第17話 盲目の傀儡②
それから。
松明がひとつ燃え尽き、最後の一瞬激しく
しばらく扉の前で
地下深くに連れてこられたのは、
感染に備え、マスクと手袋を装着し、手拭いを首元に巻きなおす。鞄に
時計回りに
思わず身を
やがて解錠音が鳴り響き、自然と扉が開いた。
隙間から
鬼が出るか
そこで眼にしたものは――大量の本だった。
薄暗い空間には
アンは、半開きの扉に躰をすべりこませ、近くの一冊に手をのばす。
――どうしてこんなところに
――もしかして、此処は図書館かしら?
ざっと眺めただけでも数千冊か、あるいは数万冊か――ジャンルを問わずに無数の書籍が所蔵されている。
首を傾げながらもアンは手にした本を開く。ページを
女性の叫び声だ。
姿は見えないが、苦しそうに
何事かと身を
女は全身を黒い
「ああ、ちょうど良かった。人を呼ぼうとしていたところなの。貴女が新しく来た医者ね? 遅かったじゃない」
「すみません。扉の前でしばらく
「いいの。どうせまたオルドロス様が
「オルドロス様?」
「無口で神経質そうな男性よ。領主様に
「あの御方が領主様だったのですか――!?」
てっきり
「まさか領主様が直々に案内してくださっていたなんて……」
「貴女なにも知らないのね。この街の出身じゃないでしょう?」
「はい。西の村から上京してきました」
「なら驚くのも無理はないわ。とにかく扉を閉めて、こっちへ」
黒装束はアンの腕をつかんで奥へ導く。
すくなくとも獣や異形ではなさそうだが……しかし不安は拭いきれない。
「あの――この先にはどなたが?」
「名前は云えない」
「身分を明かせないような御人なのですか?」
「違うわ。名前を奪われているの」
「それは身分を
「いいから早く。さっき
「
「そう。それも予定よりずっと早くね。嗚呼、ほんとうに嫌んなっちゃう。こんなときに日蝕が重なるなんて、悪い予感がしていたのよ」
「日蝕が人体に影響を与えるとは思えません」
「月の満ち欠けで産卵する魚だっているのよ。絶対にないとは云い切れないじゃない。それに……」
女は鼻息を荒げたが、何故か言葉を
歯切れの悪い
「関係ないかもしれませんが、気持ちの問題のほうが大きいわ。病は気からというでしょう? 案ずるより産むが
「妊娠は病気ではないけれど……そう思うなら、ぜひとも傍で
「そうします」アンは
想像していたよりもずっと好ましい状況だ。誰かは知らないがこんな
だがその期待はすぐさま裏切られることとなる。
奥へ進むにしたがって天井が高くなり、圧迫感も薄れていくが、代わりに嫌な汗が背中を伝った。
妊婦の
地鳴りのような低音がそこかしこから聞こえてくる。それらは生まれてくる子への
急に吹き抜けたように天井が高くなった。
耳を
魔術師や
アンは、広がる異様な光景に我が眼を疑った。
下方に視線を投じれば、そこには巨大な
切り出された
「これは、
階段の一段ごとに松明が並べられ、頂点まで続いている。高さはゆうに十メートルを超えており、とても地下につくられた構造物とは思えない。黒装束の女に手引きされ、よろけつつも階段を上っていく。
女の叫び声が大きくなってきた。
乱れた吐息につられてアンも呼吸を早める。
息を切らせて階段を上り終えると、中央に
アンは、黒装束の女と視線を交わし、幕の切れ目を潜ってなかへ這入る。
ベッドの上にはお腹を大きくしている妊婦がいた。
歳はアンと同じくらいだろうか。鼻筋の通った綺麗な顔立ちをしており、育ちの良さが窺える。しかし今は苦痛に顔を歪め、
黒装束の女は、苦しそうに喘ぐ妊婦に近づき、手を握った。
「
「奥方様? この御方が!?」
驚きのあまりアンは声をあげた。
「静かになさい。奥方様の躰に
「すみません。ですが、たしか領主様は独身だと記憶しておりましたが……」
俗世間的な噂話に興味を持たないアンではあるが、領主の
「もしや――お
それなら
世間は広いようで狭い。よからぬ噂ほど瞬く間に広がるものだ。領家の名に
「貴様――口を
黒装束の女が
だが怒る黒装束を妊婦が
「やめなさい。お医者様が怯えているわ」
「ですがこの女――なにも知らないくせに」
「良いのです。事実、表沙汰にできない関係であることに変わりはないのですから。さあ、貴女は持ち場に戻りなさい。お医者様とふたりだけにして」
奥方に
「ごめんなさい。みんな私のせいで気が立っているの」
「いえ、私も余計なことを口走りました。どうかお赦しください」
「気にしなくていいわ」
「あの、この状況はいったい? 黒装束の方は奥方様と呼んでいましたが、ほんとうは何者なのです?」
領主の正妻であればこんな地下牢で出産などしないだろう。生まれてくる子にもしものことがあれば一大事である。
そう考えて尋ねたが、妊婦は大事に
「領主の妻であることは事実です。ただ……私はもう人間ではないの。いまは人間だった者、つまり私は――
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