過去の亡霊
第7話 過去の亡霊①
首に
振り返ってみてもうしろにあるのは死にかけの貧しい
それでいいと思った。
十数年という短い
歩けるようになってからはほんとうによく働いた。人手が足りないのだから仕方がない。動ける者は女だろうと
停まっていた時間がぎしぎしと動き出す。
――私の人生は何だったのだろう?
分からない。少女はこれまで、生きる意味なんて考えたこともなかった。考える余裕なんてなかった。しかし、考えなくとも結論は出ている。
――意味なんて無い。
そう。在ると思うからいけないのだ。
無いのであれば捨ててしまおう。無いものを捨てるなんてできるのか分からないが、躰ごと
少女は
教育こそ受けていないが、本来の頭脳は優れている。
両親さえ無事ならば思い残すことはなにもない。
気負うことなく、少女は前へ踏み出した。
しかし。
少女は優秀だったかもしれないが、
想像力に欠けていたともいえる。憲兵が殺されていく様を見て、こんなものかと
躰が浮き、
死ぬ。
死んでしまう。それは、
嫌だ。
嫌だ。嫌だ。
死ぬのは――
血液が逆流し、
少女は
だが
――助けて。
――誰か助けて!
声にならない悲痛な叫びを聞き届ける者はいない――はずだった。
視界がとつぜん暗転した。
夜が空から墜ちてきたかと思った。
地鳴りとともに黒い影が現れた。
少女は眼を
男が空から降ってきたのだ。
否――落ちてきたのか。
村の者ではない。
それは光沢のある黒だった。逆光で暗く映っているのではない。
墜ちてきたのは全身黒ずくめの騎士だった。
――どうしてこんなところに騎士様が?
――否、それよりも。
――どうして一緒に堕ちているの?
その問いは声にならなかったが、代わりに眼が合った。
「おい、入墨の。そんなに助かりたきゃあ俺が救ってやらなくもねえぜ?」
少女の疑問を
さては
自らも落ちているのに、笑っていられるなんてどう考えても異常だ。
冷静に観察してみれば、漆黒の騎士は異形と判る。背中に翼が生えているのだ。それもやはり黒。ならば
求めてもいないのに助けてほしいとどうして解る。
「どうした。驚きすぎて口が利けなくなったか? けどよ、訊かなくたって
「なら貴方様は――」
否。結果には必ず原因がつきまとうものだ。祈ったところで現実に奇跡は起こらない。それで救われる道理はない。幼くとも、学が無くとも、少女にだってそれくらいは解る。
しかし、それでも黒騎士は
「心配すんな。俺に任せておけば無事に生かしてやるよ。まったく、幸運に恵まれ過ぎってもんだぜ。三千世界どこを探したって俺より強い男はいねえんだ。だけどよ、入墨のお嬢ちゃん。
そこは
それで
ありふれた地下峡谷ではあるが、同時に魔物の
蜥蜴は一匹に非ず。元より数え方なんて教わったことのない少女だが、それにしたって数えきれない。落ちたら受け止めるつもりなのか、
生きても死んでも地獄である。
「どうする、お嬢ちゃん。俺と
同じ狂人でも
空中で抱き止められて落下は免れたものの、このまま応じればきっと
少女は黒騎士に
「お願いします。どうか――どうか助けてください!」
「
「いったい何をするおつもりで――むうッ!?」
少女が問い終わる前に、黒騎士は己が唇でその口を
――何か飲まされた?
小さな異物が喉を通っていくと、とたんに首許が熱くなる。入墨が
変化した墨が少女の首に戻る。
黒騎士は、入墨の少女を抱き上げ、その首筋をなぞった。手つきはいやらしいが真剣な表情だ。現れた文字を読んでいるようで、両眼を左右に動かしている。だが、
「なんだ、またはずれかよ」黒騎士は舌打ちをした。
「はずれ?」
「だが契約は済んだ。これでお嬢ちゃんは俺のものだ。それでは、いざ
――嗚呼、お気に召されなかったのか。
――何がはずれかは分からないけど、きっと
――でもよかった。これでひとまず助かった。
少女は胸を
だが安心したのも束の間、事は想像通りに運ばなかった。
黒騎士は翼をたたみ、
「……あの、どちらへ?」
「あん? どちらもなにも、
「まさか――戦うおつもりで!?」
「当然だろう。約束したじゃねえか」
「いえ、私は……」
助けてくれと頼んだだけである。
だが黒騎士は蜥蜴を
飛べるのだからそのまま地上まで運んでくれるものと思っていたのに……黒騎士は
そこには蜥蜴の大群が待ち構えているが、しかし黒騎士には
蜥蜴らはふたりの姿を捉えると
その形相に少女は改めて
「騎士様、名のある武将とお見受けしますが、おひとりで
「おいおいお嬢ちゃん、どうして戦いもしねえで勝てないなんて云えるんだ?」
「たった一匹の蜥蜴を相手に、街の
「ほう……そいつはおもしれえ」
「おもしろいですって?」
「
「そのような
「ああ、そのとおりさ。俺はいつだって本気だぜ――ッと!」
黒騎士は
蜥蜴の群れに突っ込むと、大鎌を
すると空気が裂かれ、雷鳴のような亀裂が
太刀筋の先にいた蜥蜴らの首が一斉に切り離された。
短い悲鳴とともに頭が宙を舞い、
さらに異様な空間が現れた。
黒騎士の一太刀が大気ごと切り裂いたのだ。
真っ黒な気流が生まれ、
嗚呼――
と、影は悲鳴とも
影は別の時空から飛び出すと一気に広がり、狭い峡谷を
首を失った蜥蜴に絡みつくと躰を締め上げた。
まだ息のあるものは暴れているが、しかし抵抗することは叶わない。その光景はさながら
最後の一匹がのみ込まれると、影は鳴りを
蜥蜴の
黒騎士は鎌を二度三度と振るい、背中の
「
たったひと振りで蜥蜴は全滅してしまった。
跡形もなくどこか別の世界へ連れ去られてしまった。
少女は腰が抜け、
「あ、貴方様はいったい?」
「俺か? 俺はな――」
黒騎士は振り返り、少女に向かって
「死神だよ」
その素顔はまだ、幼さの残る少年だった。
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