18 二人の距離

「もしかして、依月いづきくんのお仕事バレちゃったのかな」


 ホームルームが終わった後の図書室。

 ここ一ヶ月恒例になっている芥川あくたがわ蘭藍らら殺害計画会議(なんて俗な名称だ)を開始する前に、見谷がぽつり不安を漏らした。


「いやそれはない。具体的な証拠は何もないし、捜査範囲もまだ絞られてない。ただ目測はつけてきたって感じだな」

「ええっ! じゃあ証拠とか残ってたら隠さないと! えっと……あるか分からないけど」

「残してないっての。だからあっちは犯人が慌てて動くのを待ってる。あの警視サマがわざわざ学校に来たのは確定させるための釣りさ」

「釣り?」

「そ。釣り針に付けるエサを大きく見せて大きな一噛みビッグバイトを待ってるってわけだ」


 なにかの釣り番組で聞きかじった単語を使ってそれっぽく語ってやると、見谷は「ほえぇ……そうなんだすごい」と頷いた。多分わかってないが安心したなら十分だろう。


「それより。これから先、同じ学校の奴が死んだんじゃ、余計に怪しまれちまうかもしれない。お前の依頼は早く片付けよう」

「うん。そうだね」


 見谷は手提げ鞄からから何か取り出すとテーブルの上に置いた。手帳だ。中学生の女子らしく、ピンク色の表紙に小さなビーズがやたらデコレーションされている。


「あ、これ可愛いでしょ? へへー」

「え? いやまったく」

「だよね! ……って、ええええ⁉ うそでしょ⁉ なんで。ねぇ、なんで。これかわいくないとかおかしくない?」

「知らんおかしくない寄んな」


 見谷が肩を寄せてきたので押し返す。押し返された後も「ぜーったい感性おかしいよ男子って」と微妙に歪めたアヒル口でぶつぶつ言っている。


 しかし女子というのはなぜこの手のデコレーションが好きなのだろう。しかも中学生女子という属性に関係なく高校生から大人までこうだ。……謎すぎる。分からん。考えるだけ無駄なのは分かるけど。


 もっとも。手帳の中に書かれている内容は、可愛らしいデザインとは裏腹に、芥川蘭藍をどう殺すべきかというおおよそ中学生とはらしくない計画が記されている。

 対象ターゲットの行動範囲や、行動規則、趣味嗜好しゅみしゅこう。それらから導き出される行動予測から、もっとも確実性のある殺害方法はなにか――そういったたぐいの情報も細かに書きこまれている。


 いつもならこういった計画内容は、フロッピーディスクに記録しているのだが、今回は依頼主見谷と顔を突き合わせて計画を練るというで情報を共有せざるをえず、こうした普遍的な記録方法になっている。もちろん終わったら手帳は破棄させるつもりだ。

 ……お気に入りの手帳を燃やせ、とはちょっと言いにくいが。


 ともあれミーティングを繰り返した努力の甲斐もあり、殺害方法は概ね決まりつつあり、今日はその四度目の確認だった。


「大丈夫かな。上手くいくかな」

「上手くいくに決まってる。そのために練ってきたんだ。自信持ってろ」


 およそ青春とは無関係の、罪に満ちた努力だ。それに自信を持てというのも、なんとなくおかしな話だった。


「つか最終的にやるの俺だし、心配するとしたら俺なんだがな」

「え、違うよ? だってあの方法ならわたしでも最後までできるでしょう? だからわたしが最後までやるつもりだったんだけど」


 意外な提案に思わず「えっ」という声を出して確認する。


「……なに言ってるか自分で理解してるか? 最後までやる。そりゃつまり、手を汚すのはお前ということになるぞ」

「うん。それでいい。そうじゃないとダメだと思う。だからわたしがやるの」


 彼女の瞳に込められた意思は思った以上に固く、面倒な説得は無意味だとすぐに悟った。


「分った。なら少し計画を修正しないとな」やりたいならやらせてやればいい。

「ありがとう」別に礼を言われるようなことじゃない。わざわざ罪を負いたいとか不思議な奴だ。


 非力で何の訓練も受けていない見谷でもできる方法となると、手段は限られてくる。どうするか。思案を巡らせ計画に修正を加えていく。

 一時間ほど考え煮詰め、見谷に話す。彼女は「ほほー」と唸ったあとこくりとうなずいた。

 これで方法と手順は大体固まった。


「さてあとはでやるか、だな」


 決行場所はまだ決まっていない。なにせ今回の殺害方法には「人の見ている前で殺して欲しい」という条件をクリアする必要があったからだ。

 見られないように自然に殺すというのが信条の殺し屋にとって、これは非情に難しい問題で、見谷には「できる」と安請け合いしたのだが、案の定、最後に残ってしまった。しかも加えて見谷が最後を締めることになったのだから、さらに条件が厳しくなったのである。

 顎に手を当て思案していると、見谷がこちらを見る気配がした。


「ねね。そういえば知ってる?」

「知らん」その質問で分かるとか俺はエスパーか。主語を入れろ、主語を。

「もうすぐ夏祭りだよ」

「へぇ」

「うわぁ……めっちゃ興味なさそう」


 都内では大きな花火大会がいくつも行われる時期に差し掛かっており、俺たちが通う緑林りょくりん中学の近くにある神社でも、毎年川沿いの花火大会に合わせて夏祭りが行われる予定になっている。

