23 夏祭り、その終わり

 神社には大木が何本も植えられている。木々が形作る林陰りんいん。その合間から、ひゅんと光が飛び出した。 

 ぱんという小さな音。きらびやかな数色の発光。参道にいる人らも川辺に降りてきている人らも一瞬それに注目したが、すぐ興味を失ったようで各々喧騒けんそうに溶け込んでいく。

 見谷未希の指先がもたらした結果は、それが全てで、そして終わりだった。


「今の……って……花火?」

「ああ。ここに来る前コンビニで買っておいた花火だ。組み合わせて同時に点火するようにしたから、思ったより大きくなっちまった」

「じ、じゃあ爆発……は……?」

「倉庫には何も起きてない」


 本当は倉庫を燃やす仕掛けなどなかったのだ。

 見谷は力が抜けたようにぺたんと座り込むと、「はぁ……」心の底から安堵したかのような吐息を漏らした。続く「――ほんとうによかった」とは、聴覚ではなく洞察力が捉えた無言の声だった。


「もしかして、計画は失敗させるつもりだったの?」

「いいや。成功はしたさ。最初から予定してた計画通りだ」

「え、最初からってどういうこと?」

が、最初から間違っていたってことさ」


 屋上で見谷と契約した内容は「芥川蘭藍を殺す」というもの。

 しかし見谷と接するにつれ、彼女が芥川を殺したいというのは自分でも気づいてない嘘で、本当はなのではないかと思うようになっていた。


「そもそもさ。本当に殺したいならさっさと俺を急かすだけでよかったはずだ。なのに自分の手でとか、人目が付く場所で――なんて条件をつけてきた。どう考えても引き延ばしたいようにしか思えなかった。そこで気付いたんだ。お前が消したかったのは、芥川でもイジメられている自分でもなく、咄嗟とっさに出てしまったお前の中の黒い自分ほんねなんじゃないか、ってな」


 息を飲む音と向けられた視線。俺は気づかないふりをし、遠く花火の煙で覆われる空を見上げた。


「だから俺がすべきことは、芥川を殺すことではなく、ましてやお前に殺させることでもなく、お前の出てしまった本音をどう殺すべきかだった」


 俺の手から携帯を奪い、最後のスイッチを押す。芥川を殺すという意思。自らの手で「芥川を殺した」というは、彼女の黒い本音を消し去ることだろう。


「ま、スイッチの結果はあのちゃちな花火があがるっつーのに変えてたわけだが」


 上空を漂っていた安物の煙が、風に紛れふわりと消えていく。きっともっと高く上がった高価な打ち上げ花火の煙と、どこかで合流していることだろう。


 見谷が立ち上がった気配がした。じゃりっという足音が一歩ちかづく。


「大人だ、依月くんは」

「いいや大人じゃない。ただの殺し屋だ」

「でもわたしよりはずっと大人だよ。ありがとう」


 彼女の頭が胸にそっと寄せられた。アップでまとめられた黒髪が微かに上下する。それに合わせるかのようにわずかな嗚咽が水の流れに混じって聞こえてきた。


 それは誰かを殺していたかもしれないという悲壮か、それともなかったという安堵からか。

 いや、そのどちらでもないかもしれない。

 だって彼女は殺し屋ではなく、ただの女の子なのだから。


 見谷には言わなかったが、実はもう一つ、個人的な理由があった。

 彼女がもし芥川を殺せば、世界の隅で止まらない負の螺旋らせんが一つ始まることになる。誰かがまた彼女を恨むだろう。巡り巡って、いつか誰かが彼女に復讐するだろう。

 俺は彼女がそうなることを望まなかった。

 だから殺させなかった。

 しかしこれは今やっている「殺し屋」という仕事と矛盾むじゅんする。俺が殺した奴らにも――例えどんなクズだったとしても――未来はあったはずだからだ。同じだ。だからこれは俺のエゴだ。


 しかし、もし。もしも俺が復讐をやめたとしたら。

 ヤヒロはどう思うだろうか。俺を軽蔑するだろうか。

 誰も答えはしないだろうけど、でも誰かに聞いてみたかった。


「あっ! そ、そういえば芥川さん出してあげないと!」


 パッと見谷が離れると、女の子独特の香気が鼻孔をくすぐる。

「ああ、そうだな」そう答え馳せていた想いを現実へと戻した。

 二人で参道の方へ戻ると、倉庫の前には何人か人が集まっていた。中からは漏れてくるのは、どんどんという扉を叩く音と、女の子の泣きそうな声。


「あけてよー! ひらいてよー!」


 女王サマが「閉じ込められた」などと泣き言をいうのはプライドが許さないだろうし、立ち入り禁止の場所へ自ら入ったと高言もできまい。あとで親なり先生なりに絞られるだろう。


「あいつにはあれくらいがちょうどいい」そう言って肩を竦める。くすっという笑い声が隣から聞こえる。どうやら彼女も同意見のようだ。


「にしても、あの出店にはちょっと悪いことしたかな」


 今もそこにあるガソリン携帯缶を眺めつつぼやく。今頃あるはずの燃料がなくなっていて慌ててるだろう。戻そうにも人目がある今は動かしようがない。


「これは依月くんのギルティにプラス一個だね」

「だな。まあ、あとで戻してその足で焼きそば買っておくさ」

「それで帳消しに?」

「してもらいたいところだ」


 肩を竦める。見谷は笑った。俺も釣られて笑う。二人で顔を見合わせ、もう一度笑った。


「ね。じゃあまだ時間あるよね。花火、すこし見ていかない?」

「いや」


 見谷の提案に即答する。


「そっか……。じゃあ帰る?」

「いや帰らない」

「え?」


 何かを期待したのだろうか。見谷の頬が朱に染まっている。少し唇を開いて俺をじっと見つめている。

 そっと肩を寄せた彼女に向かって、俺は手にしたビニール袋を掲げた。


「まだ花火が残ってるからな。少し多く買っちまった。せっかくだ。さっきのところに降りて消化していこうぜ」

「……もうっ!」


 見谷は頬をほんのちょっと膨らませた。

 

「ていうか川辺でやるの禁止されてるよ?」

「人が少ない川の近くでやるんだ。ゴミも持って帰るし少しくらいはいいだろ」

「ダメなものはダメだと思うんだけど……、罪が巡ってきちゃうよ」

「お堅いやつだな。いいさ。やりたくないなら俺一人でやってくるわ」

「そーゆー言い方ってずるっ! やりたいに決まってるじゃないっ!」


 見谷は眉をよせ、それから破顔はがんした。


「だよな。じゃ、いくか


 彼女はほんの一瞬目を丸くし、それから「……はいっ」と小さく頷いた。


 ヤヒロ。俺はこれでいいんだよな――――?

 誰かが笑った気がした。その声は誰のものだったか。

 分からないまま、けれど俺は納得し、彼女の手を握る。

 そして握り返された手を、そっと大事に引っ張った。



 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る