第21話 死神の初恋⑭
アンが眼を開くと同時にまた月が隠れた。
生まれた闇は、暗がりに慣れたハクロでさえ視界が不確かになり、足許がおぼつかなくなるほど深かった。熱を奪われ、
嗚呼、嗚呼――と、
助けて、助けて……と、繰り返した。
見れば
それは視えてはいけないものだった。
それは在ってはいけないものだった。
かろうじて人間のかたちを留めているが、もはや人ではない。これは――この世ならざる者だ。
纏う
だが、皮膚は
全身が焼けて、
ここまで躰が傷んで動けるはずがない。
落ち
これまでハクロは、この世ならざる者の存在を直感することはあっても、五感で捉えることはなかった。だが、現実に見えている以上は原因があって結果があるはずなのだが――どんなに
ハクロは亡者を振りほどこうと力を籠めたが、しかしいつの間にか床が朽ちており、沼に
さらに、声の主はひとりではなかった。
後ろからも手が現れ、ハクロの躰にしがみつく。
同じように無残な姿を晒しているが、どうやらこちらは女のようだ。
さらに現れた者も別の顔をしている。
闇のなかから次々と湧き出てくる人間だった者たちは、
個人がいて、個性があるのだ。
これがたんなる獣ならば――捕食しあうだけの関係ならば、鎌を振りおろすことに
だが、この人間だった者たちは助けを求めている。
痛い、
鎌を
「こいつらはいったい――? 貴様こいつらになにをした!」
「私はなにもしていません。彼らはこの地で病に倒れ、躰を失い、魂だけの存在になった過去の者たちです」盲目の医者は首を振った。「私たちの魂は永遠の
「なら――ほんとうに
「彼らは死体ではありません。今でもれっきとした死者であり、亡者なのです」
「それは――」
在ってはならないものだ。
視えてはいけないものだ。
「視えないから無い。見えるから在るとはかぎりません。それは肉体の有無の違いでしかないのですから――見えなくとも在るし、視えていても無いことだってあるのです。そう、後ろにいる魔女のようにね」
アンは視線をハクロの背後に向けた。
振り返ってみればそこには、長い間生活をともにし、知恵を与えてくれた恩人の姿が。しかし、底無しの闇に浮かんで見える今のサーシャは、ハクロの知らない一面を覗かせている。
魔力が回復しているのだろう。
「魔女って、まさか――」
「もうお判りでしょう? 他に誰がいるというのです」
他に生者の姿はない。ハクロのほかに在るのは無数に
もしもサーシャがアンのいう入墨の魔女であるならば、ハクロが生まれたときに出会っていたことになる。ならばサーシャがハクロを知っていても不思議ではない。だが、それが意味するところはすなわち――
ハクロは頭を振って己の想像を否定した。
嘘だ。
――サーシャは俺にとって恩人なのだ。
――サーシャは俺にとって大切な……
闇から湧いた亡者が
嗚呼、
嘘だ。嘘だ。
「サーシャは――」
「ハクロ様を
「嘘だ!」
ハクロは
「いい加減なことをぬかすと首を
「真実は曲げられません。ハクロ様こそ、何故そのような
「彼女は――サーシャは魔女なんかじゃない!」
語り部の
鎌をその首めがけて振りおろす。だが腕をつかまれ、アンの躰に届かない。振り返ればそこに在るのは亡者ではなく――
出逢ったあのころと変わらぬ姿をしたまま、時を止めた少女がそこにいる。
「サーシャ、何故止める!?」
「この人を――アンを殺してはいけないわ」
「だが、こいつ」
乾いた音が響いた。
サーシャが平手を打ったのだ。
狂気にのまれているわけではない。
「落ち着いて。しっかり気を保ちなさい。貴方は死神ではないのでしょう? 此処で彼女を殺してしまえば二度とそのレッテルを
その静かな口調と、頬に残る痛みがハクロを冷静にさせた。必死に怒りを堪え、震える両手を
「なら、どうかこの医者の話は嘘だと云ってくれ。貴女は魔女なのか。サーシャが俺を――棄てたのか?」
ハクロは怒りの矛先をサーシャに向け、詰め寄る。
だがサーシャはなにも答えない。
無言をもって
言葉はなくとも、首筋に彫られた刻印が明確な意志を持って真実を現している。私は魔女であると――。
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