第9話 過去の亡霊③
「太陽が閉ざされるって――空に浮かぶあの太陽が滅びるとでもいうのですか?」
視線の先には、大地を照らす陽の光で満たされている。
太陽は地平の
黒騎士も精悍な眼差しで天を睨みつける。嘘を
「日蝕自体はべつにあり得ない現象じゃねえ。太陽とこの星を結ぶ
「では、
「それだけならな。問題は、日蝕が起きることで
「蜥蜴が暴れだした原因も、その日蝕にあるのでしょうか?」
「ああ。そして、ある条件を満たした日蝕は、通常のそれよりも遥かに強大な
「奇跡のような話ですね」
「奇跡じゃなくて魔法だよ」
「違いが解りませんが……それで、誰が現れるというのです?」
「そいつは俺の知る限り、最も完全に近い
「すべてというと?」
「
世界を語る者・ストーリーテラーと。
「要するにこの世界の
「私たちは神に操られているのでしょうか? しかし、どうやって?」
「遣いを寄越すのさ。と云っても形は無いが……お嬢ちゃんは『はじめに言葉があった』って一節を知っているか?」
「いいえ。ですが、
「そんな善良なやつらならいいけどな……ストーリーテラーが告げるのは、終わりの始まりなんだ。今ある世界を壊して新たな世界を創るため、俺たちすべてに『最後の審判』を下すのさ」
「最後の審判?」
「強力な魔法によって死者さえも眠りから覚まし、これまでこの世界で生きてきたすべての者に罪を問うんだ。そして、正しき者は次の世界で永遠の生を受け、間違えた者は永遠の死を与えられるという」
「素晴らしいですね」
「そうか? 俺はそう思わねえな」
「だって、正しく生きていれば死なずにすむのでしょう? 悪者のいない世界でずっと幸せに暮らせるじゃないですか」
「じゃあ訊くが、正しさってのはなんだ?」
黒騎士は少女を
「善悪の基準なんて相対的なものだ。お嬢ちゃんにとっては正しいことでも、他の誰かにとっちゃあ間違いになることもある。表裏一体で切り離すことなんてできねえんだよ。だがそこに絶対的な価値観を押しつける
「それは――」少女は震え、その身を抱いた。すでに自分が
「お嬢ちゃんだけじゃねえ。完璧なやつなんてどこにもいねえんだ。俺だってそうさ。人間は間違う生き物なんだよ。命が
「世界は滅びてしまうのでしょうか……」
「そうならないように俺は、手がかりを求めて世界中を
「騎士様は救世主になろうとしているのですね?」
「そんな大それたもんじゃねえよ、俺のやってることは……」
黒騎士は云い
だが、そんな
「よく解りませんが……それでも騎士様は、世界の破滅を回避するために
「……
「スケープゴート、ですか……」
「伝説によると、女神の
「私は神に愛されてはいなかったのですね」
「気を落とすな。繰り返すが、女神だの死神だの――神だの、そんなものはこの世にはいねえんだ。いないやつから愛されたって一文の得にもなりゃしねえよ」
「解りません。いもしない女神からどうやって加護を授かるのでしょう? いもしない神がどうやって世界を創ろうというのでしょう?」
「いい質問だ。お嬢ちゃんは世間を知らなくとも頭はまわるな」
「
「無いものを在るとしたほうが得するやつらがいるってことさ。ストーリーテラーだって真実存在するかどうかは疑わしい。それでも人は見えないものを
「その、得をする誰かが嘘を流して、世間を
「おそらくな。混乱に乗じて利益を
「
「なに、一歩世間から退いて
そう
名も無き黒騎士は振り返ると
「それじゃ、そろそろ行くわ」
「もう旅立たれるのですか?」
「お嬢ちゃんははずれだったとわかったからな。もう此処に用はねえ」
「その――スケープゴートは見つかるでしょうか?」
「さてな。いないならいないで
「また極端なことをおっしゃる」
冗談とわかっても胸が
ふたりの間に冷たい風が吹き抜ける。
少女は
「あの、なにかお礼をさせてくださいませんか?」
「礼ならもうもらったよ」
黒騎士は、少女の
墨が彫られた細い首の下に白い肌が覗く。
「またそういういやらしいことをなさる」
少女は冗談めかしてぴしゃりと手を打つ。
しかし、死神を名乗る黒騎士は逆にその手をつかみ、躰を引き寄せて間近に迫った。
「そうじゃなくて、お嬢ちゃんの命は俺が預かったってことだ。断りなく勝手に死ぬことは許さねえ。よく
腰を抱かれているが、悪い気はしない。
入墨の少女は、その首まで紅く染めながら
「
「良い
「
「どうした? 好きにしていいって云ってんだ。どこへなりと自由に向かえばいいさ」
「ですが、私には生きる意味が見当たりません。いずれ滅びる
元より生きることに意味なんて無いと思っていた少女だが、皮肉にも死神によって救われ、価値観が揺らいでいた。
彼が現れなければ、死は確実に避けられなかっただろう。どんな
「甘えるな。んなことは自分で考えろ」
黒騎士は大きくため息を吐き、厳しい言葉を口にした。
「俺のこと信用し過ぎなんだよ。今日会ったばかりなのにもう深い
「そんな――命を救ってくれたうえに、こうして身を案じてくれている御方なのに……それでも疑えと
「言葉なんてものはいつだって
「ですが……」
「大丈夫、お嬢ちゃんには賢い頭と健康な躰があるじゃねえか。どうせ生きることに意味なんかありゃしねえんだ。死ぬ気になればなんだってできるさ」
黒騎士は白い歯をみせた。
なんだか
「さあ、谷は深いが太陽の方向へ道なりに進めば次第に浅くなるだろう。水場もあるし、その足でも二日歩けば街へ着くはずだ」
「あの……飛べるのであれば村まで運んではもらえませんか?」
「なんだ、村に帰るつもりか?」
「はい」
「
「どんなに
「悪いがそれは色んな意味で不可能だ。俺は
「あら、意外ですね」
「それに此処はもうすぐ闇にのみ込まれる。早く立ち去ったほうがいい」
「蜥蜴なら騎士様が退治してくれたではありませんか」
「一時的に改善しただけさ。陰の力は、風の流れが悪い場所には何度でも
「ならばなおさら早く戻って
「だから、礼もいらねえし、報せる必要もねえと云ってるんだ」
「どうしてです?」
少女の問いに、黒騎士は頭を
「まあいいや。どうせいずれ知れることだしな、実際に見せたほうが早いだろう。こっちへ来い。落ちないようしっかりつかまれ」
黒騎士は少女を抱えると鴉の翼を羽ばたかせて宙を舞った。
速度は勢いよく増していくが、落ちる浮遊感とは違い、風を切って昇っていくのは心地が良い。
だが――
黒騎士は羽ばたくのを止め、雲の切れ間で静止する。
上空から
「そんな――これはなにかの見間違いでは……」
「いいや、見てのとおりさ。よく
眼下に広がる光景は、もはや村と呼ぶにはあまりにも変わり果ててしまっている。
家が無く、畑も無い。
人の姿も暮らしの
削り取られたように村は消え、代わりに広がるのは巨大な影が。
そしてほどなく村は――地図と歴史から
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