01 依頼

 駅からバスに乗り学校へ続く坂道を歩き始めたときには一〇時になっていた。

 余裕の遅刻コースだが想定通りなので急ぐ必要もない。

 七月は始まったばかりだったが、都内でも緑地の敷地が多いこの辺りは、気の早いセミの合唱が始まっている。


「あちぃ……はぁ……」


 呟きと溜息が同時に出る。このくそ暑い気温だけでもすでにだるいのに、担任から貰う小言を考えてしまったからである。

 ……まあ説教も仕事の必要経費だと思うしかない。何でもっと早く寝ないんだと問い詰められてもまさか「連日夜遅くまで人を殺す計画を練っていたので眠たかった」などと言えるはずがない。


 人を殺して賃金を得るという職業。

 決して人に誇れることがない仕事。


 職業に貴賤きせんはないというが、人に言えない職業もそう言えるのだろうか?

 答えはNO。あれは何だかんだいって人に誇れる生き方をしている奴が上から目線で考えた言葉なのだ。


 しかし生き方ひとつに考えさせられる、というのは存外に幸福なことである。

 なぜなら俺の年まで生きられなかった奴らなんてのは、俺よりも遥かに多いのだから。


 たかだか中学生がそんな感想を発せられる境地に達しているのもどうなのか、と、思わないわけじゃないが、まあ人生でそう悟れるだけの出来事を経験したから仕方ない。

 そして今俺が生きているのはこんな仕事でもやれているからなのである。

 もっとも、殺される側にしたらたまったものではないだろうが……。


 そんなことを考えていると、いつのまにか坂道を登り終え木々に囲まれた小道に入っていた。

 ここを抜ければ学校だ。

 木陰が続くこの道は明るい太陽の日から守ってくれるお気に入りのスポットだ。木洩れ日が作る影だけを踏みながら歩くのは殺し屋になってから癖である。


「もう四年、か」


 俺がこんなことをしていると誰かに話したことはない。知られてもいない。知っているのは俺をこの道に引き込んだあの男だけだ。


 いや。もう一人、いたな。


『現場にあるもので自然に殺害する。まるで死神を思わせるような――』今朝キャスターが言っていた言葉が脳内にリフレインする。


「死神を思わせるっていうか、いるんだよな、マジで」


 唾を吐き捨てたくなったがぐっと飲み込む。

 気が付けば校門をくぐっていた。



    ******



 教室の扉を開けるとちょうど休み時間に入ったようで、クラスメイトが所々で団子になり談笑しているところだった。


 窓際最前列にある自席へ向かう。人目がつくところで歩くときはだらりと前髪を垂らし意識的な猫背でけだるそうに。関わると面倒くさそうな雰囲気を出す。途中、何人かの視線を感じたが、話しかけてくる生徒は一人もいない。

『遅刻が多いちょっと変わった奴。別に避ける必要はないが特別気にする必要もない』

 と、いういつも通りの対応である。数か月かけて作り上げたこの「注目されない」立場は実に心地良い。


 心の中で満足しつつ席に座ったとき、背後から女子の笑い声が聞こえてきた。

 こちらに向けられたものではなかったが、鞄を脇に置く際に、声の方へちらと視線を向けてみる。窓際の一番後ろの席だ。数人の女子と男子がグループを成していた。


「ちょっとウケるんだけどー? やめてあげなよ男子ー」


 真ん中にいる茶髪の女子が明るくそう言った。


 「注目されない」人間が俺なら、逆に「注目される」人間がいる。このクラスでは彼女――芥川あくたがわ蘭藍ららがそうだった。


 そこそこ整った顔立ち、注意されない程度まで上げた膝上スカートに薄い化粧、薄く染めた茶髪のゆるふわセミロング。どこをとってもそんなに派手ではないが人の目を引くには十分な存在だ。