 見谷が言った夏祭り、とはそれだろう。

 興味がないわけじゃないが、花火はマンションの部屋から見ることができるし、なにより誰かと行く予定のない祭りほどつまらないものはない。


「たくさん出ている屋台とか、ああいう雰囲気は好きなんだけどな」

「あっ! わかるっ! 高くてまずい食べ物が、なんでかおいしく感じるんだよね!」

「それは俺も分かる。分かるけどその注目を集めそうなド直球な感想は店の前で言うなよ?」

「あと花火を見ながら食べるともっとおいしい」


 見谷は俺を見て、はにかんだ。

 ドンッという花火のような太く鈍い音が、響いた気がした。

 なぜだか気恥ずかしくなり顔を逸らす。と、同時に「カシャッ」というスマホのシャッター音が隣から聞こえた。


「? なに撮ったんだよ」

「えへへー。絵日記の撮影だよ」

「絵日記?」

「ほらこれ。何でもいいから毎日一枚は撮ってるんだ」


 見谷は細い指で画面を何度かタッチしたあと、俺へ向けた。


 そっぽを向いた俺の横顔がまず目に入った。

 その隣は前日の写真だろうか。道端に生えている紫色の小さな花が被写体として選ばれている。駅前にあるよく分からないオブジェが映った日もあり、多種多様なサムネイルがカラフルに画面を彩っていた。


「これを買ってもらったときから、毎日一枚は撮ってるの」

「へー。てか絵にして残すから絵日記という気がするのだが、これは」

「ただの写真って言いたいの? もう! 依月くんは細かいなぁ! 形に残ってればどっちも同じでしょ」


 お、おお。形とかいうとんでもなく幅のデカいカテゴライズで押してきやがった。


「……あとそれにね」


 隣から発せられる声のトーンが少し落ちたので、眉をわずかに傾ける。


「生きた証を残せればなんでもいいの」


 生きた証。まるで何かが、もうすぐ無くなるかのような言い方だ。

 初夏の太陽は長く、日没までまだ時間があるはずだったが、見谷の白い肌にほんの少しの陰が落ちていた。ほんの少し開いた窓から湿った空気が流れ込み、俺たちの隙間を揺らしていった。


「気に食わねーな」

「え、なにが?」

「そりゃただのスライドショーだろ。絵日記として認めるわけにはいかない。そんなものを認めたら絵日記の定義が崩れる。被写体として許可できない」

「えええ。なにその理論。じゃあ依月くんの写真は残しておいてダメってこと?」

「ああダメだ」

「……ちぇっ。じゃあ捨てますよーだ――って痛ぁっ⁉」


 画面をタッチしようとした見谷の指を、パチンと弾いてやった。


「ばーか。話を最後まで聞け。撮ったのを元にして、本当の絵日記にしたらオーケーって言いたかったんだ」

「え、本当のってなに? どうゆうこと?」

「例えば、美術部なりに入るなりして技術を磨いて、その写真を模写してそこに適当に、こう、今日はほにゃららの計画を立てました、とか文章を打ち込んだのなら、絵日記として認めてやる」

「……え、えっと? ちょっとなにいってるかわかんない……。それにわたし園芸部なんだけど」

「生きる証っつーならちゃんと残せ。そんなお手軽な写真で、俺を、お前の中に組み込むのは許さねぇってことだよ」


 俺は見谷の方を見ないで、ちょっとだけ意識して作った明るい声で言った。


「伊月くんをわたしの中に残すなら、自分の力でなんとかしろ、ってこと?」

「そうだ」

「難しいなぁ……絵とかへたくそだもん」

「今すぐじゃなくてもいいさ。時間をかければいくらでもできる。そして、それを為すだけに必要な時間は、お前の先にまだまだ広がってるはずだ」


 時間を使えず世界から消えてしまった女の子に比べたら、お前にはまだ――――

 と、喉まで出かかった言葉は、必要ないことに思い至り飲み込む。


 少し待っても見谷は何も言ってこない。それが逆に気になる。

 説教じみてたかもしれないから呆れられてしまっただろうか?


 頭を何度か掻いて、口をもにゅりと歪める。反応を伺うべく隣を見ようとするが、うまく見れない。首を動かそうとする動きを何度か繰り返しやっと命令を実行できたとき、隣からくすりという小さな笑い声が、エアコンの風に乗ってきた。


「なんだか先生みたい」


 ああ。


「今この瞬間だけはな。計画を進めるために色々教えてやってるわけだし」


 いい、笑顔だ。

 俺はきっと、この――――が――――――たくて――――――

 ってあれ。エアコン切れたのか? やけに顔が熱いぞ。


「ふふ。そうだね。美術部のことは考えておきまーす。ね、それより早く続き決めよちゃおうよ、センセ」

「……おう。つか最初に話を逸らしたのはそっちだろ」

「あ、そうだったっけ」


 はにかむ彼女を見て、俺は背負っていた憑き物が落ちていくような、そんな気がした。

 ふわっと二人の間を、エアコンの涼やかな風が流れていく。


 ――――――なんだ。やっぱりちゃんと「きいている」じゃないか。


 それは誰に向かって言ったのか分からなかったけど。間違いなく、誰かに向けて言った言葉だった。

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