第26話 死神の初恋⑲

「俺が寝取っただと?」

 ハクロは最初、オルドロスがなにを云っているのか理解できなかった。一瞬、狼狽うろたえたが、まったく身に覚えがない。だが、すぐに黒騎士を差していると判った。オルドロスは、ハクロを彼の父と混同しているのだろう。それよりもハクロを混乱させたのは、オルドロスがめとろうとしている相手だった。父である黒騎士が孕ませた女というのつまり、ハクロの母にあたる人物となる。

「しかし、母はもう……」

 亡くなっているという話ではなかったのか。

 その言葉は声にならなかった。ハクロ自身が生死を確かめたわけではない。万が一という可能性もある。会えないものと諦めていたが、かすかな希望が芽生えた。

 だが、それを盲目の医者が打ち砕く。

「あり得ません。私はたしかに、奥方様の最期さいごを看取りました」

「その眼で確認したのか?」

「目視できたわけではありませんが……出血は酷く、脈も呼吸も停止していました。あの状態から蘇生そせいできるわけがありません」

「貴様は勘違いしているな」アンの否定をさらにオルドロスが否定する。「妻は、元々死んでなどいないのさ。そう……彼女は少し長い眠りについているだけなんだ。十五年前からずっと、この地下深くでな」

「人はそれを死と呼ぶのです。奥方様は――死者は眼を覚ましたりしません」

「ならばそこの魔女はどう説明する?」オルドロスはサーシャを見やった。「貴様も十五年前の日蝕を体験したのであればこの者の姿が視えているはずだ。同じように、我妻も必ず目覚める。俺がそう信じているかぎり――絶対にな」

「信じただけで、願っただけで奇跡が起きるなら誰も不幸にはなりません。残念ながら、自然の因果はそのような仕組みにはなっていないのです」

「ならば、何故この世界には魔法が存在している? どうして言葉にするだけで炎をび、印を結ぶだけで水をたたえることができるんだ? この、奇跡のような仕組みを論理的に説明できる者は存在するのか?」

「それは……」アンは口をつぐんだ。

「貴様のような科学信望者には解らないだろう。アプリオリを証明しようとせず、時間や空間の存在をただ盲目的に信じているのだからな」

「前提条件が間違っているとおっしゃるのですか?」

「正しいも間違いもないさ。結局、俺と貴様との違いは、なにを信じているかの差でしかないのだからな。人間はな――外側の世界に対する認識が個体によって異なるんだよ」

「外側の世界?」

「我々が眼で見て、耳で聞いて、肌で感じている世界さ」

「五感を通して得た情報によって構築された世界ですね」

「この外側に在る世界がなんと呼ばれているか知っているか?」

「いいえ」アンが首を振る。

「『共有世界シェアワールド』だよ」オルドロスが云った。「この、外側の共通した世界――シェアワールドの世界観を説明するためには、たしかに数学や物理科学が有効だろう。だがそれだけでは説明しきれない現象も我々は確実に認識している」

「それが魔法ですか?」

「そうだ。何故、魔法は物理法則を無視できるのか? それは――外側ではなく、我々の内側に存在している世界にあるエネルギーをかて発露はつろした、想像の産物だからだ」

「内側の世界?」

「心の世界だよ。意識や精神、あるいは魂――なんと云い換えてもかまわない。我々は、世界の一部であると同時に、ひとつの独立した世界を各々の内側に抱えているんだ。そこは外側にある原理や原則が及ばない、あらゆる法則を無視できる、自由な世界だ」

「夢のような話ですね」

「まさしく」オルドロスは頷いた。「夢のなかならば空だって自由に飛べるだろう」

「そして人を黄泉返らせることも可能だと――しかし、それは心のなかの話です。個人的な想いが他に影響を及ぼすとは考えられません」

「そうか? ならば訊くが、貴様が医者を志したのは何故だ? それは、誰の影響も受けずに己の自発的なアイディアにのみ従って行動した結果か?」

「いいえ、私は尊敬する先人から多くを学びました。それを思うと、ええ、独りで完結しているとは思えませんね」

「貴様はその者たちからどうやって情報を受け取った?」

「実際に話を伺ったり、書かれた本から授かりました」

「つまり、想像した産物を他人に伝える方法があるということだ」

「言葉や文字が魔法だとおっしゃるのですか?」

「俺たち人間は、意識しなくとも、多かれ少なかれ、言霊ことだま使役しえきしている。伝達可能な情報に置き換えることによって、各々の世界にしか存在しないイメージを交換し、共有しているんだ」

