09 彼女と部屋

 で、今日土曜日。俺の部屋に戻る。


依月いづきくん、ティーポッド借りていい?」「ああ」

「お茶請けにこのお皿借りるね」「ああ」

「ていうかちょっと埃被ってる……使ってないの?」「ああ」

「生返事だなぁもう。聞いてないでしょ絶対」「ああ」


 図書室で聞き流して頷いた結果がこれだ。

 昨日の出来事をひとしきり思い出し頭を抱えていると、温かな香りが鼻孔をついた。顔を上げると、ガラステーブルに二つのティーカップと小皿が並んでいる。


「うちでよく飲んでるアップルティー。こっちのお茶請けはいきつけのお店のビスケット。あ、お砂糖ってある?」


 あるわきゃない。つうかそもそもそんなティーカップがうちにあったことすら知らん。


「お砂糖はなかったけどダイエットにもなるし、うん。そのままでもおいしいから大丈夫かな」と見谷はティーカップに口をつけた。


 横縞ストライプのティーシャツに、淡いオレンジのフレアスカート。普段流してる黒髪はアップにまとめている。

 学校では制服をきちっと着こなした真面目ちゃんなイメージしかなかったが、今正面に座っている私服の見谷は、年相応のオシャレに気を使う女の子だった。

 まあなんというか、つまり、


『可愛いってことでしょ? 素直に言ってあげればいいのに、っていたいっ!』


 クソ死神が茶化してきたので肘を入れてやった。

 とにかく仕方ない。見谷がうちに来たのは誤算だが、どの道今後の方針は決めなければならないし、それは早い方がいいのだ。


「じゃあ昨日の続き、するか」「はいっ!」


 威勢のいい返事にティーカップを取る。一口。うん、確かにこれはうまいかも。

 それからしばらく、二人で『芥川蘭藍を消す方法』案を練っていく。具体的には、どう殺すか、である。


「目黒川で溺れさせちゃうとか」「あんな人目が付く場所すぐに助けられるだろ」

「ぎゅっと首を絞めるのは」「できなくはないが首を絞めるのって案外抵抗される」


 見谷に殺す方法を出してくれ、と言ったら多少は考えてきていたのか、すらすらと案を出してきた。


「それじゃダメだな。例えばこんなのはどうだ。罠にかけて小屋に閉じ込め恐怖を味あわせたのち、周囲に火を放ってじわじわ燃やす。焼死は苦しむ率が高い殺し方だ」

「えええ、ひどくない⁉ それ!」

「何となくひどい殺し方にしてみた」

「却下、却下です!」


 俺もこんな感じで一応提案しているがあっさり否定される。彼女から残酷な方法が一つも出てこないのはその優しい性格ゆえだろう。

 ま、俺の小屋に閉じ込めるとかってのも半分以上冗談だ。都会のど真ん中だと難易度が高すぎるし、何より「その場にあるもので成し証拠を残さない」という俺のやり方に反している。


「うう人を殺すのを考えるのって意外に難しいね……。東京だと人目に付かないところって案外少ないし」

「そこはあまり考えなくていいぞ。むしろ人が多くても大丈夫だ」

「そうなの?」

「ああ。中途半端な人ごみよりかは、むしろなぎゅうぎゅう詰めの方がやりやすい」

『このあたしがいるからね。ふふふ人ごみで注目を消すのはなんざぁ簡単よぉ』


 トワリが俺の背後で声を弾ませた。

 予定外の魂を回収できるのが嬉しいのか?


『いいえーべつにーチガイマスー。てかあたしよりヤヒロの方がなーんか楽しそうなんデスケドー?』


 は? 俺? この状況をどうとったら楽しそうに見えるんだよ。


『さあ、どうとったんでしょーねー?』


 トワリはガラステーブルの上に視線を向け、それから見谷に移す。ふふっと忍び笑いを一つ漏らすと、スッと俺の視界からも姿を消した。

 なんだあいつ。

 そう思ったときだった。


「依月くん」見谷が、これまでにないほど真剣な口調で俺の名を呼んだ。


「わたしは、みんなが見てるところでちゃんと殺して欲しい」


 これまでになく自らの意思をはっきりと表示した。

 正直に言おう。俺は見谷が本気で芥川を殺したいと思っているとは考えていなかった。

 だからこれほどまでに強く重く「殺して」という言葉が出てくるとも思っていなかった。


 見谷へのイジメは深刻なレベルじゃない。思春期特有の他愛もない攻撃性が生んだ自己主張であり排他はいた行為だ。

 中学校という狭い社会で生まれる必然性のある病気みたいなもので、大学生になってより大きな場に出るなり、社会に出て人と折り合いをつけるようになれば自ずと消えていく。

 けどそれはする側――自由に振る舞える強者の視点から見た意見だったのかもしれない。

 される側はどうなのだろうか? 忘れられるのだろうか? いやそもそも今を耐えられるのだろうか?

