第18話 盲目の傀儡③

「私は禁忌きんきを犯して人の名を失った魔女なのです」

 妊婦は続けてそう云い、己をさげすんだ。

 だが、首にられた入墨いれずみが特徴的ではあるが、それ以外は普通の人間と変わらない。アンは、実際に魔女を見たのはこれが初めてだったが、むしろ容姿はこのうえなく美しい。整った鼻梁びりょうに厚めの下唇。大きな瞳にかかる金髪は眩いくらいだ。

 魔女ではなく女神と間違えているのではないかと思う。

 絶えず頭上から聞こえる念仏のような呪詛じゅそに耳を塞ぎながらアンは、子をはらんだ魔女に尋ねる。

「えっと……魔女というのは魔法使いのことですか?」

「いいえ。両者は厳密に異なります。魔法使いは文字通り『魔法を使う人間』であり、魔女は『悪しき者とちぎりを交わした人非人にんぴにん』のことです」

「『人間』と『人間だった者』ということですね」

「元は人間だったという点において、魔女は亜人あじんとも異なります。私は、人の道を踏み外してしまった人外なのです」

「とてもそうは見えませんが……」

 その容姿は異形でも人外でもない。

 どう見ても人間の女性だった。

 華奢きゃしゃな指先には小さなロザリオが握りしめられており、祈りを捧げるその様は聖女のごとき神々しさを湛えている。すくなくともアンには、罪に無自覚むじかくな者よりもずっと純粋に思えた。

「とにかく移動しましょう。こんなまともな設備もそろわない場所で、不測の事態が起きては対応しきれません。さっきの方にも手伝ってもらわなくちゃ」

 アンは鞄を抱えて立ち上がる。

 天幕から顔を覗かせ、応援を呼ぼうと黒装束の女を探した。

 だが、妊婦が手を引き、それを止めた。

「移動はできません。出産は此処で行います」

「いや――それは無茶ですよ」

 無茶というより無謀に近い。

「それでも私は此処から出ることが赦されないの」

「それは貴女様が魔女だからですか?」

「はい。すべては、悪魔の子を孕んだ私の責任なのです」

 アンはため息を漏らした。

 おそらく、不貞ふていの末に間男まおとこの子を身籠みごもってしまったのだろう。めかけでないとはいえ――否、正妻だからこそ対面たいめんを重んじる貴族としては体裁ていさいが悪いはずだ。婚姻を公にする前に事が発覚し、隠蔽いんぺい工作として地下牢に幽閉され、名乗ることさえ禁じられているといったところか……。

「たしかに密通みっつうは裏切り行為なのでしょう。ですが、魔女よ人非人よとそしられなければいけないほどの罪とも思えません。悪しき者とおっしゃいますが、相手はただの人間ですよね? それだけで幽閉ゆうへいされるというのは如何にも重すぎる気がします」

 アンは魔法の存在を知っている。

 だが同時に、医学や科学的な知識を有しているのだ。したがって、人間がべつのしゅと交わっても子をすことなど不可能だと了解している。妊娠している以上、相手は間違いなく人間だ。

 また、いくら名乗ることを禁じられたとしても、それだけで妊婦が人間でなくなる道理はない。

 魔女や悪しき者はたとえであり、比喩ひゆだろう。

 地下牢への投獄とうごくは罰としてだろうが、人命にかかわるほどの体罰は如何いかがなものか。淡白たんぱくそうにみえたが、領主はよほど嫉妬しっと深いのか……。

 魔女は、静かに首を振ってアンの考えを否定した。

「私の罪は不貞ふていや妊娠そのものではありません。否、それもあるのでしょうが……悪しき者と交わることで、この身に呪いを宿したことにあるのです」

「呪いですか……」

「みんな、忌み子が産まれないよう、悪しき者の魔力をはらおうとしているの」

「もしや――胎児たいじ生贄いけにえに捧げようとしているわけではないですよね? だとしたら、迷信めいしんに惑わされて無益むえきな殺生をしてはなりません。すぐに止めさせないと――」

「いいえ、それは誤解です。生まれてくる子の無事を願うからこそ、こうして多くの識者しきしゃが結界を張ってまもろうとしてくれているの」

「では……中絶ちゅうぜつはしなくて良いのですよね?」

「はい。堕胎だたいはしません。子供に罪はないのですから、このまま産むつもりでいます」

 アンは胸を撫で下ろした。

 医療行為とはいえ、命を奪うのは気がとがめる。生む意志があることを確認できて安心した。助産じょさんの経験は少ないが、堕胎させるよりははるかに気が楽だ。しかしそうなると、今度は母体のほうが心配になる。アンは、難産なんざんに苦しむ魔女のひたいに流れる汗をぬぐってやった。

 そして懺悔ざんげの言葉に耳を傾ける。

「私は、生まれたときよりオルドロス様の許嫁いいなずけとして、この城へとついで参りました。ですが、肺をんでいたためにこの地下牢での生活を余儀よぎなくされたのです」

「それはさぞおつらいことでしょう。こんな結果になってご両親の心中も複雑でしょうに」

「どうでしょうか。私は両親とは一度も会ったことがありませんから」

「それはまた……」アンは二の句をげずに口を閉ざした。

 いったいどのような縁談えんだんだったのだろう。彼女の両親の素性が気になる。領家に娘を嫁がせようというのだ。それなりの地位にいる者だろうが、政略せいりゃく結婚なのか、あるいはこの美しき魔女に特別な魅力でもあったのか……。

