない」
「分からない? 分からないですって? よくご覧なさい。貴方のひと振りでこうなったのよ。死神と呼ばれても文句は云えないでしょう」
「すまない……殺すつもりはなかったんだ」
ハクロは抱えた頭を地面にこすりつけた。
たった一度の失敗で、取り返しのつかない事態が起きてしまう。ひとつの命が途絶えていく様を
女は、ひれ伏すハクロの肩に手をのせる。
「謝らなくていいわ。赦します」
「恨んでないのか?」
「痛かったけれど」
しかめ面をして
女は続ける。
「貴方はいま、こうして話している私のほうを視て、私だと認識しているでしょう? つまり、どう呼ばれるかは、他人からどう認識されるかというだけの話。名前は、属性を表すレッテルであり、貴方そのものではないの。だからもし死神と呼ばれるのが嫌なら、そう呼ばれないように振る舞いを改めればいい。ひとりの人間・ハクロとして認められるようにね」
「俺にできるだろうか?」
「方法を知らなければ私が教えてあげます」
「貴女が?」
「あら、不満? これでも貴方より長く生きているのよ?」
「それは見ればわかる」
「そこはお
女はまた頬を膨らませた。今度は本当に怒っている。
同じ表情でも込められた感情はまったく違う。その差を理解することはできても、何故殺したことは不問にし、
「すまない。
「これまでまともに言葉を交わす相手がいなかったのね。大丈夫、すこしずつ覚えていけばいいわ。そうね……これからは毎日、私と顔を合わせたら
「それが挨拶になるのか?」
「口答えしない」
「解った」
「それから、私のことはサーシャと呼びなさい。これでもちゃんと名前があるんですからね」
「解ったよ、サーシャ」
「もう一度呼んで」
「サーシャ」
「……はい」
返事をするとサーシャはうつむき、背中を見せた。
長い髪が揺れる。ハクロと同じ、色素の薄い金髪だった。その、軽くウェーブがかったロングヘアからのぞく小さな肩が震えている。
サーシャは両手を胸にあて、瞳を閉じていた。
「……泣いているのか?」
ハクロが問うとサーシャは黙って
だが、泣いているのは判っても、どうして泣いているのかは解らない。また気に
「すまない。傷が痛むんだな」
「いいえ、違うわ」
「痛くないのか?」
「痛くないわ。嬉しいの」
「嬉しくても泣くのか?」
「人間はね――嬉しくても泣けるのよ」サーシャは顔をあげた。
その瞳は、その顔は――笑っていた。
――この女を信じたい。
そう思った。サーシャから悪意は
自然と手がのび、その頬に触れる。
否、触れられはしないのだが……流れる
ハクロはさらに近寄り、サーシャの肩を抱く。
だがそのとき――遠くで音がした。
金属のかち合う音が穴倉の外で鳴っている。
「人の足音ね」サーシャが云った。
彼女の耳にも届いたようだ。
その声でハクロは我に返り、のばした腕を戻した。無意識のうちに出ていた
サーシャは裸だった。
ローブや他の衣類はみんなサーシャだったもののほうに残されていて、いまの彼女はなにも身につけていない。
ハクロはやり場のない視線を泳がせ、穴倉から顔を覗かせる。
「……俺を探していた連中だな」
外では数人の騎士が
「ほんとうにしつこい。今度こそ追い払ってやる」
ハクロは鎌を両手で握り締め、飛び出す機会を
だが、それをサーシャが
「
「何度も説得は試みた。だがやつらは聞く耳を持たない」
「こちらがかまえれば向こうもかまえる。ハクロ、貴方は人間として認められたいのでしょう? なら、私の言葉に従いなさい」
「どうするつもりだ?」
「別の
「この躰はどうする。このまま置いていくのか?」
「そのままでかまわないわ。
サーシャは身を
一方のハクロは、ローブくらいは着せてやりたいと考え、サーシャだったものから衣類を
ロザリオだ。
サーシャが
「なにをしていたの?」隣に並ぶとサーシャが訊いた。
「いや、すこしでも
「無理もないけれど、ハクロは人間に対して警戒心が強すぎるのよ。もっと力をコントロールしなくちゃ。いつも殺気を放っていては誰も近寄れないわ」
「気をつけるよ」
「私も恨めしい顔なんてしてられないわね。
「やはり
何者だ?
そう訊こうとしたが、当人に
「それ以上の
サーシャはいたずらっぽく微笑んだ。
そう云われては返す言葉もない。ハクロは質問するのをやめ、彼女に従い、育った場所を離れる決心をした。
ふたつの影は闇に
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