盲目の傀儡

第16話 盲目の傀儡①

 故郷ふるさとからひとり上京じょうきょうし、医者になって間もないアンに大きな仕事が舞い込んだのは、初冬しょとうが過ぎて雪が舞い始めたころだった。

 寒い季節は急患きゅうかんが増える。激務を終えたアンは、手拭いをマフラー代わりにし、いつものように遅い帰路を急いでいた。治安ちあんの良い領内ではあるが、路地裏ろじうらを抜ける際はやはり緊張する。近づく足音に気づき、アパートの目前で振り返った。

 視線の先には仕立ての良い外套がいとうを着込んだ男がひとり。

 身なりからして役人だろうか――人攫ひとさらいや強盗ごうとうよりはましであるが、いずれにしても関わりたくない相手だ。夕刻を過ぎてからの訪問は税の取り立てと相場が決まっている。

 しかしアンは、貧しいながらも懸命けんめいに働いている。滞納たいのうはしていないし、悪事を働く度胸どきょうもない。別の家に向かう途中だろうと考え、軽く頭を下げると手拭いで口許をおおってきびすを返した。

 アパートに這入り、扉を閉め、鍵をかける。

 胸を撫で下ろすと同時に背後で扉をたたく音がした。

 さきほどの役人だろうか。

 無視しようか迷ったが、やましいことはなにもない。後々面倒を引きずるよりも気がたかぶっているうちに片づけてしまおう。そう考えたアンは、両手をこすり合わせ、白い息を吐きながら扉を開けた。

 立っていたのは郵便屋だった。

 近くで誰かに手渡されたらしい。封筒に親展しんてんの印は押されていないが、直接本人に届けるよう頼まれたとのこと。

 渡された封筒ふうとうは質が良い。督促状とくそくじょうかと思ったが違うようだ。だが恋文こいぶみというには素っ気ない。シンプルなデザインだった。

 小窓から外をうかがうと、役人風の男がこちらを見ていた。

 だが男は、眼が合うとえりで顔を隠す。無事に受け取ったことを確認すると、なにも云わずに去っていった。

 郵便屋も会釈えしゃくすると小走りに駆けていく。

 ひとり残されたアンは仕方なく部屋に戻った。友人知人のすくないアンにとって、手紙を受け取るのは久しぶりのことである。誰からだろうと眉をひそめつつ封筒を裏返す。

 ――領家からだ! 

 差出人を見てアンは驚いた。

 封印ふういんにも領家のエンブレムがしっかりと刻まれている。

 いったいなんの用があって手紙を寄越よこしたというのだろう……アンは平均的な街の医者であり、けして身分は高くない。同じ領内に暮らしてはいても、相手は貴族であり、こちらは平民だ。普通なら一生関わることなどないだろう。生まれたときから住む世界が違うのだ。

 宛先を間違えているのではないかと我が目を疑ったが、しかし書かれている住所も宛名も合っている。たしかにアンに向けられて出された手紙のようだ。

 アンは、はやる鼓動を抑えつつ、慎重に封を開けていく。なかには高価な羊皮紙ようひしが一枚入っていて、広げてみると流暢りゅうちょうな文字がしたためられていた。

 内容は、医者として領家に仕えるようにとのことだった。

 招聘しょうへいがかかったのである。

 突然の吉報きっぽうにアンは飛び上がって喜んだ。

 領家に仕えれば一生安泰いっしょうあんたいだ。

 苦しい生活をいられるなか、高額な学費を借りてまで領の最高学府さいこうがくふを卒業した甲斐かいがあっというものだ。提示されている報酬ほうしゅうを貰えばすぐにでも全額返済できるだろう。さらに、領主やその縁者に見染みそめられればたま輿こしだって夢ではない。

 どうして自分のような若輩者に声がかかったのか不思議ではあるが、またとない出世のチャンスを逃すまいとアンは意気込んだ。


  ※


 翌日。

 アンは勤めていた病院をした。

 招聘については秘密にしておくよう記されていたので仔細わけを話すことはできなかったが、先月になって行方をくらました者もいるくらいだ。新人が勝手に辞めていくのは珍しいことではない。辞去じきょする間際に『最近の若者は』などと厭味いやみを云われたが、とくに引き止められはしなかった。

 気にせず手紙と医療具を携えると、病院をあとにする。

 午前中だというのに外はどことなく薄暗い。雲ひとつ無い晴天せいてんだが、たしか今日は日蝕にっしょくが起きる日ではなかったか。普段なら鬱々うつうつとしそうな寒空だが、なにか運命的なものを感じる。天候とは裏腹に、アンは揚々ようようとした足取りで領主の住む城へと向かった。

 城門前で守衛しゅえい挨拶あいさつを交わし、手紙を見せる。約束の時刻より早く着いたためすこし待たされたが、ほどなくして裏門からなかへ通された。そしてアンは、敷地しきちに這入ったとたんに眼を見張った。

 最初に眼を奪われたのは、高くそびえる城壁だ。乳白色にゅうはくしょく大理石だいりせきが何層にもわたって積み上げられ、強固な土台を築いている。

 その上に建つ城の外装がいそうもやはり白い。平和な時代に建てられた城は大抵白塗らしいが、ご多聞たぶんに漏れず白一色である。遠くから眺めるよりも、間近で観察するとより一層白さが際立つ。

 外界と地続きであっても城のなかは、彼女の住む城下町とはまるで別世界だった。

 その威容は圧巻の一言だが、しかしどこか物足りないような気もする……。

 アンは違和感の正体に気づいた。

 まるでときが止まっているかのように、額縁がくぶちから抜き取ったような景色からはまったく人の気配がしないのだ。なんだか踏み入ってはならない異境いきょうの地に迷い込んだような気がして、アンは身を震わせた。