 だからといって他の女子が嫉妬するような行動は決してとらない。

 教師陣にも愛想がよく反抗しない態度も相まってむしろウケが良いまである。

 クラスの女王様かというと、そうでもなく、かといって誰かの下に付くわけでもない。

 それでいて、クラスの中心的存在になっている。


 ようは立ち回りがうまいのだ。

 他の女子グループには決してしゃばらないが、自らのグループに立ち入らせもしない。

 クラスの女子とも上手く折り合いをつけているがゆえに、いくつもあるクラスグループの中で、彼女がいるグループは自然と最大派閥となっていた。


 グループの中心から――その芥川蘭藍の少し高い笑いが教室に響く。

 笑いの先には二つ隣の席の女子が椅子から転んだ姿があった。

 尻もちをついているのは座ろうとしたところへ男子が椅子を引いたのだろう。クスクスという笑いが芥川蘭藍の集団から発せられている。


見谷みたにさんどったのー? 何か変なモンにお尻でも触られたー?」


 男子の一人が座り込んだ女子の名前を呼ぶ。


「変なモンって何だよ。妖怪? ポケモン? 死神?」

「ばっかおめぇの存在じゃね」


 数人の男子が続けて囃し立てる。「ちょっとやめなよー」と言っている女子も本気で言っているわけではなく単なる形式的発言だ。

 座り込んでいた女子は気にせずお尻を払うと何食わぬ顔で座りなおしていた。

 くすくすという笑い声は続いていたが止む気配は起こらない。遠巻きに気付いているクラスメイトも止めようしない。


 どこにでもあるイジメだ。別に珍しいモノじゃない。


 いや、イジメ、というレベルでもないかもしれない。さっきのだってせいぜいお尻に痣ができる程度で陰湿なもの――少なくとも俺が知る限り――ではない。かなり軽い方だ。


 しかしやっている方とやられている方の受け止め方に乖離かいりがあるのもまた珍しくない。それに多感なこの時期この年代のは精神にくるものだ。あのひそひそと笑われるのなんかは特に。

 教師もよぼど悪質なものにならない限り注意もできないだろう。


「始めるぞー。おら席に着け」


 短い休み時間の終了を告げるチャイムと同時に数学担当の担任が入ってくる。一喝すると団子になっていたグループは解散し、スーパーボールが跳ねるかのようにぴょんぴょんと席に戻って行った。

 生徒らの挙動に担任は全く気付いていない――ということはないと思うのだが、そこに触れる様子はない。


「始めんぞー。……あー、それと依月いづき。終わったら職員室な」


 代わりに、俺が担任にジロリと睨まれた。

 どうやら遅刻という分り易く対応しやすいのには、ちゃんと対応するようだった。



    ******



 説教を受け、四限目の授業も終わり、昼休みになった。

 チャイムが鳴った瞬間、男子たちが席を蹴り次々に教室を飛び出していく。


 購買所は戦場だ。最初の五分間が勝負で敗者は何も得らず、午後を徒手空拳(ようは空腹)で戦う羽目になる。

 故にこの五分だけは誰もが戦士になる。俺も当然そのうちの一人だ。まってろよカレーライス(二九〇円)。


「ちょっと、いい……かな?」


 背後から声を掛けられたのはちょうど席を立とうとした時だった。


 この時点で、二つの事実に驚く。


 まず一つは、俺に話しかけるような友達はこのクラスにはいないはずだということ(そもそも他のクラスにもいないが)。

 もう一つは、声をかけて来た相手が件のイジメられている女子生徒であることだった。


 見谷みたに未希みきは他の女子生徒と違い制服を着崩すことはない。リボンはちゃんと付けてるしスカートは規定の長さに収めている。艶のあるロングヘアは後ろでシンプルにまとめられそれが清楚な印象を強調させている。

 ザ・真面目ちゃんといった印象の女子だ。


「……何か用?」

「うん」


 ちなみに三か月同じクラスにいたが会話を交わしたのはこれが初めてである。


「依月くんにちょっと話したいことがあるんだけど」


 意外な申し出にぽかんとしてしまった。

 俺に話だって? 何の冗談だ?

 いや冗談でも今は聞いている暇はない。悠長に立ち話をしていたらカレーライスが危ないのだ。


 しかしもうクラスに男子らの姿はない。恐らく他のクラスも同じだろう。時間にして一〇秒にも満たないロスだったが、俺はスタートダッシュに失敗したことを悟った。

 溜息を吐き出すのはなんとか我慢し、「で、なに」真面目ちゃんの方を振り返ったのだった。



   *******



 緑林りょくりん学園には北棟と南棟があり、それを繋ぐ渡り廊下が各階にある。最上階にある四階の渡り廊下はいくつかベンチが置いてあり、生徒たちのちょっとした憩いの場となっている。