「無いものを在るとしているのですね」

「そう。そして言霊のように、となるのだ」

 オルドロスの講釈こうしゃくは、いつぞやのサーシャがハクロに説いた呪文の法則と酷似こくじしている。さらに拡大解釈したものといえるだろう。

「ですが、私は言語を介しますが、呪文はもちろん、あらゆる魔法を使うことができません」

「訓練を積めば誰にでもある程度は使いこなせるようになるさ。ただし、闇雲に発しても言葉は魔法として機能しない。呪文は、想像力を喚起するためのトリガーに過ぎないのだからな。それは言霊以外の伝達エネルギーにも当てはまる。条件を満たさなければ発動はつどうはしないんだ」

「条件?」

「まず、送り手自身が魔法の仕組みを深く理解しておく必要がある。また、受け手にも同程度の知性や読解力が求められる。すくなくとも魔法の存在をある程度信じている者でなければかからない。だが、高度な術式ともなれば、言語や文字といった聴覚や視覚からの情報だけでなく、嗅覚や触覚、味覚情報にいたるまで、あらゆる感覚の共有がなされるのだ。もしも式に対する認識に齟齬そごがあれば望むような効果を与えることはできないだろう」

「相手を選ぶというのはそういう意味か」ハクロが云った。「だが、人が黄泉返るだなんて誰が信じる」

「貴様たちならばかかるさ。それだけの知性があり、読解力どっかいりょくもある。なにより、過去に深い縁を結んだ者たちだ。条件は充分に満たしているさ」

「他の者はどうする?」

「無理にでも信じさせるまでだ。黒いものでも俺が白と云えば白になるのだからな」

「嘘を真実に置き換える気か。知ればみんな黙っていないだろう」

「そんなことはないさ。多くの者は、自分の頭で考えず、強い者に日和ひよって、獣のように無責任な日々を生きているだけではないか。それでも異論いろんとなえる者がいれば排除し、封殺ふうさつすればいいだけのこと」

「それではまるで魔女狩りじゃないか」

「世間はな、多数決という名の暴力で変えられるのさ。我が妻が迫害を受けたようにな」

「肺病と云っていたか……」

「けして伝染するような病気ではなかった。正しい知識を身につけていれば誰にでも解るはずなんだ。それをあいつらときたら、私欲に走りおって……」オルドロスは憎悪で顔を歪める。「妻が目覚めたあかつきにはみなごろしにして、一掃しなければ」

 頭に描いている者たちが誰なのかは分からないが、過去に云われなき風評被害ふうひょうひがいに遭ったのだろう。

「そんなことをして母が――貴様の妻が喜ぶものか」

「ならば本人に訊いてみるとしよう」

 オルドロスは玉座の肘掛けにある突起を押した。

 足許で金属同士がぶつかる音がし、続いて歯車の軋轢音あつれきおんが聞こえる。地鳴りが起き、城が揺れ始めた。

 アンがよろけて転倒しそうになる。

 ハクロはとっさに鎌を退き、アンを抱きとめた。

 その間隙をってオルドロスが玉座から離れた。燕尾えんびひるがえし、礼拝堂の中央に立つ。

「貴様――なにをした!?」

「なに、新婦しんぷを呼んだまでのこと。主役がそろわなければ式は成立しないからな」

 玉座が沈み、代わりに祭壇さいだんが現れる。

 上段には天蓋てんがい付きのベッドがみえた。

 激しい振動でステンドグラスが割れて風が吹き込む。幕が揺れると横たわる人影が見えた。

 オルドロスは影を抱き上げ、こちらを向く。

 その姿を視てハクロは息を詰めた。

 それは人ならざるものだった。

 オルドロスの眼にはどう映っているのかは解らない。同じものを見ながら、同じものが見えていないのだろう。彼が大事に抱えていたもの、それは――人の形をした木乃伊ミイラだった。

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