20 夏祭り、その始まりは

 夏祭り当日になると、普段がらがらな細い横道でさえ道行く人であふれかえっていた。

 コンビニ前は待ち合わせの場所として最適だと考えるのは皆同じなようで、思い思いの浴衣を纏った人々が集まっている。さながらカラフルなゴミ溜だ。


「……暑い。なんでわざわざ人が集まるとこを集合場所に選ぶのか」


 女子の考えることは分からん。一応反対はしたのだが、見谷の強い主張に押し切られる形になったことを、若干後悔し始めていた。

 混み入るコンビニでなんとか買い求めたファミチキを口へと運ぶ。油とジャンキーな味。環境も相まって最高に美味いと言わざるを得ない。


「まったく……痛っつっ」


 ふたくち目を運ぼうとしたところ手に引っ掻かれたような痛みが走る。茶色の毛並をした子猫が、俺の手からジャンクフードを奪い取り走り去っていく。立ち止まり、ちらとこちらを見た黒い瞳は、最高級のドヤ顔で、もし人語が話せたのなら「取られる方が悪いんだぜ兄ちゃん」とかなんとか言っているに違いない。


 いい度胸だ。この雑踏ならば捕まらない自信があるとでも?


 身体の向きを変え一歩にじり寄る。サッと子猫が走り出したのと同時に、俺も駆け出す。肩がぶつかるような人ごみ。その足元を子猫は迷いなく縫っていく。普通の人なら追いかけるのは諦めるところだろう。

 ただ残念、他の奴ならともかく俺にはハンデにもならない。ぶつかる瞬間に体の角度を変え、力を流すことで勢いを殺さない動きは二蝋に徹底されている。

 すいすいと近寄り追い詰めていく。通路にあるちょっとの行き止まりで子猫が一瞬立ち止まったところを両手で押さえた。


「おら。捕まえたぞ」「依月くん?」


 同時に背後から声を掛けられた。聞き覚えのあるちょっと高めの声は見谷に違いない。「何をってそりゃ――」猫を両手で持ち上げたまま振り返り、


 そして息を飲んだ。


 真っ白な下地に薄い青と燈の花が咲いていて、サイドポニーにまとめた髪がその上に流れ白と黒の美しいコントラストを生み出している。少し視線を上に逸らせば、ほのかに染まった見谷の朱色の頬があり、それらの色は俺の目を奪っていった。


「何してるの?」

「――ねこ」


 聞かれても文脈のない単語を紡ぐのが精一杯だった。その猫は両手からポロリと落ち、ファミチキを咥えたまま走り去って行く。


「猫ちゃん行っちゃったけど……。追いかける?」

「……いや、ただの野良だしいいさ」

「そっか。ちょっと遅れちゃった。ごめん」

「まったくだ」

「うん。お待たせしました」


 待たされたこと、ファミチキを失ってしまったこと、そんなクソ些細なことなど許せてしまう極上の笑みだ。

 どうして女の子ってやつは、なぜこうも卑怯でずるいのか。


「ねね、これどう? 今日のために買ってもらったんだよっ」


 浴衣の袖をついとまみくるりと回った。ただし路上のすみとはいえ、人溢ひとあふれる通りの一角。通行人に肩をぶつけた見谷は、カタカタッと下駄を鳴らしたたらを踏む。そのよろける彼女の肩を、俺の両手が押さえた。


「……ご、ごめん!」

「あ、いや。こっちこそ悪い。猫の毛がちょっとついちまった」


 この雑踏だ。少しの音などすぐ紛れる。だから俺の耳が赤くなった音など聞こえるはずもないのだが、それでも気にした俺は一歩離れ、見谷の肩をパパッと払った。左腕にかけていたビニール袋がクシャリと音を立てた。


「あれ、何か買ったの?」

「ん、ああ。暑いから飲み物」それと今頃は子猫の栄養になっているであろうファミチキ……っていいや、あれはもう忘れよう。


「えー。神社には夜店いっぱい出てるんだし、そっちで買えばいいのに」

「おいおい見て楽しむものだぞ夜店は。あんな混むところで買うとか冗談じゃない。あと無駄に高いし」

「はぁ~。依月くんはいつも合理的だ。けどいいこと? お祭りは雰囲気も楽しむもので、そして雰囲気はなにより優先されるの。付け加えるなら今日は絶対的に最優先なの。いい?」

「お、おう」

「だから歩くときもわたしの横。いい?」

「え、やだよ」

「いい?」


 なんだよその目力の迫力は。こえぇなおい。


「承りました。お嬢サマ」

「よろしい。では参りましょう」


 見谷は優雅に微笑み左側を空ける。謎の説得を受けた俺はそこへ。並んで歩く彼女の下駄が、からんからんと、とても気持ちよさそうなリズムを伴って鳴り始めた。

 まあ、こういうのも、悪くはない、か。


 しかし数歩歩いたところでその音が止まった。コンビニ横の小道で、手持ち花火に火をつけはしゃいでいる大学生らしきグループが目に入ったからだろう。数人の通行人が眉をひそめその脇を通り抜けていく。


「迷惑になるってこと、まったく考えないのかな。ああいう人たちって」

「そういう人間もいるってこった。けどお前が言ってた巡り巡る因果ってのがあるのなら、まあ、いつかあいつらにも巡ってくるだろ。きっと悪い方にな。ちなみに存在自体が人の迷惑になってる俺にもいつか確実に巡ってくる予定だ」


 自嘲気味に笑うが、怒ったような瞳にジッと見つめられ、逆に動揺する。


「あんだよ。そうやってジッと見てたりしたのかよ? あの雨の日も」

「そーだよ」


 半分茶化したつもりだったのだが、すなおに返答されるとこれはこれでまた困る。

 つうかあの日、トワリの能力が効かなかった理由が分ってしまった。

 もう今更だが、最初から見られていたのなら死神の能力も無意味だということだ。

 元々完全な隠密能力ではないと分っていたから仕方ないのだが――それでもトワリに文句の一つは言ってやりたくなる。


 しかし、今日もあいつの姿は見えない。

 今日の計画は例の力を借りないでもできるよう組んでいるから大きな問題はないのだが……ここ最近姿を見せないことに一抹の不安を感じる。体調でも崩しているのだろうか?


「あ、そだそだ」

「ん?」


 見谷の明るい声に、顔を向けたときには、もう手さげ巾着から携帯を取り出し終えていた。カシャっという心地良い機械音が鳴る。


「おい。勝手に」一応の非難してみるが、

「いいじゃん記念記念。今日はまだ撮ってなかったし」


 にひひと口の端を上げるのを見てしまうと、まあいいかという気になってくる。


「さて。そろそろいいか」


 それはこれから起こす計画についての最終確認。

 やったら最後、きっと戻ることはできない。見谷が信条とする因果もいつか彼女に廻ってきてしまう。


 覚悟はいいか。そういう意味を込めた俺の問いに、


「うん」


 簡潔で短く、そして深い意思が込められた答えが返された。


「もう戻れないからな」

「うん」

「じゃ、行くか」

「うん」


 再び歩きだす。

 すたすた。からんからん。並んだ二つの足音が雑踏に紛れていく。

 周囲から見れば夏祭りを楽しみにきた男子と女子に見えることだろう。珍しくもない光景だ。

 ただ。俺たち二人がこれからなにをするのかを思い至った人がいたらそれは珍しいと言い切れる。


 どんな想像豊かな人だったとしても、俺たちがこれから殺人を行うとは、思いもしないだろうから。

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