第8話 過去の亡霊②

 最後の蜥蜴とかげが闇に引きずり込まれると、切り裂かれた空間が閉じて断末魔だんまつまが途絶える。

 上空で渦巻いていた黒雲こくうんも霧散し、深い谷間に朝日が射し込んだ。長い距離をちたように感じられたが、見上げてみれば高さは数百メートルほどしかない。

 黒騎士は、逆光を浴びるようにして黒い大鎌を仕舞しまう。仮面かめんを取り、かぶとを脱いで髪をかきあげる。高らかに勝ち名乗りをあげる姿は異様でも、異形でもなかった。翼こそ背負っているものの、顔つきは人間の少年そのものである。

 だが入墨いれずみの少女はひざまずき、ひれ伏した。

 黒騎士は自ら死神と呼んだ。それは比喩ひゆでも誇張こちょうでもなく、真実なのだろう。大鎌には魔獣まじゅうを圧倒するほどの魔力が宿っているのだ。そんな妖刀ようとうを使いこなす様を見せつけられては信じざるを得ない。

 ならばこれから連れて行かれる先は、地獄か魔界か――想像するだに恐しい。

 少女はひたいをを地につけ命をうた。

「お許しください騎士様。否――死神様」

「許すって、何をだ?」

「私はまだ死にとうございません。どうか地獄逝じごくいきだけはご勘弁かんべんを」

「俺は地獄なんかに用はねえ。そんな微温ぬるい場所なんざ、とうの昔に閻魔えんまにくれてやった。これから向かう先はもっと熱く燃えたぎるようなところさ」

「そんな――」

 地獄より熱い場所があるというのか。

 少女は絶句し、青褪めた。黒騎士に背を向けると、這いつくばったまま逃走を試みる。

 黒騎士はその背中を不思議そうに見つめた。

「なんだ、腰が抜けちまったか? どれ――手を貸してやろう」

「近寄らないでくださいまし」

「そんな有様じゃこの先が思いやられるぜ?」

「嫌です。私は逝きたくありません!」

「俺との契りを反故ほごしようってのか?」

滅相めっそうもありません。ですが、私にできることなら何でも致しますから、命だけはご勘弁を」

「ほう……」死神は嗤いながらにじり寄る。「では訊くが、お嬢ちゃんに何ができる?」

 背中を岩場まで追い詰め、正面から眉根を寄せながら顔を近づけた。その鋭い眼力から放たれる気配は魔力だろうか。刃を突きつけられたように刺さる。

 答えを間違えば命は無い。

 そう思えた。

 しかし自分にできることなど高が知れている。

 財も、権力も、特技も、知恵も――何も無い。

 在るのはこの身ひとつだけ。

 少女は涙を堪え、唇をみ締めながら着物のすそを持ち上げた。

「わ、私にできることなど、これくらいしか……」

 さらに着物をめくり、ももを露わにする。

 震える手首をつかまれた。

 少女は眼を閉じ、身を強ばらせる。

 これから受ける仕打ちを考えるととても正視せいしに耐えられない。

 だが、いくら待っても何も起きない。

 少女は恐るおそる片眼を開けた。

 死神は――

 笑っていた。

 拍子抜けするほど屈託くったくのない笑顔で見つめている。初めて正面からとらえたが、素顔は少年のようにあどけない。下手をすれば少女よりも年下なのではないか。死神を名乗るにはあまりにも無邪気であり、あまりにも幼い。

 騎士は、困惑する少女の頭にてのひらをのせ、また愉快ゆかいそうに笑った。

「おもしれえだな、お嬢ちゃんは」

「な、なにがそんなに可笑しいのです?」

「いや、すまねえ。あまりにもからかやすくてつい吹き出しちまった」

「誂うですって?」

「ぜんぶ冗談だよ、冗談。死神なんてこの世にいるものか」

「では、貴方様は……」

「人間に決まってんだろう。見れば判るじゃねえか」

「ですが、その背中の翼は?」

「これか? これはな、揚力ようりょくを宿したままくたばった化けがらすからむしり取った戦利品せんりひんだよ。じかに俺の背に生えてるわけじゃねえ」

「ほんとうに人間なのですね?」

「そう云ってるだろう。だまされ易いくせに疑り深いんだな、お嬢ちゃんは。ま、おかげでいいもん見せてもらったぜ」

「いいもの?」

 人が困っているのを観るのがたのしいのだろうか。しかし、色こそ黒で塗り固められているが、陰険いんけんそうに見えない。

 首を傾げると、黒騎士は笑いを堪えながら足許を指差した。

 つられて視軸を下げてみれば、はだけた着物が全開になっている。己のみだらな姿に気づいたとたん、顔が火照ほてった。すそを直して躰を丸めたが、慌てた拍子ひょうしで勢いよく転んでしまった。

