19 たぶん、これが最後の

「そういえば、あの刑事さん。二蝋にろうさんとよく似てたね。びっくりしちゃった」


 日が暮れはじめ、さて帰るかと席を立とうとしたあたりで、見谷が不意に疑問を口にした。


「そうだな。つか刑事じゃなくて警視な」まあ女子中学生にとって刑事も警視も「おまわりさん」という認識なのだろうけど。

 一度しか会っていない見谷ですら、あの二人を似ていると評するあたり、ただの空似と決めつけるのは安易すぎる。


 なら二人は同一人物なのか?


 警察官になるための警察試験には身辺調査があり、犯罪歴はもちろん、思想や信条まで調べられる。問題があれば合格することはない。殺し屋斡旋会社を運営する男と、警視庁の警視が同一人物などというそんなバカなことあるはずないのだ。


「そうなんだぁ……。じゃあうまく誤魔化したとか?」

「そこまで警察もゆるゆるじゃないさ」


 とは言ったものの、あの男のことだ。可能性はゼロと言い切れない。


「じゃあ双子だったとか?」

「一度アイツの弱みを握ろうとして調べたことがある。一人っ子。ついでに両親はもう他界してる」

「なら実は生き別れの親族だった!」

「三等親までの顔写真を見たけど、あそこまで似た親族はいなかった」ていうか生き別れって発想いつの時代だ、いつの。


 見谷はむむぅと腕を組みうねる。同級生よりも一回りふくよかな胸部が強調され、視線をずらさざるを得ない。こいつは自分の魅力にいまいち気付いてないからやっかいだ。


「じゃあ死神とか」

「いきなり非現実的な方向へジャンプしたな。確かに血も涙もないっていう意味ではまったくもって可能性はあるんだが、不本意ながら怪我して血を流したとこ見たことがある。残念ながら生物学上ヒト科の生き物に間違いない」

「残念なんだ⁉」


 俺が苦笑したのが嬉しかったのか、見谷はえへへとはにかむ。それから何か思い出したか「あっ」と声をあげ、ぽんと手を叩いた。


「そういえば前に、本で読んだことあったかも」

「死神についての本をか?」

「違うよ。えっと、どこだったかな」


 見谷は席を立ち、もう誰もいない図書室を歩き始めた。隅にある本棚から一冊の本を手にして戻ってくる。


「ほらこれ。知ってる?」

「ドストエフスキーだな。ロシアの有名な小説家だ。少しなら知ってる」


 机の上に置かれた本のタイトルは『分身』。原題は確かДвойникドヴァイニーク


「ドイツ語のドッペルゲンガーに相当する単語だけど、民間伝承的な奇怪な要素を含んだ言葉で、日本語に翻訳し難い単語だ」

「少しどころかやけに詳しい⁉」

「ドヤ顔のところ悪いな。実は読んだことあんだわ」


 本の表紙を指でトントンと叩き苦笑する。


「もう。だったら最初からそう言えばいいのに。そういう悪戯っぽいとこ、二蝋さんに似てませんかぁ?」

「似てねーっつの」そりゃまったく迷惑な評価だ。

「しかし双子から生き別れの親族、死神と来て最後は分身か。見谷さんはずいぶんとファンタジーがお好きなようで」

「ふんだ」


 見谷はぷいっとそっぽを向いた。まあ彼女も本気で言っているわけではなく、雑談がてらに話しただけで、別段当てる気はないのだろう。


「あ、ちなみにさ――」

「うん? なに?」

「あ、いや」


 ちなみにДвойникドヴァイニークの翻訳にはもう一種類あるの知ってるか?

 ――そう言いかけ、口をつぐんだ。ある可能性に思い至ったからだ。

 それは「もしかしたら」と思わせるだけの材料。


「……いや。何でもない。それよりこれ読んだのか?」


 口調を努めて明るくし、話題を切り替える。


「うん。読んだよ」

「最後まで?」

「まさか。寝ちゃった」


 読み切らないのは当然でしょう、とでも言いたげに彼女は胸を張った。いや自慢するべきとこではないからな?

 いやでも手に取っただけでも凄いと言えるかもしれない。


「内容も結構だし読むならもっとこう、ライトノベルとかの方がよかったんじゃないか」

「でしょー! っていいたいけど、同じのをお父さんが読んでたからってだけなんだ。心理学? っていうのかな。勉強を個人的にしてて、最近はイマジナリ―フレンド? とかいうのも調べてたみたい」


 見谷はまだ喋り続けていたが、「お父さん」という言葉以降はあまり頭に入ってこなかった。

 昨日あの場所に見谷の父親がいて、しかも父親が例の施設に関係していたということは、彼女に話すべきだろうか?


