21 夏祭り、囃子と計画と

「あれー。見谷さんじゃない?」


 夜店に囲まれた参道を二人で歩いていると、聞き覚えのある声に呼び止められた。

 振り返ると、あかね色の浴衣に身を包んだ芥川蘭藍ららが、数人のクラスメイトと共にこちらへ歩いてきているところだった。


「こんばんは。偶然だねー? 見谷さん」

「そうそうマジゼングー。てか見てみ蘭藍。見谷サンってばめちゃキレーな格好してんじゃん」


 尾根が芥川に同調する。つかゼングーって。お前一昔前の業界人かよ……。

 芥川は追従した尾根をチラリ一瞥いちべつし、「そうね」と、どうでもよさそうに相槌を打つと視線を見谷に戻した。


 見谷が、襟をきゅっと握ったのが見えた。


 彼女にとって芥川は畏怖いふの対象だ。対峙するだけでも勇気がいるに違いない。

 俺は――彼らから見えないよう――見谷の背中を軽く叩いた。

 大丈夫だ、と。

 安心させられたかは分からないが、彼女はえりから手をスッと放した。


 さてあちらはこの偶然にニヤニヤしているようだが、この接触、当然だが偶然ではない。

 芥川がこの時間に夏祭りへ来るという情報は、事前調査で入手済みであり、見つかるのも計画の内である。


 ただ、不安要素がないわけではなかった。

 芥川が一人で来ることはない――というのも、芥川に彼氏はおらず他の彼氏持ちの女子がペアで行く中、彼女のようなプライドの高い女子が一人で来るはずがないから――というのは分っていたのだが、その連れてくる正確な人数まではさすがに確定できない。


 そこがどうにも取り除けない不確定要素だったのだが、首輪をつけてきた犬は尾根と、他二名。これくらいなら計画に支障はない。

 計画の第一段階はクリアしたといえる。


「……へぇ。依月くんも一緒に来てたんだね?」


 芥川は笑顔だが、心なしか――というか確実に笑ってないやつだった。

 しかし今回の計画において俺が対象と絡む予定はない。むしろ見谷の方へ矛先を向けて貰わないと困る。


「見谷さんとはそこでたまたま会ったから少し話してただけで、一緒に来たわけじゃないよ」


 なので話を振られてもさらっと流す。

 そしてそのまま立ち去る……つもりだったのだが、


「ふぅん? でも依月くん、あたしがとき夏祭りなんて興味ないし予定あるから行かないって言ってたよね? まさか予定ってこういうことだったのかしら」


 目を細め睨まれる。どうやらまだ帰してはくれないようだ。

 さてどうかわすか。

 と、思案にけようとしたところで、くいくいと袖が何かに引っ張られる。


「……へぇ。芥川さんに誘われてたんだ? わたし、それ、聞いてないけど?」


 妙に迫力がある小声、ついでに石にでもされそうな視線を見谷から向けられた。

「いや別に情報ソースは説明する必要ないだろ」「うんそーですね」

 ……ってもしかして怒っていらっしゃる? あいたっ今ちょっとつねりませんでしたっ⁉


「ふんだっ」


 ったくなんなんだ。

 小声でそんなやり取りをしたのち、芥川の方へ振り返った。


「あのさ。知り合いのオッサンがさ、出店のたこ焼きやら焼きそばがなぜかお気に入りなんだ。で、毎年買ってきてくれって頼まれんだよ。予定ってのはそれだ」適当に話題を切り替える。


 芥川は「あっそう」と頷き、


「あ。じゃあじゃあ一緒に買いにいこー? おいしい夜店知ってるんだ。お父さんの知り合いで毎年同じ場所に出してるの。一番いいトコよ」

「あーいや。そのオッサンにもジャンクなりのこだわり? っつーのがあってさ。毎年バラバラで買ってこいって言われてんだよ」


 一応これは本当だ。

 知り合いのオッサンこと多々羅たたら二蝋にろうはジャンクフードの味にもやたらこだわるので、毎年全ての店の味見をしたのち一番うまいやつ(俺はジャンクに味もくそもないと思ってるのだが)を買っている。

