04 俺は別に困らない

『ううーノルマノルマ……あと二人分……できれば三人……』


 なんだかトイレにでも駆け込みそうな悩まし気な呻き声が、俺の意識を現実時間に戻した。

 トワリは腕を組んだまま宙に浮きゆっくり身体を回転させている。器用な奴だ。


『あ、一人はお昼のかわいい子……見谷ちゃんの依頼でいいかも。あの殺して欲しい対象の子……えーっとアクタなんとかって子。なんていったっけ』

芥川蘭藍あくたがわららか?」

『そそ。それそれ。教室で見たけけっこーけがれ始めてたし、刈り取りの対象としては問題ないかも』

「たかが軽いイジメ程度でそんな対象になるのかよ。お前適当に言ってんじゃないだろうな」

『ほんとだってば。ヤヒロが知らないとこで他にもやってるんじゃない?』


 トワリは軽い奴だが「仕事」に関して嘘をついたことは一度もない。

 だとしたら。芥川蘭藍は間引かれるべき人間だということなのだろうか?


「……いや。仮にそうだとしても芥川を殺す理由が、俺にはない」

『えー。あるじゃん。手伝わなかったら見谷ちゃん、ヤヒロが犯人だって警察に言っちゃうよ?』

「そうなったらそうなったで別にいい。むしろ困るのはお前だろ。というかお前がちゃんと消してなかったから見つかったんだろうが」


 俺には少しだけ特殊な能力が備わっている。

 といっても本当に少しだけだ。


《息を止めている間だけ第三者の視界から消えることができる》


 トワリに協力する代わりにコイツから借りている能力であり、中学生の俺が一線で殺し屋をやれている理由でもあった。

 しかし今回それを使っていても見つかったわけだが……。


『や、ちょっと勘違いしてるわよ。あくまで貸してる能力は視界から消えるんじゃなくて「視界にいるあんたの存在を希薄にする」ってだけだもの。誰かと目の前で話しているときそいつが履いてる靴の色を気にしたことある? 意図して視線を下に向けない限り気にも留めないでしょ? それと同じ。最初から注目されてたら意味がないわ。ていうか空気みたいに同化しておくのはあんたの領分でしょ』


 トワリはぶーっと頬を膨らませた。

 ……まあこいつの言い分には一理ある。万能な能力ではないし頼り切ることも無謀だと自らに言い聞かせていたはずだったのだが、どこかで慢心していたようだ。


「すまん。そうだったな。お前が正しい」


 自然と口から謝罪の言葉が漏れた。

 一瞬、トワリは動きを止め、それからくるんとそっぽを向いた。


『……ヤヒロのそーゆー素直なとこ嫌いじゃないていうかむしろ好き』


 何か呟いたようだがセミの声よりも小さかったので聞き取ることはできなかった。


『まぁいいよ。でもあたしのノルマも少しは気にしてよねぇ? ヤヒロだって能力がなくなったら今後やりにくくなるでしょ?』

「今後があれば、な」


 俺は今日にでも捕まるかもしれない。そうなればもうこんな仕事をすることもなくなるだろう。別に自分がしていることを正当化するつもりはないので、捕まるならそれも仕方ないと思っている。

 でもこの考え自体がすでに自分の罪を誤魔化そうとするエゴなのではないだろうか?

 ときおり、そう思うことがある。


「もし俺の魂がけがれきったらどうなる?」


 これまで聞いたことのなかった質問を死神に投げかけた。


『そりゃ他の死神がヤヒロを殺しにくるでしょうね。で、死んで後の魂をあたしが持ってく。なんで?』

「いや……そうだな……そりゃそうだ」


 俺が誰かを殺し、死神が魂を運ぶ、奇妙な共生。

 それが俺とコイツの関係の全てだった。



   *******



 途中コンビニで晩飯の惣菜を買い、それからマンションへ向かう。一〇分後に着いたのは築七年の鉄筋十五階建てのマンション。この九階の一室が俺の住処だ。

 2LDKの部屋は中学生が一人で住むには明らかにオーバースペックだったが、他者への干渉をあまり積極的にしない裕福層の住民が多いこのマンションは、殺し屋として動くのに最適だった。


 部屋に入り冷蔵庫からミルクコーヒーのパックを取り出しリビングへ。テーブルに惣菜と一緒に置く。据え置きのテーブルがあるダイニングは使ってない。料理をしないから、という理由もあったが、一人の生活範囲ならリビングだけで十分である。


 テーブルの上に置きっぱなしのノートパソコンを開く。「仕事」があれば専用のフォルダに空メールが来ているはずだったが新着はない。

 ちなみに空メールなのは万が一メールを見られた(または履歴を調べられた)場合の保険だ。送信は「仕事がある」という意味を伝えるだけであり、内容はまた別の方法で伝えられる。