 適当に流せばいい、と、思っていたのだが、それは見谷未希という女の子に宿る深い闇に対して背中を蹴る行為だったのかもしれない。


「見てるところで殺して欲しい、か」

「……えっと、やっぱダメかな」見谷のトーンがやや落ちた声に、

「いや因果は巡り巡って返ってくるんだろ?」こう応じてやった。


「え?」

「いつか渡り廊下で言ってたよな。『嬉しさは幸福として。不幸は災厄として。因果も巡り巡って返ってくる。きっと自分に返ってくるのを待っている』とか」

「あ、うん。自分なりの幸福保存の法則」

「その謎の法則に従えば当然不幸も巡ってくるってことだろ? 遅かれ早かれ。なら今のお前の不幸が災厄として芥川に降りかかるわけだ」

「……えっと? それってつまり」

「みんなが見てるところで芥川を殺せばいいんだろ。やってやるさ」


 俺は腕を組んで少しふんぞり返る。自信があるから心配するなという意思表示である。

 見谷は少し驚いたように目を見開いて、それから、頬を緩ませた。


「依月くんってあれだよね。返事が回りくどくてしかもちょっとわかりにくい……」

「うるせー」


 急に恥ずかしくなり顔を逸らす。俺がやや芝居がかった口調になってしまうのは、教えを乞うた人物の影響だった。


「言っとくがまだ契約は完全に成立してないからな。今相談に乗ってるのはサービスだというのを忘れんなよ」


 羞恥を誤魔化すために口から出た言葉だったが、見谷はまったく動じていなかった。

 いや動じるどころか「そうそう。そうでした」と言って立ち上がり、鼻歌交じりにキッチンへと歩き始めたのだった。


「わたしは契約のために依月くんに唐揚げを食べさせなければならないんでした」

「は?」

「覚えていないんですか。まあいいです。これから約束の唐揚げを作りたいと思いますいいですかダメと言っても作りますけど」


 見ると冷蔵庫から鶏肉らしきものを取り出し、キャビネットから使われていない調理器具を取り出している。

 そういえばそんなことを言った記憶も……って待て待て。料理初心者が揚げ料理? 冗談だろ?


 しかし残念なことに冗談ではないらしく、すでに厚手の鍋になみなみと(おそらく持参した)サラダ油を注いでいる。

 血の気が引く。

 やばくね? ガス爆発、油に点火炎上、部屋からは学生二人の遺体、果たして両名の関係性は――そんな見出しが明日の新聞に踊っているのではないか。そんな心配が脳裏を踊った。


 が、それはいささか杞憂のし過ぎだったようだ。

 見谷はボウルに粉と水を入れ鶏肉を放り込み揉み、それを縁からゆっくり油の中に入れていく。決して手際がいいとは言えないが、テキパキと進めているのを見てほっと安心した。


「ふふーん。これでも何度か練習はしてきているのであっつ!」


 跳ねた油が飛んだらしい。ばかめ。

 笑ってやろうとしたけど、ぴょんと足を跳ねたのが視界に入ってしまい思わず視線を逸らす。フレアスカートから伸びたふとももが露わになったからだ。……意外にスタイルいいんだよなコイツ。

 避けた視線の先、硝子戸から見える空は、うっすら赤みを帯びていた。


「結構いい時間になったね。晩ご飯にはまだちょっと早いけど」

「まあ腹減ったのは事実だし、ちょうどいいんじゃないか」


 そんなことを言ってから立ちあがり、見谷の後ろへと移動した。

「なに?」「いや。油を使っている所がどんなものか見るのは初めてだからちょっと興味が湧いただけだ」


 しばらくの間、油がぱちぱちと爆ぜる音だけを聞いていた。


「しかし衆目を集めて殺す方法か。どうすっかなぁ」

「わたし考えたんだけど、毒殺とかはどうかな? みんなが見てる前できゅっと倒れちゃうの」

「悪いが毒物系は扱ってない。使うだけなら簡単なレクチャーで済むけど、手に入れたり使い終わった後の処理は専門知識が必要になってくるからな」


 そういうのが必要な場合は俺じゃなく別の奴が――と、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。そういうのは彼女に説明する必要はない。


