第25話 死神の初恋⑱

 領主・オルドロスはハクロを黒騎士と呼んだ。

 骨ばったあごをかたかたと鳴らし、不気味な笑みを浮かべる。

「久しぶりだな、黒騎士。ぎりぎりだったが、よもや間に合うとは思わなかったぞ。やはり運命や巡り合わせというのはあるのだな。否、筋書きというべきか……すでに終止符しゅうしふの打たれた物語とあきらめていたが、どうやら話は続いていたようだ」

「なんの話をしている? 俺は貴様なんて知らないぞ」

「貴様に覚えがなくとも俺は鮮明に憶えている。その眼、その顔、その姿。そして魂か――どれをとっても黒騎士・ハクロそのものではないか。さあ、今度はあのときのようにはいかないぞ」

 オルドロスの口ぶりは確信を持って語っている。

 しかし、死神でもなく、忌み子でもない。第三の呼び名にハクロは思い当たる節がなかった。

「たしかに俺はハクロだが、黒騎士なんかじゃない」

 否定したが、しかし口にして思い出した。

 かつてオルドロスにつかえていたという側近そっきんnにその肩書きで呼ばれていた男がいたことを。それはハクロの母――云い換えれば、領主の妻を寝取った男を差している。

 つまり、ハクロの実父に当たる人物だ。

 オルドロスはハクロにその面影を重ねて視ているのだろう。そうとしか思えない。だが、父子おやこなら歳が離れている。見た目にも現れるだろう。薄暗いとはいえ、見間違えるほど似ているのか。否、姿を見たことはないが、父もまた、アンと同様に、呪いで加齢が止まっているのかもしれない。否、否――ハクロは再度、頭のなかで否定した。

 それ以前に、黒騎士はすでに死んでいるという話ではなかったか。

 不貞ふていの末に処刑されたとアンは語っていた。裏切りに遭った当事者であるオルドロスがその事実を失念しつねんするはずがない。

 ならば領主が視ているハクロは、過去の亡霊なのだろうか。

 答えは本人にしか判らない。他人と視点を切り替えることなど誰にもできはしないのだ。

「貴様は間違いなく黒騎士・ハクロだよ。まさかとは思ったが……ほんとうに黄泉返ったのだな」

「違う、俺は黒騎士じゃない!」

「罪人はみんなそうやって偽るんだ」

「嘘など吐くものか。貴様こそ、それ以上戯言をぬかすなら素首そっくびね落とすぞ!」

「やれるものならやってみろ」

 オルドロスは丸腰のままゆっくりと接近してくる。

 武器は手にしていない。暗器あんきを隠し持っているのか、あるいは体術の心得があるのか――助けを呼ぶ素振りはない。

 ハクロは殺気を放ち、とがめた。

「止まれ、それ以上近づくな!」

「なにを畏れている? 俺に用があってやって来たのだろう?」

「恐れてなどいない」

「なら、落ち着け。そこへ座りたまえ」オルドロスは長椅子を指し示す。「騒ぎを起こしたくない。人を呼ぶのは俺としても望むところではないんだ」

 そう云うと領主は、ふたつあるうちの左手にある玉座の前に立ち、身をひるがえす。無防備な背中をハクロたちに向け、ゆっくりと腰をおろした。それから顎をしゃくるようにして鷹揚おうように振り返った。

「それともやはりり結びたいか? 黒騎士よ」

 オルドロスの口許が不自然に歪む。

 病的な笑顔だ。精神に変調へんちょうをきたしているのかもしれない。血色の悪さが不気味さを増長ぞうちょうさせている。死を畏れない者は扱いが難しい。威嚇いかくが通用しないし、根本的に価値観が異なる。