 躰をさすりながら所在しょざいなくたたずんでいると城内から動くものがみえた。

 昨晩さくばん訪ねてきた役人風の男である。

 人の姿を確認し、アンは胸を撫で下ろした。

 男の許へ歩み、頭を下げる。

「あの、お手紙ありがとうございました」

 精一杯の社交辞令しゃこうじれいとして笑顔を振りまいたが、しかし返事はない。

 男は仏頂面ぶっちょうづらのまま黙ってあごをしゃくりあげ、身をひるがえす。ついて来いという意味らしい。そのまま元来た道へ引き返していった。

 アンは慌てて駆け寄り、男の後についていく。

 整備された庭を横目に城内へ這入る。なかは絢爛豪華けんらんごうか調度品ちょうどひんの数々が陳列ちんれつされ、白亜はくあ豪邸ごうていに華が添えられていた。だが美術的価値など解らないアンにとって、露店で売られている粗悪品との差が計れない。ただ、このつぼを売れば何日分のパンが買えるだろう、といった打算が先行するだけだった。

 あちこち目移りさせながら歩いていると、男は通路脇の階段へ折れた。

 黙って先に行くから見失うと大変だ。

「あの――これからどちらへ?」

 領主がいる玉座ぎょくざ天守閣てんしゅかくにあるはずだが、男はひたすら下へおりていく。歩いた距離から換算すると、すでに地下まで達しているのではないか。きらびやかな装飾が施されていた手摺てすりも、いつの間にかただの木材に変わっていた。

「もしかして、直接持ち場へ案内してくれているのですか?」

「領主様にご挨拶しなくても良いのでしょうか?」

「私はこれから何をするのでしょうか?」

 道中いくつか質問してみたが、相変わらず返事はない。なにを訊いても無言のままだった。私語しごつつしむのが上流階級のマナーなのかもしれない。仕方なくアンは黙って歩いた。

 やがて。

 長い階段をくだり終え、男はようやく立ち止まった。

 かなり地下深くまでもぐったようで、陽の光は届かない。松明たいまつがいくつか灯され、見通しの悪い通路を照らしている。近くに下水道が通っているのだろうか、かすかに異臭いしゅうが漂う。どこからか吹き込んでくる隙間風が身を切るような冷たさだった。

 足許は石畳になっており、すでに城の雰囲気ふんいきはない。

 牢獄ろうごくだ。

 城砦じょうさいの地下は守りが固く、外からの侵入に強ければ、逆に内側からの脱出も難しいものだ。罪人を投獄とうごくするにはうってつけの場所である。

 だが鉄格子てつごうしの向こうに人の姿はない。代わりに怪しげな道具がいくつか見て取れる。おそらく拷問ごうもん器具だろう。ギロチンだけは分ったが、あとは使途不明である。

 奥の正面に鉄の扉がみえた。

 表面には見慣れない文字が刻まれている。そちらの知識には暗いアンだが、ひと目で魔法陣と知れた。

 男は扉の前に立つと、腰に下げたかぎたばからひとつ選んでアンに差し向ける。

 これで開けろということらしい。鍵にも扉と同種の文字が記されていた。扉の向こうにいるのが人間ならばまだいいのだが……なにか悪しき者が封じられているのではないか。さすがに悪い予感しかしない。

 答えないであろうことは承知のうえだが、それでもアンは尋ねずにはいられなかった。

「あの……どう見ても此処は医務室ではないですよね?」

「この先に誰かいるのですか? 傷ついた兵士ですか? それともわずらった罪人でもいるのでしょうか?」

「私は、人間ならば診れますが、獣や人外では手に負えません」

「どうしてなにもお答えいただけないのですか?」

「お答えいただけないのであれば失礼させていただきます」

 矢継やつばやにまくし立て、アンは頭を下げる。

 男の横を過ぎ、足早に階段へ向かおうとしたが、後ろから手首をつかまれて無理やり戻されてしまった。引っ張られた拍子に背中を打ちつけて倒れ込む。顔をあげると長い影が重なり、次に光るものが。

 男が細剣レイピアを抜き、アンの鼻先に突きつけたのだ。

 ――だまされた。

 顔色ひとつ変えないその所作しょさを前に、アンはようやく己の身に起きた危険を察した。

 話がうますぎるとは思ったが、あまりの僥倖ぎょうこうに眼がくらんでしまったのだ。しかし、いくらなんでも命を取られるような状況は想像し難い。軽率だったとも云えるが、人間は基本的に己の死に対して鈍感なの生き物なのである。

 だが、いまさら悔やんでも時間は元に戻らない。

 このまま還らなくとも探す者はいないだろう。若い医者がひとり失踪しっそうしたというだけの話である。

 アンの諦念ていねんを見てとったのか、男はほこを収め、包みを投げ落とした。

 音から察するに貨幣かへいだろう。報酬の前払いというわけだ。なかには金貨が百枚。手紙に記されていた年俸ねんぽうの一割である。

 アンが包みを拾うと男はただ一言、頼んだぞと小さく呟いた。

 静かに背を向け階段を上っていく。はるか上空で錆びた鉄のきしむ音が響いた。漏れていたわずかな光が途絶え、施錠音が聞こえた。

 くらい通路に残されたアンは、壁に向かって金貨を力いっぱい投げつける。

 ――どうして私ばかりがこんな目に? 

 その場でくずおれるとひとり涙した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る