死神の初恋

第20話 死神の初恋⑬

「以上が――私が知るハクロ様の出生しゅっせい顛末てんまつです」

 ひとしきり話し終えた盲目もうもくの医者は口を引き結んだ。

 訪れた静寂せいじゃくがひどくなつかしい。城の内部など記憶にないが、永い間地下にもぐっていたように感じる。それだけアンの語りに熱がこもっていたということだ。

 日付はすでに変わっており、出歩く人の気配はない。

 風がぎ、雲が流れて月が現れた。

 窓の外を眺めると、ひさしに止まっていたふくろうが一声啼いて羽ばたいていく。飛翔する姿が月と重なり、小さな影を落とした。こんな街のなかでも野生動物が棲みついているのだ。

 ハクロは、飛び去る黒い影をアンの肩越しに眼で追いかける。まとまらない思考を持て余し、語り部から視線をらせたかったのだ。いましがた聞いた話をどう受け止めるべきか、その判断がつかないのである。

 現在は過去となった時点で物語となる。

 嘘かまことかたしかめる術はない。

 ただ信じるか否かだけだ。

 アンはきっと、信用に足る人物だろう。だが彼女の話はどこか荒唐無稽こうとうむけい飛躍ひやくしている。

 途中まではいい。

 魔女の子であろうと、

 悪しき者の子であろうと、

 忌み子であろうと。

 どんな秘密が語られようと、覚悟はしていた。

 だがハクロの呪われた運命には、背負わせようとした誰かの作為さくいを感じる。それも、底知れない悪意を持ってだ。

「……こんなこと、いったい誰が仕組んだんだ?」

「おそらくストーリーテラーでしょう」

 答えを求めたつもりはなかったが、あらかじめ用意していたのだろう、アンは即答した。

「たしか、この世界を滅ぼさんとする神のふたつ名だったか……」

 それはサーシャから聞いた入墨の少女の物語にも登場した名だった。

 日蝕が最大になるときに現れ、有史ゆうし以来の人類を復活させ、最後の審判を下すと云っていた。だが、ハクロはまだ信じ切ってはいない。この世に神などいるものかと思う。

「もちろん、あまねく神々は、この世界には存在しません。それは抽象的な世界にしか存在し得ないのですから」

「ではどうして神の名を語る。宣託せんたくがあったからか?」

 ハクロは天井を仰ぎながら話を振り返る。

 閉ざされた闇のなかでアンは『殺し合え』と聞こえたと語っていた。だが、それが神の言葉である確たる証拠はどこにもない。地下牢にいた誰かが発したのかもしれないし、たんなる空耳かもしれない。すくなくともそれらの可能性を排除しきれないのではないか。

 ハクロがそう訊くと、アンは言葉のあやですと答えた。

「実際にいようといまいと、それはたいした問題ではありません。重要なのは、そこにいた全員が同じ音を同時に聞き、一斉に呪いにかかったという事実なのです。それが呪文なのか、あるいは別の仕掛けがあったのか、誰にも説明はできません。だけど、人智を超えた現象に対して神という言葉を当てはめておけばとりあえず納得できる。ただそれだけのことです」

「無いものを在ると置き換えたのだな」

「私たち人間は、世界のことわりについてなにも知らないに等しい。それでも、現実に問題は起きる。結果だけがたしかに残り、しかし原因がなにかは解らない。解らないものにはとにかく――名前をつけたがるものなのです」

 つまり、名前の解らないハクロに対して歴戦の戦士たちが死神と名づけたように、概念のなかにしか存在しない神に対して、ストーリーテラーという名称を与えることで現実の世界に具象化ぐしょうかしているのだ。

「城で起きた――否、世界中で同時多発的に起きたこの事件も『盲目の日蝕』と名付けられました。そして人の記憶に留まり、記録に残され、今もなおひそかに語り継がれているのです」

「世界中で俺たちと同じような眼に遭った人たちがいるのか……」

「現象はそれぞれ異なるようですが、同日、この大陸だけでも十ヵ国以上で同様の不可思議な事件が起きたと聞き及んでいます。もしそんな大それたことを実行できる者がいるとするならばそれは、ストーリーテラーをおいて他にいないでしょう」