 一通り確認し終えたとき、パトカーの甲高いサイレン音が窓を震わせた。

 素早く立ち上がり窓に寄りベランダの下を伺う。しかしサイレン音は止まることなくドップラー効果を残してマンションを通り過ぎて行った。

 ふうっと息を吐く。


『あの子通報してないじゃん。いい子じゃん』

「いい子が殺しの依頼なんてするわけないだろ」

『中学生にしてはおっぱい大きかったし』

「どこ見てんだよ……」


 そう言いつつ、見谷未希の顔を思い浮かべた。制服を着ていても分かるほどの細身だったはずで、それほど大きかった記憶は――


『お、今何考えてる? お姉さんが当ててあげようかぁ?』


 にへへと口の端を上げた顔が目の前に近づいてきたのを手刀で追い払う。


「逮捕するにも裏を取る必要があるだろ。タイムラグだってある。明日の朝にはお縄になってるかもって考えてたんだよ」

『ほんとぉ?』


 クソエロ死神は変わらずニヤニヤしていた。俺は立ち上がりコーヒーパックを手にする。


『どこにいくの?』

「シャワーだ。ついてくんなよ?」

『えええええええ⁉』

「唐突にわざとらしく驚くな。あ、言っておくがこの間みたいにひっそり入っててきて後ろから視姦しやがったら飯抜きだからな? このエロ変態死神」

『いいじゃん! 減るモノじゃないし! 見せてよぉ?』

「減るんだよ俺のは」

『ぐぬぬ』


 俺は露を吐き始めたコーヒー飲料を飲み干し、背後にあるゴミ箱に投げつけた。


『あいたっ!』


 視界の隅からにじり寄ってくる雌型死神にストライクだった。




 シャワーを浴びコンビニの大してうまくもない惣菜を腹に入れて一息つく。 ノーパソのキーボードを軽く叩くと、休眠中だったモニターが明るさを取り戻した。


『なになにどうすんのー?』


 与えられたオニギリを美味しそうに頬張っていた死神がふわふわと寄ってきた。やけにいい匂いがするのは俺の後にシャワーを浴びたからだろう。

 つうか同じものを使っているのに何で俺よりいい匂いがするのか? 謎だ。


「近寄んな。あと俺のシャツを勝手に着るな」


 いい匂いを撒き散らす物体をぐいっと押し返す。手のひらに暖かい感触が伝わる。シャツのサイズが合っているだけに体のラインをハッキリとなぞってしまっていた。

 奇妙な恥ずかしさを飛ばすかのようにキーボードを弾く。


『見谷ちゃんのこと調べるの?』


 何も答えずぽちぽち検索していく。

 深く調べようと思えば戸籍から住民基本台帳の調査、銀行口座の金の流れから人間関係を探るといった面倒な作業が必要になるが、今どきはSNSを少し漁るだけである程度分ることが多い。二〇分ほどで調べ終えることができた。


 見谷未希。十四歳。家族構成は父母弟。父親は大手銀行に勤めており母親は近くのスーパーでパートをしている。


「住所は都内で立地条件も悪くない。これで家族四人暮らしていけるということは金銭的には問題がない裕福層だ。にも関わらず母親が共働きをしているのは自立精神があるからだと考えられる。家族旅行の写真にはどれも笑顔が映りこんでいる。家族関係は良好と思われる」


 誰に言うでもなく呟きながら情報を整理していく。


 弟を構う場面が多々見られ面倒見がいい真面目な性格をしている。これは自立を是とする母親の血を引いているからか。この手の性格は親に心配を掛けさせまいとする傾向が多い。イジメられていることを自ら申告することはないだろう。率直な性格なだけに立ち回りが下手くそな女子だというのが分る。


 イジメを主導しているのは芥川蘭藍。父親は見谷父が務めている銀行の副頭取とうどりで、自身も上流階級にいるという自負からか小学校時代は立場を鼻にかけいくつかの問題を起こしていたようだ。ただ中学生になってからは上手く立ち回るようになり、同級生とは良好な関係を築いている。容姿も悪くなく男子からの人気は高い。


「クラスカースト上位女子が、見谷未希という立ち回りが下手くそで普通に考えれば路傍の石に過ぎない女子を目の敵にしている……か」


 理由は何だろうか?

 腕を組みしばらく考える。通話アプリのクラス専用グループ会話があったのを思い出す。


 大っぴらに使われているものなのでそこに大した情報はないだろうが、しかしそういうものは大体裏会話をするために別のグループが作られているものである。

 もちろん俺がそんなものに誘われているはずもないが、クラスメイトのツイッターのタイムラインを少し調べるだけでそれは分った。


 どうやら女子用の会話グループが存在するらしい。

 適当なアカウントでクラスメイトを装って入りログを漁る。


「掃除当番代わってって言ったのに代わってくれなかった」「教師が体操服の自分をエロイ目で見てたキモイ」「着替えでCクラスのむかつく女子学級委員の腋毛が見えてたウケる」