「挑発に乗ってはいけないわ」今にも飛びかかろうとする死神を魔女が窘めた。「私たちは争いに来たのではない。そうでしょう? 大丈夫、言葉は通じるわ」

「分かっている。だが――」ハクロは鎌をふりおろし、領主の首筋に刃をあてがう。「すこしでも妙な動きをすれば容赦はしない」

「ふん、ずいぶんと用心深くなったものだな。丸くなったというべきか……以前の貴様ならば、前置きなしでこの首を狙っただろうに……やはり俺の見込み違いか?」

「何度も云わせるな。俺は黒騎士じゃない」

「まだ自覚がないのだな」オルドロスは両手をあげて降参のポーズを示した。「今はそういうことにしておこう」

「聞いていたよりもずっと饒舌じょうぜつだな」

「今夜は特別な日でな。気分が良い。上等な酒もあるし……貴様もどうだ、一杯つき付き合わないか?」

「断る。アルコールは飲みたくない」

下戸げこだったところはそのままか」

「頭を鈍らせたくないだけだ。貴様も、命日にならないよう言葉には細心の注意を払え」

「それはこちらの台詞だ。さあ、まずはそちらの用件を聞かせてもらおうか。今日は忙しくなる。手短に頼むぞ」

 ハクロは城を訪れた経緯いきさつをまとめて話す。

 サーシャの治療法とハクロの出自しゅつじを探すため、山から下りてきたこと。街で偶然アンと再会したこと。視えざる者たちが活性化し、そのために兵士や術者に襲われたこと。そして現在も追われているであろうことを説明した。

 そのうえでハクロは、兵士たちに自分たちへの攻撃を止めるよう命じてほしいと要求を伝えた。

「なるほどな」オルドロスが頷いた。話している最中はずっと瞳を閉じていたが、ちゃんと話は聞いていたようだ。「今夜はやけに騒がしいと思っていたが……そんなことが起きていたのか」

「兵士や術者を仕向けたのは領主様ではないのですか?」アンが訊いた。

「街の兵士たちは俺の直属ちょくぞくではない。やかましい連中は嫌いなんだ」

「それでも指揮系統下しきけいとうかにはあるのですよね?」

「まあな」オルドロスは膝を組み、こめかみを押さえる。あまり興味がないといった態度だ。肘掛けにもたれるような姿勢になるとハクロのほうを見た。「要するに、貴様たちの安全を保障ほしょうしてやれば良いのだな?」

「そうだ」ハクロが答えた。

「他に要求は?」

「ない。兵士たちにこれ以上俺たちを追わないよう命じてくれればそれでいい」

「良かろう。関係部署に通達つうたつを出す。焼けた家もこちらで再建させよう」

「約束したぞ」

「神の名にけて」

 その言葉を受けてハクロは鎌を退けた。

 話の分かる男でよかったと胸を撫で下ろす。

 だが、そこでオルドロスが指を立てた。

「ただし代わりと云ってはなんだが、こちらも一点だけ要求したいことがある」

「なんだ、云ってみろ」

「これから此処で婚姻の儀を行う。それに貴様たちも列席してもらいたい」

「これから? 此処で?」

 ハクロは眉をひそめた。

 ロケーションとしてはこれ以上ない場所だろうが、しかしまだ早朝ともいえない時刻だ。他に参列者の姿はなく、それどころか牧師や神父さえ見当たらない。言動から察するに呼ぶつもりもなさそうだ。こういった場合は親類や縁者を集めるものではないのだろうか。領家の婚姻となればなおさら身分の低い者を同席させたりはしないだろう。一般の参拝者は遠く離れた外野から望む程度が関の山ではないのか。

 しかしそれよりも、ハクロはセレモニーを行う意味が解らない。

 当然だが、これまで出席したことなどないし、サーシャから聞いた話から想像しただけでも退屈そうだし、苦手だと感じる。たんに頭数をそろえるために形だけ集まっても意味がない。逆にいえば、祝ったり、いたんだりする気持ちさえあればわざわざ集まる必要もないと考えている。

 そう伝えるとオルドロスは肩をすくめて嘆息たんそくした。

「俺も同感だ。だが主賓しゅひんが欠席するわけにもいくまい」

「貴様の婚姻なのか」

「縁談の噂など耳にしたことがありませんが……」アンが続けて云った。

「当然だ。これから行う儀式は形式的なものではなく、一種の魔法だからな。誰にも邪魔されたくない」

「呪文とは異なる形式の魔法か」

「そうだ。言葉や文字を含めた、より高度な魔法と云っていいだろう。魔法は、送り手と共通の意味を認識する受け手でなければかからないんだ。そして難しい式ほど相手を選ぶ」

「なら、俺たちにも効かないだろう」

「そうでもないさ。貴様たちならば充分に参加資格を有している。何故なら、これから迎える花嫁は――貴様が寝取った俺の許嫁いいなずけなのだから」

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