第30話 過去の亡霊⑥
そして――
日付が変わって朝を迎えてはいるが、しかし太陽はずっと闇に閉ざされている。
だがそれも地下にいれば関係ない。
絶望的な暗闇のなかでサーシャだけが
いまはサーシャではなく、サクヤなのだと自分に云い聞かせる。
彼女は、サクヤとオルドロスの式を挙げさせるために、スケープゴートの代理を買ってでたのだ。
策を話したあと、サクヤに「貴女はそれでいいのか」と何度も問い詰められた。
いいと云った。
サクヤ様のためならば、たとえこのまま永遠に闇のなかで過ごすことになろうともかまわない。貴女様に希望の光を与えるのは、オルドロスでもなく、黒騎士でもない。この私だと胸を張った。
その気持ちに
独りになった今でも変わらない。
決意の固さにサクヤは悲しそうに首を振り、最後は沈黙した。そして彼女は昨日のうちに
そして式は魔法となり、最後の審判を下す。
オルドロスが神の代弁者・ストーリーテラー役を務め、サクヤが光の
サーシャにもその資格はあった。
盲目の医者・アンでさえ選ばれたのだ。ずっとサクヤの傍で仕えていたサーシャが選ばれないはずがない。紛い物の生贄ならば他にもいたはず。なにも自ら死地に留まる必要はなかった。
魔法が
それで永遠にお
思えばなんと
自分で自分を傷つけたあの日のように、いまでも死にたがっているのだろうか。
否、きっと違う。
サーシャは死の恐怖を
だが、それでも
むしろ最高に気分が良い。命を投げ打つ行為は
サーシャはベッドから下り、裸足のまま
高い位置から見下ろす
静寂のなかで己の呼吸と脈だけが聞こえた。いまこの世界を地下牢の魔女として支配しているのは紛れもなく彼女だ。サクヤがいては見ることができない景色であった。
もちろんサクヤには感謝しているし、恩返ししたいとも思っている。いまでもうしろ髪を引かれる想いが残るが、それでもサーシャはこれで良いと思った。
――サクヤ様がいては主人公になれない。
病弱な才女だけにかぎらない。
サーシャは大勢のなかで積極的に生きることができなかった。奴隷と貴族では生まれた世界が違えば住む世界も違うのだ。入墨の少女にとって上流階級は、文化が異なれば習慣も違う異次元であり、異世界なのである。
見るものも聞くものも初めての体験ばかりだった。予備知識もないまますぐに
いくら同じ人間だと認めてくれても、同じ言語を介していたとしても、どうしようもなく
もちろん、補おうと努力はした。読み書きを覚えるとともに礼儀や作法も学んだ。だが、生まれ持つ気品や風格というものは、あとから容易に身に着けられるものではない。努力することが美徳だと信じる向きもあるが、圧倒的な
知識が増え、経験を積むほどに、サクヤとの距離を感じざるを得なかった。
――自分は偽物だ。
――本物ではない。
裏側から覗く世界は張りぼてで、誰も彼もが
三つ子の魂百まで忘れずの
それでも人は愛を
だけど真実は違う。
繋がることが美しく、離れていては生きていけないと、見えない誰かが信じ込ませようとしているのだ。そうすることで得をする誰かが影に潜んでいるのだ。
すべて黒騎士が云っていたとおりだ。だけど……
――世界を
誰もが独りで歩ける喜びを知らぬまま年老いて、足腰が弱り、精神が
その点、サーシャは
幼いころから劣悪な環境で育ったためだろう、他の者よりもずっと独立心が強かった。
それが彼女の出した結論である。
誰もが他人を利用することしか頭にない。そんな
人はみんな、独りで生きて、一人で死んでいくのだ。
ならばひとりが
ひとりならば主人公にだってなれるだろう。
帰る故郷を失くし、両親を亡くし、親戚縁者や頼れる者もいないサーシャにとって、消えゆく
この首を絞めつけるものはなんだろう?
いっそ強く括ろうか。
ナイフを突き立ててもいい。
そうすればきっと風通しも良くなるだろう。
どうせ間もなく世界は消えてなくなるのだ。命を懸けるだけの価値はある。だけど……
とつぜん天井に穴が空いた。
敷き詰められた岩盤が崩れ落ち、
光を背にして立っているのは光沢のある黒い
「ようやく見つけたぜ、スケープゴート」
黒き者が云った。
明るさに慣れて見つめたその顔は――
「どうだい、助かりたきゃあ俺が救ってやらなくもねえぜ?」
サーシャはその、黒い翼を羽ばたかせて舞い降りてくる黒き者を
壁を壊して現れたのは全身黒ずくめの騎士――自称死神の少年だった。
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