 そんな姿を見て黒騎士はまた大声をあげて笑う。

「あんまりではございませんか」

「いや、わりわりぃ。いつも戦いに明け暮れて緊張してるからな、笑いは貴重なんだよ」

「ダシにされるほうは堪りません」

「弱ってる心理につけ込む。これは詐欺師さぎし常套手段じょうとうしゅだんだ。お嬢ちゃんは世間知らずみたいだからな。よく覚えておいたほうがいい。そんなんじゃいつかほんとうに悪党にたぶらかされちまうぜ」

「もう引っかかりません。充分に騙されました」

 少女は赤く染まった頬を膨らませ、そっぽを向いた。

 しかしあごをつかまれて正面に向かされる。芝居の続きかと思ったが、今度は真剣にしかられた。黒騎士は声を低くし、怒気をはらませる。

「いっぺんたばかられたくらいで知った気になってんじゃねえよ。かたる手口なんざ、山ほどあるんだ。人間ってのは狡猾こうかつな生き物だからな、自ら手のうちを見せたりはしねえ。真の悪人なら、騙していることさえ悟られないよう、手を変え品を変え、骨のずいまでしゃぶり尽すもんさ。自棄やけになってる小娘こむすめなんざ絶好のカモじゃねえか」

「そんな云い方をしなくても……」

「叱られているうちがはなさ。誰にも相手にされなくなったらほんとうに仕舞いだ。お嬢ちゃんにはひとりでもその身を案じてくれる者がいるか?」

「父と母がいます」

「なら、これにりたら二度と命を粗末そまつにするなよ。親の泣く姿なんざ見られたもんじゃねえぞ」

「私だって、ほんとうに死にたくて飛び降りたわけではありません!」

 ただ変わりたかっただけなのだ。

 間違っていても、正解が解らなくとも、行動を起こして、この窒息ちっそくしそうな現実を打ち破りたかっただけなのだ。そんな心のうちなど他人には解るまい。だが――

 若き黒騎士は眼尻をさげ、少女の髪を撫でた。

「知ってるよ。上から見てたからな。つらかったろう。恐ろしかったろう。よく堪えて頑張ったな」

 涙が出た。

 やさしくされた記憶などほとんど無い。

 人の情に触れ、てついた感情が一気にけてあふれだす。

 少女は黒騎士にしがみつき、声をあげて泣いた。


  ※


 それから。

 ようやく泣きんだ少女は、赤くした鼻をすすって頭をさげた。

「助けていただいてほんとうにありがとうございました。なんとお礼をもうしあげればいいやら……」

「いいってことよ。ついでだったしな」

「ついで――ですか? そういえば騎士様は、何故このような僻地へきちへいらっしゃったのです?」

 少女の住む村は辺鄙へんぴにある乾燥地帯だ。こんな温泉も湧かないような場所で遊山ゆさんというわけでもないだろうし、現れたタイミングがあまりにも出来すぎている。もしや誰かが何らかの手段を使って、領主にしらせてくれたのだろうか。しかし、ならばもっと早く助けてくれても良さそうなものだが……上から見ていたとのことだが、いったいつからいたのだろう。

 少女の疑問に黒騎士は指を立てて答えた。

「ひとつは魔獣の討伐とうばつだ」

「元々蜥蜴を討つつもりだったのですね」

「湧いているかは半信半疑だったが……きな臭い気配を感じたから案の定だった。あいつら人語じんごかいしていただろう? 本来そんな力は持っていなかった獣だ。強力な魔法で操られていた証拠だ。街の憲兵風情がいくら束になっても適うはずがねえよ」

「そうなんですか……私にはよく判りませんが、世の中には強い御方が沢山いらっしゃるのですね」

「人間相手ならまだ対処のしようもあるだろうがな。黒幕は、蜥蜴なんて足許にも及ばない、遥かに強大な存在だ」

「騎士様もおそれるほどでございますか?」

「べつに恐かねえよ。俺は天下無双てんかむそうの黒騎士様だからな――と啖呵たんかを切りたいところだが、この世ならざる者が相手じゃ流石さすがの俺様でもちょいとばかり分が悪い。強さを求めて全国行脚ぜんこくあんぎゃしているわけだが――」

「修行に来られたのですね」

「それもついでみたいなもんだ。虫けら相手にいくらり結んだところで強くなれる道理はねえ」

「ではいったい……」

「今回此処へやってきた真の目的はな、お嬢ちゃん――あんたに会うためだよ」

「私ですか?」

「正確には生贄いけにえ候補こうほに用があったんだが……残念ながらお嬢ちゃんじゃなかった」

「そういえば、はずれとおっしゃいましたね。あれはどういう意味だったのでしょう?」

 てっきり色気のない娘だと落胆されたものと思っていたが、どうやら別のことを差していたらしい。

 黒騎士はにやりと笑う。

「そのまんまの意味さ。俺はな、生贄となる女を探してるんだよ。ある日蝕にっしょくが訪れる前に、なんとしても見つけだしておかなくちゃならなくてな」

「日蝕……ですか?」

おう。なぜなら、太陽が閉ざされて闇の扉が開くその日は人類にとって――終わりの始まりとなるのだから」

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