22 夏祭り、ひとつの光
倉庫から離れ、そこから裏手の階段を降り川辺へ出る。打ち上げられた花火の華が、ゆらゆらと水面に揺れ咲いている。ドーンという身体を震わせる振動が、俺たちの間を何度も駆け抜けていった。
「あとはこいつを押すだけだ」
見谷のスマホに携帯番号を表示させて渡す。着信先はガソリン携帯缶に仕込んだガラケーだ。信号を受けた
過去に屋台立ち並ぶ祭りで携帯缶から気化したガソリンが燃え上がる事故があったが、そのときは数人の死者がでたほどの燃え上がりをみせた。古い木造の倉庫を燃やすに十分だろう。
「単純だけど人が見ている前で、しかもワンボタンでお前にも殺せる。起爆用に設置した携帯は他から拝借してきたものだし、着信履歴も消えるようにしてある。証拠は残らない」
表示された番号を見る彼女に、軽く説明をする。見谷は「うん」と小さく頷き、発信の表示をタップしようとしその指を止めた。
「……そういえば、あのフロッピーの中、何が入ってたの?」
「なんだ。気になってんのか」
「あ、うん。……ちょっとだけね?」
「軽いもんしか入ってないぞ。
「ある意味重そうだ⁉」
「冗談だ。本当は何もはいってない。空さ。これから死ぬ奴に説法入れても仕方ないしな」
「そっかぁ」
ふふっと笑った見谷は、スマホに目を落とす。そしてやはり指を止めた。
「あまり時間は無いぞ。閉じ込められたことに気付いたら芥川が騒ぎ出す。そうしたら計画は」
「パァだね……」
神社から漏れてくる笑い声、誰かが石を踏む音、水が流れるざぁざぁという音、ときおり身体を打つ一〇号玉の轟音。様々な音が入り混じる中で、見谷はゆっくり口を開いた。
「あのね。わたし、依月くんに話したいことがあるの」
俺は返事をする代わりに、見谷の近くに座り込んだ。
「なんでわたしはあの日、依月くんを見てたのかって話」
あの日とは、見谷が俺と接触する機会になった雨の夜以外にないだろう。
「確か近くに従姉妹が住んでるアパートがあって偶然見かけた、そう言ってたな」
「うん。でも嘘なの。あの日、偶然見かけたっていうのは。本当は学校からずっと追いかけてたの」
「学校から?」
意外な言葉に思わず聞き返す。それに見谷は頷いた。
「だから少しだけ、聞いてくれる?」
*******
「依月くんはきっと覚えてなかったと思うけど、わたしたち前に話したことあるんだよ。去年の八月。真夏の暑い日で、半日授業の最後はプールだった日。
「あの日はプールが終わって、制服に着替えて、帰ろうってときにクラスの男の子に呼ばれて。何でもないよって言われて、席に戻ったときには水着が入った鞄がなくなってた。男子と、一部の女子が笑ってて、「あ、そういうことか」ってすぐ分った。
「なんだろう。わたし、昔からよく他の子からよく絡まれるんだ。小学校のときは男子にちょっかいかけられてたし。中学に入ってからは女子から。たぶん自分が気付いてないだけで、本当は嫌な子なんだと思う。
「胸おっきくなったから弾けてとんでっちゃったんじゃないの、とか笑われたけど知らないわよ。わたしだって好きでそうなったわけじゃないから妬まれても困るって内心思ってたし。
「もし無くなったのが鉛筆だったり消しゴムとかなら、へーんだそんなの気にしないでーす、で済ませちゃったと思う。だけど水着だと洗わなきゃいけないからお母さん分っちゃうし、変な心配かけたくないしで探さなくちゃいけなかった。
「でも探そうとしても、もうお昼を過ぎてて数少ない親しい子はみんな帰ってたし、先生には言いたくなかったし一人で探さなくちゃいけなかった。わたしは教室を探して、廊下を探して、校門までうろうろして。見つからなくてだんだん泣きそうになってきたとき、
「後ろから声をかけられたんだ。
「でもちょうど植込みの繁みに屈んでたときだったから、びっくりして。思わず「わっ」ってなって頭をあげたらその人の顎に当たっちゃって。うずくまる男子を見て謝ろうとしたけど、わたしも後頭部が痛くてそれどこれじゃなくて。
「しばらくして立ち上がった男子が差し出したのは、わたしの鞄だった。『……探してんのはこれか?』って。なんで持ってるのって聞いたら、『俺のロッカーに入ってた。どっかのバカが入れてったんで捨ててやろうかと思ったけど、さっきからお前がうろちょろ探してんのが見えたからな』だって。
「話したこともない、ましてやクラスメイトでもない男子がなんでって思ってたら、一言、『まだ生きてるやつがくだらねえことに俺を巻き込むな』だよ?
