07 図書室での一幕
今週の土曜日は休校で仕事も入っていない。ゆえに完全休日――のはずだったのだが。
「なんでお前がここにいるんだ、見谷?」
ドアの向こうにいる同級生に非難を投げかける。
俺がドアをさり気なく閉めようとしたのを察したのか、見谷はローミュールのつま先を扉の間に挟みつつにこやかに答えた。
「だって昨日、計画を一緒に考える? って聞いたら頷いてたし、なら今日来たのは当たり前でしょう」
いや確かに計画を考えようと提案した。YESという意思表示もした。だがここは俺が住むマンションの九階で、その玄関だ。
「俺の部屋でやるとは一言も言ってないぞ」
「じゃあカフェみたいな賑やかな場所で話しちゃう? 誰かに聞かれるかもしれないけど」
「……いやそれはマズい。けど場所なら他に」「じゃそういうことでー」
「……っておいっ!」
一瞬扉を抑える力を緩めた隙をつかれ「おっじゃましまーす」と、するり入り込まれてしまった。
「わー広い。これ一人で住んでるの? あ、冷蔵庫借りるね。飲み物とか買って来たから」
俺の返答も返事も許可も待たず、見谷はそのまますいすいと俺の部屋を侵食していく。ため息交じりに部屋に戻る。
ソファに座ろうとしたら見慣れないスポーティブルゾンが背もたれにかけられていて、その持ち主は使われていないキッチンをせわしなく歩き回っていた。
同級生の、何でもない普通の女の子が、自分の部屋にいる。なんだこれ。現実か?
その背中を隠よう顔を右手で覆ってみるが、当然ながらいなくなるはずもなく、現実だった。
つうか何でこんなことに――と、悲観しようとしたが思い当たる節は、残念ながら普通にあった。
それは昨日のホームルームの後、図書館での一幕だった。
図書館に足を運んだのは別に調べものがあったからではなく、単にホームルームのあとの掃除をサボりたいからという非生産的な動機からだった。
別棟の一番端にある図書館にくる生徒はそう多くない。掃除の時間になればなおさらで、一人で考え事をするにはうってつけの場所だ。
教室三つ分ほどの読書スペースには誰もおらず、夕日が机を寂しく照らすのみ。がらんとした静謐な空間は、きれいに整理された廃墟のような
俺は一番奥の椅子に腰かけ、怠惰なひと時を過ごしつつ今後のことを考え――――
「あれ、依月くん?」
――ようとしたところで見谷に邪魔をされた。背もたれに体重をかけたまま、首だけで声のした方を見る。
「珍しいね。こんなところに何か用?」
「……割と来てるから珍しくはないし、それにこんなところっていう評価は本に失礼だぞ」
答えたついでにお前なんでここにいるの、という疑問を視線にして投げ返してやる。
「だって図書委員だし。そして本日、図書室の掃除当番はわたしだからです」
見谷はほんの少しだけ胸を張ってそう答えた。
「けど依月くんは普通に教室の当番じゃなかった?」
「そうだけど面倒なことはできるだけ避けたいし、避けられるなら避けていくし、避けられないなら避けられるように努力するのが俺だ」
「むむむ? ちょっと何を言ってるか分からない……。つまりサボりってこと?」
「そうともいう。ついでに面倒なことは避けたいってのはお前と関わるのも入ってる」
「ひどっ⁉ 女の子の目の前でそーゆーこと言っちゃうんだ⁉」
「事実だからな」
「本当でも隠す配慮が男子には必要なんですー」
配慮をされなかった女子はぷくっと頬を膨らませ非難した。
「必要ならな? けどお前に見つかったところで何の不利益もないし」
「ふーりーえーきーがなーいー? ふふふ」
「あんだよ。そのだるい笑い」
「実はですねぇ。こほん。今日先生が『依月くん掃除サボりがちだからもし図書室で見かけたら見谷さん注意してあげて』って言われたのです。つまり! わたしはこの掃除をサボってる不誠実な生徒を先生にちくって差し上げる権利を持っているのでーす!」
「はぁ?」
俺は眉をひそめた。芝居かかったセリフを冗談めかして語る見谷に対してではない。「なぜ俺がサボっていることを周囲に知られているのか」という事実に対してである。
見谷の背後。何もない空間を見つめていると、空気が揺れ、ふわりと死神が姿を現した。
『なーにその疑いのお瞳はー。息を止めてたのに見つかってるのがおかしいって? 言っとくけど能力はちゃんと動作してたかんね』
お前「息を止めている間だけ第三者の視界から消えることができる」って言わなかったか?