 ……いや、ない。話してどうする。彼女の父親が俺の「仕事」の目撃者だったから何とかしろとでもいうのか? 施設のことも彼女には関係ないだろう。関係ないはずだ。


「ね、聞いてる?」

「ああ。聞いてるよ」だから何も聞いていないかのように、ただ、そう返すに留めた。


 ここでふと、昨日の件についてあいつに問い出さないといけないことを思い出した。なぜ俺は、見谷俊夫に見られていたのか、を。


「それでね、それでね――」見谷は俺の服の袖をつまみながら、楽しそうに、夢中で何か話している。その隙間を縫って呼びかける。


 おい、トワリ。聞こえてんだろ。ちょっと顔出せ。


 しかし死神は姿を見せなかった。先日もそうだったが最近トワリの反応が鈍い。前は呼んだらすぐに――むしろ呼んでなくても邪魔しに――――ほいほい現れたというのに。


「ね、依月くんは覚えてる?」

「え、ああ」


 聞いていなかったので生返事になる。見谷が俺の言葉を待っているようだったので、「悪い。何だった?」素直に聞き返した。


「人を殺すって、どんな感じ?」


 その言葉はいつか屋上で聞いたのと同じ、女子中学生が語るにはあまり穏やかでない言葉だった。茶化そうと思ったが、真剣な瞳に対しそれは不誠実だと思い直す。


「自分が一番醜い。そう思える瞬間だよ」

「醜い……そっか。ねぇ、ひとつお願いしてもいいかな?」

「いいぞ。俺にできる範囲なら有償で。できないなら少し高く有償で」

「どっちもお金取るんだ⁉」

「仕事だからな」


 見谷はくすりと笑ったあと、


「芥川さんの最後は、わたしが直接したいの」


 やっぱり女子中学生らしくない提案を提示した。


「……理由は?」

「醜い存在を消すには、醜い存在にならないといけないから」


 見谷は決意を込めた微笑を浮かべ、即答した。


 けど俺には分かる。

 嘘だ。そうじゃないだろう。きっとお前は、そういう存在になってしまいたいのだろう。自分自身を貶め、悪行を正当化したいがために。じゃなきゃそんな悲しそうな微粒子は笑顔に含まれない。


「わかった」


 けど俺には言えなかった。

 もう、指摘できないほど、深く入り込んでしまったから。


「ありがとうございます。追加料金はおいくらになりますでしょうか?」

「いや。俺の手間が省けるからな。そいつは無償サービスにしてやるさ」

「あらお優しい。もしかしたらワタクシ、純潔を要求されるのかと思って覚悟していましたのに」

「お前はどこかの悪役令嬢かよ」

「だとしたら依月くんは悪役殺し屋ですね」

「そりゃ殺し屋に良い奴はいないからな」

「そうだね」


 彼女は笑う。俺も笑う。残っていた陰りを消した、本当の笑顔で。


「でもわたし、自分で言っておいて何だけど、どうやって最後キめればいいんだろ? ぶすっと刺しちゃうとか?」

「人目があるど真ん中でか。そりゃ捕まえてくださいって言うのと変わらんぞ」

「むぅぅ。だって見られてるのに殺すなんてどうやればいいのよ。難しすぎる!」


 その難しい条件を提示したの誰か忘れてんのかよ。


「笑ってらっしゃいますけど、何かいい方法はありますのかしら?」

「ある」

「え、ほんとに? うそ? どうやって? わたし全く思いつかなかったのに」


 即答に見谷は驚き、こちらを見た。


「ま、悪役令嬢サマとはキャリアが違うからな」


 口の端を上げ、ちょっとだけ余裕を見せてやる。ただ、ずいっと寄ろうとする身体を押し返すとき、ほんの少し触れた柔らかい感触にそれも一瞬で霧散する。気付かれないよう咳払いを一つ、それから答えを教えてやる。


「実はヒントはお前から頂いた」

「え? わたし?」

「ああ。さっき言っただろ。もうすぐ夏祭りがあるってな」


 夜の帳はすでに落ち切っており、窓の外に見える空は真っ暗だ。来週にはきっと、あのキャンパスに花火が鮮やかに彩られているのだろう。




そして、

     誰にとっても一度しかない、中学二年生最後の夏が始まる。




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