 謎を孕んだまま魔女は続ける。

「両親のことはさておき、実際、誰かにうつすわけにはいきませんから。隔離かくりするのは当然の処置といえるでしょう」

「お強いのですね。これまでずっと独りだったわけでしょう? 寂しくはありませんでしたか?」

「オルドロス様はやさしく接してくれますから……」

 アンは領主の笑顔を思い浮かべてみたが、うまくいかなかった。

 わずかな時間しか接しておらず、まったく良い印象はない。無愛想な渋面じゅうめんしか印象に残っていないのだ。蠱惑的こわくてきな魔女にせられて無口な傀儡かいらいへと変身しているのかもしれない。もしかしたら妻とふたりきりになれば魔法が解けるのかも……。よけいな想像が膨らむばかりである。

「とにかく、病弱だった私はこの牢獄から一歩も出られず、此処で本ばかり読んで過ごしていました。それでも幼いころは不幸だと思いませんでした。好きなだけ本を買い与えてもらえましたし、現実を知ることなく、虚構きょこうの世界に没頭ぼっとうすることができたのですから。しかし、心のどこかで闇が蔓延はびこっていたのでしょう。領主が元服げんぷくを迎え、いよいよ婚姻の儀式が行われようかという段になった、その日――悪魔が私にささやいたのです」

「悪しき者のことですね?」

「オルドロス様をあざむき、側近のひとりとして城に潜入していたのです。それは、漆黒の鎧兜よろいかぶとを身にまとい、黒い大鎌を操る騎士でした」

「黒い騎士……ですか」

「彼は、『こんな狭い世界に閉じこもるな』――と私に云い放ち、壁を破壊してみせました。私の心に空いた穴の大きさ――深さを看破かんぱし、外の世界を教えようとしたのです。その日の経験は今でも忘れられません。他の者にとっては散歩さんぽするくらいの距離かもしれませんが、私にとっては眼に映るものすべてが新しい、まさに大冒険だったのです。まだ知らない世界が在ると知り、病気も、我も忘れて興奮してしまいました。そして――」

 地下牢の魔女は顔を赤らめ、唇を噛んで下を向いた。そこで事に及んだということだろう。

「肺の病も妊娠したころから症状が現れなくなりました。これも呪いによる影響なのでしょうか?」

「判断しかねますが……魔女として得た力が貴女様の躰を快復させているのかもしれませんね」

 それにしても、聞くかぎりではやはり、黒騎士から悪しき者という印象は受けない。もちろん領主に対する不忠義は非難されても仕方ないが……奥方に対してはむしろ救いの手をのべようとしたのではないかと感じる。

「あの……その黒騎士はいま、どこにいるのです?」

「ご興味がおありで?」

「医者としてですが」

「もうこの世にはおりません。捕らえられると同時にその場で処刑されました」

「そうですか……」

「嗚呼――ほんとうに馬鹿な過ちを重ねてしまいました。本が読めればそれで幸せだったのに……命がこんなに重かったなんて。愛する者ができて初めて気づきました」

「本から得た知識と実際の体験は似て非なるものです」

「まったくです。私なんかが幸せを望んではいけなかったのだわ」

「そんな事はありません。幸せになる権利は誰にだってあります」

「ですが、不幸になる運命と解っていて、それでも産んでいいのでしょうか?」

「不幸になるなんて誰が決めたのです? 運命なんてありませんよ。そんなものは結果論です」

「運命はなくとも、呪いからは逃れられないわ」

「それでも貴女様は生まれてくる子の幸せを願っているのでしょう?」

「はい。誰よりもこの子の幸せを願っています。命に代えても、この子だけは護りたい。護ってあげたい」

「なら、貴女様の手で幸せにしてあげてください」

「私にできるでしょうか?」

「どうか覚悟を決めてください」アンは妊婦の手を握りしめた。「なにが起ころうともご子息しそくは私が無事に取り上げてみせましょう」

「ありがとう。そう云ってくれるととても心強いわ……」

 妊婦はありがとう、ありがとうと繰り返しては泣きじゃくる。

 アンもつられて瞳を潤ませた。

 人とは違った人生を歩んできたアンにとって、彼女の境遇きょうぐうにはすくなからず共感を覚える。周囲の協力がなくては育てるのも苦労するだろう。

 それでも――生まれてくる子に罪はない。

 誰に祝われなくとも、迎えられなくとも、人は生きているだけで価値がある。生まれてきさえすれば自力で幸せをつかむことだってできるのだとアンは信じている。

「私、素敵な子守唄こもりうたを知っています。ぜひうたって聞かせてあげてください」

「上手に詠えるかしら?」

「子供のための唄ですから上手下手は関係ありません。お母さんが一生懸命詠ってあげればそれで良いんです」

「そうですよね……。じゃあ、ぜひ教えてください」

 妊婦はすこし照れくさそうにはにかむ。

 だが次の瞬間――妊婦ははらをおさえて苦しみだした。ふたたび陣痛が始まったのだ。今度の波は大きい。

 アンは、身重みおもな躰を慎重に横たえさせた。

 鞄から器具を取り出し、産道を確認する。

 そこには新たな命が在り――こちらを見ていた。

 日蝕が始まると同時だった。

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