「そなんだ。じゃわたしが毒殺してみようかな」

「あん?」

「ほらどくさーつ」


 見谷は唐揚げを菜箸で摘まんでひょいと俺の口元へ向けた。


「ちょっとなんで変な顔してるんですか。ほら味見」

「……いや毒殺されんじゃないか心配になって」

「ひどっ!」いや自分で言ったじゃん。


 差し出された唐揚げをそのまま口に運ぶのは微妙に恥ずかしかったので、指で摘ま――『じゃあたしがいっただきまーす』――もうとしたところでトワリが急に姿を現したので、思わずのけ反る。肩が見谷に当たる。


「きゃっ⁉」


 危ねぇ。火の近くだ。見谷の肩をぐいと引っ張り火の元から離す。大して広くもないキッチンで暴れられたら困る。


「大丈夫か?」「え、あ。うん」「悪い。幻聴と幻覚がいっぺんにやってきた」


 ちなみに唐揚げの方は、菜箸から落ちそうになったところをもう片方の手でキャッチしている。正直ちょっと熱い。


「ったくクソバカトワリめ」


 ふと、見谷の視線が俺に向けられているのに気付いた。なんで肩を掴まれのかとかアクシデントあったからとかそういうのではなく、もっと別の疑問を秘めた瞳だった。


「なんかさ。依月くんってたまに変な独り言、言うときあるよね? あれって誰かと話してるの?」


 意図しない出来事というのは、往々にしてこういうときにやってくる。


「え。そうか?」だから凡庸な誤魔化し方になった。

「なんか誰もいないのに誰かがいるみたいな。……ねぇ、トワリって誰ですか? もしかしてそこに誰かいるんですか」


 視界がきゅっと狭くなった。

 なんだ? なんでトワリを知ってる。トワリの存在が、いやまて。

 何か言葉を出さないと。でも何を。見られてたんだぞ? いや死神は誰にも見えてないはずだ。


「そ――――――――」乾いた唇を動かそうとしたとき、


 ピリリリリリリリリリッ!


 甲高い機械音が鳴り響いた。リビングに置いてあったスマホだ。

「あ、わり。メール」渡りに船とばかりに俺はテーブルに駆け寄った。


 スマホをタッチしつつ、ちらと見谷の方を見やる。彼女はぱちぱちと揚げ物を再開していて、特に気にした様子ない。ほっとした。


 まさか独り言を聞かれてたとは。

 いや。言われてみれば結構喋ってるかもしれない。普段は注目されることも無いので気にしたことはなかったのだが……。

 でもなんで見谷は俺が独り言を喋っていると知っていたんだ? 

 いやそもそも独り言なんて俺を注視でもしていなければ気が付かないはずだ。「俺を見てる奴」がいた? そんな何の役にも立たない時間を使ってる人間がいた? この世界に?


 ふと湧いた疑問に答えを巡らせようとしたが、今はメールの方を気にするべきだった。

 そもそも友達がいない俺にメールを送ってくる相手など一人しかないからである。案の定、メールの送り主は「上司」だった。


【件名なし:仕事がある】


 それだけが書かれた短文。

 極めて端的だがこれで十分である。

 仕事といえば殺し屋稼業のことを指し、内容が書かれていないのは証拠を残さないためで、ターゲットや報酬、制限などの細かい情報は「上司」と直接会って確かめる手順となっているからだ。

 会うのはそのメールが来た日のどこかだから日付を入れる必要もない。


 ……のどこか。っておい? あれ、これマズくね?

 キッチンから小さな鼻歌が聞こえてくる。マズい要因は何だか楽しそうにしてる。


 いや大丈夫だ。今までのパターンなら深夜前に来ることが多い。時間はまだある。それまでに帰せばいいだけだ。

 一応余裕を見て今すぐ……いや揚げ終えるまでは待った方がいいか。油は危ないし。何が危ない別に関係なくね? まあいい。六時になったら帰してそれから――ん、ってあれ追加のメールが来てる?


【今から向かう】


「はぁ⁉」

「ど、どうかしたの依月くん? 急に声を上げたけど」

「いや! にゃんでもない!」


 くっそ噛んだ! けど今はそんなことを気にしている場合じゃない!

 まず急いで唐揚げを食べて、ってそれも違う! ええい! いいから揚げ物を中止させて見谷を帰してそれから――

 ピーンポーン。玄関のチャイムが鳴った。

 って嘘だろ⁉ もう来たのかよ!


「はーい」


 っておい見谷さん! なに出ようとしてるの⁉

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