06 諾々する
昼休みにはいつもの渡り廊下にいた。いつものベンチ、隣には見谷。
違うことといえば、四限目の家庭科が長引いて購買所にスタートダッシュできず、案の定何の成果も得られず手ぶらで来てしまったことくらいか。
空腹の俺にそっと差し出されたのは、見谷の弁当箱。盛大にばら撒かれてしまったうち一つだけは奇跡的な着地を見せて無事だったのである。
小さな箱にはご飯と唐揚げ、それとミニトマトが彩りに添えられていた。
「……いやそれお前のだろ」
「ううん。これ
そりゃくれるってのはありがたいが、これを食べてしまうと見谷が食べる物がなくなってしまうんじゃ。
少し迷っていると、
『さりげなーくキャッチしてあげたあたしに感謝してよねぇ? んん?』
耳元で暖かい吐息が掛かった。
「ちょっおま⁉」
「わっ⁉」
思わずのけ反ってしまったので、肩が見谷にぶつかってしまう。
「わ、わりい」
「ううん。だいじょうぶ。それよりどうかしたの? いきなり」
「……いや」
見谷に気付かれないようちらと声の方へ注意を向ける。見覚えのある顔がにやにやしていた。
『ぷぷっ。ね、感謝したぁ?』
見谷や他の生徒らにこの「死神」はもちろん見えていないのだが、ここで返事をするわけにはいかない。何もないのに喋っていたらただの変人である。それを理解しているだけにトワリの挑発はいつもより直接的だ。
俺は黙ってくくくと忍び笑いを漏らす死神を肘で押しのけた。
……あれ、そういえば。
普段人前にいるときは決して出しゃばってこないのに珍しいっつか、もしかして初めてじゃないだろうか?
『初めてなのはあたしも同じよぉ。だってあのヤヒロが怒って暴力を振るうとこ初めて見たよあたしは』
は? 怒っていただって? 俺が?
『そそ。だからちょっとくらいはご褒美があっていいって思ってさー? キャッチしてあげたんだよお弁当箱』
何言ってんだこいつ。あれは、ただ苛ついただけだっての。しかもご褒美ってなに。見谷の弁当箱を拾うことがなんで俺への報酬になるのか。意味が分からん。
「そういえば、依月くんが怒ったところ、わたし初めて見たかも」
視線だけで会話していたら、見谷がそんなことを言った。
「お前も同じこと言うな」「え、同じって?」「あ、いや」
マズい、マズい。うっかりトワリが姿を現したもんだから調子が狂ってる。
俺は見谷から視線を逸らし、「つーか俺の行動なんていちいち気にしてんのかよ。クラスでも影が薄いってのに。ずっと見てなきゃそんなの分かんねーだろ」と、適当に誤魔化す。
「え、だってずっと見てたから」
「あん?」
びゅうっという強めの風が吹いたのもあったし、トワリに気を取られていたしで、見谷が何て言ったのかは聞き取れなかった。
「ううん。なんでもない」
見谷はぷいとそっぽを向くと、手にした箸で弁当箱をつんつんとつつき始めた。
ああもうなんなんだ。こいつといいトワリといい。くそ。どうも勝手が違う。
空を見上げる。怒りかいう感情とは無縁の、晴れたいい天気だ。
……あのとき、俺は怒っていたのだろうか?