 昼休みともなれば場所の取り合いにもなるのだが、幸いなことに購買所戦争に参加しなかったのでベンチにはまだぱらぱらと空きがある。

 俺は空いているベンチの一つに座り空を見上げた。昨日雨だったのが嘘のように天気が良い。


「で、話ってのは?」


 正面に立つ見谷にぶっきらぼうに尋ねた。


「ん、あのね。えっと」

「だるぃ。はやく頼むわ」

「……えと、ごめん」


 謝った彼女だが、それでもムッとしたのかほんの少し口を尖らせた。


「悪いが昼飯を買い損ねるきっかけを作ったんだ。好意的になれる理由は一つもないぞ」


 それに見谷に呼び止められた理由もほんの少しだが想像がつく。

 クラスのはみ出し男子にイジメられ女子。笑いものにするのなら恰好の組み合わせである。


「先に言っておく。告白は受け付けないからそのつもりで」

「はい? 何でわたしが依月くんに告白を?」

「芥川あたりに言われたんじゃねえの? 面白がられて」

「言われてないし言われてもしないよそんなこと。ていうか女の子に対してそんな非好意的な言い方しかできないの?」


 フランクな言い様に少し驚き、俺は彼女の顔を見た。

 怒っているのか口角をほんの少しあげて頬を膨らませている。清楚な雰囲気とのギャップで妙に可愛らしく見える。特に注視したことはなかったがこうして改めて見ると、素材は芥川なんかよりよほどいい。


「……非好意的も何も俺は誰に対してもこんなもんだぞ。男女平等ってのがモットーだからな」

「え? うーん。言われてみたられば確かにそうかも。依月くんが誰かと仲良くしてるところみたことないし」

「だろ」

「というより依月くんが他の人と話してるところみたことない」

「だろ。つまり平等だ」

「そうだね……ってんんん? 何だか誤魔化されたような気がする……」


 見谷は眉をよせ唇をきゅっと歪めた。見ようによっては作った「可愛さ」に見えなくはないが、どうやら素らしい。これまで話したことはなかったがこんな性格の奴だったのか。


「あ、でね。話っていうのはね。依月くんにお願いしたいことがあるの」

「お願い? 俺に? 今日初めて話したのに? 冗談だろ」

「ダメ?」

「お前のせいで今日の昼飯がない。恨みはあれど恩はない。頼みなら好感度をもっとあげてからにすんだな」

「好感度ってなんかゲームみたい。あ、でもお昼ならわたしお弁当があるよ。わけてあげよっか?」


 見谷はそう言って手にしていた大き目の巾着を差し出した。あれ弁当だったのか。


「いやいらんし……」


 女子と仲良くベンチに座って昼食とか目立ちすぎる。何より恥ずかしい。


「あ、でも量はちょっと多めにあるけど、二人分には少ないからちょっと足らないかも。一応手作りだから味はその、保証できないけど」

「いやいらん。……って俺の話聞いてる?」


 天然かよ。

 女子の手作りのお弁当というキーワードにはちょっと惹かれるものがあったのは否定しないけど、それでも、ない。


「で、なに。飯を一緒に食べようって頼みをしにきたわけじゃねえだろ。よく分からんが頼み事を選ぶなら他のやつにした方がいいと思うけどな。男子なら尾根とか」

「尾根くんはダメだよ。芥川さんと仲がいいもの」

「仲がいいとダメ? まさか俺に芥川にイジメを止めさせるよう計らえーとかいうんじゃないだろうな」

「あ、えーと。ちょっと違うかな。あ、でも間接的にはそうなるかも」


 いや冗談で言ったんだけど。……どうやら当たりだったらしい。

 まあ正解が何にせよどうでもいい。答えはノーしかない。

 俺は溜息をついてベンチから立ち上がった。


「え、ちょっと待って。話聞いてくれないの?」

「悪いがイジメを止めさせたいのなら俺じゃなく教師に相談しろ。俺にイジメを止めるなんざできないし、そもそも引き受けるつもりもない」

「そう? でも依月くんにはきっとできるし、引き受けなきゃならないんだけど」

「あん?」


 立ち去ろうとして振り返る。

 見谷はかわいらしく口に指を当てふむと考え込むような仕草をしていた。


「だって頼みっていうのはね」


 困っているようでいて軽い口調。


「芥川蘭藍さんを、殺して欲しいってことだから」


 清楚な少女はそう言った。

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