『別に目の前から消えていなくなるわけじゃないし。あくまで視線の先にいない存在が視界に入らなくなるだけ。最初から視線を浴びていたら意味がないってことー。おっけー?』
全然オッケーじゃない。が、トワリに文句を言っても仕方がない。そういうものだと受け入れるしかないだろう。
しかしこれまで目立たないよう立ち回ってきた俺がなぜ注視されてたのか。思い当たる節はないわけじゃない。先日の尾根とぶつかった一件だろう。
芥川蘭藍をヒエラルキートップとする『蘭藍グループ』、その右腕的存在である尾根に歯向かった人物(非常に不愉快だが俺のことだ)の登場は、クラス内における潜在的な『反蘭藍グループ』の結束を促してしまったようで、その旗頭たる俺(これも非常に不愉快だが)の一挙一動は注目されているようなのだ。そして注目を浴びるのは仕事柄あまりよろしくない。
「お前のノルマにも関わるし早く解決した方がいいなこりゃ」
「え、なに? ノルマ?」
「あ、いや」トワリに向かって呟いたつもりの言葉に見谷が反応した。
『普段は一人で周りに誰もいないからねぇ? うっかりさんめぇふふふふー』
うるせえっての。俺は見谷の背後で意地の悪い笑みを浮かべふわふわ浮いてるトワリを睨みつけた。
「依月くん?」
「あーっと、その、あれだ。今からどうやってお前からの依頼を達成しようかと……その、考えるつもりだったからさ。クライアントである見谷にも一緒に考えて貰おうかなって」
とっさの思いつきを口にしただけだ。いや図書室に来たのは実際どうやって殺すかを考えるためだったから前半は事実なんだけど。
それでも見谷は納得したようで、
「え? あの、うん……。えっと。初めてで慣れてないけど色々教えてね」
人が聞いていたら微妙に誤解を生みそうな返事をして隣の席に座った。肩まで掛かった黒髪がなびくと、なんとも形容しがたい良い匂いがふわり風に乗ってくる。
いい匂いだ。近くに寄ったらきっと、もっといい匂いがするに違いない。
「じゃあ何から考えればいいのかな? ……って依月くん?」
「……! いや! べつになんでも、ない!」
慌ててかぶりを振る。指先で鼻頭を搔き、湧いた奇妙な感情もいっしょにかき消す。
「ええっと、そうだな。まず何か希望があれば聞く、けど」
「希望って?」
「例えば殺して欲しい日があるとか、どんな殺し方をして欲しい、とか」
「ええ! 殺し屋さんってそんなこと話し合ってるの⁉」
「いや普通はしない。なんせクライアントと顔を合わせるのは俺も初めてだ」
「初めて! これはなんだかちょっといい響きかもしれません」
そう言ってガタゴトと椅子を動かしこちらに寄ってくる。右肘が彼女の制服に触れる。調子が狂う。っておいそこ、トワリさん笑ってんじゃねえ。
「遊びじゃないんだ。聞くなら真面目にやれ」
「はーいっ」という分ってるのかどうか微妙な返事を聞いた俺は、「じゃまず情報の収集と精査、それに整理からな」
色々混じった場の空気を払うように、ぱんっと、A4ノートを開いた。
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