苛ついていたのは確かだ。けどだからといって怒っていたと決めるのは早急じゃないか。
人生の中で怒ったことがないわけじゃない。俺は機械でも何でもないし、感情として当然存在はしている。
――けど最後に感情を
自らに問いかけてみるが答えは出ない。
出せないまま視線を、隣の子の、膝の上にある弁当箱に向けた。
「腹、減ったな」
「うん。だからこれ食べていいってば」
「いやそりゃお前のだし、第一お前が作ったやつじゃないだろ」
「え? あ、うん。そうだけど……ってあれ。わたしが作ったのじゃないとダメってこと?」
「いや! そういう意味じゃ、ないし!」
慌てて否定する。
くそう。目を丸くして少しキョドった見谷以上に、キョドったかもしれない。
息を吐き心を落ち着かせ、言葉を頭でまとめる。
「いいか」
「うん」
「もしお前が作ったのじゃないのを食おうとしたら、あいつらにまたちょっかいかけらんだろうなって思ったんだ」
「……?」
おおおおおダメだ何を言ってんだ俺は⁉ 全く説明になってない! そりゃ見谷の頭上にクエッションマークも浮かぶっつの。
「……あー。なんだ。つまり、お前が俺によく近づくせいで、連中から注目を浴びちまってるってことな。目立つのは好きじゃないんだ」
「そんなーえへへ」
いや褒めてない。褒めてない。今の中に褒めた要素がどこにあったんだ?
じろり睨むと、見谷は小動物が起こられたときのようにしゅんと下を向いた。
「これまで注目を集めないよう立ち回ってたけど、今日宣戦布告しちまったからお前という存在が近くにいようがいまいが、これからとばっちりが来るのは確定だ」
「うーごめん……。でもなんで尾根くんにあんな危ないことしたの?」
……それは俺が聞きたい。
「じゃあもうこういう風にちょっと一緒に話すこともしない方がいいよね」
「いや。もう遅い。どうやってもこれからの生活――というより仕事だな。そっちに支障が出る。だから根本的解決した方が早い」
俺は見谷の方に向き直り、少し声を低くし、
「お前の依頼を受ける。芥川蘭藍を殺す」
そう伝えた。
見谷はきょとんとしている。ゆっくりと、自らの指を唇に持っていく。やがて。無理やりこじ開けるようにその口を開いた。
「いいの?」
「ああ。元凶を除けば周りの小蟲は勝手に離散する。俺に干渉することもなくなるだろ」
「そう、かもしれないけど」
「それにあれだ。お前がまえにここで言ってた人生にも質量保存の法則があるってやつな。あれに当てはまるんじゃないか? 俺みたいな変な奴に構った代償は自分に返ってくる……幸も不幸も全て巡り巡ってくるってあれな。あの理論に当てはめたら芥川に代償が返ってきてもおかしくないだろ」
「う、うん。そうだね。あの、でも、自分で頼んでおいて何だけど、お金とかあんまりないんだけど」
「報酬はその口だ。これまで通り閉じていてくれればいい」
じっと見谷の瞳を見つめる。
「……分った。うん。誰にもしゃべらない。約束する」
「なら契約成立だ」
見谷から視線を外す。しばらくして、安堵とも
「あ、それと条件はもう一つあった」
それとなく付け加えてやる。
「え、な、なに⁉」慌てる彼女の声。
その疑問をかき消してやるため軽い口調で答える。
「その唐揚げくれ」
見谷は一瞬真顔になったが、「やっぱダメだし。食べていいのはこっちのミニトマトね」すぐに苦笑し否定した。が、俺はかまわず指を伸ばし弁当箱から唐揚げを摘まみ取る。
「あっーこら!」
何か言おうとした見谷を無視し、ひょいとそれを口に放り込んだ。
「これで契約成立だ。悪いな」
「ううっ……お母さんの唐揚げがぁ」
「なんだ自作じゃないのか。なら今度はお前が作ったのを食わせろよ」
見谷は一瞬何を言われたか分からなかったようだが、「あっ! ……うんっ!」意図するところを読み取ったようで顔をパッとあげた。
ガラにもないことをしたかもしれない。そう思った。
一人でもにゅりと口を歪ませていると案の定、『ヤヒロってばやっさしーあっまーい』などという死神のくすくす笑う声が後ろから聞こえた。
ふん。この唐揚げはうまいから仕方ない契約するだけの価値はある、と自分に言い聞かせる。
見谷が作ったのがうまいかは、誰も保証してくれないのだが。
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