 もし今日でなければ誘いに乗ったかもしれないが。


「ふぅん。変な人なんだね」

「俺もそう思うよ。じゃそういうことで」

「えーせっかく一緒なんだし、なんかしてこーよ」


 ん、なんだ。芥川がやけに俺へ絡んでくる。これはちょっと想定外だ。


「あ、じゃあじゃあこうゆーのは――」


 と、彼女から一歩寄られる。ふわり、香水の匂いが鼻孔をつき、芥川の首筋に視線が行った。


「あ、分った?」

「芥川さん、香水変えたんだね」


 女王サマの問いに答えたのは見谷だった。

 言われてみれば確か柑橘系だったのが薔薇系に変わってる――気がしないでもない。つかよく気付いたな?


 感心する俺とは逆に、芥川はムッとしたように見谷を睨んだ。あんたなんかに気付かれたくない、とでも言いたげな目だ。


 しかしここで二人が絡んでもらわないと計画が進まないので、芥川のかんさわることを言うのはまったく計画通りである。

 ただ、くらいでここまで癇に障らせられるものなのかとは、少し不思議に思った。よく分からないが、女子同士、何か通じるものがあったのかもしれない。


 とりあえずここから先に俺は必要ない。この場から離れてやることがある。


「じゃ改めて俺はこれで」


 立ち去ろうとすると、今度は「チョまてよ」という奇妙なイントネーションに呼び止められた。尾根だ。


 けどこいつらは今回どうでもいい。構ってやる義理もない。続けて口を開きそうになった尾根に鋭い一瞥いちべつをくれてやると、急所を突かれた魚よろしく口を開けたままピタリと動きを止めた。

 こいつにくれてやるのはこれで十分だ。


「ま、見谷に用があるなら勝手にやっててくれ」


 軽く手を上げ、身体の向きをくるりと境内へ向ける。そして歩き出す前に、さりげなく見谷の手に「あるもの」を握らせる。

 芥川がソレに気づいたのを、視界の端で確認し、今度こそ本当にこの場から立ち去った。



      *******



 参道の端、立ち並ぶ屋台の切れ目で曲がり、裏から見谷と芥川らが見える場所まで回る。

 人目ある場所だ。見谷に対し何かするのは芥川にとってもリスクが高い。ここであいつらが事を起こすことはないだろう。それに何より、今彼女は気になっていることがはずであった。


 俺はポケットからイヤホンを取り出し耳に差し込む。見谷の着物の襟に付けた小型――マッチ棒の先ほどしかない――マイクが、芥川と見谷の声を拾う。


「それ、なに?」

「え」

「え、じゃないわよ。それ。手に持ってるのなに」


 少しノイズが入っているが、感度はおおむね良好。

 芥川が「それ」という代名詞を用いたのは、見谷の手にある薄っぺらく黒い長方体が何なのか分からなかったからだろう。


「知らないの? フロッピーディスク」


 フロッピーディスクなんてもの、今どきの女子中学生が知らないのも無理もない。

 しかし見谷が知っていて自分が知らないというのは、カースト上とてもマズいことのはずだった。


「し、知ってるわよ。それくらい。よく見えなかったからだし」ちっぽけなプライドを守るため、想定通りの反応を見せる芥川。

「あなたがなんで、その、フロッピーディスク? なんて持ってるのかって聞いてるのよ」

「えっと。それは、別に」

「さっき依月くんに持たされたんでしょ。見てたし」


 獲物の端を掴んだといわんばかりに目を細める芥川に、見谷はハッと身構えた。


「何か分かんないけどデータが入ってるんでしょ。もしかして人に見せられないようなものなのかしら。わたし見てみたいわ。いいよね? 見谷さん」

「え、あ、……だ、ダメだよこれは」

「はぁ?」


 その奇妙に高いイントネーションは、たった一言で学校での上下関係に戻らせ、全ての命令を受け入れさせる緊縛の呪文だ。見谷が身体を強張らせたのを見て、芥川は口の端を上げ、他のクラスメイト達には決して見せないような妖艶で歪な微笑みを浮かべた。