「何故そいつは俺たちをこんな眼に遭わせるんだ?」

「そもそも個人の意志なのかさえ定かではありませんが……しかし、その誰かが世界をつくり変えようとしているのでしょう。私たちは、日蝕をさかいに、世界に対する認識は一変しました。太陽を蹂躙じゅうりんされ、視力を奪われ、希望を失ったのです。そして魂はとらわれ、ときが止まり、いることもなく、永遠の闇のなかでただ、さばきが下る日を待たなければならなくなってしまいました」

「最後の審判か」

「はい」アンは項垂うなだれ、瞳を伏せた。

 彼女は呪いによって時間の流れが止められているのだ。二十年前と変わらぬ若い姿をしているが喜ぶべき状況ではない。

 ハクロは眼を閉じてみたが、しかし完全な闇を再現することはできない。どんなに固く閉ざしてもまぶたの裏にはわずかな光が透けてみえる。はかり、同情することはできても、同じ体験を重ねることは不可能なのだ。

「貴様の眼を――不死ふじを治すことはできないのか?」

「ストーリーテラーの魔力を断って呪いを解くか……あるいは、裁きを受けて魂の浄化をもってすれば」

「殺そうとしておいて云うのもなんだが、生きることを諦めるな。それは逃げているだけだ」

「ハクロ様には理解できないかもしれませんが、弱き者にとって、永遠の死はときに救いとなります。つらいこと、苦しいこと、いやなこと。それらすべてから解放されたいと願うのはいけないことでしょうか?」

「すまないがその質問には答えられない」

 常に死と隣り合わせにいた死神にとって、それは決して忌避きひすべき対象ではなかった。だが、それを軽々しく他人に説くことはできない。大切な人ができてハクロは生死観せいしかんに迷いが生じているのだ。

 死神は立ち上がり、鎌を手にして云った。

「代わりに俺がそのストーリーテラーとやらに裁きを下してやる。これでも腕には覚えがあるんだ」

「ありがとうございます。そのお気持ちだけで充分です」

「俺では役不足か?」

「そんなことはありません。ですが、ハクロ様がいかに強くともしょせんは人間。神を倒すなんて不可能です。神はこの世には存在しないのですから――いないものは倒しようがありません」

「だが、解らないというだけで、結果が在る以上、原因は存在するのだろう?」

「原因を求めることは、神の名を探るようなもの。知れば貴方様も呪いにかかってしまうでしょう。呪われれば見えるべきものが見えなくなり――視えざるものが視えてしまいます」

 アンは眼を開いた。

 見えないなにかに怯えるように、光を通さないはずの彼女の瞳がわずかに収縮する。

「その視えざる相手こそが原因ではないのか? ならば好都合じゃないか。元々呪われた身なんだ。これ以上悪くなることはあるまい」

「それでも生者が視るべきではありません。ストーリーテラーは認識してはいけない存在なのです。ハクロ様を闇にほうむった、あの黒装束の女のように……」

「そういえば貴様、その女だけは視えたと云ったな?」

「はい。首に彫られた入墨を、はっきりとこの眼で視ました」

「首に入墨だと……? それはどんな模様をしていた? 顔や名前は憶えているか?」

 黒装束の女がストーリーテラーに繋がる手掛かりとなりそうだ。

 ハクロが問うとアンは首肯し、はいと云った。

 ゆらりと立ち上がり、ゆっくりと腕をのばしていく。

「ちょうど貴方様のうしろにいますよ」

「うしろ?」

 差し示した先はハクロの後方――振り返ってみればそこには黒い衣を纏った女が、首に彫られた入墨をさらし、沈黙したままこちらを見ていた。

「サーシャ――起きていたのか」

「ハクロ様にも視えているのですね……」

「まさか、黒装束の女とは――?」

「久しぶりね、サーシャ。否――裏切り者の魔女」

 盲目の医師はサーシャを睨みつけた。

 視えざるものをその眼に焼きつける。開かれた瞳孔どうこう深淵しんえんな闇が広がり、黒い炎が揺らめくと同時に――亡者もうじゃの群れが現れた。

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