 といったような愚痴が大半を占めている。とにかく誰かを貶めたい。そんな掃き溜めだ。

 発言の全てが匿名になっている以上誰が言っているかは分からない。しかし匿名性がゆえに口も滑らせやすいもので、案の定、イジメの発端と思われる会話はすぐに見つかった。


《うちらのクラスにFクラの滝村くんに告られた女子がいるっぽい》

《あ、見谷さんでしょ? 聞いた聞いた》

《そーそー。しかも振ったんでしょ?》

《え、マジ? 滝村くんって蘭藍ららが結構いいって言ってた男子でしょ?》

《先月も誰かに告られたって聞いたけどそれも振ったらしいし、理想高めなんじゃない》

《うわーそんなんで滝村くん振っちゃうとか。蘭藍の気持ちとか考えてないわけ?》

《ないっしょ。だってクラスと全然絡みないしねー。むしろめっちゃ下に見てそ》

《何様。チョーシ乗ってない?》

《乗ってる乗ってる》


 どうやら芥川蘭藍が気にしていた男子がちょっと見谷の事を気にかけた、ということらしい。


《しょーじき言って前からちょっと気に入らなかったんだよね》

《実はあたしも。それに尾根っちとかもむかつくとか言ってた》


 その後も見谷に対する批判の発言が続く。ちょっと、お高く止まってるとか、一部の男子から気に入られてるからいい気になってるとかそんなんばかりで、どれも内容は大したもんじゃない。ようするにきっかけは単に気に食わなかったってだけなのだ。

 タイムスタンプを見ると約四ヵ月前。見谷がイジメられ始めた時期とちょうど一致する。


《うーん。確かにクラスになじんでないけど、ちゃんと日直とかやってくれてるし周りと話すのが苦手なだけ、とかあるかも?》


 中には見谷に対する同情的な発言もあったが、


《そうだけどそれって当たり前だし、みんなだって蘭藍かわいそうだって思ってるしょ? あ、もしかして違った?》

《……あ、ううん。違くはない、かな。まあ》


 すぐ同調圧力で消されていった。


《蘭藍がキメるならあたしは蘭藍の味方になるし》

《うん。でも今日はいないっぽいし明日それとなく聞いてみるといいかも》

《そだね。あ、ていうか決まりっぽい?》


 やがて誰かが決めたわけでもないのに一人の少女を押し潰そうという流れに決定していた。

 誰かを排することで団結する。何かを為した気になる。そうやって自分たちの身を守る。

 こうして彼女らは何かをしたわけではないクラスメイトを、そのときの気分だけで団結するためのエサに選んだのだ。


「くっだんね」


 俺は覗き見していたグループからログアウトし吐き捨てた。

 見谷は確かにクラスに馴染めていなかった。が、今日話した限りでは喋りが苦手というわけではなく単になじむのが苦手な性格なだけのように思える。時間が経てばいくらでも友達ができてただろうに。下らない会話と同調圧力によってその機会を失わされたのだ。

 ふと、自身が奇妙な苛立ちを覚えていることに気が付いた。


 ――そういえば。

 ――も似たような性格だったっけ。


『ん、ん、終わった? 終わった?』


 もはや少女の姿を思い浮かべようとしたとき、明るい死神の声が脳裏で形作ろうとした残影をかき消した。

 暇すぎたのか部屋をちょろちょろ動き回っている。


「まだだ」

『トワリお姉さん暇なんだけどー』

「俺は暇じゃねえよ」


 ノーパソを閉じる。

 少し考えをまとめたいのでしばらくは邪魔されたくないのだが――さて。


『あ、そういえば冷蔵庫にスイカバーがあった」

『え、マジ⁉ 食べていいの⁉ やったー!』

「いや俺が食う。持ってきてくれ」

『…………ぜんぜんやったーじゃなかった。ひどい。ひどすぎる。しかももしかしなくても一人で食べるつもりなんだ』


 肩を落としそれでも渋々と従う辺り、結構従順だったりする。

 俺は冷たいアイスを受け取ると包装紙を破り先っちょを少し齧った。


「俺チョコでコーティングされてないやつはあんま好きじゃないんだよな」


 赤いシャーベットの先をトワリに向ける。


『……! へへ、あたしは好きー』


 にんまりした死神は俺の手を握ってぱくっと口に含んだ。


「ほら全部もってっていいぞ」「ほんと? ありがとっ」


 彼女は唇の端についた黒い粒をぺろりと舐めとると美味しそうに残りを食べ始めた。

 ま、これでしばらくは静かにしてくれているだろう。

 それから俺は二〇分ほどかけ、見谷を含めた関係者の相関図を脳内に作り上げた。


『で、どーすんのよぅ?』


 とっくにアイスを食べ終え満足していたトワリが問いかけてきた。


「別に。何もしない」

『何もしないのに調べたりしてたの』

「……まぁな。癖みたいなもんだ」

『相変わらず捻くれまくってるねぇ。あたしはヤヒロが捕まったらちょっとだけ困るけど』

「別に困らないだろ。他の奴に憑りつけばいい。そいつがもっとうまく殺してくれるさ」


 遠方から響いていたサイレンの音はもうとっくに聞こえなくなっていた。

 ソファに横たわり目を閉じる。薄手の毛布にくるまると冷房で冷えた肌が少しずつ温まっていく。

 ほどなくして来た睡魔にあっさり身をゆだねた。

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