「渡して」


 フロッピーを胸の前で隠すように抱えた見谷に再度命じる芥川。


「いやだ」強い口調で否定する見谷。

「は? またお弁当箱撒き散らしたいの? それとも今度はその浴衣に焼きそばソースの色付けをして欲しいの?」

「……」

「渡さないのね? じゃあどっちか好きな方選んでいいわよ」

「そんなの……どっちもいや」


 うつむき、目を左右に泳がせる。浴衣のすそをきゅっと握り、噛みしめた唇を隠す。

 まるで蛇に睨まれたひな――――完全にその構図だ。

 教室ですらここまで卑屈になってはいない。しかし芥川はに気づかず、自らの威圧が見谷を追い込んだと思い込んでいる。


 そう。これも計画の一環なのだ。うまく芥川を騙して思い通りに動かす必要がある。見谷の演技力が試されている。


 ……しかしうめぇなほんと。

 擬態とかいう特殊能力は女子の基礎パラメータの一つなので、みんなあれくらいできるのかもしれないが、それでも見谷のそれは一歩抜きんでているように思えた。


 そこから三〇秒ほど問答が続き、見谷が押し切る流れになりつつあった。

 芥川も一瞬興味を失いかけた、その瞬間、


「けどこれは、――くんの――――だから、芥川さんには渡せないし……」

「……っ! な、なんなのよ! いいから渡しなさいってば!」


 芥川はキッと睨みつけ、見谷の胸をぐいっと押した。


「なんだ……?」


 ノイズで聞き取れなかったが、最後に見谷が言った言葉が芥川に血を昇らせる効果があったようだ。

 通行人の注視が集まり始めたところで、見谷は渋々頷く。受け取ったフロッピーをまじまじと見つめている芥川。恐らくどうしていいか分からないのだろう。


「これどうすれば見れるのかしら?」威圧的に見谷に問いかける。

「……」

「あなたが持ってるってことは、あなたのお家でも見れるんでしょう。これからお邪魔してもいいのよ」

「……社務所しゃむしょから少し離れた物置に古いパソコンが置かれてるの。前に授業で行ったとき入れてもらったから知ってる。あれなら電源さえ入れれば使えると思う」

「あらそう。じゃ、いこ?」


 見谷の袖をくいと握って無理やり引っ張った。

 尾根ら取り巻きも移動しようとするが、それを見た見谷が周りを伺う。先ほどの言い争いもそうだが、通りが多い参道で少し目立ってしまっている。そういう空気にさとい芥川はすぐに察し、


「尾根くん、ちょっと食べ物買っておいて」


 グループの一部を離れさせる。ずらずらと歩いていたら怪しまれるかもしれないが、女子二人ならそれほど不思議な光景ではない。


「リンゴ飴と綿あめ買って境内の裏手で待っててよ。あとで、で行くから」


 そこで食べながら見谷とゆっくり魂胆なのだろう。

 察した男子たちはニヤニヤ笑い「じゃまたあとで」境内の入り口の方へと歩いて行った。まあ彼女に、「あと」はないんだけどな……。


 ともかく取り巻きを分断し芥川を誘導する――兼ねてからの予定通り、これで計画は第二段階を達成した。


 さて次は俺だ。

 女子二人が人通りの多い参道から暗い裏手へ消えるのを確認したのち、移動する。数メートル離れた場所に、たこ焼きと焼きそばを合わせた大きな夜店が出ている。

 ここは他よりも目立つよう大掛かりな照明を炊くため、電源用にガソリン発電機を使用しているのは調査済みだ。

 裏手に回ると二台の発電機が大きな駆動音を立てて回っており、その近くに、ガソリン携帯缶が無造作に置かれていた。


 こいつを少々拝借する必要があるのだが、裏手とはいえ人の目がないわけではない。夜店の主人ら忙しく目の前の客に対応しているとはいえ、背後でごそごそ動かれていたら何事かと気付くだろう。


