08 二人の秒針
「で、芥川は塾の帰りに目黒川沿いを通るってのは間違いないのか?」
「うん。吉峰くんが嬉しそうに男子に喋ってたのを立ち聞きしたことがあるから」
芥川の知りうる限りの情報を引き出し始めてしばらく。下らない世間話を経てやっーと有益な情報を得られた気がする。
「あいつストーカー気質に溢れてっからなー。俺から見ても芥川に粘着しすぎだし、いつかいつか犯罪に走るかもしれん」
「なら芥川さんをやっちゃうのは吉峰くんを助けることにもなるね」
「ものすごい歪曲した答えにちょっとびっくりだが、まあそうなるかも」
「あ、そういえば目黒川沿いって毎年春になると桜がいっぱいで綺麗なんだよ。知ってた?」
「知らん。花見の時期に屋台がくそ並ぶのは知ってる」
「うわぁ子供っぽい……」
「うるせ。好きなんだよ。ああいう雑多としてるのが」
「そなんだ。弟も屋台見るとやたらはしゃぐんだけど、ふむふむ、男の子は好きだよねああいうの」
下らない会話を交えつつ、芥川の行動パターンを収集していく。正面にある時計に視線を向ける。話し始めて二〇分ほどが経っていた。
「依月くんは兄弟いるの?」「は? 俺?」
唐突な見谷の振りに、思わず声が一段高くなった。「え、なに、その情報今必要?」
「必要かって言われると……全く関係ない、あはは。でも知りたい、かも」
苦笑いの表情に他意は無いように思えた。
『知らないのヤヒロ。女子はまず回りから埋めていくってことをさっ!』
知らん。知りたくもないっつの。
俺にだけ聞こえるくそ能天気な声に、脳内で答え、
「物心ついたときにはもう一人だった。姉みたいな人は施設にいたけどな」
それから自然と、言うつもりのない言葉が口から漏れ出ていた。
「お姉さん?」見谷が食いついてきた。寄るな近い。
芥川についてもう少し情報を集めたかったのだが、見谷の興味は明らかに逸れてしまっていて、高ぶる何かを落ち着かせてやらないとどうにも話しそうにない雰囲気だった。
「孤児なんだよ俺。五年前は児童施設に入ってた」
仕方なく少し話してやることにする。
養護施設にいたこと。そこにいた姉のような女の子とは特に仲が良かったことを。
「本当のお姉さん……ってわけじゃないよね」
「そりゃな。仲が良かったし、もし実の姉がいたらあんな感じだったかもしれないけど」
「好きだったの? その子のこと」
「は? なんでそうなんの?」
一体今の話からどうやってそこへ結び付けたのか? これだから恋愛脳ってのは。
いきなりぶっ飛んだ答えを出された俺は呆れ、そういえば彼女も似たようなことを言っていたのを思い出し、少しだけ口の端を緩めた。
だから思わずその質問にも答えてしまう。
「そういうのじゃないさ。少なくともあそこじゃそんな感情を抱いて生きている余裕はなかった」
「余裕がなかった、って?」
「あ、いや。何でもない」
見谷の言葉を打ち消しながら、記憶にある朧げな風景を思い出していた。
岐阜県の山奥にある児童施設。物心ついたとき俺はもうそこにいた。クソみたいなところだった。
あの掃き溜めのような場所では誰もが助けを求めていた。もちろん俺も例外じゃない。
『思い出しちゃった?』死神がくすくす笑う。渇いた笑いだが嫌な感じは受けない。
その微笑に対し、少しな、と声に出さず答えてやる。しかしお前が覚えてたってのは意外だな。
『忘れるわけないでしょぉ? だってあそこはあたしにとっても思い入れのあるとこだしぃ』
そう。あの児童施設は俺が初めての殺しをした場所であり、同時にこの死神と出会った場所だ。
『あたしと出会わなかったら変わってた?』
どうだろうか。少なくとも今ならもう少し上手くやれただろう。別の未来だってあったかもしれない。
だけどあのときの俺は今よりもっと幼稚で――あの姉のような包容力があった彼女が助けを求めていたのにも――気が付いていなかった――気が付けなかった。知ったときには、もう遅かったのだ。
だから俺は、
「……依月くん? ちょっとね、依月くんってば」
伺うような声にハッとし、過去から現実へと意識を戻す。
「ああ、どうした。なんだっけ?」
「ううん。何でもないっていうか……ちょっと怖い顔になってたから」
見谷は心配げに眉をひそめている。
「いや。この話はもう終わりでいいだろ。今必要なのは俺の話じゃないし」
入り込みすぎた見谷に対して釘を刺す。これ以上踏み込ませるべきではなかった。
少し口が滑らかになってた俺も悪いが。
「で、結局アレをどうやって殺すかだけど」
本題に入ろうとしたが、ふと気が付くと、図書室にぱらぱらと人が散見されるようになっていた。
時計は一六時を過ぎている。ホームルームもいい加減終わっている時間だ。
「あちゃー……さぼっちゃったね」
「だな。俺はいつものことだけど。つうかこっちの図書室こんな人来るような場所だっけか?」
「期末試験が近いからからじゃないかな。時期になると人が少ないからって利用する生徒は結構いるよ」
「そうなのか」
「ここでこんなお話してるとアウトだね」
見谷は声をひそめ下から少し覗き込むように言った。こういう悪戯っぽい仕草をするところは彼女と少し似ているかもしれない。
「そうだな。続きはまた次にしよう」
「おっけーでありますっ」
「なんだその敬礼。ていうか見谷、掃除は? 全くやってない気がするけど」
「あああ! そうだった! あいたっ」
慌てて立ち上がったから膝を机にぶつけたようだ。まぬけめ。
少し大きな声は衆目を集めてしまっていたので、彼女は少し恥ずかしそうにしながらこちらに向きなおった。
「じゃあまた明日一緒に考えるってことでいい?」
「ああ」
気のない返事を返してから、俺はメモを残したページを破りくしゃくしゃに丸めてポケットに突っ込んだ。内容は記憶している。証拠を残さないのは基本だ。
と、図書室の扉に手をかけた辺りで、不意に見谷の言葉を思い出した。「じゃあまた明日一緒に考えるってことでいい?」って。
ん? 明日? 一緒に? 明日は土曜で休校だぞ?
聞き返そうとしたが、もう見谷は図書委員としての仕事に戻っていた。
いやまあたぶん聞き間違いだろう。
そのまま図書室をあとにした。
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