「もう呆れてぽかんとして。この人に何か言ってやろうと思ったときにはもう歩いて行っちゃってて、結局急いで口にしたのは「ありがとう!」って自分でもびっくりするくらい大きな声だった。
「依月くんの名前は後から知った。たぶんこの時から、わたしは依月くんを目で追うようになってたんだと思う。
「あのときの「くだらないこと」って言葉はわたしにとって、とっても大事な一言になった。確かにそうだ。生きてればなんだってできる。それに比べたらほんとうにくだらない。その天啓をくれた依月くんと、わたしはずっと話をしてみたいって思ってた。
「一年が経って、同じクラスになって、それでも話せない日々が続いて、そしてあの雨の日がきた。あの日は、芥川さんから逃げるために従姉妹の家にいこうとして、学校を少し早く出たの。そしたら依月くんの後ろ姿を見かけて、目で追いかけてるうちに、足も自然に動いてた。
「どこかで少し話せたらいいなくらいに思ってた。だからあの日見た光景には本当に驚いた。そしてチャンスだとも思った。これをきっかけにして話せるって。
「だから屋上で依月くんの前に立ったとき言いたかったのはね、本当はあんなことじゃなかったんだ。
「だってイジメなんて別にそんなくだらないことどうでもいいって思ってたから。だから、ただただ話したい人と話す切っ掛けができてよかったなって。でも本当は弱いわたしの本音は違ってた。だから依月くんの前に立ったとき、消しきれなかったわたしの、自分でも気づかなかった願いが声に混じってしまった。
「芥川さんを殺して欲しいっていう――わたしの
*******
俺の横に座り込んだ見谷が最後の言葉を紡いだときには、もう、蚊ほどの声になっていた。
「水着が入った鞄を渡したって……ああ、そういえばそんなこともあったっけか」
確かトワリが「これは女子の水着だ。えっちだ。持って帰ろう」とかナントカはしゃぎ始めてうるさかったのでさっさと黙らせるために持ち主を捜した――そんなんだ。深い理由はなかった気がする。
「ほら、やっぱり覚えてない。でもあれじゃ話したうちに入らないし、覚えてないのも無理ないかな。あはは」
彼女は笑ったが、それはどこか陰のある微笑みだった。
「結局、あの日は本音が混じった取引になっちゃった。けどそれでも最初はいいやって思ってたの。殺しちゃいたいって思ってたのは本当だからいいんだって。あの子は自業自得だって。自分にそう言い聞かせてた。けど、やっぱり違う。もし芥川さんが死んじゃったら、彼女のお父さんやお母さんはその原因を……追究すべき対象を求める。それはきっとわたしじゃなくて、別の誰かを不幸にする。わたしに回ってくるはずの罪が、誰かを経由してくるだなんて、そんなのやっぱりおかしいんだ」
見谷は屋上で話してくれた持論を、今も全く変わらずそのまま語り、
「だからごめんなさい」
消え入るような小さな声で謝った。
その謝罪はなにに対してなのか。
俺を追いかけ殺害現場を見てしまったことにか。
それとも俺を巻き込んでしまったということにか。
たぶんどちらも違うだろう。
見谷未希は優しい女の子だ 。短い間だが一緒に行動してそれは分っている。
当然、今の謝罪が意図するところもだ。
「だからやっぱり……芥川さんを殺すのはやめたい……」
予想していた回答を聞いて、俺は、ふぅっと息を吐き立ち上がった。
「追いかけたのも、写真を撮られたのも、今はどうでもいい。お前がすべきことは謝罪でも
ここで計画を止めるわけにはいかない理由がある。
「俺は都合のいいときに動く便利屋じゃない。この件はもう俺の仕事だ。必ず終わらせる」
「あ、あの写真なら消すし、わたし誰にも言わないよ」
「そういう問題じゃない」
「でも……」
「お前が押さないなら俺が押すだけだ」
「ダメだよ! それじゃ罪は依月くんにいっちゃうもの!」
「俺はもう、背負いきれないほど抱えてる。ここで一つ増えたところで変わらない」
見谷未希は優しい女の子だ。俺の事など放っておけばいいのに余計に気を回してしまう。
「ダメだから。絶対にダメだから。きっと
誰かと同じようなことを言うものだから、思わず口角を上げそうになる。
見谷から奪い取った携帯に表示されている分針が一つ進んだ。芥川を閉じ込めてからもう五分になる。
「これ以上は待てない。タイムリミットだ」
「――――!」
見谷未希は優しい女の子だ。このまま終わらせても、きっと彼女は自分の中にわだかまりを残したまま、最後には自らを裁いてしまうだろう。
だから俺がすべきことはひとつだ。
携帯を持った右手。その親指に力を籠める。
しかし直前で、見谷が携帯を奪い取った。
声を上げる間もなく、浴衣の少女は目をギュッと閉じ―――――両手でそれを握りしめた。
ピッという電子音が鳴った瞬間、
光が、
川辺を覆った。
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