「トワリ」


 呟くように死神の名を呼ぶ。一〇秒ほど待つが、聞こえるのは参道の喧騒だけで、あの明るい声は聞こえなかった。

 やはり来ない、か。

 岡野をやったとき以来、彼女は姿を見せていない。

 一体どこで何をしてんだか。

 元々今回は頼ることができなくともやるつもりだったので問題はないのだが、ただなんとなしに、あの和装の少女の間延びした声を今は聞きたかった。


 ふうっと息を吸い、止める。


 一歩。二歩。何食わぬ顔で店の裏に近づく。

「いらっしゃいませーどーぞおいしいですよ!」「焼きそば一つー」三歩。「まいど!」「マヨネーズはおかけしますかぁ⁉」四歩――


 ガリッという砂利を踏む音が、まるでコンサートルームにいるときみたいに大きく響く。どくんどくん。見られるという未来の可能性は、一歩ごとに心臓を大きく跳ねさせていく。


 五歩。六歩。あと一歩で手が――


「おい、そろそろ交換が必要じゃねぇか?」白い鉢巻を捲いた主人が、そう言って、首を横へ傾けた。


「生地切れてんすね。了解っす!」隣の若い男が、小麦粉を溶かした生地の入ったバケツを慌ただしく手にする。


 男が背後を振り向いた。


「………………気のせいか」

「おい! 早くしろ!」

「あ、は、はい!」


 店主の怒鳴り声に肩を竦め、再び作業に没頭し始めた。



    *******



 人目の付かない木の裏に隠れ、高鳴る心臓を治めるようドンと胸を一度叩く。

 あぶねー。一瞬の差だった。さすがにこの人目の中は危険だったか。


 ともあれ「現場にある可燃性の物資」という必要なものは手に入れた。

 ガソリン携帯機の給油口を開ける。帰化したガソリン独特の匂いが、むわっと鼻を突く。

 少し減ってるがこれだけあれば十分だろう。


 見谷らが向かった古い木造式の倉庫へ目をやる。

 二メートルほどの石垣を越えた場所にある倉庫へは、参道から直接行くことはできず、一度ぐるりと回らないと行くことができない。

 少し歩き倉庫横まで移動する。さきほどの露店とも近すぎず遠すぎず、いい距離だった。


 よくよく耳を澄ますと、倉庫の中から話し声が聞こえてくる。人影はぽつりぽつりとあるが、今は祭りの最中だ。気にする者はいない。

 イヤホンを付け直すと二人の会話が流れてきた。


『ねぇ、ここって入っていいの。なんかお札とか色々あるんだけど』『ここって納札所みたいだから、ほんとうはダメだと思う』『ちょっと!』『だってこのフロッピーの中身見たいんでしょ?』『……そうだけど』


 そんな会話を聞きつつ、俺は作業を進める。鞄から古い折り畳み式携帯電話を取り出し、その裏蓋を外してコードを付ける。コードの先はガソリン携帯缶の中へ入れる。


『あ、パソコンってこれ? てかなんかモニターめっちゃ大きいんだけど……』『古いから液晶じゃないからみたい』『へぇそうなんだ。で、どうすればこれ見れるの』『そこの細いとこに入れればいいわ』『……電源入ってないじゃない。このボタンであってるのかしら』『そうだけど、もしかして外にある方に繋がってないのかも。ちょっと見てくる』『早くしてよ』


 木造の扉がガラッと開き、見谷が外に出てきた。俺は無言で頷き、視線で移動するよう彼女に伝える。

 白い浴衣が去るのを横目で見ながら、俺は扉に鍵を閉めた。


『……あ、ついた! えっとここに入れればいいんだっけ』


 イヤホンから芥川の声が流れてくる。見谷との待ち合わせ場所に向かう途中、適当な草むらに投げ捨てた。


 どちらも、もう、必要ないからだった。

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